卒業式の意義(寺坂)

 こんにちは。先日のゼミで、こんな内容について話し合いました。

「運動会で組み立て体操をやるかやらないか」


 さて、みなさんはどうお考えでしょうか。ここでは、この論議はしませんが、今は廃止の流れが強まってきているらしいですね。
ん??記事のタイトルとどう関係あるんだ?と、思われた方。安心してください。ここから繋がってきますよ(笑)

 話し合いの中で、運動会をやる意味についての意見が出ました。当たり前すぎて、考えたことなかったですが、当然意味があるからやるのですよね。私は、その意義について教師になるのに恥ずかしながら知りませんでした。

 こうなると、性格上ほかの行事の意義についても知りたくなります。知りたいに遠慮がありません。地で主体的な学びを体現できています。
 ぱっと出てきた、行事は「卒業式」。厳かな儀式ですが、卒業式の子供の持つ正直なイメージは、「めっちゃ練習させられる。」ではないでしょうか。正確なアンケートをとっても、かなり上位に食い込んでくると思います。僕も、練習嫌いでした。入場して校長先生や来賓の方の話聞くだけで、なんでこんな練習しなくちゃいけないのか。卒業の日が近づくにつれて、練習のために学校に行くなんていう日もありました。もう、とっとと卒業させて遊ばせてくれよ。そんなことを、小・中学生寺坂は考えていました。

 でも、大学生寺坂は、「どうして、あんなに練習するんだろう」。こんな風に考えることができるようになりました。我ながら、心の面で成長を感じます。単純に考えれば、最後の大舞台だから、だと思います。でも、それだけであんなに練習するでしょうか。考えているうちに、もう一つ不思議なことを思いつきました。なんで入学式は練習しないのでしょうか。入学する人は分かっているのだから3日前くらいから、子供を集めて練習もできますよね。でもしません。そこから考えると、入学前と後で違いを出したいのかなと思います。おそらく、入学前の教育されてない状態から6年ないし3年の学校生活を経て成長した姿・できるようになった姿、「僕・私、大人になったよ。」「こんなに成長したよ」を保護者の方に示す日なのだと思います。だから、学校は子供がかっこいい姿を見せることができるようにたくさん練習させ、たくさん怒鳴るんです。あくまで、僕の個人的見解です。でも、そこまで外していないのではないかと思います。

 しかし、きちんと意義を理解して臨んでいる子供って少ないのではないでしょうか。教師になったら、「どうして卒業式ってやるんだろうな」と物わかりの悪い教師を演じ、子供に自ら考えさせたいなと思います。(寺坂)

 ※ 写真は玉置先生が校長時代の卒業式風景です。
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吉田の恩返し(吉田)

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こんにちは。

久しぶりに記事を書きます。
2期生の吉田航平です。

教採までいよいよ1ヶ月。歩みを止めない毎日です。
そんな時だからこそ、気付いたことを今日は記事にします。

私は1週間前まで、元気がありませんでした。
いろんな困難に苛まれ、勉強も不安になり、どうすればいいかわからない日々でした。
私はいつの間にか、暗い自分になっていたのだと思います。

しかし、時が流れにつれ、落ちていく私を救ってくれた人がたくさんいました。

自分のことのように相談に乗ってくれた仲間
食事に誘ってくれて、気分転換に付き合ってくれた人
いつも通り面接練習をしてくれたり、会話をしてくれる友達
肩にポンッとたたいて気遣ってくれる人
何をしたわけでもないのに応援してくれる後輩
自分の為に汗や睡眠時間を削って、頑張ってくださる先生
ふいにかかってくる電話で元気にしてくれる親

崖っぷちの私を助けようとしてくれたのだと思います。見捨てることもできたはずです。でも、手を差し伸べてくれ、温かい気持ちになりました。

今度は私の番だと思います。そう、吉田の恩返しです(笑)。
どんな恩返しができるかわかりませんが、今できることを全力でやっていきます!

ありがとうございました。(吉田)

5月29日第7回3期生ゼミ記録(嶋藤)

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 こんにちは。初等体育の授業で50m走で老いを感じた、三期生の嶋藤です。

 今日は第7回ゼミがありました。前回と同様、山下さんが発表した「国語授業のユニバーサルデザイン(桂 聖)」という本について紹介したいと思います。

 今日山下さんが発表してくれた内容は、「授業を視覚化(ビジュアルに)する」「授業を共有化(シェア)する」でした。その中の「授業を共有化(シェア)する」の内容の一つについて私は書いていきたいと思います。

 私が是非教育実習や現場で使いたいなと思ったのは、「表現せざるを得ない状況に追い込む」というやり方です。これは、簡単に言えば、「挙手」させて指名するのではなく、「作業」をさせて指名するというやり方です。
 
 ほとんどの授業は挙手制だと思いますが、それでは、手を挙げていない子は表現しずに授業が進んでいってしまいます。またその子は表現しないだけでなく、よく分からない状態で授業がどんどん進んでいっているのかもしれません。そういうことを避けるために、挙手ではなく、全員に、隣の子と話し合っても良いのでノートに思っている答えを書かせ、表現させるという方法をとることがとても良い方法だと思いました。そしてその表現したノートを教師が見て回って、だいたい理解度を把握して、意図的指名をするといった流れで授業を行なっていくことで、普段挙手をしない子も、「自分の考えも先生は見てくれているんだな」と思えるのでとても良いと思いました。このやり方であれば、いつも決まった人の発言ばかりでなく、全員参加の授業ができるなと感じました。

 また、賛成の人は○、反対の人は×をノートに書かせるというやり方も、自分はどっちの考えを持っているのかを教師やクラス全体に表現できるので良いと思いました。

 このように全員が楽しく「わかる・できる」授業をするには、全員参加の授業にすることがまずは前提であるなと感じました。レベルの高い子、低い子も退屈しないような授業づくりは私も興味があるので自分も調べていきたいと思いました。(嶋藤)

5月29日第7回3期生ゼミ記録(林)

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 今日、丹羽さんが紹介してくれたのは、大村はまさんの『教えるということ』という本です。
大きく4つの内容を取り上げてくれましたが、その中でも特に「教師の仕事の成果〜一級の教師とは〜」という内容が印象に残ったので、この点の感想を書かせていただきます。

 「仏様がある時、道端に立っていらっしゃると、1人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこは大変なぬかるみであった。車はそのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうとしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は動こうとしない。その時、仏様はしばらく男の様子を見ていらっしゃいましたが、ちょっと指でその車にお触れになった。その瞬間、車はするっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いて行ってしまった。」という文章を引用してくれました。

 わたしは最初、この文章が指す意味がよく分かりませんでした。この文章で仏様は一級の教師に当たるそうです。そして、男に気づかれないように人助けをしたように、教師も子供に気づかれないように裏で子供達のサポートをしてあげるべきだそうです。確かに、ありがとうという感謝されることを求めるのではなく、子供の将来を見据えて行動しなくてはいけないなあ、と感じました。

 さらに、大村はま先生は、卒業する子供達に「私のことは忘れてね」というそうです。これには、「後ろを向いて先生をすがるのではなく、自分の将来に向かって突き進んでね」という思いがあるそうです。これを聞いて私は、大村はま先生のすごさを知りました。本当に子供達の思っての教育はまさにこれなのかなあ、と感じました。

 小学校教育実習特講で、「8割の子が達成できる指導案を書いてね」と言う課題が出されて納得できなかったけれど、大村はまさんの「中くらいの生徒を目当てに授業を進めれば良いと言う言葉は子供一人一人をみつめて話をしない人の空論だ。子供は常に一人一人をみるべきだ」という考えを聞いて、自分の疑問は正しかったのかなと思いました。

 以前から、読んでみたいと思っていた本なので、丹羽さんが紹介してくれてとても勉強になりました。本を読むより、その時間で勉強した方がいいかな、と言う理由で後回しにしていたけれど、私も自分で読んでみようと思いました。

 また、授業の最後に玉置先生が、大村はま先生の「優劣の彼方に」という詩を紹介してくれました。確かに、学校教育は優劣をつけるために行われてるのではなく、子供一人一人の力を伸ばすために行われています。このように、他人と比べないことは大事だけれど、スポーツや勉強など、競い合う中で自分が成長できたり、もっと頑張ろうと思えたりと、私は優劣は悪いことだらけではないのではないかと思いました。ただ大会に勝つためだけでなく、毎日の夜遅くまでの練習や、朝早くからの練習、またメンバーに選ばれるために仲間と切磋琢磨しながら頑張った部活は、宝物だと思います。(林)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(吉田、牧野、岡田)

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 5月20日池田修先生が講演される教師力アップセミナーに参加しました。今回先生は3つのテーマを元に講演されていましたので、それぞれの感想を2期生吉田、牧野、3期生岡田の3人で以下に述べたいと思います。

1.「距離感」
 このテーマについて2つの事柄をあげたいと思います。
 1つ目は理由で説明するのではなく、主張を伝えるということです。私も様々な子どもと接する中で、頭を抱えることがありました。その中でよく行ってしまうことが「いけない理由」を説明するということです。説明することにも意味があります。しかし、理由を知っている子、それでもやってしまうことに対して説明だけでなく、「私は○○と思う」「△△を君はしているんだ」という主張を混ぜることで、意思のこもった指導・対話になると感じました。玉置先生がおっしゃられている「Iメッセージ」に近い感覚と似ていると思います。私は意志の中に知識とユーモアが詰まった幅を広い視点を育てたいです。

 2つ目は距離感です。1つの声のかけ方でも子どもとの距離感が感じられます。時期、状況、立場や信頼関係などの条件が関係します。様々な条件の中で先生と子どもという適切な距離を保つこと、話し方・内容に渡るまで1つ1つ私らしさを残しつつ、考える必要があると感じました。子どもと接するうえでも大切なスキルですが、一人の大人として身に付けるべきスキルでもあると思います。そして、私自身が体現することで、子どもに適切な言語環境を育てることにもつながるのではないかと私は考えました。(吉田)
 
2.「信じてる、心配している」
 このお話を聞いて私は自身の教育実習を思い出しました。ある児童にあきらかな嘘をつかれた時、私は児童の「信じてくれないの?」の言葉に上手く答えられませんでした。しかし、今回の講演をきいて「信じているけど、心配なんだ。」の気持ちを相手に伝えることで相手の心にすっと言葉が入ることを学びました。それは、教師が児童を気にかけていることが児童に伝わるからだと私は考えます。玉置ゼミでも大切にしているIメッセージをより相手に伝わりやすい形で使えるようになりたいと思いました。(牧野)

3.「こんな時どう言い返す」
 これは、論理で切り返す、知識で切り返す、ユーモアで切り返すという3点を押さえること、そして全てにおいて5秒で切り返すということがポイントとなっていました。

 実際、私たちも練習としていくつかペアでやってみたのですが、5秒で切り返すことに苦戦してしまいました。どうにも頭の回転が追い付かず、話始めても少しまごまごしてしまったり、理にかなっていなかったり…。これではどんな問いを投げかけられても、子どもはもやっとした状態で終わってしまうと思います。

 瞬時にスパッと言い返すことは非常に困難ではありますが、子どもとの会話を通してお互い納得のいく終着点に辿り着けるようになれたらと思います。(岡田)

 私たちは先生という職に憧れ、日々取り組んでいますが、先生として子どものために今できる努力を忘れず、多くの先生方から学ばせていただこうと思います。池田先生ありがとうございました。

5月29日第7回3期生ゼミの記録(丹羽)

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 こんにちは。3期生の丹羽亜由美です。玉置ゼミに入ってからいろんな先生方の本を読む機会ができてとても勉強になっています。今回わたしが紹介させていただくのは大村はま先生の「教えるということ」という本です。家にあったのですがなかなか読む機会がなくて置きっぱなしだったのできちんと向き合ういい機会になりました。

 今回は3つ大村はま先生の教えを紹介したいと思います。
 まず1つ目は"無責任な教師"です。どういうことかというと、「一生懸命に指導したんですけど、、、」というのは教師として許されないということです。一人前の教師として胸を張るのであれば、うまくいかない責任は自分にあると考えて子どもの学力が伸びないのは子どものせいではない、と考えるべきなのです。子どもができるようになるまで自分がとことん指導してあげることが大切であると学びました。

 2つ目は"ほんものの教師"です。みなさんもよく「中ぐらいの生徒をめあてに授業を進めればよい」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。しかし、それは本当に教えたことのない人の空論、または子どもを一人一人見つめて話をしない人の考え方なのである。子どもは常に一人一人を見るべきであって束にして見てはいけないのです。また、子どもを大事にするというのは優しくするのではなく、自分を超えていく存在だとして子どもの力を信じて大切にしてあげられることこそがほんものの教師だと書かれていました。

 3つ目は"一級の教師とは"です。一級の教師とは子どもたちから感謝されるのを期待して物事を教えたり、助けたりするのではなく、子どもたちに気づかれないように子どもたちを助けるということです。教えたり、助けたことを子どもたちが知ったら感謝されるとは思うけれど、子どもたちに自分の力で頑張ったと思わせることができたら、これから先生きていくための自信に満ちた、真の強さにつながるということです。見返りを求めず、あくまでも子どもたちのためにしてあげるという気持ちが大切なのだと学びました。

 最後に玉置先生が大村はま先生が亡くなる前に書いた「優劣の彼方に」という詩を紹介して下さいました。

 そこには優れているとか、劣っているという考え方はやめて、その先にあるものこそ、大切にしなくてはならない、という内容だったと思います。実際、集団社会の中で優劣をつけずに生活していくことは本当に難しいと思いますが、意識するだけでも少しは違ってくるのかなと思うので、少しずつ習慣づけていこうと思いました。(丹羽)

嫌われる勇気(岩田)

 
 こんにちは。開学記念日もあったことから今週初めての学校でした。明日は土曜日。曜日感覚が狂ってきている今日この頃です。笑
 思い立ったら即行動、わたしのモットーの一つです。今日は、感じたことが多いため、本日3本目の記事です。


 今日ふと、高校時代に道場の先生からいただいたある言葉を思い出しました。


 「嫌われる勇気をもつこと」


 突然なんの話?って感じですね。わたしもそうですが、「嫌われるより好かれたい。」普通の人なら誰しもそう思うのではないでしょうか。もし、嫌われたいという方がいたらぜひお話を聞いてみたいものです。笑 

 そこまでわかっていてなんでこんなことを言うのか。今思えば、先生は何も「嫌われろ」と言っていなかったなと。大切なのは、勇気を出して自分の本当の気持ちを相手に伝えること。わたしはこう思う!というIメッセージを届けること。

 結果として、その発言を快く思わない、言い換えれば「嫌われる」可能性もあるということも心に留めておいてほしいということなのではと解釈しました。しかしながら、自分の気持ちを心の奥に隠してしまうよりは、たとえその人の心に響かなくとも声にして発信することに意味があると思います。言葉にすることで、わずかでも相手に伝わるきっかけとなります。



 教師になったとき、「子どもたちに好かれる先生になりたい」という言葉をよく聞きます。もちろんわたしもそうなりたいです。しかし、仮に自分が嫌われたとしても、自分の本気の思いがその子に伝えられるなら、嫌われることも悪くないなと感じています。嫌われることを恐れて伝えたいこと、本当に伝えなくてはならないことを言えないような人間にはなりたくないと思います。(岩田)

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5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(石川、岩田、静谷)

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私たちは、石川、岩田、静谷の3人で記事を書きました。

こんにちは。静谷です。
5月20日に池田修先生の教師力アップセミナーに参加しました。
わたしは、玉置先生の勧めで池田修先生の「教師になるということ」という本を読んでいます。この本は、とても読みやすく1日で全部読めてしまいました。それもあって、セミナーではより内容を理解することができました。その中でも一番学びを深めれたと思うことは、子どもとの距離感という内容です。この距離感は本当に難しく、教師はよく子どもとの距離感を掴めなくなってしまいます。そこで池田先生は、基準を設定することが大切であるとおっしゃっていました。その基準とは、「大人であるか、子どもであるか」「先生であるか、児童であるか」というものです。つまり、立場をしっかりわきまえて指導することで正しい距離感を作り出せるとおっしゃっていました。
わたしもよく子どもと関わる時に、若さを利用し過ぎて、距離感が近すぎるなと思うことが多々あります。なのでしっかりと基準を設定して、正しい距離感を掴めれるよう子どもたちと関わっていきたいと思いました。(静谷)

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 わたしは、本日の池田修先生の講演の学びより、特に2番目の「信じると心配する」について記事にしていきたいと思います。

 ここでは、教師は子どもたちに対し、信じているけれども心配であるという姿勢を見せることが大切であるというお話をお聞きしました。信じているのになぜ声をかけるのか。それはあなたのことが心配だから。という教師から子どもへのIメッセージがとても明確でわかりやすいと感じました。

 また、子どもが述べるいいわけについても、たくさんの仮説を立てる必要があるというところにとても共感する部分がありました。いじめている加害者が実は被害者であった。朝学校に来られないのには家庭環境が原因だった。など理由にはその子を全面的に否定することができない事例も多くあるということに気がつきました。講演後には、視点を多く持ちたくさんの仮説を立てるために、「落語」で力をつけることができる!ということも学ばさせていただきました。落語の奥の深さについては、教採後にじっくりと学ばさせていただきたいと思います。

本日はありがとうございました。(岩田)

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私は今回の講演を受けて、3番目の『こんな時どう言い返す』について記事を書きます。

ここでは、池田先生が実際に経験したエピソードをもとに「どう言い返すか」を考え、言い返しのポイントをお聞きしました。5秒の間を大切にした池田先生の無駄のない言い返しからは学ぶべきことが多くありました。

言い返しのポイントは3つありました。
一つ目は「論理で返す」
二つ目は「知識で返す」
三つ目は「ユーモアで返す」でした。

特に「ユーモアで返す」では、『なんでこんにゃくにはつぶつぶがあるの?』という問いに対して事実ではなく、クスッと笑える言い返しを考えました。池田先生や池田先生が経験した回答には会場全体が笑いに包まれました。

私も教育実習などで子どもから聞かれると、どうしても正論で返してしまうことが多くありました。今思い返して見るとユーモアで返せる場面もあったのではと思います。いざ教壇に立った際は「理論」「知識」「ユーモア」を使い分けられる先生になりたいと感じました。
「教える」ということに対して肩肘張ってしまいますが、一呼吸おいて力を抜くことの大切さに気づけた講演でした。

ありがとうございました。(石川)

我らが二期生メンバー紹介No.4<白井杏実さん>(岩田)

 こんにちは。5月も後半戦に突入しました。本日の最高気温は32度。もうそろそろ熱中症に気をつけなくてはならない時期がやってきますね。みなさん、体調管理はしっかりと行ってください。

 さて、今日は今年度第1回目の教師力UPセミナーに参加させていただきました。池田修先生の面白くてユーモアあふれる講演であっという間に時間が過ぎてしまいました。本日は欠席のセミナー担当の先生方が多く見えて、また今年度初めての回ということもあり、少し不安な気持ちで参加しました。少々ハプニングもありましたが、玉置ゼミ生としての仕事を果たすことができたのではないかと思いたいです。


 また、あまりお話しすることはできませんでしたが、1期生の中田先輩と松井先輩にお会いし、拝むことができたので大満足です(笑)。先輩がいらっしゃるのといらっしゃらないのでは気持ちの余裕が全く違います。お忙しいとは思いますが、毎回いてほしいと思ってしまいました。 


 どの面をとっても、先輩方にはかなわないなところだらけですが、2期生の中でわたしが考える1期生に引けをとらない子を紹介していきたいと思います。


 その2期生とは教育学部国語専修白井杏実さんです。白井さんを一言で表すと明るくてきらきらしていて「お花」のような存在です。雰囲気もとても良く話しかけやすいオーラがとても出ています。

 しかし、白井さんは、今まで紹介した2期生とは違って、ゼミが一緒にならなかったら友達になっていなかったのでは無いかというほど、わたしの3年間の大学生活では接点がありませんでした。わたしの中では、国語専修の子という認識程度で、人間関係はゼロの状態でした。

 しかしゼミで関わっていく中で、わたしの認識がしっかり者の白井さんというイメージに変化していきました。3年次のゼミでは、本を読んで自分の卒業研究内容を固めるために知識を蓄えていきました。ゼミ生みんなそれぞれ本を読み、自分の考えと照らし合わせて行く中で、自分の本当に考えたい内容がわからなくなることは良くあることですよね。実際わたしも、3年次に考えていた卒業研究と今の研究内容は大幅に異なっています。

 しかし、彼女は自分の体験してきたことに焦点をあて、「これをやる!」という意思が明確であったと思います。自分のやりたいことにまっすぐに、ぶれない姿は、考えが揺れていたわたしにとって、全てが勉強になりました。端的に述べながらも、物事の核を捉える発表。ぜひまねしたい!と思いながら4年生になってしまいました(笑)。


 また、上で「お花」のような存在とご紹介しましたが、彼女がいるとその場に色がついたようにとても明るくなります。笑顔はもちろんのこと、醸し出す雰囲気が場も変化させてしまうんですね。これは、努力して得られるモノでは無い、白井さんの持つ潜在能力であると感じます。
 しかしながら、ゼミの中で少しでも吸収していくことができたらと思います。まねしたいと思って4年生になってしまいましたが、何も吸収できず、社会人にはなりたくないと思います。笑 これからも尊敬できる白井さんでいてもらいたいです。以上2期生岩田より、教育学部国語専修白井杏実さんの紹介でした。(岩田)


*荷物が多いことでも有名な白井さん。家出少女感でてるなとおもいながら見ています(笑)。
写真はかわいすぎる一枚。ごめんなさい、勝手にいただきました。

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5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(佐久間、丹羽、早川)

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5月20日池田修先生による教師力アップセミナーに参加させていただきました。セミナーで学んだことを以下にまとめたいと思います。


池田先生のセミナーで特に学んだことは、子どもが教師に何を言ってもらいたいのか、視野を広く持ち、子どもの考えの可能性を何通りも考える必要があることです。
池田先生はお話の中で「子どもは分かってほしいのに教師の前では隠す」とおっしゃいました。自分にもそんな時期があったな、と恥ずかしくなりながら聞いていましたが、なかなか自分のことを素直に話す人は多くないと思います。子どもたちが何に気づいてほしいのか、多くの可能性を教師が考えることで子どもたちの気持ちを知れることが分かりました。

私は、少しでも子どもの変化に気づけるような教師になりたいと思っています。今回のセミナーで、その変化に気づくために必要な子どもたちの気持ちを考える方法を練習問題を用いて学ぶことができました。子どもの気持ちを考えて言い返すことは簡単なことではないと思いますが、様々な場面を想像して練習していきたいです。
池田先生、ありがとうございました。(佐久間)

第一回目の教師力アップセミナーに参加させていただきました。今回は池田修先生の「こんな時どう言い返す?」ということをテーマに特に印象に残ったことを紹介します。
それは、信じると心配するということです。これは子どものことを信じているからこそ心配してしまう、ということです。子どもの分かって欲しいのに隠す、隠すのに分かって欲しいという気持ちに気づけるか、ということをペアワークを通して学び、子どもの言葉の裏に隠されている苦しみを何通りも考えることが求められるのだと知りました。

今回の池田先生のお話を聞いて、子どもとの距離感からどこで苦しんでいるのか、というストライクゾーンを探して論理、知識、ユーモアといった返しを5秒以内にできるように池田先生が読んでいたという落語の本を私も読んでみようかな、と思いました。(丹羽)

今回のセミナーについて、特に印象に残ったことを書きます。
それは今回のセミナー全体です。子どもたちの素朴な質問・発言に5秒以内で考え、その後に返すということを何度もやりましたが、1度もそれらしい回答はできませんでした。
論理的な回答、ユーモアのある回答、子どもたちの思惑に乗らないさっぱりとした回答。そんな回答の切り替えが瞬時にできるような、先生としての力を付けたい。面白いだけでなく深く考えさせられたセミナーでした。

池田先生ありがとうございました。(早川)

自分の経験から思ったこと(古川)

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ある朝、新聞で命の大切さを教えるという記事を読んで思ったこと書こうと思います。今から書く内容は記事と直接は関係ありません。

いきなりですが、
私の一番嫌いな言葉、
それは友達がかるいノリでいう「死ね」です。

教育実習に行った際に、友達は口癖のように「死ね」と言っていました。
友達に「笑って平気で言うけど、その言葉は本当に使っていいのか、それはノリであったとしても使っていいのか」と私は問いかけました。
注意しても、「実際に死ぬわけやないから」と言われる始末です。
「死ね」という言葉の卑劣さはどうやって教えたらいいのだろうと思います。

恥ずかしながら、私も中学生のときまでは平気で友達同士で遊び半分で言ってることがありました。その時の気持ちは、友達が教育実習のときに口にしていた、「本気で思ってないし死ぬわけじゃない」です。その言葉を言わなくなったのはある1つのきっかけです。

それは友達の死でした。ある朝ニュースを見ていたら交通事故で亡くなったという内容で幼馴染2人の名前が目に飛び込んできました。その瞬間、違う人だと自分に言い聞かせながらもすぐに地方の友達に電話で聞き事実だと知りました。私はつい2日前に今度遊ぼうと言っていたばかりで、現実を受けられませんでした。2人の顔をみて初めて死という重さを痛感したと同時に当たり前のように毎日会うことは当たり前ではないということに気づかされました。そして、死ねという言葉は絶対に使ってはいけないと強く思いました。今近くにいる大切な人が明日亡くなって自分の前からいなくなる可能性は100パーセントないという保証なんてないからです。

また、ある記事では人は死んだらリセットしてまた生き返るという考えている子供もいるという衝撃内容を読んだことがあります。子供がゲーム感覚での死と現実の死の境界が付いていない、人間の生死の実感がないからではないかと考えました。

命を教えること、生きることを教えることはとても難しいことであるけれど、人として絶対に学ばなければいけないことだと感じ、その学びに携わる教師の重さを実感しました。実際にわたしのように経験して学ぶということは出来ないしむしろあっては欲しくないことです。その中でどのように実感を伴って理解させるのか考えてみようと思いました。(古川)

わたしの好奇心(岩田)

 こんにちは。最近寝られないことが小さな悩みになりつつあります。どなたか羊を数える以外でよい寝付きの方法を知っている方、わたしまで教えてくださると嬉しいです。


 さて、5月のイベントと言えば母の日。今年は5月14日でしたね。皆さん少なからず、自分の形で感謝を伝えたのではないでしょうか。今日は、そんな母の日に感じた、1コマを記事にしていきます。
  
 母の日とは関係ないのですが、わたしは小さな頃から「なんで?」が口癖なんです。算数でも、国語でも、理科、社会においても、また、授業だけでは無く、日常生活の中にも「なんで?」がいっぱいで育ってきました。時には、答えにくい「なんで?」もあります。「これはこういうものなの!」と言いたくなる時もあると思います。

 しかし、わたしは今現在でも幼い頃のまま、変わらず、「なんで?」を言い続けています。わたしにとって、大学でも、バイト先でも、ボランティアでも、周りはまだまだ「なんで?」がいっぱいです。

 
 その日はたまたま、話の流れで、母に小さな頃自分はどんな子だったか尋ねました。すると母に、質問ばかりで常に「なんで?なんで?」の繰り返しだったと言われました。分からないと泣出し、なお「なんで?」はやめなかったと言われました。正直実にめんどくさい子だったと思います(笑)。
 

 わたしが生きてきた23年間、わたしは「なんで?」と共に人生を歩んできました。わたしにとって「なんで?」の存在は、当たり前のことで、なんの不思議もないのですが、今現在もなんの不思議も無く、「なんで?」の気持ちを持ちつづけることができるのは、両親のおかげであると感じています。何度「なんで?」を繰り返されても根気強く、正面から向き合ってくれた両親がいてくれたからこそ、わたしの「なんで?」の芽は摘み取られることなく成長し、今の自分につながっています。母の日だからというわけではありませんが、感謝したいと思った瞬間でした。

 しかし、両親は分からずに泣出したわたしに何と声をかけたのでしょう。肝心な所は曖昧にされてしまいました。笑 自分が親になって探しなさいという両親からのメッセージだったのかもしれませんね。しばらく、わたしの好奇心には終わりが見えそうもないです(笑)。(岩田)

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5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(寺坂、山下、江口)

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池田先生のセミナーでは、「教師とはどんな仕事なのか」について私は考えました。なんと、子供のうちに学校にいる時間はたったの3割しかないそうです。その限られた時間の中で、教科指導から生活指導、また新たに英語や道徳コンピューターなども教えていかなければなりません。本当に大変な仕事だなと思います。しかし、池田先生はこんなことを述べられていました。「教育は時間だけではない。教師のたった一言で変わることもある。」

学校で教採に向けての面接練習をしていると、志望動機のところで「恩師に言われた言葉をきっかけに目指しました。」という人はとても多いです。印象に残る言葉は、狙って言うものではないと思います。これまでの人生で、多くの経験をしてきた人格のある人の口から溢れてくるものだと考えます。適切な指導の力を身につけるとともに、人格の力も身につけていきたいともいます。(寺坂)


こんな時どう言い返す?〜指導の優位性を保つための切り返しを考える〜という池田修先生のセミナーに参加しました。池田先生ご自身がとても面白く、切り返しもユーモア溢れる楽しくてためになったセミナーでした。
その中でも信じると心配するというのが1番強く印象に残っています。これは指導のストライクゾーンを広げることを指し、わかってほしいのに隠したり、隠すくせにわかってほしい子供達の気持ちを予測するための練習でした。たとえば、目の周りにアザのある生徒にどうしたの?と聞くと生徒は野球のボールが当たりましたと言い訳するが実は親に殴られていたり、すごく香水の匂いがする生徒は兄貴に香水かけられてしまいましたと言い訳するが実はタバコの匂いをもっと強い匂いで消すためにつけていたという例が挙げられます。もしかしたら子どもの嘘に気づけないかもしれないし気づけたとしてもどうしたら子どもの口から言わせることができるのか、生徒からの信頼と教師の言葉かけがとても重要だと改めて感じました。(山下)

池田先生の講演会に参加させていただき、信じることに加え、心配していることを伝えることが大切であるということが分かりました。子どもたちが、言ったことを信じることは、当たり前のことです。しかし、子どもたちは、正直に想いを伝えることができず、時に心配を掛けまいと嘘をついてしまっていると分かりました。実際に練習問題をやった時に、どれも身近に起こりそうな出来事ばかりでした。「先生に伝えたい!気づいて!」という想いで、子どもたちは、教師に話しかけています。それに対し、教師がいくつもの返答を考え、子どもたちが本当に伝えたいことを見破っていくことが大切であるということが分かりました。その想いを読み取ることが、子どもたちの悩みを早期発見することに繋がり、毎日笑顔で学校に来ることのできる方法でもあると感じました。
池田先生、ありがとうございました。(江口)

5月20日教師力アップセミナー(池田修先生)に参加して(林、松田、百瀬)

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5月20日、教師力アップセミナーに参加し、池田修先生の講演をお聞きしました。さまざまな具体的な場面を想定して、「こんな時どう言い返す?」と子どもへの指導方法を学びました。自分自身で考える活動があることで、より深い学びになったと思います。
今回は、3期生の林、松田、2期生の百瀬でまとめさせていただきます。


教師になりたいと思ってはいても、教師の仕事は何かと問われた時に自信を持って答えることができませんでした。先生の定義では、【主に学校教育を通して子供を大人に育てる仕事】だそうです。子供を大人にするためには、いつまでも子供をかばうばかりではなく、自立に向けて教師から離していく必要があるのだと気付かされました。
また、子供の見方を広げていくために、自分自身の視野も広げていかなければと感じました。
私も子供がどこで苦しんでいるのか分かる教師になりたいので、とても学びのあるセミナーでした。(林)


今回のセミナーでは子どもに何かを聞かれたときの言葉の返し方を学びました。お話の中で私が最も印象に残ったことは「こんな時どう言い返す」というワークの中であった、教師と児童生徒の会話のときに、「大人ー子ども」「指導者ー児童生徒」「人間ー人間」のどのレベルで会話をするのかということです。そのときの練習問題は部活をさぼりがちな中学1年生の女子学生に「先生はランニングをしていない、頑張ってない人に頑張れと言われてもがんばる気になれない」と言われたときにどう言い返すかという問題でした。私は先生は確かに走っていないから生徒にそう言われてもしょうがない、しかし走る必要もないとも思い、返す言葉に悩みました。この問題に対して池田先生は、生徒は「人間ー人間」の立場で言ってきたことで、教師は「指導者ー児童生徒」の立場で言葉を返すようにするとおっしゃっていました。「いいだろう、先生は走らなくて」というような返し方をし、その立場で会話を進めることが大切であるということが分かりました。
5秒で言い返すことが重要であることを学びましたが、実際に隣の人とやってみると思いの外難しく、言い返す練習が必要であると感じました。(松田)


私は、子どもの行動や考えを、教師の主観で決めつける教師にはなりたくないと思っています。今日の講演を経て、主観で決めつけないという思いに加えて、教員としてもっと視野を広くしていかなければならないということを、最も感じました。
練習問題の中で、先生の質問と生徒の返答から、どのような事実が予想されるかを考えていきました。自分では一つの視点だけではなく多方面から考えたつもりでしたが、ペアの人や先生の考えには自分では思いつかなかったものが多くありました。教師の主観で決めつけないためには、もっと多くの視点から考えられるようにならなければならないと感じました。
また、「あなたを信じている。だから、心配するんだよ。」と言う言葉を教えて頂きました。「ほんとに?」と疑わず、子どもの真の考えを引き出せる魔法の言葉だなと思い、これから子どもに指導をする時には使っていきたいなと思いました。また、言葉がけ一つで相手の気持ちは変わっていくことを強く感じました。(百瀬)


池田先生、とても面白いお話と具体的な実践例を交えた、楽しく学べる講演をしていただきありがとうございました。

セミナー後半戦(岩田)

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 こんにちは。先日の教師力UPセミナーでは、池田先生からさまざまな学びをいただきました。また自分の視野が広がった気がします。さて、寺坂君の「裏・教師力UPセミナー」の記事読まれましたか?実はわたしも、書こうと思っていたんです、先を越されました。
(笑)


 その日のセミナー後、大学時代の部活の先輩とお会いしてきました。事前に大口でセミナーがあることを伝えたところ、仕事を早く切り上げてお話する機会を設けていただきました。その先輩とは、大学時代から仲良しで、なんでもいえるそんな関係です。(笑)

 先輩と会うまでは少し緊張していました。「元気かな。」「ちゃんと先生やってるのかな。」二か月前は、一緒に学生、しかし今は先生と学生、なんだか信じられない気持ちでした。 
 結論から言うと、先輩はとっても元気でした。ご安心を。(笑)もちろん慣れないこと、初めてのこと、大学では教えられない実際の教育現場での苦労もたくさん聞きました。そのような話を聞いているとなんだか憂鬱な気分になってきてしまいますよね。笑
 しかし、その後にそれまでの話を全部忘れるほどのとてもいい言葉を聞くことができました。

「でも、子どもたちに毎日会いたいし、子どもたちの小さな変化がうれしい。」

 そう語る先輩は、なんだか誇らしかったです。これが、教師のやりがいか。と納得しました。教師になって二ヶ月でやりがいを感じれている先輩は、この先もっとたくさんのやりがいに出会っていくことができるんだとうらやましくなりました。そして、いつかわたしもやりがいを自信をもって語れるようなそんな人になりたいと思いました。
(岩田)


教師論へ飛び込み授業参加(岩田、寺坂)

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 こんにちは。今日は、2限にゼミを終え、玉置先生の教師論に初参加させていただきました。お昼に面接の打ち合わせが長引き、3限も始まってしまったしどうしようと考えていましたが、「まだ間に合う!」と寺坂君に教えていただき、滑り込みセーフで参観させていただきました。以下に学びをまとめます。


 本日見た授業DVDは盛山先生の算数の授業でした。単元は、小学校二年生のかけ算。「かけ算なんて九九の表を覚えるだけじゃん。」そう思っていませんか?あまいです。(笑)先生の行う一つ一つの動作に意味があり、流れのある授業。すごい!という言葉しか見つからなかったです。
 盛山先生の授業技術については、以下に寺坂君がしっかりと書いてくれていますので、彼の記事を熟読してください(笑)。


 では、わたしからは最も印象に残った一言を。


「見えないもの隠れているものがあると、子どもは燃える。その見えないところにこそ学びの本質がある。」
 教師として、子どもに何を考えさせたいのか。それに尽きると思いました。


  また、それよりも教師論の授業の雰囲気の良さ。生意気ながら、後ろの席から感心してみていました。教師次第で生徒は変われるんだなと。玉置先生ってすごいです。教師論を受けているみなさん、これからもぜひよい学びをしてください。
 また、学びをすぐアウトプットすることはとても大切だと感じました。3限後すぐに寺坂君から記事が届きました。(笑)「誠意はスピード」同時に大切にしたいです。(岩田)



 1年生の「教師論」に転がり込んで、盛山先生の授業を見させていただきました。 

 単元は「かけ算」の導入でした。この表現が正しいか分かりませんが、憎たらしいほどスマートで聞いていて心地良い授業でした。「仕組みを理解する」というのは、子供にとっても教師にとっても1番難しいところなのではないでしょうか。実際私は、嫌いでした。そんなこと、覚えるだけだと思っていました。しかし、この授業は楽しく、正確に仕組みを理解させる授業でした。

 図を用いての授業だったので、内容の説明は難しいので、学んだことをあげていきます。

1、対話で深い学びを

 授業をするのは教師ですが、学びを生むのは子供かなと思いました。言葉足らずな意見でも、丸ごと復唱法で、子供が本当に伝えたかったことを引き出す力が大切。

2、タイミング

 全員を立たせて、分かったら座らせるというシーンがありました。つまり、座った子供は心や頭になにかしらの変化が起きているということです。意見を言わせるならここしかない。座らせたままだとできない、意図的指名までできると思いました。

 ノートを書かせる時も、常にたくさん書かせるのではなく、1番考えさせたい時こそ使う。書くことによって、自分の考えがまとまるというのは、多くの先生も仰っていますね。

 事前に、教師論だから教師としての指導観についてよく見ろと言われていたのですが、まだまだ表面しか見れてません。まだまだ見る力足りていないなと思いました。

 もう1つ、驚いた話を。一緒に受けた1年生の授業への意識の高さには本当に驚きました。玉置先生が、話しながら後ろの方へ行くと、自然と体で追っているのです。大学の講義でです。そして、1番後ろに座っていた僕と岩田さんが意見を言う機会があったのですが、その時も、全員が体を向けて聞いてくれました。話しやすいです。こういう雰囲気を作っていきたいと思います。しかし、1年生がすごいのか、玉置先生の指導の賜物なのか。どっちもにしておきます(笑)。(寺坂)

悔しいけど(寺坂)

最近、勉強していて結果が出るか出ないかは、「間違いをどれだけ受け止めれるか」だと思う。
間違いは悔しいけど、そこに目を向けないと同じ間違いをしてしまう。
当たり前だけど、身をもって感じたこと。
あと、2ヶ月頑張ります。(寺坂)
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大切な場所(江口)

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こんにちは。最近、急に暑くなり、暑さが苦手で、日焼けをしたくない私には辛い季節がやって来ています。

5月も終盤になり、卒業アルバムの写真を撮影しています。24日には、学友会で写真を撮りました。

3年前、特に理由も無いまま入った学友会。はじめは、20人弱いた同学年も今では立ったの6人まで減ってしまいました。しかし、私は途中でやめることが嫌いで、最後までやり通したいという思いから続けて来ました。とは言うものの、特に役職もなく絵も描けるわけでもない私は、続けていいのかという葛藤もありました。

3期生のゼミ長でもある、早川くんは、多くのアイディアを出し、学校を良くするために口だけではなく、実際に行動に移しています。それが、学食やロッカーなどです。本当にすごいなといつも思っています。

でも最後まで続けて、6人でやり続けて本当に心からよかった、達成感しかありません。3年前の私に、一言いえるなら、「学友会に入ってくれて、ありがとう」と伝えます。

これからも元気いっぱいな学友会が学校をより良くしてくれるという期待で溢れています。(江口)

5月19日第11回2期生ゼミ記録(岩田)

 こんにちは。ゼミ記録2週目です。5月に席替えをしてから、ぼっち席のつらさをひしひしと感じています。また、隣に玉置先生ということで、右半身がいつも緊張で凍っている岩田です(笑)。

 さて、今日から問題も2週目に入りました。「ああ、この問題見たことあるな。」と思いながらも、答えが曖昧で、なんとなく回答している問題も少なからずあるなと感じました。しかし、初めの頃と比較すると、正答率も随分上がってきたのではと思います。自分自身で成長を確認できることで、安心してはいけませんが、自己肯定感が高まるきっかけになりますね。

 後半戦は、初!論作文講座でした。自分が考える魅力的な学級について、論作文をどのように展開していくのか。一人一人根拠をもって考えていきました。それは根拠なのか、具体性はあるのか、最終的な論の根幹が揺らいでいないか、様々な視点から1つの論作文を作り上げていきました。考えれば考えるほど、ぐるぐると迷走している気がして難しいなと感じました。

 先生のご都合によりゼミは早く終わり、最後は2期生だけで、意見交換をしていきましたが、「これってどうなんだろう。先生〜〜。」という場面が多かったです。まだまだ、玉置先生に頼りっぱなしの2期生です。これからも高め合って行きましょう!

 最後に、わたしが考える魅力的なゼミとは、「自分だけでは無く、みんなのために頑張りたいと思えるゼミ」です。これからもそんなゼミを目指していきましょう(岩田)
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5月15日第6回3期生ゼミ記録(山下)

こんにちは、3期生の山下です。

今回は前回に引き続き「授業がうまい教師のすごいコミュニケーション術」という本の後半を松田さんが紹介してくれました。第5章の子供の学力を伸ばす「言葉」の技術というところの中から学んだことを2つ書きたいと思います。

1つ目は子供の間違いを活かす教師の言葉というものです。これは授業内で当たった子がもし間違えてしまっても「◯◯くんのおかげで学べたね、学んだことをノートに書いてみましょう」や「◯◯さんを助けてくれる人はいますか?」などと言葉かけをして間違えた子どもに失敗感を持たせないようにするということです。子どもに失敗感を持たせないことで発言しやすい雰囲気を作り、授業が活発になると思いました。

2つ目は授業終末の教師の言葉です。これは授業の感想を書かせるときにただ感想を書きなさいというのではなく例えばキーワードを3つ与えてこれとこれとこれを使って書きなさいと内容を指示したり、書き始めや書き終わりなどの書き方を指示するなどすることで子どもたちが感想を書きやすく内容もよくなるということです。また、そのとき落ち着いてかけるような指示をするということも書かれていました。そのとき静かに書きましょうや集中して書きましょうではなく鉛筆の音だけにしましょうなどと指示するとよりよくなるそうです。キーワードを与えられるのはテスト問題によく出るし、書き始めが決められていればなんと書き始めたらいいのかわからなくて内容にたどり着けない子が減るのでよい方法だと思いました。

松田さんは今回の発表にあたり著者の菊池省三先生が出演されている番組を見たそうです。自分の勧められた本を読むだけではなく本を書いた人がどのような人か知るためにその人が書いた他の本を読んだり出演しているテレビ番組を見るのは学びを深めるためによい方法だと思いました。追いかけたい先生を1人決めてその人の本をたくさん読むのも自分の授業づくりの方向性が決まっていれば手段の1つなのかなと思いました。(山下)
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