6月19日第10回3期生ゼミ記録(山下)

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こんにちは。最近おじさまウケのいい山下です(笑)。

今回は、私の紹介した桂聖先生の国語授業のユニバーサルデザインという本について書きたいと思います。ごんぎつねを例にとって文学作品の論理的な読み方について紹介します。

まず1つ目は作品の設定を捉えて読むということです。「いつ(時)」「どこで(場所)」「誰が(中心人物)」「何をした(事件)」を考えながら読みます。ごんぎつねでは秋に2.3日雨が降り続いてその雨が上がった時 村の小川の川下で ごんが 兵十のとった魚やうなぎにいたずらをした。という一文で場面の設定を捉えることができます。他の各場面でも同じように設定を捉えていくと作品の概要をつかむことができます。

2つ目は視点を捉えて読むということです。文学作品のほとんどは語り手が誰かの目と心から語っています。ごんの視点では償いをしているつもりなのに兵十の視点ではごんを殺したいほど恨んでいると言うように視点の転換が起こることで人物の心情や作者の巧妙な工夫を深く味わうことができます。本当はあと3つあるのですが他に書きたいことがあるので省略します。まとめると【中心人物は何がきっかけでどう変化したのか授業を焦点化し、心情の変化を図や寸劇で「見える化」する。学習課題に対する答えを「ペア」で話し合い、全員が理解(共有化)したことを自分の言葉で表現する。】となります。

他に書きたいことというのは話し方のことです。以前の記事にも書いたように私は人前で話すことが苦手です。前回からステップアップしようと思い、原稿を書くのはやめました。目を離してもパッと目につくように大事なことだけをメモしてできるだけ前を見て話すようにしましたが話し方が一定すぎるので強弱をつけて話しなさいとご指導いただきました。聞き手のことなど考えずキーワードも一定の調子でスラスラと読んでしまっていたので次回は強弱とプリントをスッキリ見やすくかつ分かりやすくすることを心がけたいと思います。(山下)

6月19日第10回3期生ゼミ記録(嶋藤)

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こんにちは。三期生の嶋藤です。
今日は、第10回のゼミでの山下さんの発表を紹介します。
内容は、『国語授業のユニバーサルデザイン(桂 聖)』の本の中の”文学作品の論理的な読み方”についてです。

文学作品の論理的な読み方で5点注意するところがあるそうです。それは、「作品の設定をとらえて読む」「視点をとらえて読む」「表現技法をとらえて読む」「中心人物の変化をとらえて読む」「主題をとらえて読む」だそうです。私ははじめ、この5つの”読む”という部分は、本を読むという意味の読むだと勘違いしていました(笑)この読むは”読解”という意味の読むだったんですね。そこで、はじめから児童だけで読み解いていくことはできないので、教師がとらえていかなければならないところを発問していくことで、なにをとらえることが大切なのかを教えていくそうです。そうすれば、児童たちは何をとらえながら読んでいけば良いのかが分かるため、次の文学作品を読むときに論理的な読み方ができるようになるそうです。私も小学校の時から、こんな風に論理的な読み方を教わっておきたかったなと思いました。

私は数学を専攻しており、国語の授業はどのようにやれば良い授業になるのか分からなかったので、今回の山下さんの発表を聞いて、こういう風に教えていけば分かりやすいなということが分かって、とても勉強になりました。他の教科についても授業の仕方を勉強していかなければならないなと思いました。(嶋藤)

6月19日第10回3期生ゼミ記録(丹羽)

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 こんにちは。最近占いに興味を持ってる3期生の丹羽亜由美です。菱川くんの影響で最初に一言添えさせていただきました(笑)

 今回、私が紹介するのは「授業力&学級経営力」の2016年4月号で紹介された野中信行先生の『3・7・30の法則』を紹介したいと思います。

 ところで、『3・7・30』と聞いて何を思い浮かべますか?何かの番号でしょうか、それとも合言葉?実はこれらは日数なのです。3日と1週間と1ヶ月という意味です。それぞれ詳しく説明します。

 まず、3は出会いの3日間であり、この3日間でこの先生なら1年間楽しそうだという印象を与えることが大切です。そのためには、自己紹介が大きなポイントを占めています。いかに「コンパクトでインパクト」のある自己紹介をして、子どもたちの印象に残るようにします。さらに、事前に子どもたちのいいところを調べておいて、出席を取る際に一人一言ずつ褒め言葉をいうようにします。こうすることで教師から認められた喜びが生まれ、意欲的な活動をするためのサイクルを作ることができます。

 次に7は仕組みづくりの1週間です。子どもたちに学校に来てから帰るまでのサイクルを指導します。子どもたちが安心して1日を過ごせる仕組みとして教師の願いや思いを明確に宣言してそこから教室のルールや動きを決めていきます。また、学習に向かうルーチンとして、必要性をきちんと伝えながら学習準備や学習道具の使い方を指導します。教師が良さや価値の共有を繰り返しすることで子どもたちに身につけさせます。

 最後に最も大切な30です。これは繰り返し徹底する1ヶ月であり、これは学級を崩さないためだけではなく、高めていくために必要な1ヶ月です。ここでは、30日かけて徹底することを紹介します。1つは教師の願いや意図を繰り返し伝えること、2つ目は子どもたちのフィードバックを得て、子どもたちに思ってることを言ってもらいます。3つ目は子どもたちの取り組みの質を考え、やらされてるようにならないようにします。4つ目は分かっていない子や、間違ってしまった子には叱らず、繰り返し指導することで習慣が身につきます。

 このように1ヶ月ちょっとで学級を作り上げてしまうことで、子どもたちだけでなく、教師も楽になります。実際にこれを使うのはまだまだ先のことかもしれませんが、ぜひ担任をもったら実践したいと思います。(丹羽)

6月19日第10回3期生ゼミ記録(林)

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 今回丹羽さんは「授業力&学級経営力」という2016年4月号の雑誌を紹介してくれました。

 その中で「3・7・30の法則」を取り上げてくれました。この意味については丹羽さんが紹介してくれると思うので、割愛させていただきます。

 私は、この法則の中でも特に、「最初の3日間で、子供達に良いイメージを与える」ということが印象に残っています。そのためのアイデアとして、学級開き1日目で既に、その子の良いところを見つけるのだそうです。「なんで出会った日にみんなの良いところが分かるの?」と思いましたが、これには、前もってその子の前の担任の先生に、事前調査をするのだそうです。

 私にはこのようなアイデアがなかったので、とても参考になりました。また、新しい考え方を学べました。協力すること、そして人の第一印象は大切なのだと、改めて感じさせられました。

 あと少しで実習です。まずは、第一印象から。今回丹羽さんが紹介してくれた、「コンパクト&インパクト」な自己紹介で、実習の良いスタートを切りたいです。(林)

6月12日第9回3期生ゼミ記録(菱川)

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 こんにちは。最近リアルな夢を見た菱川です。なんだか夢がリアルだと怖いですね笑

 今回は宮本博樹さんの『算数学び合いスタートブック』と言う本を読ませていただきました。この本は「子どもたち同士が学び合う場面のある算数の授業をぜひやってみたい」と願う先生方の思いに応えたいと言う気持ちでまとめたものです。
その中でも僕が前半の章の中で印象に残ったものをここに綴ります。

子どもの姿を丹念に見とる
→子どものつぶやきや算数言葉に目を向ける、素直さを大切にする、話し合いの意義を学年に応じてはっきりさせる、教える行為が得だと伝えてあげる
『あっ』や『えっ』の後に続く言葉に着目すること。
『例えば、だって、でも、だったら』という算数言葉に目を向ける。→子どもの思考を活性化する言葉

教材研究にこだわる。
→子どもにとっては授業は最初で最期であることを忘れずに。面白い問題ではなく本質を捉えた問題を考えることが必要。

子供を引きつける5つの手法。
→ブラインド効果、比較提示法、ゲーム化、計算問題の中に仕掛けを作る、NO.1競争
この5つの手法をうまく問題に取り入れることが必要。

問題と真剣に向き合う時間を確保する。
→短い時間でええから静かに自力で問題を解かせる。
できない子への支援として、『困った時は隣の人と相談していいよ』
出来る子への支援として、『図や表、言葉を用いて友達にどうしたらわかりやすく教えてあげることができるのか考えてみよう』

 今回は学びがかなり多く学ぶばかりで自分でどうだったということが少なかったです。
伝えたい子が多すぎて話がまとまらずうまく発表することもできませんでした。今回玉置先生にご指摘された点を次回はしっかり直していきたいと思います。(菱川)

6月12日第9回3期生ゼミ記録(山下)

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 こんにちは。3期生の山下です。

 今回は松田さんが紹介してくれた佐藤正寿先生の『プロ教師直伝!「教師力」パワーアップ講座-0からプロになる秘訣23箇条-』という本の中から2つ書きたいと思います。

 1つ目は限られた時間を生かす「朝の会」「帰りの会」です。朝の会には管理的機能、指導的機能、自主活動的機能という3つの機能があるそうです。私の子供時代は今考えてみると指導的機能と自主的活動機能で朝の会が行われていたように感じますが実は管理的機能が1番大切なような気がします。管理的機能とは健康観察であったり、「◯◯くん、いい返事」と言うように一声かけたりすることだそうです。いくら伸ばしたい力があってそのための活動をしたとしても教師との距離が遠ければあまり意味がないと思うからです。読書の時間は連絡ノートの点検の時間に当てているなんていう先生が多かったように感じますがそれでは子どもたちはサボったり喋ったりしてしまうしそれを放置することで先生は私たちを見てくれていないんだと思い余計に距離が離れてしまうこともあると思います。なので私は管理的機能を大切にしていきたいと思いました。

 2つ目は叱ること、注意することも大切ということです。最近は丸付け法の部分肯定の精神やほめ言葉のシャワーなどほめることがよく取り上げられているような気がします。確かに褒めることは子どもを伸ばす上でとても大切だと思うけれど叱ることを忘れてはいけないと思います。叱るというのは怒るとは違い子どものためを思って叱ります。叱る目的は子どもたちの行動改善でありどうして守らなければならないのか、守らないことでどのような影響があるのかをしっかりと教え、適切な行動を判断できるようにすることです。叱ることがないのが理想ですがそんなことは難しいので褒めることと叱ることのバランス、または基準を自分の中でしっかりと持ちたいなと思いました。(山下)

裏・教師力アップセミナー2(寺坂)

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 教師力アップセミナーの度に、1期生との差を感じます。講師の方への質問の時間でサッと手を挙げることができるのが1期生。お互いを窺い合うのが2期生です。「あの場面で、手を挙げることができるようにならなければいけない」と思ってはいるのですが、なかなか難しい。なんて、重い内容からですが、今回もセミナーの後に裏・教師力アップセミナーをやらせて頂きました。今回のお相手は、大西先生です。
 
 セミナーで後半話題に上がったヒドゥン・カリキュラムで私の疑問に答えていただきました。その疑問とは「教師はどこまでそれを意識して行動したらいいのか。」というものです。考えて見ると、学校現場において、教師が行うひとつひとつの行動に、ヒドゥン・カリキュラムは存在しています。教師の無意識の中で、子どもたちは暗黙の了解として何かを感じ取っているのです。裏を返せば、常に行動に明確な意図を持ち続けなくてはいけないと言えると思います。そんなことをしていたら教師がしんどいのではないか。わたしは率直にそう感じました。しかし、大西さんは、「子供がこんな風に育って欲しいという願いでいい。」と。短いですが深みのあるお言葉を頂きました。特に、「願い」という言葉にとても惹かれました。私が悩んでいたのは、あくまで「教師として」の目線でした。大切なのは、子どもにとっての立場をとることなのだと、見失っていた部分を改めて感じさせられました。
 
 そして、私は、ヒドゥン・カリキュラムを意図的に組み込むのであれば、教師→子供ではなく子供→子供で、良い姿を学びあえる学習の場を設けることが大切なのかなと思いました。それが本当の教師の意図したいヒドゥン・カリキュラムであると思います。

 さらに、授業の見方についても教えていただきました。私の研究テーマは「主体的な学び」についてなのですが、子供からの主体性を感じる為には、手を挙げている子ではなくその周りの子を見るそうです。「手を挙げている子が学ぼうとしているのになんで違う方を見るの?」素直にそう思いました。大西さんは「学ぼうとしていない子が鉛筆を握った瞬間、そこが主体性を引き出せた瞬間だ」と説明してくれました。そのとき、教師はどんな働きをしたのか、そこを見ることで自分の力に落とせるということです。これで、これから子どもたちが自ら主体性を発揮する瞬間を見逃すことはないと思います。また、授業を多方面から捉える力を付けることができました。

 セミナー終わりでお疲れのところだったとは思いますが、とても丁寧に教えていただきありがとうございました。これからも一歩一歩謙虚に成長していきます。(寺坂)

6月16日2期生ゼミ記録(白井)

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こんにちは、試験まで日付が近づき、毎日毎日、自分が後悔しないようにと思い、過ごしています。6月16日の2期生ゼミの様子について書きます。

過去問題演習では、3周目となり、どんどんスピードと正解率の上がる仲間の様子に、励まされています。しかし、前回間違えた所と同じ所を間違えてしまいます。試験に近づく今だからこそ、苦手を確実になくしていきたいと思います。そのために、間違えた問題を見直していこうと思います。

卒業論文のはじめにをゼミ生で読み合い、コメントし合いました。卒業論文の内容を知っている仲間ですが、初めて読む人にどう伝わるかなどを含め、考え合いました。試験が終わってから、本格的に卒業論文を書きますが、互いのものを読むのが楽しみになりました。

最後に、身体にも気をつけながら、ゼミ生全員で、学び合い、力を尽くしたいと思います。

6月17日教師力アップセミナー 宇野弘恵先生 に参加して(佐久間・山下・岡田)

 6月17日に行われた教師力アップセミナーに参加させていただきました。今回は、宇野弘恵先生による「女性ならではの学級づくり」について学ぶことができました。以下に2期生佐久間、3期生山下、岡田が学んだことをまとめさせていただきます。

 
 今回のセミナーで学んだことは、教師の指導を子供たちにはどう見られているのか、どう思われているのかを考える必要があることです。

 例えば教師が叱る場面で、子どもが自分にだけいつも叱られているように感じたり、なぜ叱られなければならないのか分からなかったりすることがあると思います。教師は子どものために指導しても、その意図とは違った受け取り方をされることがあります。これが子どもの自己肯定感の低下や教師への不信感に繋がると宇野先生はおっしゃっていました。

 教師になったら、自分の指導は子どもにしっかりと伝わっているか、一貫性はあるのか、振り返りながら学級経営をしなければいけないと思いました。(佐久間)


 今回の宇野弘恵先生の女性ならではの学級づくりというセミナーに参加して印象に残ったことは力で押し通せないことを知るということでした。男性教員であれば小・中学生の男子であれば最悪力で押し通すことができますが女性教員はそれができません。ですので暴力ではなく規律で従わせることが大事だということを知りました。しかし、規律ばかりの先生との縦の繋がりだけではなく仲間同士での横のつながりも重要でありそれらのバランスを考えながら指導して行くことが大切であるということを学びました。

 宇野先生は自分にも他人にも厳しい人のように感じましたがそういう人だからこそあのような学級経営ができるのだと思いました。私はつい人を甘やかしてしまいがちなので叱るところはきちっと叱ったり縦の関係を意識した学級経営をしたいと思いました。(山下)


 宇野先生はかくれたカリキュラムについてお話されたのですが、その中で、先生の机が汚い、友だちのように話したり呼びかけたりする、などありました。

 実際、私の小学校から高校までの先生方の中にも、上のようなものに当てはまる方がいた記憶があります。私は当時、「先生はそういうものなのだ」と受け止めていました。しかし、それを真似したいとも思わないですし、自分が教師であれば真似してほしいとも思いません。

 今回のセミナーでは、自分が真似してほしくないことはやめよう、ということを学びました。また、逆に真似してほしいことは自分から率先して行っていくべきだということも学びました。今のうちから定規を使うくせや鉛筆の持ち方など、細かいところも意識していきたいです。(岡田)
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6月17日教師力アップセミナー 宇野弘恵先生 に参加して…(吉田、松田、丹羽)

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 6月17日の教師力アップセミナーに参加させていただきました。今回のセミナーでは北海道で現職されておられる宇野先生による「女性ならではの授業づくり」という内容で多くのことを学ばせていただきました。この記事では2期生吉田、3期生松田、丹羽が学んだことをまとめて書かせていただきます。


 このセミナーで「子どもは教師の意図とは違う受け取りをする」という言葉が印象的でした。

 事例にあった、「たびたび不適切な行動を取る子をその都度廊下に呼び出して授業中に指導する」という行動は、教師からすればそれは悪いことであり、直してほしいことであるから指導するという意図があります。しかし、その指導を受けている子は「自分はダメな人間」「自分は先生に目をつけられている」と感じること、周りの子は「あいつはダメなやつ」「先生は授業や私たちよりあいつのことが大事」と感じてしまう場合があることが分かりました。

 教師は子どもの自己肯定感を高めてあげる働きをしなければならないのに、これでは逆に自己肯定感の低下につながってしまうと思いました。教師が指導する際には指導される子だけでなく、その様子を見ている周りの子がいます。周りの子がいる中で指導するという場面も必要であるとは思いますが、場合によっては逆に子どもの間の序列につながってしまうこともあることが分かりました。私自身の経験も踏まえ、子どもは先生のことをよく見ているのだなと感じるとともに、教師も子どもたちをよく見ることが大切であると感じました。安易な行動を取るのではなく、子どもたちがどんなことを思っているのか、この行動をすることによって子どもたちがどんな捉え方をするのかということをしっかり考えて教師は行動をしなければならないと思いました。(松田)

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 こんにちは。3期生の丹羽 亜由美です。宇野弘恵先生の女性ならではの学級づくりのお話を聞いて特に印象に残った内容を紹介します。

 それは「隠れたカリキュラム」です。この言葉を私は初めて聞きました。これは教師が意図も意識もせずに教え続けている内容のことです。これらを事例を交えながら考えていくことで、教師が何らかの意識を持っていたとしても、子どもは違う受け取り方をしてしまったりするので子どもたちが教師に不信感を抱かないように自分の行動を見直す大切さを学びました。

 また、女性だから男性教師とは違って力で押し通せない部分もあるけれど、だからこそ違う手段や発想で子どもたちに指導してあげられるのだと思います。

 私自身、教師になった時に子どもたちの見本となれるような行動を取れるか、まだまだ不安なところだらけなので日常生活から見直していきたいです。宇野先生、ありがとうございました。(丹羽)

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 「誰のための指導なのか」という言葉が私にとって印象的な一言でした。私自身厳しく子供に指導することがあります。話を聞くときの姿勢や人に頼みごとをするときの言い方など人として、学習規律として子供に定着させたいと思っていても、指導が違えば、感じ方も違うと思います。子供は良く先生を見ていて、賢いと感じます。「誰のためか」というのも彼らは気付いてるでしょう。だからこそ私は「誰のため」ということを何度も疑うくらい考え、悩むことが「誰のため」を明確にした指導につながり、指導改善になるのではないかと感じました。

 また「隠れたカリキュラム」をグループで考えていた際に、自身の実習での行動を省みることができました。1つ行為・発言の中に3つ以上の本質とは違うものが伝えられていること、その可能性に気付ける人間性が必要であるとわかりました。教師として私は「隠れているようで隠れていない」つまり自分自身の行動に意図を持ちながら、隠れた部分を認知し、うまく使う・対処できるようになりたいと思います。(吉田)

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 セミナーに参加し、たくさんの考え方や姿を学ぶことができました。学びを生かし、しっかりとした先生になりたいと思います。本当にありがとうございました。(吉田、松田、丹羽)

6月17日教師力アップセミナー 宇野弘恵先生 に参加して(石川・岩田・静谷)

こんにちは。今日、6月17日(土)は第二回教師力UPセミナーで宇野弘恵先生のお話を聞かせていただきました。以下に学びをまとめます。前回のセミナー同様2期生、石川、岩田、3期生静谷の3人で記事をまとめさせていただきます。


私は今回の教師力アップセミナーで『誰のための指導か』と言う言葉が一番印象に残りました。

 この言葉は、宇野先生が厳しさをもって子供達を指導しており、軍隊のような掃除をさせていた頃に、平田治先生に言われた言葉だそうです。宇野先生はこの言葉を聞いて「(教師の)自己実現のための学級経営」から「感化主義の学級経営」へ考えを移しました。

 私はこの『誰のための指導か?』と言う言葉を今の自分にあてはめてみました。教員採用試験へ向けて自分の教育観や指導観を掘り下げていることもあり、自己を見直すチャンスであると考えたからです。
 すると、今の面接練習等では、面接官に「お!」と思わせたり、「すごいね!」と言われたりしたい一心で話していたように思います。いわゆる「自分のため」だったのかも知れません。

 確かに、高い理想を掲げることは大切なことです。しかし、『誰のための指導か』という所は外してはならない指導の根本であると強く感じました。

 私にとってこの言葉を教員になる前に聞けたことはとても大きな事だと思います。今回学ばせて頂いた事を、先ずは自分に落とし込み「子供達のための指導」を追求していきたいです。

 ありがとうございました。(石川)

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 今回のセミナーは「女性ならではの学級づくり」というテーマで、普段のセミナーよりもさらに一歩踏み込んだ視点で聞かせていただきました。また、私事でありますが、卒業論文のテーマが学級づくりであることから、非常に勉強になることが多かったです。

 その中でもわたしは、「隠れたカリキュラム」が最も印象に残っています。「潜在的カリキュラム」ともいうこの考え方は、教師が意図も意識もせず教え続けている教育内容のことです。グループで事例を考えていく中で、子どもたちがいかに教師を見て意識的に物事を受け取っているのか、また、それが教師の無意識的な部分で行われているということに気がつきました。先生は、「教師が主導権を握りながら子どもたちを感化していく。そのために「規律の中での自由」が大切である。」ということをおっしゃられていました。


 わたし自身、教室にルールや規則は必要であると感じていましたが、その思いと同時にそれが子どもたちを管理する支配者教師につながるのではないかという不安もありました。教室に規律を徹底すべきなのか、自由にすべきなのかと考えたとき、「規律の中の自由」という言葉がとても突き刺さりました。大切なことは1つであるとは限らないと思い知らされました。教師と子どもは、教える側と教えられる側で立場が異なるという前提を子どもたちに植え付けることは、教育の基礎として必要不可欠なのだと感じました。


しかし、教師も教師で教える側という立場をとった以上は、「何かのせいにせず、自分が引き受けるという覚悟」をもたなくてはならないということにも気付かされました。

 女性だからこそできることがあり、わかることがある。「女性だから、、、」を強みにしていける、そんな方法をたくさん教えていただきました。宇野先生ありがとうございました。同じ女性として、わたしも頑張っていきたいと思います。(岩田)


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今回、宇野弘恵先生の教師力アップセミナーに参加してみて、感じたことを2つ取り上げたいと思います。

まず1つ目は、宇野先生から人格の力がとても強く伝わってきたことです。わたしは、これが人格のある人なのかと身にしみて感じました。セミナー中、すごくにこやかに話されているが、どこか厳しさも感じられ、なにかお母さんのような存在とも感じとれました。宇野先生の周りには、子どもたちが取り囲んでる様子がとても想像できました。見習いたいです。


2つ目は、教師というものはいつ何時でも子どもたちの見本となる行動を心がけることが、とても大切であると感じました。教師ができていないことを子どもたちにやれと言ってもまったく効果がないし、教師への不信感が強まるだけである。教師自身、自分の行動を見つめ直し、子どもたちに自信を持って指導できるよう、日々の小さな行動から心がけることが大切であると感じました。

2時間という短い時間でしたが、とても有意義な時間となりました。「かくれたカリキュラム」にもとても興味が湧き、意識していきたいと思いました。ありがとうございました。(静谷)


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6月17日教師力アップセミナー 宇野弘恵先生 に参加して(寺坂・林)

6月17日に宇野弘恵先生の教師力アップセミナーに参加してきましたので、2期生寺坂と3期生林で学びをまとめます。早速関係のない話からしますね(笑)今回の記事をまとめるときに、林さんが僕に学びを送ってまとめてアップするという流れにしたのですが、林さんから記事が届いたのがなんと、まだ帰宅している時でした。おそらく彼女も帰宅中だったと思いますが帰宅中に書けるなんてすごい。もっと自分に深く落としてからの方がいいという意見もあるかもしれませんが、聞いたばかりで頭の中でぐちゃぐちゃしていることを、しっかりと文字に起こしアウトプットできています。思わず後輩から学びました。僕にこう思わせようとしていたら、林さんは今日のセミナーですごいスキル(ポジティブなヒドゥン・カリキュラム)を身につけたと思います。内容も林さんにしか書けないものになっています。ぜひ読んでください。


今日のセミナーで1番印象に残ったことは、「教員には優しさと厳しさの両方が必要」だということです。
「優しさ」では、子供たちの言動や行動を理解し、要約することが必要となってきます。例えば、教員に「死ね」と言う子は、「私を見捨てないで」というSOSを出しているのかもしれないし、「言われなくても分かってるよ。これからやろうとしてたのに。」ということを訴えているのかもしれません。やはり、子供理解は大切だなと感じました。
しかし、このような「優しさ」と同時に、ここだけは譲れないという「厳しさ」も必要となってくるのだそうです。確かに、子供たちがいずれは社会に出て行くということを考えると、子供たちのことを思っての厳しさも優しさだな、と感じました。
私は子供に寄り添い、子供の気持ちに気づける教師になりたいと思っています。しかし、子供の本当の気持ちに気づくという「優しさ」ばかりでなく、「こういう子供たちになってほしいから、ここだけはしっかり指導するんだ!」ということも心に持ちたいと思うことができました。また、教師がこうした気持ちを持つだけで、子供たちもそれを必然的に感じ取ってくれるのではないかとも感じることができました。(林)


私は今日のセミナーでとても印象に残っている言葉があります。それは、「誰のための指導なんだろうな」という言葉です。早くきれいに掃除ができる。テストの点数がいい。元気に挨拶ができる。先生の言うことを聞く。男女仲がいい。どれも、子供にとって価値のある指導だと考えます。社会に出て必須のスキルもあれば、できないよりはできた方がいいスキルです。だから、教師もそこについて厳しく指導します。できるようになって欲しいという願いを込めて。しかし、その指導の対象が子供の為から教師のための指導に変わってしまうことがあるといいます。上にあげた例は、教師の評価の対象にもなるわけですから。
では、どうしたらいいのか。私は、子供が指導を受け、どうして指導されたのかを理解して、自分の行動をレベルアップさせるような指導が必要だと考えます。怒られるからやるのではなく、自分のためにするという価値を身につけさせたいです。しかし、まだ具体的には分からいので、卒業までに見つけたいと思います。誰のための指導という足元をしっかり固め、向き合いたいと思いました。

 今日のセミナーは、「女性ならではの学級づくり」というテーマでしたが、女性ならではの気付きや、子供との対応の仕方など学ぶことができました。
 特に、「力で押し通せないことを知ることができたこと」は、その典型だと考えます。男性教員は、それができますもんね。しかし、できないから考えて、そして新しい方法が生まれていく。その女性の気付きを、男性がどのように生かすか。「俺は力で通せるからこのままでいい」のではなく、そういう指導もあるのかと思い実践する素直さが大切だと思います。女性ならではの気付きと、男性ならではの気付きをうまく融合させていくことがこれから求められてくると思いました。宇野先生、本日は本当にありがとうございました。(寺坂)

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友達のある一言(松田)

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こんにちは。3期生の松田です。

先週の水曜日に、友達と2人で海津市の市民プールに行きました。その理由は、その友達が平泳ぎを泳げるようになりたいと言ったからです。

私は自分が通っていたスイミングのコーチに言われたように、友達にアドバイスをしながら一緒に練習をしました。約1時間泳いだ結果、友達は25mを平泳ぎで泳げるようになりました。ここでは泳げるようになるという目標を達成することができたことではなく、練習をする中である出来事があったので、そのことを書きます。

練習をし始めて30分くらいたったときに、ふと友達が「意地でも立たん。」と言いました。
プールは立とうと思ったらすぐ立てる深さでしたが、どうしても25m泳ぎ切りたいという強い思いが友達にあったのだと思います。

この言葉は私にとても響きました。普段はその友達とたわいない話をしたり、遊びに行ったり、ご飯を食べに行ったりと、楽しいことばかりをしていて、その友達が真剣に何かをする様子を私が知らなかったこと、さらに「こんなこと言うんだ」という驚きの気持ちがあったからかもしれませんが、私にとっては影響のある一言でした。

なぜ響いたのかというと、自分の最近の出来事を振り返って、意地でもやり遂げようと何かに取り組んだことがあったかな、と思ったからです。幼い頃は縄跳びであったり、鉄棒であったり、意地でもできるようにするぞと意気込んで取り組むことが多かったのですが、最近はそんな気持ちになることがなくなったと感じました。

この言葉を聞いて、私は物事にもっと貪欲になりたいと思いました。これで良いのか、まだできるのではないか、と自分に問いかけて取り組んでいきたいと思いました。
友達のある一言でこうやって考えさせられることがあるのかと思うとともに、友達の新しい一面を知ることができて良かったです。(松田)

6月12日第9回3期生ゼミ記録(松田)

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こんにちは。3期生の松田です。


3回目となる発表では、佐藤正寿先生の『プロ教師直伝!「教師力」パワーアップ講座-0からプロになる秘訣23箇条-』という本を紹介しました。

この本は、読者である教師にプロの教師として力をつけることを願って書かれた本であり、佐藤先生が担任や分掌リーダーとして取り組んできたことが述べられていました。発表では私が実践してみたいことを紹介しました。

ここでは、紹介した3つのことのうち2つを書きます。

1つ目は「機能を意識した朝の会」です。朝の会には管理的機能(出欠確認、健康観察などの活動)、指導的機能(歌活動、1分間スピーチなどの活動)、自主活動的機能(係活動)の3つの機能があります。自主活動的機能は朝の会における係活動のことです。これは係活動が停滞している学級や係で話す時間を取ることができない学級での活動です。朝の会の時間を使って係ごと話し合いをしたり、クイズ係やゲーム係はこの時間を使って活動をしたりします。これにより、係活動の活性化を図ることができます。発表の後に、係活動の活性化を図るための工夫として、複数人で同じ係をやるのではなく、1人が1つの係にしたら良いのではないか、グループで複数の係を担当し係を交代していくこと、その複数の係の中には1日何もしないという係をつけたらどうかなどということをみんなで話し合いました。話し合ってみると、他の人の意見を聞くことができ、必ずしもやり方は1つではないということを感じました。

2つ目は、「叱ること、注意することも大切。」ということです。叱る目的は「子どもたちの行動改善」です。仮に時間を守らない子どもがいたとします。その子に「なんで時間を守らないのか」と頭ごなしに言っても意味がなく、どうして守らなければならないのかということを子どもたちに考えさせることが大切です。これによって不適切な行動をなぜしたらいけないのかを子どもが理解して、適切な行動を判断できるような叱り方をすることが大切です。

私はアルバイトで叱ることについてよく考えます。アルバイト先の他の先生にはよく、叱れる先生を目指してと言われていますが、私は叱ることができません。この本を読んで、それは自分が納得できる叱る意味というものを持っていなかったからだと思いました。直してほしいこと、直さなければならないことは子どものことを思って叱らなければならないと思いました。これを機に、叱れる先生になりたいと思いました。(松田)

他人への配慮(早川)

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こんにちは!久しぶりに学びの記事以外を書くので、若干どんなふうに書こうか戸惑っています。あ、3期生の早川です。

僕は家から大学まで毎日片道1時間半かけて通っています。
今回はその道中でちょっとした出来事が心に引っかかっているのでそれを記事にしようと思います。

いつものように友達と大学から電車で帰っていました。その出来事は乗り換えをしている金山駅で起こりました。
金山駅といえば、JRと名鉄、さらには地下鉄も合わさっている大きな総合駅。特に名鉄とJRの連絡通路はどの時間でも一定以上混み合っています。それぞれが行きたい方向へ歩いているので、誰かとぶつからないように避けながら歩くのはなかなか大変なことです。

そんな中、僕はその連絡通路内で電車が来るまでの時間、立ち話をしていました。
すると、ある人が僕に軽くぶつかり、「すみません」と謝ってきました。瞬時に僕も「すみません:と軽くおじぎをしながら言い返しました。


「なぜ自分は立ち止まっているのにぶつかってくるのかなあ」


そう心のなかで思いました。しかし、その人の後ろ姿を改めてみてみると、白杖を使って必死に前に歩いていました。そして自分の足元を見てみると黄色の点字ブロック。僕は「やってしまった・・・」という申し訳無さでいっぱいになりました。
※白杖:視覚障害者(全盲およびロービジョン)が歩行の際に前方の路面を触擦して使用するもの

健常者である自分にとってはただの凸凹のある色の付いた地面でも、視覚障害者の方からしてみれば歩くのに必要な情報がそこには詰まっています。
「周りを観て行動しろよ」というこの言葉、おそらく教員になったときにも1度は言う台詞だと思います。ただ、こんなことをしている自分に言う資格などないと痛感しました。

”自分たちが良ければそれでいい”なんて人間としてゴミだな。と、いうことを体感しました。
どんなときでもどんな場所でも周りばかりを気にして見ているのは疲れ果ててしまいますが、最低限人として守るべきラインがあるなと思いました。

他人への配慮と一言に言っても、何をしたら相手にとって有益なものになるのかを考えるのって本当に難しい。
このモヤモヤした気持ちを吐かせていただきました。

まとまりのない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。(早川)

「女性教師だからこその教育がある!」を読んで(寺坂)

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 こんにちは。2期生寺坂です。6月17日の教師力アップセミナーの講師である宇野弘恵先生の本を読ませていただいたので、本から感じたことをまとめていきたいと思います。

 私が読ませていただいたのは、「女性だからこその教育がある!多賀一郎と考えるこれからの教師論」(多賀一郎・藤木美智代・宇野弘恵共著 学事出版)です。今回の、セミナーのテーマと同じタイトルだったので、この本を選びました。

 二人の女性教師の、教師観であったり学級経営論、はたまた家庭との両立の話であったりと、違う考え方や新しい見方などを得ることができました。特に、家事をしている最中の気づきを学校現場に繋げたりする話は、まさに女性ならではだと感じました。

 「外には7人の敵がいる」この言葉、皆さんご存知でしょうか。私は初めて聞きましたが、足を引っ張る上司や口うるさい上司などの、自分の仕事の障壁になる存在のことを指す言葉だそうです。宇野先生は、学校現場でも7人の敵を設けることができるとして、彼らとの上手い付き合い方について、「素直・ついでに・フットワーク・慎む・甘えない・甘える・割り切る」という7つにキーワードを軸に述べられていました。私は、特に素直に惹かれました。せっかくの意見を、自分の考えと合わないからといって、シャットアウトしてしまう。そうすると、伝えた側からするとせっかく教えたのに、、、とマイナスのイメージを持ってしまいます。素直さがないと敵ができるのです。しかし、「なるほど、実践してみます。」というだけで、相手からの意見を、受け止めて実践することで今までなかった新しい見方を見付けることができます。伝えた側も悪い気はしません。特に、教育実習で強く感じました。相手の意見を受け止め、もともとの自分の意見とすり合わせながら、新しいものを産み出す。1+1=3にも4にもすることができるのが素直さだと思います。

 またこの本を読んで、もう一つ印象に残っていることは、少しタイトルの話と外れますが「あなたは、子供にとってどんな価値がありますか」という質問です。ちょうど教採に向けて面接練習をしていますが、今までやってきた中で一番難しい質問です。本を読む手を止めて、しばらく考えましたが明確な答えは見つかりませんでした。私は、知らなかったら調べる、周りに聞くといった長所があります。また、そこから派生して迷ったらまずやってみる、そしてそこから学ぶということもできます。何十年か先の困った時、迷ったときに「そういえば寺坂先生が昔、こんなこと言ってたなー。」って思い出して人生のひとつの指針?になれるような姿を示せることが私の子供にとっての価値なのかなと…
 機会を見つけて多くの方に聞いてみたいと思います。(寺坂)

『スペシャリスト直伝!小1担任の指導の極意』を読んで(石川)

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今回は、6月17日(土)の教師力アップセミナーで講演をしていただく、宇野弘恵先生の『スペシャリスト直伝!小1担任の指導の極意』という本を読みました。

この本では、小学校1年生の担任となった先生が子供たちをよりよく育むための指導・仕事について書かれていました。私は、小学校教育実習で1年生を担当したこともあり、子供の様子を思い浮かべながら読むことが出来ました。

この本を読んで1番に印象に残っていることは「小1担任の指導姿勢」についてです。宇野先生は「子供たちの北極星であれ!」と書かれていました。

初めての学校、初めての環境で、子供たちは日々学習をしますが、迷うことも多くあります。そこで、担任の先生が子供たちの道標となる北極星となることで、安心して学ぶことができると宇野先生は述べていました。
また、小学校1年生はたった6年しか生きておらず、知らないこと、出来ないことがたくさんあります。だからこそ、むやみに叱りつけるのではなく、あたたかいまなざしをもって接することが大切になってくるそうです。

私は、この本を読んで昨年の小学校教育実習を振り返ってみました。今思うとむやみに叱ってしまった場面が多々あったように思います。「6年しか生きていない」今考えると出来ないことが多いのは当たり前です。あの時、あたたかいまなざしで接していれば…。まだまだ学ぶべきことは多そうです。

小学校1年生の可能性は無限大です。毎日たくさんのことを吸収し、大きく成長していきます。私も実習でその姿を見てきました。そんな学年だからこそ担任の先生が子供たちをしっかりと見守り、子供たちと一緒に喜びを分かち合いたいと感じました。

小学校1年生を担当する機会があれば、その子供の成長を見守り、育てていきたいです。

(石川)

「岐阜聖徳学園大学」が好き!(早川)

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こんにちは。3期生の早川です!

今回の内容は、今までの記事の中で書いたことがあるかもしれません。
そして、今までで一番しょうもない内容かもしれません。
でも、最近強く思うことがあります。

「岐阜聖徳学園大学」が好き!

以上です。これに尽きます。

急にどうしたって話かもしれませんが、中学や高校の友達と大学の話をする時、いい意味で岐阜聖徳があてはまらないなということばかりです。
教授のさっぱり何を言ってるかわからない授業、事務の方々の冷たい対応、学校全体としての雰囲気が悪い、遊んでばかりの中身のないサークル活動などの話を大学の友達からは耳にしますが、岐阜聖徳の中から(僕は)聞いたことがありません。

長い時間をかけて実家の春日井から通っていて、通学においては不便極まりないはずなのにやっぱり岐阜聖徳がいい。
そう思っています。一緒に学んでいる仲間も、全部含めて。

僕自身、岐阜聖徳学園大学への進路というのは高3の夏まで頭にありませんでした(笑)
中学生の時から愛教大に行きたかったのです。(愛知県の教員になるためには、そこしか進路が無いと思っていた)
ただ、高3の大学受験のためのセンター試験で思うように点が取れず、岐阜大学に出願校を変更しました。しかし二次試験に対応する学力がなかった僕はそこにも落ちました。ですが、先生になる道を絶たれるのはどうしても嫌だったので、親に負担をかける私立ではありますが岐阜聖徳に志望校を変更ました。そしてなんとかC日程で合格し、今に至ります。

もともと志望すらしてもいなかった大学をこんなにも好きになれるのは、自分の周りの環境に理由があると思っています。
大学自体の立地は悪くても、それを大幅に上回るプラスの面(仲間、先生方、事務の方々などなど)があるからこそ今のこの気持ち・自分があると思っています。

どんなこと・人にも「感謝」を忘れちゃいけない。と思いました。
岐阜聖徳を教えてくれた高校3年生担任の稲垣先生。感謝感謝です。


あ、岐阜聖徳学園大学の宣伝をしているわけではありません!!率直な気持ちです。

いつもテキトーに振る舞っているように見られますが、たまにこんな感じで真面目なことも考えます。笑
自分の気持ちをこうやって書き記せる場所があってよかったと心から思います。

こんな自分ですが、これからもよろしくお願いします!!(早川)

※写真はいい天気の時の岐阜聖徳学園大学の羽島Cです。本当にいいところです(^o^) 少なくとも僕はそう思っています。
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「誰かと一緒」の起源(岩田)

 梅雨入りしたというのに梅雨を感じさせない今日の気候です。じめじめしていないのは良いのですが、あまりにも天気が良すぎるのも後々水不足になってしまいそうで、不安ではあります。さて、本日は、今朝の朝刊の興味深い記事について書いていこうと思います。

 記事の内容は「食事は一人よりも誰かと一緒の方がおいしく感じるものだが、鏡に映った自分を眺めながらでもおいしく感じ、食べる量も増える」という研究結果がでたというものでした。この成果は少子高齢化により、一人で食事をするお年寄りの食事の質を高めるヒントになると期待されています。また、そこには、「人間は本能的に誰かと一緒の食事を好むのでは。」とも書かれていました。


 この記事を読んで、「確かに」と思いました。わたしは今も実家暮らしで、家族と食事をする機会が多いです。幸せなことにいつも誰かと一緒に食事をすることは当たり前の感覚になっています。しかし、たまにやってくる一人での食事の時は、適当に済ませてしまうことが良くあります。当たり前が当たり前でなくなったとき、その大切さに気付くと言いますが本当にその通りです。

 しかし、研究結果よりたとえ鏡に映っているのが自分自身であったとしても、視覚的に人がいるという感覚を与えながらの食事は、一人でも「誰かと一緒」を脳に感じさせてくれる重大な役割をしているなと思いました。また、この研究結果は、お年寄りだけでなく、なんらかの事情で普段の食事は、一人が多い子どもたちにも共通していえるのではと感じました。


 ここで1つ疑問が生じました。「なぜ、人間は本能的に誰かと一緒の食事を好むのでしょうか。」不思議に思いませんか?そりゃ人間だから当たり前じゃんと思った方、理由にはなりませんね。笑
 そこには「狩猟採集時代が長かった人類にとって、食事は仲間と分け合うもので、孤食は最近までなかった。」と書かれていました。

 ここがわたしがこの記事を読んで一番興味深いなと感じた部分です。孤食を本能的に嫌う人類の特性は、実ははるか昔の狩猟採集時代が生んだものであったのです。日本の場合狩猟採集時代を営んでいたのは、縄文時代までであると言われています。紀元前の人類が築いてきた長い長い歴史があるからこそ、今のわたしたちがあるんだなと、母と朝食をとりながら一人で考えていました。歴史を学ぶ意義に少し希望の光が見えたそんな朝でした。(岩田)


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6月12日 第9回 3期生ゼミ記録(早川)

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皆さんこんにちは!
3期生の早川です。

今回のゼミでは、筑波大学附属小の先生の細水保宏さんの著書「算数のプロが教える学習指導のコツ」を読み、学んだことを発表しました。
ただ今回は少し自分の中で意識が違いました。それはなぜかというと・・・。

前日の夜、僕は発表に該当する本の部分を読み直し、いつものように発表しようと思っていました。
そこにある方から1通のメール。(一部を抜粋して紹介します。紹介していいかはわかりませんが)

『だれもがよく本をもとに発表していると思ってはいますが、私は決して満足していません(笑)。
そろそろ相手に伝えることを意識して、話しましょう。まず視線です。聴き手を見ながら話す努力をしてください。
聴き手を見ていないことは実は写真を撮っているとよくわかります。ほとんどの人が、視線が下になっているのです。実習で指導案を目にして授業をやるわけにはいきません。』

というものでした。
これを読み、自分のことを言われているようで、なんとかしなければと思い、当日の発表に臨みました。
特に毎回台本などは一切用意せず発表しているのですが、今回はとにかく「前を向いて、語りかけるように話す」ことだけを念頭において発表しました。
その結果として、自分の発表を以前よりバージョンアップ出来たのかはわかりません。ただ、いつもより自分の発表中での話し合いが自然と生まれ、今までとは少し違うなと言う手応えを感じることが出来ました。更に、14日に受けた教育課程論の講義前に「おとといの発表上手だったよ」とのお言葉を、メールの送信元の方から頂き、本当に嬉しく思いました。
(これが「褒めて伸ばす」なのか・・・?と、少し思ったりもしましたが、素直に受け取りたいと思います!!)

それでは長い長い前置きでしたが、今回発表した内容の中で特に大切だと思ったことを記します。
それは「想定外が『ナルホド!』を呼ぶ」」というものです。
発表では本の中に書かれていたお話しをそのまま引用させていただきました。以下がその内容です。

とあるセミナーの参加費が2,000円ではなく2,001円だった。2,001円ピッタリお持ちでない方には受付で1円を差し上げている。

というもの。一体何が主催者側の方はしたいのか、意図がみなさんはわかりますか?







そうです。1円の数で総参加者数をカウントしようとしていたのです。
決して、その方法が合理的であるとかでないとかそこに論点はありません。この答えを聞いたときに「あ〜。」「そういうことか」「なるほどね」などと思われたのではないでしょうか?その想定外なことを感じさせることが算数好きにさせるきっかけとなると書かれていました。

ただ計算をひたすらさせるのではなく、何気ない日常の中に隠れている算数に関わる出来事を授業の中に取り入れ、触れさせていくことで算数への毛嫌いをなくし、算数に対する前向きな考え・好奇心を子どもたちに育ませることができるのではないのかなと思いました。

最後になりますが、自分の考えや学んだことを発表すること、同時にこのように記事にすることが如何に難しいかを最近実感しています。
玉置ゼミに入るときに「書くことによって学ぶ」と何度も言われましたが、やっとその意味を理解でき始めたように感じる今日この頃です。まだまだ玉置ぜみ3期生は始まって約3ヶ月ですが、ゼミ長として玉置ゼミの名に恥じぬよう頑張っていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。(早川)
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