6月17日5期生ゼミ発表からの学び (二宮)

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 こんにちは!5期生の二宮です。今回は田中博史先生が書かれた「子どもが発言したくなる対話の技術」という本を紹介しました。この発表を通して学んだことを2つ書いていきたいと思います。

1  MCの重要性について
 今回私の発表では、4から5人のグループを作ってそこで映画のメッセージ性について話し合おうということを授業としてしました。本のタイトルにもあるように「対話」を意識して考えた授業なので話し合いはMCを設けたおかげでなかなか深めることができたと思います。それでもMCがいるといないとでは大きな違いがあると感じそうなくらい流れがよかったように感じたので、話し合いにMCは必要だと学びました。今回は1人だけがやりましたが、年間で通してやるならグループの全メンバーが回数を重ね、自分からその話題を深めていこうと思える気持ちを育ててみたいなと思いました。

2 話し合いの時の先生の立ち位置
 話し合いの活動をした時、私はすぐに机間巡視をはじめてしまい、生徒の考えを覗きに行っていました。しかし先生は、話し合いに入れていない浮いている子を確認し、うまく混ぜてあげて、それを全て無くして始めて机間指導を始められるということを玉置先生からご指導いただきました。たしかにそうしないと、子どもは入れないまま、話し合いの時間を過ごし無駄になってしまうので、その子どもが素敵な考えを持っていても共有できないとなったら意味がないのですごい納得できました。

 今回は、前回自分で反省したことが少しできたのはよかったと思えました。それでも課題がたくさん見えたので次回の最終回できっちり克服し最後を終えたいと思いました。今回もありがとうございました。(二宮)

6月17日宮野さんの授業から学んだこと(大久保)

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 こんにちは!5期生の大久保樹です!今回はゼミでの宮野さんの授業から学んだことを書き記していきます。

 宮野さんは学級の三層構造について発表してくれました。協力層、中間層、非協力層の2:6:2の法則を分かりやすく教えてくれました。

 学級作りを成功させるには協力層→中間層→非協力層という順番で働きかけていく。そして、褒めるということを通して協力の必要性を訴えることが大切だということです。

 宮野さんはとても板書の仕方が上手で、見やすい板書をしてくれます。

 苦手なことから逃げるのではなく、挑戦しないといけない。それが、その人の人間性となる。これは岐阜聖徳学園大学の体育の先生が授業中に仰っていたことです。私は板書が苦手で、今までの発表で極力避けていました。それではいけないので、次の発表では板書に立ち向かってみようと思います。

 今回授業をしてくれた宮野さん、ありがとうございました。(大久保)

6月17日5期生ゼミ発表での学び(宮野)

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 今回、私は発表をさせて頂いて、主に2つのことを学びました。それは、導入ではテーマに関するものを持ってくる、あるいは初めに何について話すかを示すことと、問題児と呼ばれる子供にはあえて距離を取るということです。

 まず1つ目に、導入に関してです。私は導入で、問題児と聞いてどんなイメージがあるか、そして、自分が教師だったらどんな対応を取るかということを、聞きました。特に2つ目の、教師の対応に関する発問では30秒、時間をとって挙手で指名しようとしましたが、なかなか反応が薄くて戸惑ってしまいました。

 ただ、授業後に玉置先生から、問題児の行動それぞれに対する教師の対応を言えばいいのか指示が曖昧であった点と、30秒という時間が短すぎて、皆が戸惑ってしまったとご指摘頂きました。また、いきなり問題児と入る前に、学級経営に関する話をすると一言前置きをすることで、何を話すか明確になり、聞き手も戸惑うことがないと教わりました。授業を行う際は気をつけたいと思います。

 2つ目に、問題児と言われる児童生徒には、あえて距離を取ることが必要であるということです。今回私が取り上げたトピックでも、問題児と言われる子供達から対応する前に、周りの子供達を教師の味方につけることが必要だと書かれていました。また、玉置先生のお知り合いの先生のお話を聞き、やはり問題児と言われる児童生徒につきっきりになり、特別扱いするのは良くないのだなと思いました。2:6:2の学級の3層構造があるということなので、実習で現役の先生方の授業等をみた際は、各先生方がそれぞれの層の児童生徒にどのような働きかけをしているかに着目したいなと思いました。(宮野)

おかげさまで45万アクセス!

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 昨日(2019年6月26日)、この研究室HPへのアクセス数が45万突破しました!

 いつも訪問していただきありがとうございます。

 2015年4月20日がHP発信開始日ですので、1529日目に45万に達しました。1日平均294アクセスとなります。

 これからもどうぞよろしくお願いします。(玉置)

6月9日岐阜聖徳学園大学教育フォーラム2019の学びについて (竹内・矢崎)

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 こんにちは。4期生の竹内です。今日は先日行われた教育フォーラムの午前の部に参加し、その学びの中から主に2つのことついて書いていきたいと思います。

 1つ目は教室に居られない子や立ち回ってしまう子への対応についてです。

 岡部先生は立ち歩くという行為を悪いこととして叱るのではなく、理由を作り良いことに変えるとおっしゃられていました。例えば、立ち歩いてしまう子には、「職員室のA先生に〜と伝えてきてほしい」や「教室や職員室などから〜を取ってきてほしい」など褒める場面にしていくようにします。子どもの集中力が切れてしまい、立ち歩いて先生に怒られてしまうと、「授業は楽しくない」「学校は楽しくない」と子どものやる気が下がってしまうと思うので、このような教師の働きかけの大切だと思いました。

 また、真鍋先生は、実態把握も大切だとおっしゃられていました。良い行為にするというのは必ずしもできることではないので、子どもたちがソワソワしてきたと思ったら、交流の時間などを設けます。授業中に動いても良い時間を取り入れるなど子どもの実態に合わせた授業工夫を教えていただき、教師になったら実践していきたいと思いました。

 2つ目は感情的になってしまう子への対応についてです。

 思う通りにならないと感情的になってしまう子などに対して、コミック会話(棒人間などを描き、そこに吹き出しを用いることで、場面を振り返るもの)を用いることで、自分の行いについて冷静に振り返らせることができます。安田先生は、言い訳をさせることを大切だとおっしゃられていました。アクションを起こす前のことについてコミック会話を用いて先生と子どもが一緒に振り返り、「ここまでは分かるけど、ここからはダメだね」と子どもの言い分を聞いた上で指導をしかなければいけないと思いました。

 教育フォーラムに参加し、様々な場面での対応について先生方の考えをお聞きしましたが、こういった対応は、実際に来年に教員として体験したり、教員採用試験の面接にも聞かれたりすると思います。現場での経験がない私にとって今回のフォーラムは、来年以降に悩むであろうことを想定することができる時間になりました。今回、こういった機会を作っていただいた玉置先生や教育フォーラムの関係者の皆様、本当にありがとうございました。(竹内)

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 こんにちは。5期生の矢崎です。教育フォーラムの午後の部の学びについて書かせていただきます。

 午後からは「真の対話とは」ということについてもっと深く考えることがメインでした。私はこの午後の部でのキーワードは「違い」だったと思います。

 そもそも「対話」とは「向かい合って話すこと。」です。また、「真の対話」とは「1人では考えられないことが対話を通して角度が変わること」を目的としています。その目的に達するまでには多様な思考、立場、感情が持ち込まれる可能性があります。ということは、必ずしも自分の考えばかりではないということです。だから、自分の中で戸惑いが生じます。その戸惑いは自分の中の「ふつう」「あたりまえ」ではない事が他人にあるから生まれます。その「ふつう」「あたりまえ」はそもそも存在しないのだということを教師は子どもたちに教えなくてはいけないと思いました。

 「ふつう」「あたりまえ」が存在しないのだという事を理解して初めて、「対話」は生まれます。その「対話」なかで全ての意見に耳を傾けて、それを「理解」します。しかし、決して「賛同」はしません。「理解する事ができた、だが、考え方は違う賛同できない」と子どもたちの中で思えることが必要だからです。

 ですが、こうやって自分とは「違う」ということを受け入れるには、「対話」をすることのできる環境が必要不可欠です。ということは、私たち教師が子どもたちが安心して自分の考えを主張し、相手の考えを「理解」できる教室を作る必要があります。だから、教師が授業の中で出た「間違いの意見」を日頃から丁寧に拾って、学級の中で大切に議論していくことが大切です。また、その意見、考えの背景にはその子の「願い」が隠れています。深い子ども理解がなくては「違いを生かした学び」、「対話」はすることができないと学びました。

 今回のお話で、教師が子どもに「対話」を迫る前に、私たち教師がまず、子どもの意見や考えの「違い」に日頃から敏感に反応することが大切であるとわかりました。また、子どもの「なんで?どうして?」という感情が授業の中でどれだけ大切なのかも改めて感じました。

 そういった子どもの細かい変化に気づくことのできる、視野の広い教師になれるように日々、周りの人の変化に気づき、自分を変えていけるようになりたいと思いました。
また、「対話」について疑問に思っていたこともスッキリしました。このような貴重なお話を聴く機会を頂き、ありがとうございました。 (矢崎)

6月9日岐阜聖徳学園大学教育フォーラム2019での学び(鏡味・北神・井上)

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 こんにちは!4期生の鏡味です。6月9日に名古屋で行われた教育フォーラムに参加しました。フォーラムの午前の部で行われた、「教室で困ったこと」の共有と対話での学びを書きたいと思います。

◯立歩きの多い子
・原因があるので様子を見て実態把握
・どのくらい集中が続くか様子を見る
・悪い行いを良い行いに変える
→授業時にプリントを配ってもらう
・授業の中で動いてもいい時間を作る

◯嘘をつく子
・低学年は嘘と現実が分かってない
・嘘をついて教職の気を引きたい子もいる
・中学生は、仲間を裏切る嘘より、先生に怒られる方がいいと思っている
・教師はその子の気持ちに寄り添う

◯思い通りにならないとカットしてしまう子
・話をまずは聞く
→「じゃあどうすればよかったと思う?」
・他の先生を呼ぶ
・カッとなった時は約束事を作る
→何かを握る、叩く場所を作る
・コミック会話で気持ちを整理する

◯行事に入ろうとしない子
・日頃の生活から見えるその子の苦手を知る
→一緒に考える
・相手に選択肢を与える
・1つの「できた」を評価

 などがありました。普段、教員採用試験の対策をしている中で面接で聞かれたことのある問題もあり、とても勉強になりました。玉置先生はじめ、登壇してくださった多くの先生方ありがとうございました。(鏡味)

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 こんにちは!五期生の北神です!6月9日に教育フォーラムに参加しました。今回は、教育フォーラムの中でも奈須教授のお話からの学びについて、特に印象に残っていることを書きます。

 子ども達が対話することができなくなったのは、生活の仕方が多様になり、共感できることが減ったからだと知りました。だから、クラスみんなが共有できて盛り上がるようなお題を提供して、対話できるきっかけをつくるといいそうです。授業の内容でいきなり対話するのは難しいですか、授業とは全然違うことで対話することを続けていけば、自然と授業中にもできるようになると思いました。

 対話的学びの基盤として、日記と朝の会を活用すると良いことも学びました。日記を書くことで自己的対話をし、朝の会でそれを表現し合うのです。なぜかというと、友達が嬉しいと感じたことを知りたい!と思うように、周りの友達に関心を持つことが対話の始まりだからです。友達の素敵な一面を知ることで、今まて接点のなかった友達と繋がることもでき、自分の世界を広げるきっかけにもなります。

 私は朝の会にも対話を取り入れることができると知って驚きました。また、そのような対話ができるクラスであれば、すごく温かいクラスになるだろうなと思いました。ぜひ、朝の会でそういう機会を入れたいです。(北神)

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 こんにちは!4期生の井上です!今回は先日行われた教育フォーラムについて書いていきたいと思います。

 このフォーラムで一番印象に残ったことは奈須先生が見せてくれた授業動画です。だいたいの授業では分かる子が中心となり、分からない子が置いていかれてしまい、自分の意見を言えないまま結局何が分からないのかが分からないという状態で終わってしまうことが沢山あると思います。

 この動画の授業はその逆でした。分からない子が中心となり分かる子に質問する。そして分かる子が必死に分からない子に説明する。こういったものでした。そうすることで、分かる子も分からない子も学べる場を作ることができていたと思います。分かる子は自分ができたからいいというわけではなく、それを説明することでもう一度考えを整理することができる。分からない子は分かりたい気持ちを前面に出してガツガツと質問していく。本当にすごい授業でした。

 また、それと同時にこの授業が成り立つ雰囲気を作るには相当の学級経営が必要だとも感じました。失敗や間違いを恥ずかしがることなく言えるクラスを作ることは本当に難しいと思います。いい授業をするには学級経営を充実させることが必須だと改めて感じました。

 フォーラムの後、3期生ゼミ長の早川さんと話す機会がありました。教採への不安、現場のお話など様々なことを聞き、また聞いてくださりとても充実した時間となりました。もらった沢山のアドバイスを活かして教採まで後1ヶ月ないですが、走り抜けたいと思います!!

 教育フォーラムの関係者の皆さん、お世話になりました。ありがとうございました。(井上)

6月10日 北神さんの発表から学んだこと(遠藤)

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 こんにちは。五期生の遠藤です。今回は、6月10日に行われた五期生ゼミの中の、北神さんの発表から学んだことについて書きたいと思います。

 今回北神さんは、かくれたカリキュラムについてまとめた発表を行っていました。教師が意図していない部分も子供は学び取るのだという内容に、改めて常に見られている意識が必要だと感じ、背筋が伸びる思いで聞いていました。

 発表の中で北神さんは、既習の漢字のみを使った板書と、未習の漢字も使った板書とどちらが適切か?という点を掘り下げていました。私は当然既習漢字のみで板書するべきだと考えました。そうしないと、読めない子が混乱すると思ったからです。

 しかしそのような板書を続けていると、子供は「習っていない漢字は、もしも書くことが出来ても書かなくて良い。」という風に間違った学びをしてしまう危険性があるのだと知り、成る程と思いました。私は、置いていかれる子がいてはいけない、という点にばかり気を配っていて、子供たちをより発展させよう、かくれたカリキュラムを活用して更に学びを深めよう、という意識が低かったのだと気がつきました。

 そのことに関連して、私はとある自分の体験を思い出しました。私の、「遠藤」という苗字ですが、実は遠藤の藤という漢字は小学校学習漢字ではないため、小学校ではいつまで経っても習わないのです。そのことから私は、小学4年生までずっと、名前の欄には「遠どう」書いていました。それが当たり前で、習っていない漢字はとてつもなく難しく、書けないものだと思い込んでいたからです。今思うと、そんな当時の私の感覚も、かくれたカリキュラムによるものだったのだと思います。

 佐藤、加藤、近藤など、藤のつく苗字は沢山あります。また、珍しい漢字を使った苗字の子もいます。最近では、名前の中に人名用漢字にしか無いような漢字が入っている子も増えています。そういった子達は、6年生までずっとひらがなで名前を書けば良いのでしょうか。そんなはずありません。第一、もしもそうだとしたら、中学校ですら習わない漢字の名前はどうするのか、という話になってしまいます。

 習っていない漢字でも自分の名前だから書ける、という子は最大限に褒めて、その漢字を知らなかった子にはその場で教えてあげれば良いのだと思います。そうして、「一つ賢くなれたね、良い学びをくれてありがとう!」と言えるような、そんな教師になりたいと、今回の発表を見て感じました。北神さん、お疲れ様でした。(遠藤)

6月10日 5期生ゼミ発表から学び得たこと(北神)

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 こんにちは!五期生の北神です。6月10日に『「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド』をもとに発表をしました。今日はその発表から学び得たことを書きます。

 私は今回が2回目の発表でした。まだまだとても緊張していましたが、前よりは子ども役のゼミ生を見る余裕がでてきたと思います。今回は、机間指導をする際、子ども達の発言をよく聞いて意図的指名をすることを大事にしました。

 今回受けたアドバイスの中で特に気をつけなければならないと思ったことは、指名する際の名前の呼び方です。私は、子どもを指名する際、苗字で呼ぶ時と名前で呼ぶ時がありました。これはゼミ生からの指摘を受けなければ気づきませんでした。まさにかくれたカリキュラムだと思います。ある子どもは苗字、ある子どもは名前、ある子どもはあだ名というふうに子どもによって呼び方を変えると、教師はそのようなつもりでなくても、子ども達からすれば特別扱いや贔屓をしているように感じると思います。次回から意識して気をつけたいなと思いました。

 私は、今回の授業では、未習漢字も板書することについてのかくれたカリキュラムについて取り上げました。未習漢字も板書するのが良いか、既習漢字のみ板書するのが良いかは、ゼミ生でも結構意見が分かれそうで面白いと思ったからです。

 私は、絶対既習漢字のみの方がいいと思っていましたが、既習漢字のみを板書することは、子ども達に、「習った漢字だけ読めればいいんだ。」「先生は、僕たちは習った漢字しか読めないとおもっているんだな。」「新聞は読めない漢字が多いから読まなくてもいいんだ。」と思わせていて、隠れたカリキュラムが働いていることを学んで考え方が変わりました。
 
 全ての漢字を学校で習うわけではありません。調べ物をする際に使う新聞、辞書やインターネットには習っていない漢字がたくさんあると思います。読めない漢字ばかりだから無理!と諦めるのではなく、私は、そういう物を積極的に活用してほしいです。だから板書して習っていない漢字に触れさせることって大事だなと思いました。また、教師がプラスαの学びをさせようとすることが、自ら積極的に学ぶ子どもを育てることに繋がるのではないかと思いました。(北神)

6月10日5期生ゼミ大久保君の発表から学んだこと(中西)

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 こんにちは。5期生の中西です。6月10日、大久保君の発表から学んだことを書きたいと思います。

 今回は吉田順先生の「学級経営17の鉄則」についての発表でした。大久保君は発表の中で○×法を使っていました。○か×かを考えさせる段階で教師が机間指導を行っていましたが、直感でも答えられる質問に対しての机間は省いても良いと学びました。○にした人、×にした人を挙手させることで数の確認は簡単にできるし、全体で共有することができます。省くことができるところは短縮して授業の時間を友好的に使うことを教師は意識しなければいけないと思いました。

 机間指導を行うタイミングとしては、なぜ○や×にしたのかという理由まで考えさせてからすべきだと考えます。机間指導で子どもがどのような考えかたをしているのかを把握して、○×の少数派意見の子も大切にするために意図的指名を行うこともできます。 私の発表でも○×法を使う場面があればこのようなことを意識していきたいです。

 大久保君は発表を重ねるごとに、どんどん表情が豊かになっていると感じます。基本は笑顔で、大事なところは真剣な表情になる切り替えが非常にうまいなあと思います。話し方は落ち着きがあるのに発表に引き込まれる感じがするのは声の抑揚や間の取り方、表情の切り替えなどいくつもの要因があります。私も大久保君の良い所を参考にしながら、より良い発表をつくっていきたいです。大久保君おつかれさまでした! (中西)

6月10日5期生ゼミ発表を通しての学び(大久保)

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 こんにちは!5期生の大久保樹です!今回はゼミ発表で学び得たことを書き記していきます。

 今回は、吉田順先生の「学級経営17の鉄則」という著書を読み、授業風に発表しました。

 私は吉田先生の学級目標に「みんな仲良く」を入れないという考えを授業風に発表しました。

 一つだけ反省があります。私は授業の展開で、5年生のクラスで「みんな仲良く楽しいクラス」という学級目標に賛成か反対か〇✕法で5期生に考えさせました。どちらにしたか挙手させてもらうと、〇が2人、✕が10人という結果になりました。そして、吉田先生は✕の考え方であると伝えました。

 私は〇に手を挙げた子に対して上手くフォローすることが出来ませんでした。上手くフォローしようと考えてはいたのですが、言葉が出てこず結果的に否定するようなフォローになってしまいました。

 どちらが正解とも言えない問題で、子どもの意見を否定するのは教師としてあってはならないことだと思います。今回の反省を活かして、どんな発言に対しても上手くフォロー出来るようになりたいです。

 玉置先生からは〇✕法ではなく、初めの発問を変えれば良かったとアドバイスをいただきました。やはり玉置先生の考え方はとても勉強になりました。

 今回発表を見てくれた5期生、お忙しい中発表をみてくださった玉置先生ありがとうございました。(大久保)

6月10日二村さんの発表からの学び(杉山)

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 こんにちは。5期生の杉山です。二村さんの第3回目の発表から学んだことを記します。

 二村さんの授業の特徴は、口調がはっきりとしていて、一言一言が活き活きとしており、子供を見る目がしっかりと開いていて子供を惹きつけるものがあるということです。これは、過去2回からずっとそうなので、二村さんにしかできない技なのだと思います。

 今回の授業では、「クラス運営力」についてで、教師が、子供たちにクラスでの居場所を与えてあげることで、子供たちの自己肯定感が高まり、クラス全体の雰囲気がとても協力的になるということをわかりやすく、ワークシートを用いながら伝えてくれました。

 また、「話すことが多いからよく聞いていてね」、「次の人で当てるのを最後にしようかな」という意識づけは、子供たちを授業に集中させる良いものだと思いました。

 授業の講評では、話し方や緊張を緩和しようとするクセを治すということや、授業が円滑に進むようなワークシートを作り、伝えたいことは、指導案やメモを見ながら言ってしまうと、効果が減ってしまうので、チラッとメモを見て子供たちを見ながら言うと、より先生の言いたいことが伝わるということが上がりました。二村さん、今回もたくさんの学びをありがとうございました。(杉山)

6月10日5期生ゼミで学んだこと(二村)

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 こんにちは!5期生の二村葵です。今回で3回目となるゼミ発表で学び得たことをまとめます。

 今回は向後千春先生の『教師のための「教える技術」』という本を紹介しました。

 その中でもクラス運営力について取り上げました。本には、「子どもの目標はいつでも自分のクラスに自分の居場所を作ることである。」とあり、とても印象に残ったためここを取り上げることにしました。学校に限らず、常に自分が所属している組織やコミュニティの中に、自分の居場所を作ることを目的として行動していることをこの本を読み、改めて気づきました。

 また「自分はここにいてもいいと感じ、ここにいることで誰かの役に立っていると感じることにより、クラス全体の雰囲気はとても協力的なものになる。」と向後先生は言っていました。教師の仕事は子どもたち一人ひとりが「自分の居場所」を見つけられるように手助けすることであることを学んだので、そのことを念頭におき、複雑に考えすぎずに生徒と接していきたいと思いました。

 授業をしてみて、情報の取捨選択の難しさを感じました。今回ワークシートを準備し、載せるべき重要な内容を載せきれませんでした。ワークシートや黒板に重要なキーワードや長いまとめのキーワードを書くことで、生徒の理解もスムーズになり、理解しやすくなると指摘をもらいました。

 玉置先生から、準備したずっと見て資料を読むのではなく、ちらっと見ながら話すと伝えたいことが伝わり、もっとよくなると指摘して頂きました。過去の二回を振り返ってみても、その癖が出ていることに気づいたので、これからは生徒の顔や表情を見ながら話すことを心がけたいです。

 今回も仲間や玉置先生からからたくさんの指摘を頂き、学びを深めることができました。毎回レベルアップしていく仲間たちに負けないように切磋琢磨しながら頑張ります!(二村)

6月10日生田君の発表からの学び(長谷川)

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 こんにちは!5期生の長谷川です。今回は生田君の発表から学んだことをまとめます。

 生田君は、今まで授業開始時に「クイズでスタートする」という授業展開を行ってきました。今回もクイズ感覚で楽しく復習できたので、とても良かったです。しかし、全部のクイズに対して指名をするよりは、テンポよく多くの人に当てて、答えさせる方法を取り入れるといい、とのことでした。そうすることで、より一層、全体的にテンポアップした雰囲気になり、子どもの授業に対する意欲が高ぶります。そして、子どもにエンジンがかかり、授業に集中しようとする意識づけに繋がるのだと感じました。

 生田君は授業の中で、難しい質問を2回繰り返したり、オープンカンニングを取り入れたりしていました。実際にオープンカンニング法を取り入れた授業を受けてみると、子ども役の止まっていた手が動き始めたり、更に書いている手が進んだように感じ、効果を実感することができました。

 また、他にも考えたことをノートに書かせる、といった基本的なこともしっかり行なっていました。回数を重ねるごとに授業の中で、様々な指導法を活用できていて、全体的にもレベルが上がってきました。

 私は来週発表なので、短い授業の中でも沢山の指導法を取り入れて授業をしたいと思います。生田君、お疲れ様でした!(長谷川)

6月10日5期生発表を終えて(生田)

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 こんにちは!5期生の生田朋也です!今回はゼミでの3回目の発表を終えてその感想と反省を書いて行こうと思います。

 自分はこの3回を通して段々と自分の授業に形ができてきたような気がします。授業最初に導入としてテンポよくクイズをし、本題に入り、最後はその授業に合った名言を持ってきて定着をはかってもらう。といった流れです。自分でもこれは教師になってからもやってみたいことで、「今日のクイズはなに?」や「今日の名言!」などといってもらいたいものです。

 しかし今回は肝心な本題のほうが何を学ばせたかったのかわからないものになってしまいました。子どもが変わる接し方ということで、子どもが変わるような技術を紹介したつもりだったのですが、実際自分が取り上げたのは「グループの輪に入っていけない子ども」に対しての対応で、たしかに子どもの変化を促すような内容ではあったのですが、これは子どもの集団の中での話であって、結局伝えたいことが曖昧で15分でやれるような内容ではなかったです。そして今回は予想外の質問が二回出てきて、対応できなかったあたり完全な準備不足でした。

 しかし、難しい発問をした時にオープンカンニングをできたことは1つ成長と思いたいです。ありがとうございました。(生田)

6月9日 教育フォーラムからの学び(古川・加藤奨基)

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 6月9日に名古屋で行われた岐阜聖徳学園大学教育フォーラム2019での学びを、古川・加藤奨基で記事にさせていただきます。

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 こんにちは!5期生の古川瑛理です。6月9日に行われた教育フォーラムでの学びを書かせて頂きます!

 今回は「真の対話」などについて学ばせて頂きました。仲間とどうしようか考えを巡らせたりする中で個々がぶつかり合い、気づきが生まれます。その気づきがより良いものをつくっていくのだ、自分と異なる意見との出会いは排除し、差別するのではなく素敵なものであると捉え、自分自身が成長する為にも大切にするべきものである、子ども達がそう捉えられるように教員が働きかけていく必要があるのだと改めて考えさせられました。

 また、自分自身が何気なくこなしていた朝の会、帰りの会で児童・生徒がくらしのこだわりを学級に向けて話したり、日記で振り返った今日のくらしについて発信することは自分自身と向き合い、その一人ひとりの異なる思いや行動を他者へ伝えることであり、発信しながらも友達の発表を聞くことで他者を認める力を付けていくことができる活動であったこと、その活動の意図、重要性を今回の学びを通して今更知りました。他者を認める、対話するのは、ただAという意見を言われたからAと受け取ったり、AなのかBなのかどちらかはっきり決める議論をするのではなく、1人がAともう1人がBという意見を持っていたのならば、AがA+b、BがB+aとなるような、主張が必ずしも変わる訳ではないが2人とも異なる視点を得ることができる自分1人で完結することのない学びであるのだというのが私にはとてもしっくり感じ、まず1人で考え自分の意見を持った後に他者と関わり対話をする。

 その後もう一度自分で考える、個で始まり個で終わることができる集団が高め合える集団であるのだと、そして個を繋ぐのが教員の役目であることを学び得ることができました。

 最後の討論では自分がこれまで学んでこなかったような視点での意見も聞くことができました。そしてその中で「真の対話」の難しさを痛感させられました。改めてどのようなものであり、どう子どもに働きかけるべきなのか学んでいきたい、考えていきたい思いました。

 このような機会を作ってくださった岐阜聖徳学園大学の職員の先生方を始め、玉置先生、奈須先生、講話をしてくださった先生方、関係者の皆様、本当にありがとうございました。 (古川)


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 こんにちは、4期の加藤奨基です。6月9日に岐阜聖徳学園大学主催で行われた、教育フォーラムに運営スタッフとして参加しました。その際、先生方のお話も聞くことができたので記事にしたいと思います。

 先生方のお話で印象的だったものが、「個と協働」というテーマです。これは、「一人学びを深めてからグループ対話へ入る」というもので、対話・協働に関わることです。一見すると真逆の性質を持つような個と協働というキーワードですが、真に協働するためには、特に「個」の部分である「一人学びを深める」ことが重要です。一人学びの段階ではもうこれ以上考えられない!というところまで考えさせることで、「他の人の意見を聞いてみたい」という切実な思いが生まれ、対話することができるということです。

 思い返すと、僕は実習の時、授業でグループ対話ができるようにと時間をとり、指示をしていました。しかし、どの時間でも対話が上手く成立せず、ただ周りと話す時間・話したい子だけが話す時間になってしまっていました。原因の大部分は、この「個」での学びが深まっていなかったからだと思います。一人学びが深まっておらず、グループにしたところで何を話せばいいのか分からず、グループにする必要性も感じられなかったのではないでしょうか。子どもたちには本当に申し訳ないと感じています。

 玉置先生などの対話の時間がしっかりと機能している素晴らしい授業を見させていただいたことを思い出すと、確かに「まずは個人で考えてみて」というセリフが登場します。そうすることで自分の考えを持ち、行き詰まり、他の人の話に耳を傾けたくなります。(子ども役として授業を受けていたのでとてもよく覚えています!)このことこそ、「個と協働」なのだなぁと実感しました。

 次の授業実践の機会がいつになるかは分かりませんが、その時もまた対話場面を取り入れようと思っています。しかし、次は一人学びの時間も必ず取り入れていきます。このような試行錯誤が授業作りのおもしろさなのかなぁと最近考えている加藤がお送りしました。教採、がんばっていきます!玉置先生をはじめとする先生方、実習課のみなさん、ありがとうございました!(加藤)

6月9日教育フォーラムでの学び(長谷川・加藤諒太・小谷川)

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 こんにちは!4期生の加藤諒太と小谷川優衣と5期生の長谷川です!今回は6月9日の教育フォーラムでの学びを書きたいと思います!

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 こんにちは!5期生の長谷川です。今回は6月9日に行われた岐阜聖徳学園大学主催の教育フォーラムに参加させていただきました。そこで、学んだことをまとめます。

 私は授業の中で、真の対話的な学びをするためには、子どもにとって考えたい!と思う発問や授業展開をする必要があることを知りました。なぜならば、子どもがこのような気持ちになったとき「誰かに話したい」「他の人の考えを聞きたい」と思うようになり、対話が始まるからです。また、対話を通して、自分と意見が異なる子や、間違った答えが出た子に対して、「自分の考えを理解してほしい!」「相手の意見を分かりたい!」と思い、さらに対話が深まるのだと感じました。

 特に奈須先生に見せて頂いた「間違いを生かす授業」は、私が今まで観てきた授業とは異なり、間違えた答えを持った児童が堂々と発表していました。これは、あまり普段の授業では見られない光景だと思います。算数の3:2をどのように計算で利用したら良いのか分からない児童が「ここが分からなくて、困っている」と発表すると、問題の解けた児童が後から出てきて説明するという授業展開でした。

 ここには、児童同士の間に「なんとかして分かってもらいたい」「どうしても理解したい」と思う気持ちが溢れ出てきて、対話が深まっている瞬間だったように感じます。一方では、正しい答えが出ているにも関わらず、なぜその答えが正しいのか意味がわからない、と困っている児童もいました。先生方はまさに、このような児童には対話が必要である、と仰っていました。

 奈須先生は授業を通して、子どもたちには皆んなに分からせて帰る義務と、分からない子が分かって帰る権利があるのだと仰っていました。授業は、この2つが合わさって学びの共同体というものができるのだということを学びました。私は、学びの共同体の授業をするためにも、分からないことを分からない、とはっきり言えるクラスの雰囲気や、安心して発表できる教室であることが大切だと思います。このことから、授業づくりと学級経営は深く関わり合っており、真の対話的学びをするためにも、とても重要なことだと感じました。

 今回もこのような学びの機会を設けてくださり、ありがとうございました。(長谷川)

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 こんにちは!4期生の加藤諒太です!今回は6月9日の教育フォーラムでの学びについて書きたいと思います。

 今回のフォーラムでは真の対話とは何かという題で奈須先生からご講話を頂きました。
「真の対話」と聞いて、私自身明確な回答は自分の中で出てきませんでした。しかし、奈須先生のお話を聞いて、対話とは「ただ話すことではない」ということが改めて確信に変わりました。

 奈須先生はSDGsは「地球の裏側で起こっていることを私ごとで捉えようとすること」で、対話とは「友達の関心を自分のものにすることである」とおっしゃっていました。ここにはつながりがあると思います。それは、自分が持っている意見や考えとは違う視点を他人から取り入れて、考えを深めるということです。そのための手段の1つが対話なのであり、交流の場になるのではないかなと私は考えます。

 また、対話の相手は「対象世界(教科書)・他者・自己」であり、学びそれ自体が対話という営みだとおっしゃっていました。確かに、この対話がなければ学びは成立しないと考えます。自分の考えの中に外部から様々な考えを取り入れ、それを深めていくというところまで含め対話なのかなと思いました。こうすることで対話という観点だけではなく、主体性や深い学びという観点にも繋がっていくのではないかなと考えました。

 そして私がこの「真の対話」を実現するために大切だなと感じたのは「対話をして深めるためには一人ひとりが深まっている必要性がある」ということです。私が初めて、対話的という言葉を聞いた時は、意見を交流させればいいのだから教師がその機会を作れば良いと浅はかな考えを持っていました。

 しかし、教育実習で実際に授業を行ってみて、上手くいかない。その原因はこのことだったかと改めて学びました。確かに、対話するための基盤、知識やスキルがなければ実現不可能だと思います。そのためにも奈須先生がおっしゃっていた「対話的に学び深めるからこそこの学びが重要になる」と言ったことを意識してこれから教育と向き合っていきたいと考えています。

 そのあとは、「真の対話」とは何かというテーマで中島先生を交えて討論が行われました。先ほどまで奈須先生のお話を聞いて納得していたので、中島先生の話を聞いた時には何が正解かわからなくなりました(笑)言葉でないコミュニケーションもあると言った意見や日常の中の何割が言葉によるコミュニケーションかと言った意見など鋭い切り口でとても勉強になりました。しかし、これがまさに対話的な学びなのかなと思います。自分とは違う視点の様々な意見が交わされることが対話的につながるのではないかと考えました。

 このような機会を作ってくださった岐阜聖徳学園大学の職員の先生方を始め、玉置先生、奈須先生、講話をしてくださった先生方本当にありがとうございました。(加藤諒太)

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 こんにちは、特別に参加させていただきました教育学部4年の小谷川です。今回は6月19日に行われた教育フォーラムについて書かせていただきます。

 午前中は「若い教師向けのセミナー」でした。参加されている教師の方々が付箋に教室で困ったことなどの悩みを書き、ホワイトボードに貼り、その内容から共有と対話を始めていくというスタイルであったが、 個別対応での問題でかなりの人が障がいのある子の対応について悩んでいることに気付きました。障がいの種類や、特別支援のこと、どう対応するべきかなど学んではきているが、実際現場にいる先生方はどう思っていて、どう感じているのかなどの話をあまり聞いたことがなかったため、苦労している、どう対処するべきなのかわからないなどの本音のような話を聞けたのでとても新鮮に感じました。

 現場の先生方の悩みや困っていることを私たちがきくことにより、現場に立った時に本当に直面する問題や、現場に立たないと実感しないこと、またその時の対応までいち早く知ることができ、とても勉強になりました。

 午後からは奈須先生による「真の対話とは」という題材での話を聞くことができました。

 様々な話を聞くことができましたが、特に1人の学びから他人の話を聞きたくなるにつなげるということを奈須先生の話を通じて知ることができました。学校での話し合いは聞き合いにするべきだという意見にとても納得しました。

 他人に興味をもち、自分にない意見・経験を取り入れることの良さ・素晴らしさを感じることから始まり、その発見を学習に生かしていき、1人学びでの学習に疑念が生じた時の助け舟として他人の意見を聞きに行こうとする、この自然発生的な話し合いこそが真の対話であると理解することができました。

 今まで多くの学校の授業での隣同士の話し合いやグループ活動の様子を見てきたが、上手く行なっているクラスはやはりそれなりに日頃からトレーニングをされているのが伺えたが、今回の奈須先生の話でも他人の意見に関心をもたせるというところからのトレーニングが必要であると思いました。また形では対話はできていても、教師が用意してある対話表のようなものを見ながら書いてある通りに読んでるだけのような台本ありきの対話になっているクラスもみたことがあるが、形から入るのも大事だが、改めて奈須先生の話を聞きなぜ対話をしなければならないのかを生徒にしっかり理解させてあげることの大切さと理解のさせ方を学ぶことができました。

 また後半にみた授業のビデオもとても学びを得られる内容でしたが、その後の奈須先生の言葉で「できない子ができるようになる権利があり、できる子はできない子に教える義務が生じる授業が良い授業」と仰られていて、今までの考えに新しくプラスされるようなそんな刺激いただけました。そのような教室の雰囲気をつくるにはどうしていくべきなのかなど色々と考えさせられました。

 奈須先生の講話の後に討論会がありました。今回は全く意見が違う中島先生も参加ということもあり、様々な角度からの対話についての討論がされていてとてもおもしろかったです。

 この討論会でも奈須先生の講話で出た、対話というのは聞くことが大切であることを改めて感じました。子どもたちのこうしたい、もっと深めたいなどの困ったり、大袈裟に言えば生きる実感を感じた時にでる"〜したい"という思いこそが対話のきっかけであり、深い学びの一歩であると学びました。

 子どもたちの"〜したい"という思いを拾い上げ、生徒同士の対話として持っていくにはどのような働きがけをしていくのか、つなげていくにはどうするべきなのかなど多くのことに考えを巡らせることができたと思います。とても勉強になりました。ありがとうございました。(小谷川)

6月9日岐阜聖徳学園大学教育フォーラム2019を終えて(関口・生田)

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 こんにちは!4期生の関口と5期生の生田です。今回は6月9日に行われた教育フォーラムについて書きます!

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 こんにちは!4期生の関口です!私は午前中の若い教師向けセミナーと奈須先生の「真の対話とは」について特に印象に残っている学びをそれぞれ書きます。

 若い教師向けセミナーで印象に残っていることは、「立ち歩く子」に対する対応です。原因を把握するだけではなく、「どのくらい集中がもつのか」「立ち歩く前の仕草はどうか」などを把握する必要があることを学びました。また、授業の中で動いてもいい時間を作ったり活動を取り入れたりすることで、一度リセットされ集中することができることや、悪い行いを良い行いに変えてあげる必要も学びました。

 立ち歩く子に対してはどうしても注意が多くなってしまいますが、プリントを配ってもらったり職員室におつかいを頼んだりすることで、注意が感謝に変わります。どうしたら集中してられるかばかりを考えていた私にとって今回の対応は目から鱗でした。

 奈須先生の講演では、「学びの共同体」という言葉について改めて考えさせられました。算数の授業の様子を動画で見せていただいたのですが、わかっている子がわからない子に(言葉は悪いですが過剰に言えば)責められているような驚きの光景がありました。わかっている子にはわからない子に理解させる義務があり、わからない子は納得するまで質問し、ちゃんとわかってから帰る権利があるのです。また、対話をさせようとするばかりでなく、対話をしたくなる場面づくりや対話を価値付けていくことの大切さも学びました。

 聖徳のフォーラムであるため、本来は裏方ばかりですが、4年生という特権(5期生の気遣いのおかげ)でがっつり学ぶことができました!ありがとうございました!!!(関口)

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 こんにちは!5期生の生田朋也です!今回は名古屋での教育フォーラム2019での「真の対話を生み出すために」で学んだことを書いて行こうと思います!その中でも印象に残ったのは中島先生の「対話はわかりあえないからこそ生まれるもの」です。

 よく、対話的な学びという言葉を聞きますがそれなら対話的な学びをするためにはどうしたら良いのでしょうか?中島先生が言うには、「普段、自分ら教師は対話的な会話をしないのに、子どもに急に対話的な学びを求める」ということを仰っていました。そもそもコミュニケーションはわかりあえないことを前提としていて、しかしそれでも分かりあいたいことがある時に対話はうまれ、そのためには今までは話すことに焦点を当て過ぎていたのですが、聞くことに焦点をあてることによって対話的な学びを促すことができるとのことでした。他者がいるから違う自分、間違っている自分に出会う、それが対話になっている。中島先生の言葉は刺激があり、明快で分かりやすいものでした。さらに中島先生は対話が無ければ学べないか?という新しい視点を教授してくださいました。

 学びとは夢中になってる時におこるもので、そこに対話は必要ではない。これは確かにそうだなと思いました。決して対話的でなければならないということはありません。対話的、対話的という曖昧な言葉が投げかけられる中、教育においての「対話的」の定義をしてくださったような感覚で、対話への考え方、根本を学ぶ事が出来ました。わかりあえないからこそ、聞くという姿勢を持ち互いの意見を引き出している状態が大切なのだなと思いました。ありがとうございました。(生田)

6月9日岐阜聖徳学園教育フォーラム2019での学び(中澤・宮野)

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 こんにちは!四期生の中澤と、五期生の宮野です。今回は、6月9日に行われた教育フォーラムで学び得たことを記します。

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 こんにちは!五期生の宮野です。学び得たことを記します。玉置先生も、ゼミの中でおっしゃっていましたが、このフォーラムでは、主に聞くことと、何でも言い合える学級づくりの大切さが、述べられていました。

 その中でも、私が印象深かった場面は、奈須先生が見せて下さった、算数の授業の映像です。

 算数は、答えが1つしかないため、間違ってしまうとそこで、諦めてしまう児童も多いと思います。実際に私も小学生の頃はそうでした。

 しかし、ビデオで映されていた算数の授業では、間違いBoxという、間違いを皆に公開して、どこが間違っているのか考えるという活動がありました。自分の間違いを皆に知ってほしい、なぜか解決したいという気持ちが児童の表情に出ていて、とても活き活きとしていたのも印象深かったです。

 このことから、授業では間違いを拾いあげ、なぜ間違ったのかを深めることも大切だと感じました。ただ、その前提に、間違いを公開しあえるような雰囲気づくりが必要です。やはり学級づくりは授業に直結するのだと改めて感じました。

 私は今、ゼミを通じて学級づくりに関する本を読んでいるので、そこから学び得たノウハウを蓄積し、実習のふとした時に思い出して活かせるようにしたいです。(宮野)

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。今回は、6月9日に行われた教育フォーラムで学び得たことを記したいと思います。

 一つ目の学びは、男子は自分の能力の有無、女子は対人関係で自己形成が行われるということです。自己形成の仕方、形成された結果、男女の成熟具合など、様々なことが男女で異なります。そのため学級経営していく上で、男女間、男子同士、女子同士での関わりによる自己肯定感の低下と向き合っていくことが教職を勤めていくうえで心掛けていかなければならないと私は考えました。さらにインクルーシブ教育も考えていこうとすると、いかにチーム学校の考え方や、児童を鍛えることが大切なのかを改めて考えました。

 二つ目の学びは、対話についてである。アクティブ討論会の中で、いつ、誰が対話と判断されるのかという問いがありました。考えとして、対話をしたすぐの段階か、月日が流れたあとに気づいていくのか、教師か、児童かという考えがありました。

 私は全て該当すると考えています。対話をすることで、対人関係能力、コミュニケーション能力がつき、その結果思考力判断力がつき、頭が良くなります。また、対話をしたと教師と児童が認識し合うことで、自己理解力、自己肯定感が良くなると私は考えています。学習指導要領で対話を目的とすることで、学校教育の質を向上すると私は考え、私が将来行う仕事において、対話を重視していきたいと私は考えています。

 教育フォーラムは、岐阜聖徳学園大学において大事なイベントであり、ゼミ生にとっても疲労感、責任感の強いイベントです。しかし、ゼミ生全員が一体となってやりとげる達成感の強いイベントでもあり、今年も無事に終わることができて良かったと私は考えています。関係者の皆様、大変お世話になりました。ありがとうございました。(中澤)

6月9日 教師力アップセミナーでの学び (安部・酒井)

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 こんにちは。4期生の安部と酒井です。雨の日が続き、梅雨がだんだんと近づいてきました。

 今回の教師力アップセミナーは特別支援教育のスペシャリスト、川上康則先生に来ていただきました。川上先生は特別支援学校や特別支援学級にいる子どもだけではなく、通常学級の子どもも含む、全ての子どもを対象に、教師が子どもと接する上で大切なことをとても分かりやすく話してくださいました。約2時間、内容は盛りだくさんでしたが、本当に多くのことを学ばさせていただきました。

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 こんにちは。4期生の安部です。川上先生は私の卒論で研究させていただく先生の1人ですので、とても楽しみにしていました。学んだことを大きく2点に分けて書きたいと思います。

 まず1つ目は、当事者意識に立って子どもを理解するということです。「子どもを知るということ」、「子ども理解」は教師にとってとても大切なことですが、実際に色々な特性をもつ子どもと接すると、これがなかなか難しく、理解しているつもりなのにうまくいかないということがたくさんあると思います。子どもの視点に立てる教師がいかに大切か、今日の講演を聞いて改めて感じました。

 今日の講演の中で川上先生は、発達につまずきのある子どもはどんな困難を感じているのか、当事者意識に立てる演習をいくつか入れてくださいました。例えば「ストロベリージャム」「モジョルデバーラサ」という言葉が一瞬で画面に移されたとき、前者は何が書かれていたのか瞬時に理解できますが、後者は何が書かれていたのか大人でも予想もできないと思います。行間を理解するのが難しい子どもは、まさにこのような感情を抱いてあらゆる文章を読んでいるのだと思います。

 また、川上先生は、発達につまずきのある子どもも含めて学級にいる子ども全員を理解するためには、教師の子ども理解の守備範囲を広くすることが大切だとおっしゃっていました。この言葉にはとても納得させられました。発達につまずきのある子どもを理解することで、他の子どもを理解する際にも、「こんなことに困っているのか、気がつかなかったな」と自分の教師としてのあり方を見直すことができる、また、子どもの変化や成長に敏感になり、子どものちょっとした成長に気がついて喜べるようになると思います。

 2つ目は、見方を変えて子どもの価値を引き出すということです。一見、問題行動と思われる行動にも様々な背景があることが考えられます。そういったときに、その子の見る視点を変える発想の転換、苦手を強みにするリフレーミングが大切で、褒め方、叱り方にもコツがあることを学びました。

 叱るべき場面以外は全て褒めどころと捉えられれば自然とその子の良いところが見えてきて、本来持っているその子自身の価値を引き出せると思います。また、褒める際には、「言い方」よりも「タイミング」を大切にし、短く太く褒めるのがコツだそうです。その際、感嘆詞を使うのが有効で、「あ〜、いい!、う〜ん、えー!、おお〜!」を例に挙げていました。

 また、叱る際には子どもを叱るのではなく、行動を叱り、子どもの意欲まで否定しないこと、最後はハッピーエンド「そう!それでいい!」などの言葉で終わるといいそうです。子どもの価値を引き出し、たくさん褒めること、そして叱るべきところはしっかり叱って子どもを成長させることはとても大切ですが、タイミングや言葉のかけ方など少し工夫するだけでその子の伸びしろが大きく変わってくることが分かりました。教師になった際には意識してみたいと思います。

 川上先生の講演の中には子どもと関わる上で大切にしていきたい教師としての心構え、また子どもと関わる上でのちょっとした工夫など本当に多くのことを学ばせていただきました。実際に子どもと関わる際には今日の学びを振り返っていきたいと思います。

 遠方からわざわざ足を運んでくださり、貴重な学びを提供していただいた、川上先生、そして、朝早くから準備をしてくださった運営委員の皆様、ありがとうございました。(安部)


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 雨の日が続いていますね。蒸し暑い夏がもうそこまできているのかあと思っている5期生の酒井です。

 今回は6月9日に参加させていただいた教師力アップセミナーでの学びを書かせていただきます。テーマは「通常の学級における発達につまずきがある子どもの輝かせ方」でした。

 私は特別支援教育専修ではありませんが、介護等体験を通じて“特別支援“というものにも興味をもちはじめ、学びたい!と思いこの講演に臨みました。

 特に印象に残っていることについてまとめていきます。1つ目 他者との比較ではなく、個人の成長と変化を大切にする。

 これはDCD(発達性運動障害)がある子どもの支援の一般的なポイントとして紹介されたものなのですが、そうでない子、つまりどの子どもたちに対しても大切にしたいポイントだなあと感じました。

 うまくいかない子の気持ちになってどんな支援ニーズがあるのか考えてみるのがまず支援の第一歩なのではないかと感じました。例えささいな変化であったとしてもそれに気がついて声をかければ、子どもたちにとっては大きなエネルギーになるはずです。小さなのびしろにも目を向けられる守備範囲の広い教師でありたいです。

 2つ目 「太く・短く」叱る。特に叱るについては自分ができる自信のないことの1つなのでとても勉強になりました。子どもを叱るのではなく行為を叱り、決して意欲まで否定してはならないのです。子どもに恐怖心を与えて押さえつけても何も得られません。難しそうですがハッピーエンドで終わる叱り方がよいと川上先生は仰っていました。教師になって子どもたちを叱らないといけなくなった時に必要な三要素「基準」、「技術」、「覚悟」を持ち合わせたうえで叱れる自分でありたいと強く思いました。

 3つ目 個別的な手立てだけが大切なのでなく、個別的な事情を分かってあげられる教師・支援者がいることも重要。心理カウンセラーをはじめとする心理職の方は専門的な技術や知識を持っているので素人では見いだせない手立てを提示できます。だからといってカウンセラーまかせでいいのでしょうか。日頃の子どもたちの様子を知っている教師だからこそできることがあると私も思います。学校において子どもたちから信頼され、手助けできるのは教師なのではないでしょうか。

 2時間があっという間にすぎるほど濃いお話でした。川上先生ありがとうございました。(酒井)

5月27日5期生木下さんの発表から学んだこと(生田)

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 こんにちは!5期生の生田朋也です。やっと免許が取れて車が運転できます。さて今回は5期生の木下さんの発表から学んだことを書いていこうと思います。

 今回木下さんは、「新聞の見出しを自分で考える」というものをやりました。やってみるとかなり難しいものでした。新聞の内容を読んでいない人に読みたいと思わせないといけないのですから、木下さんの配ったあの量の記事を簡潔に述べるには内容を理解した上で、どこが1番重要か吟味し、さらにそれを要約しなければなりません。

 簡潔に伝えることは、伝える側からしたら内容を理解しているからこそできることであり、頭の中でポイントが整理できていると言えます。伝えられる側からしたら重要な内容がわかり効率よく頭に吸収できると言えます。しかし簡潔に伝えることは、落とし穴もあり、重要なポイントとは言っても都合の良い場所だけ抜きとってしまったら変な解釈、変な誤解、伝えられる側の偏見などができてしまう恐れがあることは忘れてはいけません。例で言うとマスコミの芸能人を取り上げるニュースなどです。

 今回この授業を受けて「簡潔に述べる」ということは自分にとってかなり鍛えなければならないものだと思いました。自分は伝えるのに必死になってしまい、伝えたい内容全部をツラツラと話してしまう癖があり、よく「話が長い」と言われます。大学生から言われるので子どもなど余計に長く感じることだと思います。自分が教師になったら子どもが毎日1つでも多く学んで帰ってもらえるようにポイントを絞って簡潔に話し、頭に吸収しやすい環境を作れるようになりたいなと思います。木下さん発表お疲れ様でした。ありがとうございました。(生田)
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