ものすごい良い記事が書けました。(中澤)

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。今回は、四期生へ伝えたメッセージを共有したいと思い、記事を書きます。

 9月10日に四期生でバーベキューを行いました。17時までに火を起こし、野菜、お肉、焼きそばをみんなで食べて、最後は花火をしました。四期生(13人)が全員揃って、四期生だけで活動をすることがその日まで実現できなかったのでそれも含めて大変素敵な日を過ごしました。

 さて、時間は19時55分。私は明日の朝にバイトがあったため、20時に早退しなければなりませんでした。その時間帯では、焼きそばを食べ終わり、花火をするために三人ほど花火を買い出しに出掛けてもらい、いろんな話をしながら待っている頃でした。私は突然、頭の中に言葉が溢れて、残っている9人に伝えました。以下その言葉を記します。

 「僕はゼミに入った頃はみんなが知っているように、教師になるという執念しかなく、大学にはいるまでの様々な経験から心が枯れ果てていたけれど、皆が本当に、肯定感や優しさや安心感や居場所を与えてくれる言葉や行動を本当に皆が呆れるほど継続的に伝え続けてくれたから、僕は言葉を受けとるだけでなく心の底から、いや心の底からという言葉の1000倍心に染みていったお陰で、僕は変わることができました。

 僕は今そして今後も、ネガティブな気持ちや恐怖を抱くことができなくなりました。それはそういう気持ちになるとすぐに皆の顔が出て来て、皆と過ごした日々が出て来て、それではいけないと思うからです。僕が不幸になると皆が悲しんで、僕は幸せになると皆は自分のこと以上に喜んでくれる。これが思い込みでなく、事実だから、僕は今、皆が喜ぶために生き続けて、幸せのために前向きに生きなければならない。傷付くという気持ちになってはいけないと思っている。これから先皆もそうだけど、不安がいっぱいあるけど、不安以上に皆のために不安と戦っているその瞬間が幸せなことって思ったから、だからだから、もう大丈夫。もう大丈夫。といっても皆はきっとこれからも中澤は大丈夫って思いながら中澤をささえなきゃって思うだろうけど、そのおかけで四期生が成り立ってると思う。とりあえず、皆の働きかけが形になることができて、良かったって思ってる。そのお礼として何ができるか、どのような結果を残せるかわからないけど、これからも四期生としての日々が終わりそうにないから、皆のために生きて、少しずつ良い報告ができるように前向きに積極的に正確に堅実に行動をしていくことで機会を作れたらと思っている。もっとも7月ぐらいからセミナーでその片鱗は出てると思うけどね。そんなことでこのようなことが言えるような人になりました。本当にありがとう。ではさようなら。」

 じっと聞いていた皆は、何度も拍手をし、歓喜の声で私を包み込んでいただきました。この皆が私を支えて、僕は皆から育ててもらうこの連携は本当にいつから生まれたのだろうか。このメッセージは、記事に書けない内容をカットし、忘れて書けない内容があり、分かりやすくするための脚色も少し含まれます。このメッセージを直接言えなかった三人に本当に申し訳ないと思っています。このメッセージは、四期生に向けたものですが、当然玉置先生、大学の関係者、三期生以前の歴代の先輩、五期生にも向けたメッセージです。(特に五期生は、最初は変化の過程にいたために不安定だった私に驚いたが、ゼミへの熱意をきっかけに息が合うようになった人、私の大学二年生までを知っていながら言動に出さず僕を思いやっている人、大学二年生までの私の苦しんでた姿を直接見てたから後輩であるけれど私を全力で支えようとしてくれる人などいます)思い返せば、私は随分多くの大人と出会ってきました。

 一生続くゼミと聞いて嫌だった自分が、一生続いていただかないと困るという気持ちになり。記事を書くのに抵抗があったが、自分の考え、気持ちを安心して伝えられるこれほどありがたいものはないという気持ちになり。(記事を毎日書きたいという気持ちがあるが、記事を書く暇を作りたくないという思いから書けずにいます。)責任を背負うことに負担を感じていたのが、責任や人との信頼を守ることが、生きる輝きになるからどんどん背負いたいと本当の責任感をもつようになり。視野が広く、柔軟に物事を考え、人やひとの気持ち、言葉におびえず、発言指示ができるようになり。メタ認知と相手の視点、相手の人生を察することで人から好かれる、信頼される人になり。そんな自分に変わりました。継続的に見ていれば証明できます。

 話がそれますが、あとは笑顔ですが、これについて実は小話があります。私は二年生の終わりから、眼驗下垂、まぶたが下がるようになり、まぶたが上がらず睨み顔になっていました。最近になり親からようやく許しを得て、中京病院で手術をしました。手術前に医者から「ここは美容外科ではないから二重とかにしないよ?」と言われたので、私は「勿論わかっていますし、見た目を気にしていません」と答えました。にも関わらず、仕上がりをみたら、片目五千円両目一万円で、美容外科並みの見事な二重になってしまいました笑。人間は目の形が変わると顔がとても変わると言われています。さすがの私も、「イケメンという言葉を使いたくないが、少なくとも写真には困らなくなった。」とニヤニヤしてしまいました。

 話が脱線しましたが、話をまとめます。ある先生の言葉を使うと、今の中澤は、かなり面白い(受けるという意味でなく)人になっています。どうか、追跡調査のように、多くの人に気長に気にかけていただきたいと思っています。その期待に答えることで、より人生を豊かにしていきたいと考えています。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。四期生の皆さん、大好きです。(中澤)

9月5日あま市正則小学校での学び(竹内・加藤奨基・安部)

 こんにちは。4期生の竹内、加藤奨基、安部です。正則小学校で玉置先生の講演を聞かせていただき、学んだことを書きたいと思います。

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 こんにちは。4期生の竹内です。今回は先日行われたあま市正則小学校での玉置先生による講演会に参加したことについて書きます。

 今回の主な内容は対話的な学びについてでした。

 対話的な学びを実現させるためには、互いに聴き合う関係が大切です。しかし、古谷和久先生による学び合いの教室の映像では「分からない」となかなか言えず、周りの子に聞けない児童が居り、児童にとって「分からない」とは言いにくいのが現実です。実際に私の生活を振り返ってもなかなか「分からない」と言うことに抵抗を感じます。玉置先生は口からでた言葉だけではなく、表情発言やメモを取った子などを意図的指名し、振っていくことが大切だとおっしゃられていました。まずは教師が子どもたちをつなげていき、聴き合い、学び合う環境の土台を作っていかなければいけないと思いました。

 そもそも対話とは自分の意見に相手の意見がプラスされた時に成立すると学者の中原淳さんはおっしゃられています。私は教室内で発言力のある子は相手の意見を無視して自分の意見を押し通してしまうのではないか、と疑問に思っていました。玉置先生はそういう場合も例に出し、児童が相手の考えを否定することなく、寄り添うことが大事であることを学びました。実際にはそういった関係を作ることは難しいと思います。

 しかし、これからの教師生活において、相手の意見に寄り添い、聴き合う学級づくりを一つの目標にしたいと思いました。

 また、先生のお話の中で一番心に残ったことは聴き合う関係づくりにおいて、教師が良い姿をたくさん価値付けし、褒めていくことです。そうすることで、子どもたちは良い姿を真似していきます。これは先日の真打会において1期生の牧野先生がおっしゃられていた「授業の中でも学級経営を」という言葉につながると思い、褒めて価値付けしていくことは改めて大切にしていきたいです。

 最近、玉置先生による講演会に頻繁に参加させていただいていますが、毎回話を聞く視点が異なります。内容は似ていたとしても、前回を踏まえて聞くので聞いた時に感じる思いが違います。それも一つの成長を実感できる機会であり、これからの玉置先生による講演会もとても楽しみです。今回参加させていただいたあま市立正則小学校の先生方、玉置先生ありがとうございました。(竹内)

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 こんにちは、四期の加藤奨基です。9月5日に行われた、正則小学校での玉置先生のご講演からの学びを記事にしたいと思います。今回のお話は何度か聞いたことがありますが、ボランティアなどですぐにでも実践できそうな学びがあったので、そこに焦点を当てて書きます。

 まず、私事ですが8月21日にビッグイベントである教員採用試験を終えました。試験に万全を期すため仲間同士で集まって面接の練習も多く行っていたのですが、その面接質問の中で、「授業作りにおいて、早く課題をこなしてしまった子どもにはどうしますか」という質問をされたことが何度かありました。それに対して私たちは、「その子どもに『ミニ先生』になってもらい、他の子どもにアドバイスをさせる」という一つの方法があると学んでいました。分かる子どもは教えることで知識をアウトプットすることができますし、分からない子どももマンツーマンで教えてもらうことができるため、良い方法だなと思っていました。

 しかし、玉置先生のお話を聞いて「ミニ先生」は難易度がかなり高い、ということが分かったのです。

 なぜ「ミニ先生」は難易度が高いのか。それは、子どもの一生懸命さにあります。子どもが教師に、「あなたが(先生役として)教えてあげて」と言われたら懸命に教えると思います。また、教えられる子どもも懸命に理解しようとすると思います。自分も数学が大の苦手なので、友達によく聞いていました。友達も一生懸命に教えてくれます。なので、最後に「分かった?」と言われると、分かってないのに「分かった」と言ってしまうことがよくありました。今でもあります。このように、友達同士で教え合いをさせてしまうと、分からない子どもが分かりきらないうちに終わってしまう可能性が高い、そのため「ミニ先生」は扱いが難しい方法であると学びました。

 「○○さん、教えてあげて」と子ども同士をつなぐことはとても大切です。しかし、玉置先生はまず「分からない子どもが『分からないから、教えて』と自分で言えるようにさせること」が先決であると仰っていました。自分のボランティア先でも、立場的に聞きやすいのか子どもたちは積極的に質問をしてくれます。うっかりすると全てに応えたくなってしまうのですが、一歩引いて考えると友達に聞くほうが効果的だと思う質問がほとんどです。こういった時にすぐ目の前の子どもだけに注力してしまうのではなく、子どもたちの「周りと繋がる力」を養うためにも「他の子はどうやっているか聞いてごらん」と声をかけられる力を磨いていきたいです。

 教員採用試験を終えて、様々な人たちと出会い、様々な考え方や知識・実践を学びました。学級でやってみたいこと、子どもたちと関わりたいことがたくさんあります。ひとまず今は羽を伸ばして、再開したボランティアと秋から始まるゼミ活動で今の学びを生かしていきたいな、と思います。玉置先生、今回もありがとうございました。
(加藤)

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 こんにちは。4期生の安部です。玉置先生の講演を聞かせていただきました!何度聞いても学び得ることがたくさんあります。また、今回は講演後にラーメンを一緒に食べさせていただきました。先生と一緒に食べるラーメンは格別美味しかったです!

 今日の講演では、対話の難しさを改めて感じました。また、それは大きく2つの視点から言えることだと思いました。

 1つは、「会話」ではなく「対話」させることの難しさ、もう一つはそれを見取ることの難しさです。

 1つ目について、玉置先生は「対話」を「会話」と区別して、“相互に異なる視点を得るもの”とおっしゃっていました。しかしこれを小学生の子どもが実現するのはなかなか難しいものです。授業中に子どもたちが「なるほど〜その考え方は自分にはなかった!」と言えるようになるにはすごく時間がかかることだと思います。そこで、少しでも対話に近づけるように子ども同士をつなぐのが教師の役割だと先生はおっしゃっていました。

 そのための手段は様々あります。例えば相手の発言に対してうまく掘り下げていけるように「それってどうゆうこと?例えば?」などの質問をする『オープン・クエスチョン』を伝授する、また、学級全体の机を隙間なくくっつけて、話しやすい環境をつくるというのがあります。玉置先生も繰り返しおっしゃっていましたが、授業中に「対話」を実現させるためには子ども同士が普段から安心してつながっていることが大切だと思います。授業だけではなく、普段の学級経営から子どもたち一人一人がクラスメイトと繋がっていることを意識できるように教師として色々な手立てを施していきたいものです。

 2つ目にそもそも子どもたち一人一人が対話をしていることを評価することが難しいということです。玉置先生はよく様々な学校に飛び込み授業に行かれますが、そこで子どもたちの話している内容を聞き取り、対話になっているかどうか見取るのはとても難しいとおっしゃっていました。子ども同士で行われる対話は、普段見ている先生だからこそ分かるものだそうです。なるほどなと納得しつつも、やはり対話を見取るためには教壇の前から子どもたちを見ているだけではなく、机間指導で一人一人の側へ行き、話している内容に耳を傾けることが大切だなということを感じました。

 本日も多くのことを学ばさせていただきました。玉置先生、正則小学校の先生方、ありがとうございました。(安部)
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9月5日あま市正則小学校で行われたセミナーでの学び(中澤・関口)

 こんにちは!四期生の中澤佑太です。今回は9月5日に、あま市立正則小学校に行われたコミュニケーション力を高めるための原則と方策というセミナーで、新たに学び得たことを記します。

 今回のセミナーでは、オープンクエスチョンカード(質問のわざカード)とあいづちガードという手法を新たに学びました。これは、対話をする際に、発言者に対して話を繋げるための言葉(というと、どんな感じ、例えばなど)がまとめられたもので、これを使うことで対話の感覚を身に付けることができます。勿論この言葉をテンプレにしてしまう子が出てしまうという危惧はありますが、そもそものコミュニケーションの感覚がない場合には大変効果的だと私は考えました。

 また、名司会者になるという話もはじめてでした。名司会者は正誤判定者にはならない。名司会者は言葉を付け足さない。この二つを新たに学びました。私は、この二つの言葉は、おそらくゼミ入りたての頃は、知識として取り入れるだけだったと思います。しかし、教育実習をはじめ、人前で話す経験を積んだことで、正誤判定や言葉のつけたしは、発言者の都合であって、聴衆者の視点にたつと、混乱を招くということで、理解できるようになったと私は考えています。

 今回は、セミナー後に玉置先生からラーメンをいただきました。このことは、今までなかったため、感謝の気持ちで胸が一杯です。玉置先生、素敵な学びをありがとうございました。(中澤)

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 こんにちは!4期生の関口です!今回は正則小学校で行われた玉置先生の講演について書きます。

 私がこの講演で1番心に残っているのは、「1人で授業は完結できない」という言葉です。いろいろな考えがあり、得意不得意があるからこそ学びがあります。

 これまで私は、それぞれ自分のペースで分かれる少人数クラスがとてもいいと考えていました。自分が置いていかれることもなく、待つこともなく、学びたいことを学んでいけると考えていたのです。しかし、わからない子、わかっているつもりだけど説明できない子、わかっている子の三層があるからこそ深まるということを学びました。

 たしかに、同じ考えを持つ人だけで集まっても話は共感で終わってしまいます。説明したり、疑問を投げかけたりする中で話は深まっていくのだとペアで会話した際にも感じました。

 「10人に1人はバカ」という話で、その1人に心当たりがありすぎる私ですが、おかげで苦手なことを恥ずかしがる必要はないなと思っております。「私のおかげで深まってるんだぞ!」と思うと「分からない」という言葉も言いやすいなと感じました。

 まずは関係を築いて、子どもが素直に「分からない」と言える学級づくりをしたいです。そして、一方的にわかる子が教えるのではない、互いの学び合いになる授業ができるといいなあ、、と思います。言うだけなら簡単ですが、実際にはとてつもなく難しいと思うので、しっかり今後も学んでいきます。本日はありがとうございました!(関口)
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8月27日 美和総合福祉センター 玉置先生の講演からの学び(安部、高桑、加藤諒)

 こんにちは。4期生の安部です。毎回、セミナーや講演会に参加させていただく度に、私たちは学生時代にものすごい経験をさせていただいているなとつくづく感じます!今日の講演会の中でも多くの学びを得ることができました。

 その中でも私が記事に書かせていただくのは「能力(コンピテンシー)は直接教えることが困難」という内容です。その例として、小学校6年生に平行四辺形の面積の求める問題を出すと、与えられた数を使って96%の児童が正解することができるのに対して、それを少し応用した問題、情報量の多い地図の中から公園の面積の大きさを出すという問題では、18.2%の児童しか正解できないという事実を出されていました。

 この事実からも基礎的な知識・技能を教師が教えることはできるけれど、それを使って新たな問題を解く力をつけさせるのはとても難しいということが分かります。そのような能力(コンピテンシー)は子どもたち自身が試行錯誤しながら必要な情報を取捨選択し、実際に試してみることで身についていくものだということを学びました。

 また、このコンピテンシーを付けるために教師がどのような授業をすれば良いのか、玉置先生は3つの視点を話されていました。その中でも「異質な集団で交流する」という視点にとても納得させられました。教室の中には、答えが分かる児童、なんとなく分かる児童、まったく分からない児童、様々いると思います。

 しかしそのような色々なつまずきや思考をする人がいる中で一緒に学ぶからこそ得られるもの、それが新たな発見や思考の深まりということだそうです。まさに「学び合い」の実現が大切なんだということを再認識しました。

 教員採用試験が終わったところですが、気を抜きすぎず、引き続き、授業技術をたくさん学んでいきたいと思います。講演をしていただいた玉置先生、そしてあま市の教育委員の方を初め、関係者の皆様、ありがとうございました。(安部)


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 こんにちは。4期生の高桑です。先日は、美和総合福祉センターで行われた玉置先生の講演に参加しました。今回は、そこで学んだことを書きたいと思います。

 私が特に印象に残ったのは、子どもたちが自己選択できる場面をどのようにつくり、子どもたちの主体性を育んでいくかについてです。私は、これまで数あるセミナーや講演に参加して、子どもに自己選択させることが大切だと学んできました。

 しかし、いざ教壇に立つと授業の内容を終わらせることや話したいことをわかりやすく伝えることに集中してしまい、子どもに自己選択させる余裕がなくなってしまうということがほとんどでした。また、自己選択をどこでさせるかというのも悩みどころでした。

 今回の講演でこの悩みが少し解消された気がします。そのきっかけとなったのは、玉置先生の「子どもに自己選択させず、教師がすぐ言ってしまうと、子どもは教師の動きを待つのが当たり前になってしまう」というお言葉です。これを聞いて、子どもたちが教師の意図しないうちに、「どうせ、先生が言うから考えなくていいや」というような思考に至ってしまうのは、とても怖いことだなと感じました。

 また、「自己選択は些細なことでもいい」とおっしゃっていました。三角形を扱った後の授業で、教師が「次は四角形をやります」と言ってしまうのと、「次は何をやる?」と聞いて子どもから「四角形」と引き出すのでは、その後の子どもたちの主体性が大きく変わってきます。玉置先生の算数の模擬授業でも、「1はつくれました。じゃあ次は何をつくる?」と些細な部分を子どもに聞くことを行なっていました。自分で考えられる子どもを育てるため、全てにおいて教師から指示をするのではなく、どんな些細なことでも子どもの声を引き出すことを意識して、子どもと関わっていこうと改めて思いました。

 最後になりましたが、今回の講演後も玉置先生に喫茶店に連れて行っていただきました。その時に玉置先生がおっしゃっていた、「どんなに嫌いな人でも積極的に関わって、その人の良さを見つける」というお言葉から、玉置先生の人としての魅力に改めて気づかされました。これからも尊敬する玉置先生のもとで学び続け、教師として、また人としての磨きをかけていきたいと思います。

 玉置先生をはじめとした関係者の皆様、このような素敵な講演会に参加させていただきありがとうございました。(高桑)

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 こんにちは!4期生の加藤諒太です!今回は8月27日のあま市での講演についての記事を書きたいと思います!

 今回、私が特に学んだことは主体的というものはどう実現するかということです。私はこの講演を聞くまで主体的な学習とは、学習者が興味を持って夢中になって取り組むことだと考えていました。

 しかし、この講演を聞いた時、主体的な学習とは自己選択がある授業であると聞いてなるほどと感じました。自ら選び、考える授業にすることで学習者は学びの主体となります。そこに教材の面白さや発問の工夫が加わることで主体的な学びが形成されていくのだということを学びました。

 講演の中で主体的とは相手意識を持つことだと玉置先生がおっしゃっていました。自己開示しながら授業を行い、子どもたちを主体的した授業の例のように、子どもと先生、子どもと教材といったような子どもたちが相手意識を持てるような授業が大切だと学びました。例えば、身近なものを授業の例に使うとよいとよくご指導頂いたことがありますが、これは相手意識を持たせるために大切なことなのではないかと考えました。

 また、対話というものについてもお話を頂きました。自分で解決するということも大切ですが、対話をすることで、他人の意見を聞きながら良いとこは取り入れ、自分の意見を昇華させていくことに意味があるのだということを学びました。講演の中で子どもたちが自分はできるのにそれを伝えるとなるとわからないという場面があるということを知りました。自分が小学生の頃、友達に教えられて初めて分かっただよと言われたことを思い出し、確かにその通りだなと改めて実感しました。だからこそ、玉置先生がおっしゃっているわからないと言える子どもを育てることが大切だと感じました。分かっている子どもが教えるのではなく、わからない子どもも夢中になって「教えてよ!」と言えるような学級を私も作りたいと強く思いました。

 そして最後には玉置先生が、道徳の命の授業について模擬授業。最初の導入から深く考えさせられるものでした。言葉をポンと見せられるより、穴あきの文を考える方が心に刺さるものがありました。それに加えて鈴木中人さんのお話、心に直接訴えかけられるような授業でした。命は自分だけのものではない。自分自身も改めて命について考えようと思うことができる授業でした。

 玉置先生をはじめこのような機会を作ってくださった多くの先生方本当にありがとうございました。(加藤諒太)
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8月27日東海市立平洲小学校とあま市教師力パワーアップ講座からの学び(竹内・中澤)

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 こんにちは!四期生の中澤と竹内です。今回は、題名に関する内容の記事を書いていきたいと思います。

 こんにちは。4期生の竹内です。私は先日、東海市立平洲小学校・あま市教師力パワーアップ講座での玉置先生による講演会に参加させていただきました。二つの講演の主な内容は来年度から実施される次期学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」の実現についてでした。今回はその中から主体的・対話的な学習について書きます。

 主体的な学習とは、誰かに指示されてする学習ではない、と玉置先生はおっしゃられていました。しかし、だからと言って教師が児童に「主体的になりなさい」と言って主体的にはなりません。玉置先生は主体的な学習を実現するためには、授業の中で1回は自己選択の機会を設けることが大切だとおっしゃられていました。

 例えば、社会の課題をどのように調べるかを子どもたちに問い、ネット、本、新聞など様々挙げさせるなどです。来年から授業を行う身として、児童の自己選択の場を大切にして授業計画をしていきたいです。

 対話的な学習とは自分一人で完結する学習ではありません。学習指導要領の中にも他者との協働や、先哲の考えなどから自己の考えを広げ深めると記載されています。そのためにホワイトボードミーティングを設けたり、しつもんの技カードなど使ったりし、互いが聴き合う関係を作っていくことが大切です。そういった仲間の意見を聴き合う環境の中でこそ、子どもたちは対話の良さを実感し、対話を通して考えを広げ深めようとする姿勢が見えてくるのだと思いました。

 今回の内容は今までの講演でも聞いたことがあるのですが、全てを完璧に覚えているわけではないので4月から現場に出るまでに抑えておきたいです。東海市立平洲小学校・あま市教師塾の先生方、玉置先生ありがとうございました。(竹内)

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。今回は、8月27日に東海市立平洲小学校と美和公民館で行われたセミナーで、新たに学び得たことを書いていきたいと思います。

 それは、コンピテンシーの三つのカテゴリーについてです。今後学校では、コンピテンツ(知識注入)ではなく、コンピテンシー(能力開発)が求められるようになります。その際教師は何を重視すればよいのかをまとめられていました。一つ目は、道具(資料や学習道具)を相互的に活用すること(ただ使うのでなく、目的を達成するという意識のもと使う)です。二つ目は、異質な集団での交流です。これは、他人と良い関係を作る、協力する、争いを処理する、解決する力をつけることを目的とします。三つ目は、自律的に活動をすることです。これは、大きな展望の中で活動をし、人生設計をする能力をつけることを目的とします。私は、他者と繋がる考え方、心を養うことで、他者を怖れなくなり、人生に怖れるものがなくなるということを知ることが、学校教育に求められると考えました。

 また関連して、依存できず孤立する、依存できて自立できるという言葉をいただきました。これは、子ども達がわからないことに直面したときに、わからないことを他者に伝え、他者に解決を求めることができる子は、主体的に物事を解決しようとする自立した人になることができるということです。私は、繋がれないことへのリスクをこれからの子ども達に伝えていくことが大事になると考えました。

 玉置先生のセミナーに参加し続けて約一年半が過ぎました。その間に玉置先生の言葉が、最初は知識として、徐々に自分の価値観に変わり、人間として良くなっていくのを感じられるようになりました。東海市立平洲小学校の先生方、美和公民館セミナーに参加された先生方、そして玉置先生、ありがとうございました。(中澤)

8月27日平洲小学校での玉置先生の講演から学んだこと(古川・中西)

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 こんにちは、5期生の古川瑛理です。今回は8月27日の平洲小学校での学びについて書かせて頂きます。

 今回特に印象に残ったのは子どものつぶやきの「えっ?」「分からない。」と言うのも意見であるという言葉です。「えっ?」という発言は自分の考えがあるから出る発言であり、「分からない。」というのも分かりたいという気持ちがあるからこその発言であるということに気付かされました。このように答えを言う子だけが正解なのではなく、自分の気持ちを発信しようとしている子、例えば手を動かし、図を示しながら一生懸命に相手に伝えようとしている子をしっかり見つけて褒めて、価値付けをしていかなければいけないのだと考えさせられました。これを常に教員が行なっていくことで子どもに繋がる力が付き、ペア活動等でも交流が盛んになる、主体的な学びができる学級に繋がってゆくのだと感じました。何かできていないと感じた時、子どものせいではなく自分自身の関わりから振り返ってみることが大切だと認識させられました。

 明日から教育実習が始まります。自分の思う通りにならずに悩むこともあると思います。そんな時一旦冷静になって自分自身の行動から考え直すということを忘れずに過ごしたいです。

 玉置先生を始めとする関係者の皆様、今回このような学びの機会を設けて頂き、ありがとうございました。 (古川)

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 こんにちは。5期生の中西です。8月27日に平洲小学校で行われた玉置先生の講演から学んだことを書かせていただきます。

 今回玉置先生のお話から学んだのは、「授業の中で1回は子どもに自己選択させる場を入れる」ということです。常に教師に指導されて行う学習ではなく、ささいな事からでもいいので脱却していかなければいけないとのことでした。

 例えば「三角形の内角の学習が終わったから今度は何をやろうか?」と教師が問いかけると子どもは「四角形!」とか「外角!」といったの声が聞こえてきます。子ども自身が考える選択の場を設けることは、主体的な学習につながるということを学びました。教師が最初から学習内容を提示するより、子どもたちが選択したほうがより意欲的に授業へ取り組むことができます。自己選択には考える力が必要です。与えられた課題を解く力も必要ですが、それ以上に自ら課題を見つけて解決していこうとする力が今の社会では求められているということを感じました。

 玉置先生のお話の中に「対話」というキーワードが沢山入っていました。対話は、「自己の考えを広げ深める」ことを指します。子ども同士で意見を交流したり相談したりすることも対話ですが、それだけではありません。頷きながら友達の意見を聞いている子を価値付けして、なぜ頷いていたのかの理由を聞くことや、難しくて分からないという子にどこが難しいのかを発表させることも対話の一つだと学びました。対話のきっかけをつくるのは教師です。教師は子どもたちの意見をうまくつなぎ合わせながら対話していく授業をつくっていくことで、対話することの良さを子ども自身が実感し、より学びの深い授業となっていくと思いました。

 私は来週から教育実習があります。今回のセミナーで学んだ「自己選択」や「対話」も活用しながら、実習に臨みたいと思います。失敗することもあると思いますが、それ以上に沢山学んで充実した教育実習となるようにがんばっていきます!

 最後にこのような学びの場を設けてくださった玉置先生はじめ、平洲小学校の先生方、ありがとうございました。(中西)

8月25日真打会での学び(生田・竹内)

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 こんにちは!4期生の竹内と5期生の生田です!今回は8月25日に行われた真打会で学んだことを書いて行こうと思います。


 こんにちは。4期生の竹内です。私は先日行われた真打会に参加しました。今回はそこから2つのことについて書きたいと思います。

 1つ目は道徳の授業づくりでの目標が出来たことです。芝田先生は、講評の時間に「嘘はいけないと分かっているけど、嘘をついてしまうという自分の弱さを見つめ直す機会を設ける」とおっしゃられていました。私はこれまでに、道徳の授業は資料の読み取りではないということを教わってきました。だからこそ私は、資料から嘘はいけないことを読み取る授業ではなく、自分に置き換え、いけないと分かっているけど、嘘をついてしまう自分の弱さについて見つめ直せる授業をしていきたいと改めて思いました。

 しかし、今の自分には、それを実現するための具体的な策を挙げることはできません。ですので、4月からの現場経験を増やしていく中で、めあてから児童に「こういったことを言ってほしいのかな」と思わせるような授業をするのではなく、めあての本質について考え直すような授業を目標に、ゆさぶり発問などを考え、試行錯誤していきたいと思いました。

 2つ目は子どもの発言を待つということです。和田先生は子どもの発言を待つことのできる教師は良い教師だという事をおっしゃられていました。実際に、子どもの発言を待てず説明してしまう教師が多いそうです。これは玉置先生が教えて下さった『物分かりの良い教師』とつながる部分があると思いました。それは子どもが発言できる機会を教師が潰してしまっているということです。子ども主体で授業進めていくために、子どもたちを信じて待つことを忘れずに授業を行っていきたいと思いました。

 先日、教員採用試験も終わり、子どもたちの前に立つまでにあと半年しかありません。私は残りの時間を大切にし、少しでも多くの知恵を付けてから教卓に立ちたいと思っています。そういった中で、このような会に参加できることは4月からを考える私にとっては貴重な学びとなる機会です。玉置先生を始めとする関係者の皆様、このような機会を設けていただきありがとうございました。(竹内)

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 こんにちは!5期生の生田朋也です。いよいよ教育実習が迫っていて正直緊張感と楽しみが高まってきています。

 今回は算数の授業と道徳の授業について学ばせてもらいました。

 今回は道徳の授業について書いていこうとおもいます。「きんのおの」を教材研究しました。今回は2回目ということもあって前回よりかは考えやすいと思いましたが、対象が小学校一年生ということもありいざ何を学ばせようかなと考えると、かなり難しいものでした。小学校一年生なのでやれることは限られているので学ばせることは1つ、多くて2つしかできないので絞る必要がありました。

 授業では、教具により子どもの遊び心、興味を引き出してよりリアルな状況にすることによって子どもが深く考えれるような内容になっていました。芝田先生は「道徳ははじめに自分の弱さをひけらかした方が盛り上がる」とおっしゃいました。たしかに弱い一面を出すことによって自己開示もできますし、お互い安心して話し合えるような環境がつくれます。しかし子どもにとってそのような行動は勇気がいりますし、下手したらバカにされてイジメに発展する恐れだって一年生だったらあり得ると思います。そのためにも常日頃子ども達が安心して言い合える学級作りが必要なんだと再認識しました。

 そして玉置先生から技術的なアドバイスとして話を途中で切ってしまうという方法です。思いもつかないことだったので最初は驚きましたが、たしかに道徳は作品を味わう科目でなく、話をよんでそこから人として考えなければいけないことを学ぶ科目なので、そこから話の展開を子どもに考えさせて「嘘をついた時の気持ち」を引き出すための方法としてとてもやってみたいと思いました。

 授業もそうなんですが毎回道徳の内容についても勉強させられます。きんのおのの主人公のように正直で誠実な教育実習生として教育実習に挑みたいと思います。
ありがとうございました。(生田)

8月25日真打会での学び(安藤・加藤諒太)

 こんにちは!4期生の安藤優里と加藤諒太です!本日は8月25日の真打会での学びを書かせていただきたいと思います!

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 こんにちは。4期生の安藤優里です!先日の真打会での学びを、子ども役として参加させて頂いた道徳の授業を中心に書きたいと思います!

 今回の道徳の授業の題材は、「きんのおの」という有名な童話で、授業者の白井さんは、斧の実物を作って、子どもたちの金の斧が欲しい!という気持ちをうまく引き出したり、ペアでの対話を取り入れて、どんな時に嘘をついてしまうのかという自分の経験や気持ちを引き出す工夫をされていました。その授業の流れのスムーズさも圧巻でしたが、子どもにかける言葉や、子どもの言葉の受け止め方がとてもあたたかくて素敵で、改めて白井さんのすごさを感じるとともに、私も現場に出たとき、こんな授業ができるようになりたい!と強く憧れました。

 その中で私が学んだことは、道徳では自分の中にある弱さ(今回では嘘をついた時の気持ち)をしっかり引き出すことがとても大切だということです。「嘘をついてしまうのはどういう時?」「どうして嘘をついてしまうの?」「嘘をついた時、どんな気持ちになる?」と、子どもたち自身の経験を振り返らせ、自分の中にある弱さとしっかり向き合うことで、「嘘は良くない」ことや、「本当のことを言った時の気持ちよさ」につながることが分かりました。私は初め、1年生には「正直」のよさや価値を伝えるってとても難しいな〜と感じていました。しかし、子どもたち自身の生活や経験と結びつけ、その時の気持ちを存分に引き出すことで題材から離れて自分事として考えることができることを学び、その中でしっかりと自分の弱さと向き合わせたいと思いました。

 この、生活や自分の経験と結びつけて考えさせる、というのは算数の授業でも大切なキーワードでした。繰り上がりの計算では、すぐに計算式を聞いてしまいがちですが、1年生はまだ数の話を多くはできません。そこで、和田先生はまず、教科書の挿絵等を用いて、「生活感の中で話をさせる」ことで「1台入れないよ!」「駐車場がいっぱいになっちゃう!」といった子どもたち自身の言葉をたくさん引き出し、そこから数を分解したくなるようにもっていくそうです。私自身、すぐに答えを求めてしまい、発問してしまうのですが、それでは子どもがついてきません。和田先生のように子どもに頼ること、子どもに言わせることを通して、発問するのを待てる教師になりたいです。

 今回真打会の2人の先生の授業を見させて頂きましたが、共通して子どもの声を聞く姿勢が素敵でした。私はまだまだ経験が少ないのでまずは2人の先生のように授業の基本ベースがしっかりできるように日々励んでいきたいと思います。関係者の皆さま、今回もありがとうございました。(安藤)

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 今回は8月25日の真打会に参加させていただき、道徳授業と算数授業の二つに子ども役として参加しました!

 道徳の授業では、金のおのを取り上げて行いました。はじめに驚いたのは、導入で金のおの、普通のおのの模型が出てきたことです。口で説明するより、目で確認できるものがあるとよりグッと教材に入ることができると実感しました。大学生の僕でさえ、金の斧を見たときには心が踊りました(笑)しかしそれだけ、導入でどれだけ興味を引けるかが、子どもたちの授業への集中力につながるということです。改めて導入の大切さを学びました。

 また、物語での授業において主人公の気持ちを考えるという手法は学んでいましたが、本当の意味で主人公の気持ちに寄り添うことが大切だと学びました。ただ、この時どう思ったのかを考えるのではなく、この主人公はなぜそのように考え、行動したのかというところまで考えることが大切だと学びました。

 算数の授業では、教科書の導入の挿絵の意味や前後の繋がりを意識して行うことの大切さを学びました。今回は10を超える足し算という内容でしたが、挿絵にたくさんの仕掛けが隠れていると学びました。そして、挿絵をうまく使うことによって子供達自ら考えることができるということを学びました。

 また、この教材の前には3つの数の足し算をしていて、7+3+2=12という考え方ができると和田先生がおっしゃっていました。学級での授業は1つひとつが独立しているものではなく、1年間という繋がりがあると思います。現場に出たらそのような授業の繋がりも意識して取り組んでいきたいです!

 今回もたくさんの学びをすることができました。このような機会を用意してくださった玉置先生をはじめ多くの先生方本当にありがとうございました!!(加藤諒太)
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8月25日真打会での学び(加藤奨・高桑)

 こんにちは、4期の加藤奨基です。今回は真打会からの、特にゼミの先輩である白井さんの道徳模擬授業からの学びを書きたいと思います。

 自分は白井さんの勤務先でボランティアをさせていただいていて、現場で実際に子どもたちと関わられている白井さんも見せていただくことがあります。現場での優しいはつらつとした様子と全く変わらず、模擬授業中も子ども役の学生に暖かく対応されていて、白井さんの人柄の良さを実感しました。

 今回、特に印象的だったことは、白井さんの「子どもを見る目」です。白井さんは子ども役の反応(頷き、表情、首を傾げるなど)を敏感に瞬時に察知して意見を繋げていました。ボランティアという立場からですが実際の現場を見ていると、あの約30人の反応を細かに見て繋げるということは簡単ではなく、自分ならかなりのハードルだなと思います。模擬授業でもそれを当たり前に行われる姿見て、白井さんの技量の高さを感じました。

 自分は褒めることで子どもたちに自信を持たせたいと思っています。そのためには子どもたちを深く細かく見て、瞬時に褒めなければならないと考えています。今回の白井さんのお姿は、自分の教育の具体的な姿の一つだと思いました。自分も白井さんのように、よく見てよく反応できる教師を目指します。そのためにも、これから卒業までボランティアに積極的に参加し、白井さんや周りの先生方から技術や考えをどんどん吸収していこうと思います。

 最後にもう一つ、今回の「きんのおの」という物語を扱う際に白井さんが実物で用意されていたお手製の斧にも驚きました。確かに、1年生では斧を知らない子どももいそうですし、具体物があることで子どもの乗り気も違うと思います。とても(とても)元気いっぱいなクラスでは、特にウケそうだなと思いました(笑) 自分も、早くクラスの子どもたちに合わせて授業を作ってみたいです。大変だと思いますが、子どもたちの顔を思い浮かべながら作る授業は、きっと楽しいのだろうなと思います。

 今回も多くの学びがありました。セミナーに参加するたび、現場に出ることが楽しみになっていきます。玉置先生、白井さん、関係者の皆様、今回もありがとうございました。(加藤)


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 こんにちは、4期生の高桑です。教員採用試験が終わり、夏休みを満喫している中、真打会に参加してきました。加藤くんが白井さんの道徳の授業について書いてくれたので、私は岩月先生の算数の授業から学んだことを書かせていただきます。

 算数の授業は、小学校1年生を対象とした、8+3などの繰り上がりのある足し算について、ブロックの操作を通して計算方法を見出していくという内容でした。

 まず、私は授業全体を通して、子どもを引きつけるテクニックが至る所に散りばめられていることに感動しました。私は、教員採用試験に向けて場面指導の練習を何度も行っていました。その経験から、教壇に立つときは1.声の抑揚 2.適度に間を取ること 3.子ども同士をつなげる、価値づける声掛けをすること が大切だと気づき、3つのことを意識して授業を見ていました。

 すると、導入でフラッシュカードを使った際、教師の十分な声の抑揚と間が相まって、授業に心地の良いリズムが生み出されていました。また、教師が子どもに発問を投げかけた際は、子どもの意見をそのまま受け取るのではなく、「◯◯さん今何て言ってた?」や「この意味わかる?」と他の子どもに聞くことで子ども同士をつなげていました。他にも、問題文をみんなで読むときに教師が数字を手で隠すことで子どもが注目できるように工夫していたことや、机間指導の時に「これどうやったの?」と聞き、考え方を見て「すごいね」と価値づけていました。大切な1つ1つのポイントを確実に行っていた岩月先生の姿を見て、私も子どもたちが居心地のよい雰囲気で授業を受けられるよう1つ1つを大切にしようと思いました。

 そして、和田先生のお話から、子どもが「10にするといいんだ」と気づけるように教科書の挿絵を使って生活上にあるもので話せる時間をつくることの大切さを学びました。私たちゼミ生だけで教材研究をした際、10がきりのよい数字であることを子どもたちが理解できるようにするためにはどうしたらよいか、ということがわからず結局答えがでませんでした。

 和田先生は、挿絵を使って、「2台で駐車場がいっぱいになる」などの子どもたちなりの表し方を引き出し、「いっぱいになる」=10台という認識を持たせるとおっしゃっていました。確かに、日常と学習を結びつけることで腑に落ちたり、感覚で掴めたりする部分があると思います。大切なポイントを子どもたち自身に気づかせるためにはどうすればよいのかを教師が柔軟に考え、教材研究を進めていくことが重要であると感じました。

 今回の真打会では、先輩方のような考え尽くされた授業ができるようになりたいと心から思いました。そのために、これからも精一杯学び続けていきます。玉置先生を始め、関係者の皆様、素晴らしい学びをありがとうございました。(高桑)
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8月25日真打会での学び(長谷川、鏡味)

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 こんにちは!5期生の長谷川です。8月25日に真打会に参加させて頂きました。今回は、白井先生の道徳を児童役として受けさせて頂いたので、そこから学び得たことをまとめます。

 まず、児童同士の会話を促す仕掛けとして、児童が発言した言葉の意味について「◯◯さん、分かる?」というように、周りに広め、共有をしていました。教師側の勝手な判断で授業を進めることなく、言葉の意味等が難しい語句は、少し立ち止まって全体に確認することが大切だと感じました。

 次に、考えさせる活動のときは、先生の実体験を先に紹介し、児童役の私達にも考える際のヒントを与える工夫がされていました。実際に先生の話を聞くことで、自分はどうだったかな?と自分のことに置き換えて考えることができました。改めて、教師自身が自己開示することの大切さを感じました。

 一方で、白井先生はペア活動を行う際、低学年といういことで、話す手順、話す順番、体の向き、話始めの言葉など、細かく、丁寧で分かりやすい指示を出していることが分かりました。私は、小学1年生は、とにかく自分の意見だけ言いたい!という子が多いようなイメージを持っており、ペア活動を行うのは難しいと考えていましたが、このように授業展開を行うことで、1年生でも、スムーズにペア活動をすることができるということを学びました。

 そして、時折授業の中で、うなずいたり、首をかしげたり、表情発言をする子に対して、見逃すことなく、価値付けをしていました。そうすることで、児童も自分のことを見てくれている、自分の考えを分かってくれている、という安心感に繋がり、発表してみようかな、という自信にも繋がるのではないかなと考えました。教師は授業の中で、全体を見渡しつつ、個々の様子もしっかり、見ることが必要です。しかし、落ち着いた授業でなければ、そこまで見ることは難しいと考えます。児童役をしていて、日常から落ち着いた授業を行なっているということが、とても伝わってくる授業でした。

 ワークシートでは、どんな気持ちになるか?という発問に対して、文章を書くことが難しい子には、顔文字に丸をつけて気持ちを表現できるような工夫がされていました。文章力に差があったとしても、全員が授業に参加できるワークシートになっていると気づきました。導入から最後まで、学年のレベルに合わせた指示や言葉がけが沢山見受けられました。子どもに寄り添った授業展開であり、とても深い学びをすることができました。

 玉置先生をはじめ、関係者の皆様、このような学びの場を設けてくださり、ありがとうございました。(長谷川)

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 こんにちは!4期生の鏡味です。今回は、8月25日に行われた真打会での学びを2つ書きたいと思います。

 1つ目は、道徳の授業で自分の弱さを見つめ直す時間を作るということです。今回の道徳の題材は「きんのおの」であり、正直者のきこりと嘘をつくきこりの話でした。授業を受ける前から嘘をつくことは誰もがいけないことと分かっていると思います。しかし、嘘をついてしまうことは誰にでもあることです。授業の時には、きちんと嘘をついてしまった自分の経験を振り返り見つめ直す時間を設けることで、自分のこととして考えることができると分かりました。自分の弱い面を出した後に、価値に迫っていくことが大切だと学びました。

 2つ目は、子どもの意見を教師が繋ぐことです。授業者の白井さんは、子どもの出した意見を周りの子どもに繋く事をとても大切にされていました。1人の子が「正直」と言った時に、「正直って何?」と子どもに尋ねていました。教師が子どもの出た意見をすぐに板書したり、教師だけに収めるのではなく、子どもに聞き返しながら授業をすることで全員が授業についてこられると分かりました。

 私は、子どもの意見を繋ぐことが大切であると頭で分かっていても、教育実習ではなかなか実現させることができませんでした。やはり上手い授業を行うには経験が必要であると改めて感じました。

 教員採用試験後の久しぶりのセミナーで多くのことを学ぶことができました。玉置先生はじめ、関係者の皆様ありがとうございました。(鏡味)

8月25日の真打会での学び(二村・関口)

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 こんにちは!5期生の二村です!今回は8月25日に行われた第2回真打会で学んだことを書かせていただきます。

 授業を生徒役で参加させていただいたり、見させていただき、学んだことが2つあります。

 1つ目はキーワードが出た時に全体の共有の場を作ることの大切さです。道徳の授業で、正直というキーワードが出た時、「この言葉の意味わかる?」と問いかけ、1人に聞き、終わるのではなく、いろんな生徒に振ることで自然と対話をうながしていました。また「隣の人お助けできますか?」と声かけするなど、生徒と生徒の意見を自然とつないでいるところを見て、見習いたいと思いました。それだけではなく、うなづいて反応している子を見逃さず、「うなづいているね」と声かけするなど、全体をみているからこそできることであると思うので、私も生徒の細かい反応を見逃すことなくコミュニケーションをとりながら授業を進めていきたいです。

 2つ目は教科書の資料を活用するということです。算数の教科書に資料が掲示されており、その資料にはたくさんの工夫があり、その資料を活かすことで、生徒は生活感が出てくる分たくさん喋ることができると教えていただきました。その意見を聞く時、最低3人意見を待つことが大切であることを学びました。1人の意見に飛びつかず、子どもに頼って子どもの意見を待つことで、子ども同士で補助してくれたりするので、教師がたくさん喋るのではなく、子どもたちの対話を引き出す役目ができるようになりたいです。

 先生方はどちらも、私でも意見が言えそう、言いたいと思わせてくれる柔らかい雰囲気をお持ちでした。教壇に立つ時緊張して、ガチガチになってしまいそうですが、常に笑顔を忘れず、子どもがどういう気持ちなのかを考えれるような教師になりたいです。その一歩として教育実習があると思うので、持ち前の明るさを活かして充実した教育実習にしたいです。

 このような場を与えていただいた玉置先生、授業をしてくださった前座会の先生方、真打会の先生方ありがとうございました。(二村)

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 こんにちは!4期生の関口です!今回は真打会での学びを書きます!

 今回の授業は小学1年生の道徳と算数でした。まずは自分たちで授業を検討します。やはりいい授業を受けるだけでなく、自分で考えてみるというのが大事だなと感じました。もちろん観るだけでも十分な学びになりますが、考えてからのスタートだと自分の足りなさにも気づけますし、学びが深まります。

 お二方の授業の中でとても大事だなと思ったことは、子どもの反応を大切にすることです。

 子どもたちにとって雰囲気で覚えている言葉やあまり意味を知らない言葉を、教師がわかっているだろうというスタンスではいけないなと感じました。

 小学1年生の記憶はないので、経験を積んで子どもがどこまで理解しているか、把握するしかないのかなと思いましたが、子どもの反応をしっかり見て確認されている様子がたくさんありました。「新任だからわからない」では済まされませんね、、しっかりと子どもをみて授業を行いたいです。

 また、価値付けがとても多く、私たちゼミ生のやる気をたくさん引き出していただきました。教材研究をしっかり自分なりにすること、目の前の子どもの様子をしっかりみること、授業の中でも価値付けていくこと、お二人は簡単にされていましたが、教育実習で難しさを痛感しております。教壇に立つまでに、少しでも近づけるよう、模擬授業やセミナー、ボランティアにしっかり励んでいきたいです!

 5期生のみんなが実習で学びを発揮できるよう祈ってます!!!(関口)

8月25日 真打会に参加しての学び(高橋、二宮)

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 こんにちは!4期生の高橋です。先日、教員採用試験を終え、開放感と、応援してくださった皆さん、一緒に頑張ってきた仲間に感謝の気持ちでいっぱいです!次は、残りの大学生活を充実させることを頑張りたいです!

 8月25日に行われた、第2回真打会に参加させていただきました。私は、白井先生の道徳の授業、「きんのおの」を見させていただいての学びを書いていきたいと思います。

 白井先生の授業から学んだことは、あらゆる場面でかけられる、子供たちへの言葉がけです。

 例えば、指名した子供が発言できず、困っている場面では、「となりの人お助けできますか」と子供同士を繋げていたり、また、子供の姿を見て、「頷いてくれてる子いるね」、「悩みながら手を挙げてるね」「首振ってる子いるね」というような、ちょっとした声かけを重ねられていました。

 授業に参加しているからこそできる反応を見つけて、たくさん価値づけていくことで、全員が参加しなきゃ、と授業に集中できるようになるのではないかと思いました。

 私は、そのように授業中に子供たちに言葉をかけることがなかなか出来ませんでした。どんな姿を褒めればよいのか、どのように子供たちを繋げていけばよいのかを、白井先生の姿から学ぶことができました。

 また、授業後の玉置先生と和田先生のお話からは、いけないことだと分かっていながらも、嘘をついてしまう時の気持ちや、その弱さに寄り添いながら「正直に言うこと」の価値に気づかせていくことが大切だと学びました。その時に、今後に結びつけることが必要だと言うことで、嘘をついたきこりがこの後どうしたらよいのか、まで考えさせることもできるそうです。

 子供たちにとって、「嘘をつく」ということは誰もが一度は経験したことがあるであろう、「良くないこと」です。良くないことはやらない、というのも、もちろん大切ですが、それでも嘘をついてしまったときに、どうすればいいのかまで考えることが、自分の心の弱さと向き合うことに繋がるのではないかと思いました。

 白井先生の授業を見させていただき、わたしもあんな風に落ち着いて、温かい雰囲気で授業ができる先生になりたいな、と思いました。たくさんのことを学ばせていただきました。このような機会を与えてくださった玉置先生、白井先生、関係者の皆さん、本当にありがとうございました。(高橋)

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 こんにちは!実習がいよいよ来週からでちょっとずついいエンジンがかかってきました。5期生の二宮です。今回は8月25日の真打会から学んだことについて書きたいと思います。

 今回、私は算数の授業で児童役をさせていただきました。やってみた感想としては、昨年の真打会よりかは上手くできたと思いました。その年齢になりきり、どんな発言や動作をするか考えながらいることはとても難しいものでしたが数を積んで力をつけていきたいです。

 そして、岩月先生の授業から学んだことは「居心地良く、雰囲気良く」というものです。授業を受けていて「頑張ろう」と思えるような笑顔や声かけ、そして机間巡視で1人でも多くの子どもを見て短くはっきり褒める、といった細部まで気を配ることで子どもたちは気持ちよく授業が受けられるということを実感しました。

 授業後に和田先生が話されたことから2点学びました。1点目は「挿絵を使って考えさせていく」ということです。それは数図ブロックで視覚化はしていくものの、教科書の場面を活かして子どもたちに考えさせるものでした。

 私は教材研究をしている時に、似たような展開を考えていたので少し嬉しく感じました。それでもプロの考え方はすごく、自分の展開で納得いかなかったところがスッキリするものでした。なので似たところは素直に自分の自信にしてより良い授業を考えていこうと思いました。そして2点目は「待つ」ということです。これは子どもの発言に飛びつくのではなく、ギリギリまで待って他の子どもに補完させるというものです。教科書に式と書いてあるからと言って、「じゃあ式は?」と考え方を絞らせないことが大切だと感じました。和田先生のおっしゃった「待てる教師はできる。」というものを1つの理想像にしたいと思います。

 小学校1年生用の教材研究は今回初めてしましたが、自分たちが当たり前だと思っていることを当たり前だと思っていない子どもたちへ伝えることがどれだけ難しいかということを実感しました。それでも自分なりに考えて挑戦することを楽しく感じられたので、この気持ちを維持して実習に臨みます。玉置先生、前座会、真打会の先生方、ありがとうございました。(二宮)

感謝って難しいねぇ(中澤)

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。今回は、『感謝って難しい』ということについて書いていきたいと思います。

 「感謝って難しい。」皆さんも一度はそう思ったことがあると思います。よくある会話に、「感謝の言葉を伝えているだけ。」「丁寧に感謝や謝罪をしても相手に伝わらない。」「心をこめる、誠意をみせるってどういうこと!?」というものがあると思います。

 感謝は自分だけでは完結しない。相手がいてはじめて成立する。そのため私たちは、感謝や謝罪がうまく行かないときに、「今精一杯のことをしたから、気持ちを切り替えて明日からの行動で示そう。」と考えます。人によっては相手の虫の居所が悪かったと考えることもあります。勿論その考え方に間違いはありません。

 私は感謝とは、

1自分の気持ち(理由や結果)
2感謝や謝罪の気持ちを伝えている自分の言葉や姿が相手にどう見えているかを考える客観視
3相手がどのような人間(どのような人生を歩んできた結果どう物事を考えるか)かを考える相手理解

 この三つを考えなければ高度な技術だと考えに至りました。1だけだと思い上がりになり、3があると相手は、「この人は私のことを考えている」と認識してもらうことができます。

 勿論難しいことです。しかし、この三つが必要だと理解しているだけで意識が変わり、少なからず言動に影響が出て、感謝や謝罪に心が入ると私は思います。

 子どもたちに感謝の仕方を教えるときに、相手の目をみる、言葉をはっきり伝えるなどの行動だけでなく、上記したような心のもちかたも伝えることが大事だと私は考えました。

 感謝って難しい。しかし、しなければならないという考え方でなく、できるようになると生きやすくなり、人との繋がりがやみつきになる、という考え方で私はこれからも磨いていきたいと考えています。お読みありがとうございます。(中澤)

8月25日真打会での学び(安部・古川)

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 こんにちは。4期生の安部と古川です。真打会で学んだことを書きたいと思います!

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 こんにちは。4期生の安部です。私からは道徳の授業で学んだことを書かせていただきます。今回は1年生対象で「きんのおの」という教材でした。まず、白井さんが授業をされる前に、ゼミ生同士で教材研究をしました。どのようにしたら「しょうじきなこころ」が1年生にすんなり落ちるのかとても頭を悩ませました。

 その後、白井さんの授業を見させていただきましたが、内容はもちろん、先生としての立ち振る舞いからも多くのことを学ばさせていただきました。例えば、良い子どもの行動をさらっと自然に褒めるところや、一人の子どもの発言をつなげて「正直ってどういう意味か〇〇さん分かる?」と他の子どもにつなげて、全体に意見が広がるように行っている意図的指名も素晴らしいなと思いました。私も現場に出て2年後、3年後、あんな風に素晴らしい先生になりたいなと思いました!

 また、授業後の和田先生の助言からも多くのことを学びました。一番印象的だったのが、「自分の弱いところがしっかり出せるように」という言葉です。今日の教材でいえば「うそをついてしまうのはどんな時か、またその時、どんな気持ちになったのか」を子どもたち一人一人にじっくり考えさせ、子ども同士で交流させることで、うそをついてしまう自分を自覚できるそうです。さらに、うそをつくことが自分にもあるということを自覚することで、「正直になることや本当のことを言う難しさ」というのを実感することができ、「うそをつかないのは難しいけれど、これからはうそをつかないようにしたい」という最終的に子どもになってほしい姿につながるのだなということを学びました。

 道徳はやはり、「いかに自分ごととして捉え、自分を見つめられるか」だと思います。しかし、教師として一人一人の子どもをそこまで導くのかが難しいのだと思います。学年によっても、それぞれの子どもの経験値や性格によっても道徳的価値を感じる度合いというのは異なるからです。道徳の授業の正解はまだまだ見つかりませんが、これからもたくさん色んな道徳の授業を見させていただき、自分の引き出しを増やしていきたいと思います。

 今日もここには書ききれないほど多くの学びを得ることができました。玉置先生を初め、関係者の皆様、ありがとうございました。(安部)


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 こんにちは、5期生の古川瑛理です。今回は8月25日に行われた真打会から得た学びについて書かせて頂きます。今回、私は算数の模擬授業の生徒役として参加させて頂きました。

 まず第1に授業を受けていて感じたのは、とても活動しやすく頑張りたいと思える環境であったということについてです。20分という短い時間にも関わらず、先生は1人ひとりに多くの声掛けをしていました。また机間指導の際にもただすごいねと褒めるだけではなく、一歩踏み込んで「どうしてこう考えたの?」と考え方を聞き、しっかり受け止めた上で褒めてくれました。ただ褒めるだけではなく、褒め方、声の掛け方が重要で、それが子どものやる気に直結するのだと考えさせられました。

 そしてその後の全体での発表の際、机間指導で話した子どもの発言を活かし、意図的指名で授業を進行していました。臨機応変に子どもの意見どのタイミングで引き出し、どう組み合わせ、進行していくと理解がしやすいのかを考え、意図を持ち子どもからの意見を引き出している様子をみて、素晴らしさを感じるとともに授業を展開していく難しさ、大変さも感じさせられました。また教員が付け加えを我慢し子どもの発言、呟きを引き出し活用していくことも授業づくりで重要だと学びました。

 第2に子どもに集中をさせる技術的についてです。授業の導入で用いたフラッシュカードをテンポ良く子どもに全体で列ごとなど違うくくりで答えさせる、スピードを上げていくことでどんどん授業に引き込んでいくことができるということや問題文を読む際に全てをそのまま読ませるのではなく、一部を手で隠したり、しっかり見なきゃと子どもに思わず思わせる様な工夫がいくつかありました。どうしたら、子どもが授業に参加したくなるのか、こっちを向きたくなるのかを常に考えて授業づくりに励まなければならないのだと考えさせられました。自分自身の9月から始まる教育実習の際にも子どもを引きつけられる様に努力をしたいと思います。

 最後にこのような学びの場を与えてくださった玉置先生をはじめ、真打会、前座会の先生方、貴重なお時間を頂き、本当にありがとうございました。(古川)

夏休みのボランティア活動で感じたこと(古川)

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 こんにちは、5期生の古川瑛理です!

 私は夏休みの間にaichikaraという団体が行うキャンプに参加してきました。このキャンプは震災などで被害を受け、なかなか普段思い切り遊ぶことができていない子ども達が自然の中で思い切り遊べる、リフレッシュすることを目的としています。今回はその時に学んだこと、教育実習に生かしたいと感じたことを書かせて頂きます。

 まず感じたのは、伝えることの難しさです。参加者の子どもが50人を超えていたということもあり、何か1つを子どもの前に立ち、漏れのないように伝える、それだけでも本当に大変でした。どうしたら注目してもらえるのか、集中して聞いてもらえるのか、とても考えさせられました。話を聞ける環境を整えたり、声のトーンを変えてみたりなど他のスタッフを見ながら、沢山勉強させてもらいました。そして子どもと仲良くなること、信頼関係を築くことも1つの大切な方法なのだと強く感じさせられました。子どももちゃんと考えて行動しています。同じ内容を伝えるにしてもこの人の話は重要か、聞いていた方がいいのかどうか良くも悪くも判断ができてしまいます。技術はもちろん大切です。

 しかし私は正直勉強段階でほとんど技術は持っていません。そんな私にできる手段として子どもに頼ること、助けてもらうことも1つの手なのだと自分自身、前に立った際に仲良くなった子どもが周りに声を掛けてくれている様子をみたりする中で実感させられました。教育実習を終えた多くの先輩からも子どもと沢山関わって、仲良くなった方が絶対に良い!とお話をもらいました。今回の経験、先輩からのお話からも教育実習の際は子どもにこれまでの実習以上に積極的に関わりたいです。

 次に一人一人の個性に寄り添うことに関してです。どうしたら様々な個性を大切にしつつ、どの子も集団生活を共に気持ち良く過ごせるのか、またそのためにできるスタッフのサポートは何なのか、この点についてもとても悩まされました。キャンプの事前準備では、経験ある方から、「どの子どもも、できないからできるようにするために、どのように対処したらいいのかが分からない、自分が何で悩んでいるか自体が分からなくなり、こころがもやもやしてしまうことが多い」ということを教えて頂きました。こころは見ることができません。いかにして状況や普段の様子から想像し読み取るか、寄り添いながら子どもから引き出したり、サポートしたりするのかが重要であるということや、一人一人子どもは違う、そのため対処方法も千差万別であると痛感させられました。

 最後に情報共有についてです。スタッフ(大人)同士が共有できていないと子どもを不安な思い、混乱させてしまうことを改めて感じさせられました。何度も情報を変更したり、様々な情報が飛び交う状況も同じく混乱を招きます。その状況を防ぐためにも自分自身の中で何が大切で共有しなければならないことなのかを整理してから情報発信をすること、共有すべき人は誰なのかを考えることなどが必要となります。

 自分一人で整理ができないとき、他のスタッフからの情報や考えを聞くことで自分一人では思いつかなかった改善策にも多く気付くことができました。情報共有ができていないと防げた事故まで起こってしまうこともあります。報連相を忘れないという意識、そして困ったときに相談できる人を作っておくことも重要であると考えさせられました。

 今回、準備段階から関わり、子どもと11日間、密に触れ合うことで本当に貴重な体験をさせて頂きました。多くの学びを得るとともに自分自身、子どもが好きだな、教員を目指したいなと改めて感じることができました。今年は冬にもキャンプを行うと予定ということで子ども達とも「そこでまた会おうね。」と約束をしました。冬にもまたキャンプに関われたら嬉しいです。最後にこのような貴重な体験をする機会を与えて下さったaichikaraのスタッフ、参加者、支援者の皆様ありがとうございました。(古川)

 aichikaraのホームページです。気になる方は良かったら見てみて下さい。https://www.step-aichikara.com/

『超能力』(中澤)

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。四期生の教員採用試験が終わり、各々9月をどう過ごすか、達成感に道溢れた笑顔で考えていると思います。私は9月から3月にかけて、如何に四期生と過ごすたくさんの思い出を作れるか考えながら、記事を書く日々を過ごすと思います。

 今回は『超能力』というテーマで書いていきたいと思います。

 今、どういうことだろう?と思われた皆さんに伺います。人間には超能力があると思いますか?様々な意見、解釈があると思います。

 例えば「魔法、エスパー」と呼ばれる概念は、にわかに信じられないと思います。一方国語的には、「以心伝心、火事場の馬鹿力」という言葉があり、これを超能力と考えると、超能力の存在を肯定しています。

 さて、私は人間には超能力があると思います。それは、『何かを選択、決断するときに必ずその人にとって正しい方を選んでしまう』という超能力です。

 私たちは生きている限り、常に何かを選択しながら前に進んでいます。その時に自信をもっていたり、恐る恐る選んだり、直感で選んだり、衝動的に選んだり、他者に依存して選んだりすると思います。それ、実は見えない力に導かれているのでは?選ぶときの心情はその人次第ですので。

 時に人は、間違えた方を選んだと思い、後悔したり、途方にくれたりします。ところが不思議なことにある程度時間が過ぎて振り返ってみると、あのときに間違えたから今の幸せがあると気づきます。 気づくことができるのもその人次第だからおもしろいです。

 選んだことを正しい間違いと決めつけたり思い込んだりするのはその人の力であって、本当に正しいのか間違っているのかは誰にもわからない。それを人は超能力と呼ぶのではなかろうか。

 私は思います。「この道を選んで失敗した!しまった向こうへ行っていたら〜」と思うのは間違いです。「この道を選んで失敗したなら、この道だから失敗ですんだんだ。向こうへ行ってたら大失敗をしてたんだって笑」だから心を取り乱す必要はない。

 私自身この考えは、ずいぶん前からもっていて間違ってはいないと思いますが、何度も理想論と考えてきましたが、最近理想論でなく、人の道理だと納得することができました。皆さんは、どう思いますか。

 私は、育ってきた家庭環境上、人間哲学、人の道理を考えることをたくさんしてきました。しかし、それを正しく言語化したり、相手に伝える力がなかったため、頭にあるだけでした。ようやくその力がついたため、今後も不定期にこのような記事を書いていきたいと思います。気に入ったものがあればぜひ、子どもたちに伝えてみていただけたら幸いです。お読みありがとうございます。(中澤)

8月9日真打会の学びについて(加藤諒太・生田)

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 こんにちは!4期生の加藤諒太と5期生の生田朋也です!今回は8/9の真打会での学びについて書いていこうと思います。

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 こんにちは!4期生の加藤諒太です!今回は8月9日の真打会での学びについて書きたいと思います!

 今回の真打会では、国語の授業、道徳の授業について学びました。私自身、セミナーに参加するのも久しぶりな上に、一次合格発表当日ということでいつもより緊張して参加させて頂きました!

 子ども役として参加し、2つの授業を受けさせて頂きましたが、学ばせて頂くことがたくさんありました。

 1番は二つの授業を通しての発問の仕方についてです。子どもが詰まるところを考えることが大切だと和田先生がおっしゃっていました。子どもは先生の言ったことをそのまま捉えるため、課題が「〜の工夫を見つけよう」で、指示が「わかったことを探そう」だとすると混乱してしまいます。そして、どれを考えていいかわからなくなってしまうということでした。これを聞いて、とても大切なことだと感じました。大人は理解できても、子どもは素直に受け取るのだということを改めて学びました。より良い学びのある授業にするためにも気をつけるべき点であると感じました。

 また、現場の先輩方授業の工夫からはたくさんの学びがありました。例えば、発表後に拍手や握手をすることです。これは、子どもたちが楽しくなる上に、教師側から見ても交流が終わった合図になります。他にも、違う立場同士でいきなり交流するのではなく、同じ立場から確認の意味も込めて交流をするということがありました。このやり方であれば、自信を持てない子どもたちも確認をしてから話せるため心強いのではないかと感じました。

 一年前は自分たちが教育実習を控え、先輩たちが教員採用試験を控えていました。あれからもう、一年が経つと考えると時の早さを実感しました。もう一年経てば私達は現場で授業をしています。偉大な先輩方に負けないよう、ここからまた一つひとつの学びを大切にしていきたいと強く思いました!

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 こんにちは!5期生の生田朋也です!この夏はおばあちゃんが亡くなりました。しっかり最後はみんなに見届けられながら旅立ちました。改めて毎日一日一日をしっかり生きていこうと思いました。今はかなり落ち込んでいますが、おばあちゃんに応援されながら夢に向かってきたのでしっかり前向いて頑張って行こうと思います。

 今回は国語と道徳の授業について学びました。どちらも研究会を行ってから授業、そして反省という流れでしたが、印象に残ったのは教材研究です。道徳の教材研究を一から作るというのは大変難しく、いざ何を学ばせようかと考えるとなかなか一貫制のある授業をつくれませんでした。

 しかしこの真打会のいいところは、みんなで考えるため1人1人が悩んでいたとしても話し合っているうちにそれぞれ出てくる微妙に違う意見がどんどんまとまっていき、見通しが立ち始めてくるのに大変面白さを感じました。集団での教材研究は初めてだったので是非どんどん色んな意見を聞いていければたらなと思います。

 そして今回の会でまなんだ事は大きく2つ。

 「子ども役の時にウッと止まるとこはどこか?」
 これは大人があえて子ども役になるからこそできることです。もしかしたらこれが一番大事なことではないのかなと自分は思いました。授業はどうしても大人が作るため、大人が当然だと思っていても子どもができないことは多いです。なので子ども役になる時にウッ、となるところには注目してどのような手順でやっていけたら子どもができるか。といった子どもの目線で、子ども基準での授業作りが必要なのだなとおもいました。

 次は
 「工夫したところはどこ?という質問は子どもにとって苦しい」
 これは大変共感しました。工夫とは作ったものから、他人が価値をつけていくことで、自分が初めから工夫して何かを作るというのは子どもはしていない。工夫していたとしても自分からいうのは難しいです。自分も工夫したとこはどこ?と聞かれるとすごく困っていたのを覚えています。「ここ工夫できたね!」と価値付けできる教師になりたいです。

 これからいよいよ教育実習がはじまります。まずはここで学んだことをどんどん試して、どんどん失敗してそこから学んでいけるように頑張りたいです。ありがとうございました。(生田)

8月9日真打会での学びについて(長谷川・竹内)

 こんにちは!5期生の長谷川です。先日、ルネック勝川で行われた前座会に参加させて頂きました。私は教育実習まで、1ヶ月を切ったので、まずは、教材研究をする際に気をつけることについてまとめます。

 私が今回印象に残ったことは、めあてが提示されていたとしても、子どもは、教師の発問したところにしか着地しないということです。つまり、教師がめあてとは、異なったり、遠ざかった発問をしたとしても、子どもたちはその発問に対して考えてくれますが、めあてからズレた授業展開になってしまう恐れがあるということです。このことから、いかに教師の発問やアプローチの仕方が大切か、ということを学びました。

 そのために、教材研究をするときは、何を子どもたちに気づかせることができたら、ゴールなのか、と最初にゴールを決めます。これはどの教科についても当てはまります。ゴールが定まらず、ブレてしまうと、最後まで曖昧な授業となってしまうので、最初にしっかりと決めることが大切だと感じました。

 次にゴールが定まったら、ゴールに達するためにはどんな手立てや、発問をする必要があるのかを考えます。この際、注意することは、子どもの思考にあった発言を考えること、段階、学級に応じた授業展開を行うことです。少し難しい内容であれば、スモールステップを用意したり、アプローチの仕方を変えたりすると授業の流れがスムーズになるということが分かりました。そして、教師主導型にならないように、子どもの流れに沿った授業計画を心がけることを、和田先生のアドバイスから学びました。

 授業テクニックについて学んだことは、子どもの意見が出やすい環境づくりにするために、教師自身が自己開示して、例をあげることや、子どもの発言に対して共感することです。そして、発表のさせ方も、様々で、意図的指名、テンポよく沢山の人にあてる、発表者を数人あてて立たせ、同じ意見が出たら座らせる、などと、1つひとつの指示や言動に工夫がされているなと感じました。読み方ひとつにも、指読みを行い、授業から落ちてしまう子どもを作らないという意図があり、実習に沢山活かすことができる深い学びとなりました。

 最後に和田先生から「進歩したいと思うから進歩できる」という素敵な言葉を教えて頂きました。これからも、もっと学んで進歩したい、成長したい、スキルを身に付けたい、という気持ちを大切 に、多くのセミナー等に参加させて頂きたいと思います。ありがとうございました。(長谷川)

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 こんにちは。4期生の竹内です。今回は先日行われた真打会に参加して学んだことについて書きたいと思います。

 前半は尾張前座会の黒田先生による模擬授業でした。私はこの授業から教師の指示の大切さを学びました。黒田先生はホワイトボードを使う際、文字の大きさは「げんこつ1つ分」と伝えたり、「左側の人が発表係で右側の人は書記係」と役割を決めたり、「2人で1つに決める」とペアワークのゴールを明確にしたりと分かりやすい指示をされていました。特に低学年において、指示が明確でないと伝わらないので、こういった明確な指示を大切にしていきたいと思いました。黒田先生、模擬授業に参加させていただきありがとうございました。

 後半は三河前座会の1期生牧野先生による模擬授業でした。牧野先生の授業では、児童役の何気ない一言への対応力に今の自分との力の差を痛感しました。模擬授業後の検討会では牧野先生の「授業の中でも学級経営を」という言葉をおっしゃっていたのが印象的で、そういったことを普段から心がけているのだと思いました。模擬授業でも児童役の発言や良い姿がある度にその都度全体へ伝え、児童たちに良い行動を意識させようとしていました。私も来年の春からは「授業の中でも学級経営を」という言葉を大切にしていきたいです。

 牧野さんは今までは玉置先生から名前を聞く1期生の先輩という印象でしたが、今回初めて牧野さんと関わる機会を設けていただきました。先生と児童役という関係でしたが、それだけでも人柄の良さを感じ、私も牧野さんのような相手のことを想っているという気持ちが伝わる温かい教師になりたいと思いました。牧野先生、模擬授業に参加させていただきありがとうございました。

 そして私事ですが、この日は愛知県教員採用試験の1次結果発表でした。最初の1時間程は気持ちがソワソワしていましたが、結果を見て無事に合格することができ安心しました。これまでたくさんの方にご指導をしていただきましたが、みなさんありがとうございました。このまま2次試験も頑張りたいと思います。最後になりましたが、授業と学び研究所のみなさん今回の真打会に参加させていただきありがとうございました。(竹内)
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8月9日真打会での学び(中澤・酒井)

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 こんにちは。四期生の中澤と五期生の酒井です。今回は、8月9日に行われた。真打会について記事を書きたいと思います。

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 四期生の中澤です。真打会では、久しぶりに道徳の教材研究を行いました。教材が伝えたい内容は、自分が立てたきまりを継続的に続けるために必要なことは何かを考えるという内容でした。

 私は、自分が立てたきまりというものは、実は母親に指示されたものであり、母親が喜ぶからという動機できまりを守っていたため継続せず、自分で目的を考え、きまりを守ることに自分で価値付け、喜びを感じることで継続することができるということを考え、それに気づかせるように発問を考えました。

 ところがゼミの仲間と話し合ううちに、この考えたことは、小学生には気付きにくく、さぼりたい、めんどくさいという気持ちに打ち勝っていることが前提であるため難しい内容になると教えていただき、改めて子ども心を理解することの難しさを実感しました。

 先輩による模擬授業では、工夫という言葉の難しさを学びました。教師はよく「工夫は何ですか?」という発問をすることがある。ところが工夫という言葉は子どもには難しい。なぜなら工夫とは、自ら言わず、他者から価値付けされるものであるからである。

 私たちは、長年の経験上、工夫されると他者から認識されることは何かを理解しているため工夫したところを聞かれても答えられる。子どもにはその経験がないため、答えることは難しい。そのため、「工夫したところは?」でなく、「一生懸命書いたところは?」と書くことが望ましい。

 また、子どもたちは、教師の発問に答えることに夢中になり、発問内容とねらいを結びつけることが難しいため、教師は徹底して発問とめあてを一致するように授業を展開していかなければならない。

 今回のセミナーでは、7月以降はじめて松井さんや大西さんと会いました。私は大西さんと話がしたいと思い、大西さんに「玉置先生が知っていますが、私変わったんですよ」と冗談めいて伝えたところ大西さんから「よく聞いているよ。玉置さんとさだまさしのコンサートにいったんだって?」

 一体私のいないところでどのような会話が展開されているのか。というより、もしかして私はありがたいことに思いの外注目されているのだろうか。

 私のことを気にかけていただき、成長していることを気付いていただける人が多くいることにありがたいと感じて、真打会を終えました。ありがとうございます。(中澤)

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 五期生の酒井です。私は今回初めて子ども役をやらせていただきました。子ども役をすることで今までにはない視点で得るものがあり感動しました。授業は道徳と国語の2つで、真打会に所属する現役の先生方が教材研究されたものを受けさせていただきました。

 授業から前座会の方々のアドバイスを通してとくに心にぐっときた事を3つ書かせていただきます。

 1つ目は指名の仕方のバリエーションが豊富であった事です。子どもたちの考えを聞きたい時に多くの場合は発言を求めると思います。たくさんいる子たちから誰に話してもらうのか考えて当てるのは難しいことだと私は思っています。あてられる側からしてもいつも同じ子が当たったり、日付けなどパターンが見える当て方をしたりするのは経験上心地いいものではありません。

 今回授業してくださった先生はテンポよく当てる時もあれば、挙手した子を全員起立させて話すようにする事もありました。どんな当て方されるか分からないのは、みんなの前で話せるチャンスを偏りなく与えることができることが考えられるでしょう。と同時に当たったらどうしよう…も当たったら応えられるように授業に参加したくなる気持ちになることを実感しました。

 2つ目は指示プラス〇〇の工夫が細やかに使われていたことです。指示プラス○○の工夫と言うのは例えば、教科書を範読するので目で追いながら一緒に読んでほしい時ただ「教科書見ながら聴きましょう。」と言うだけではなく、指で読んでいるところを追う動作をプラスしたり、本時のめあてを書く時ならただ、「めあてをノートに書きましょう。」と言うのではなく「先生と同じ速さで」という言葉をプラスしたりしていたことです。

 授業をしてくださった先生は、なさっていた工夫の多くは意識していないとおっしゃっていました。もしかしたら大掛かりなことではないかもしれないけれど、やってほしい核心の部分だけ伝えられるよりもぐっと授業にひきつけられる気持ちになりました。同じことをしてほしくても言い方でこれだけ気分が変わるのか、と驚きました。

 3つ目は子どものつまずきポイントを考え、流れに添うように授業を進めるべきだということです。それぞれの授業を終わった後、和田先生に子ども役やってみてどうだった?と尋ねていただきました。そして自分が授業を受けていてスムーズについて行けなかったところは子どもたちもついていけないことが考えられること、先生に言われたら仮に授業の趣旨からずれていたとしても忠実に従ってしまうことなどを教えてくださいました。この表現で伝えたらどんな反応をするのか、という子どもの思考の流れを踏まえて展開していかないと、先生の教えこみ一方通行になってしまう恐れがありそうだと思いました。子どもに寄り添う進め方は子ども主体に繋がるのでしょう。

 素晴らしいと思うポイントはたくさんあるものの、正直すぐには自分のものにはできません。しかし今回の大いなる財産はできるようになることではなく、素晴らしい技術に出会えたことだと思います。今後もっと経験を積み重ねて使いながら自分のものにしていきたいです。

 前座会の先生方、真打会の先生方のおかげで学びの多い有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。(酒井)

8月9日真打会からの学び(加藤奨、杉山)

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 こんにちは。8月9日に、ルネック勝川で行われた真打会からの学びを記します。

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 こんにちは、4期の加藤奨基です。最近はとても暑いですね、暑すぎて溶けてしまいそうです。今回は8月9日に行われた真打会からの学びになります。特に、子ども役として道徳の模擬授業を受けさせていただいたので、そこからの学びを書こうと思います。

 道徳模擬授業の中には、今まで見たことのある鉄板授業技術だったり、見たことのない技術もあったりとオンパレードでした。その中でも野木森先生も驚かれていた授業技術を書いていきます。

 まず授業者の先生はペア交流の後に全体交流に入るため全ペアの意見を出させたのですが、その意見の中に「強い心で」や「達成カード」など具体性に欠けるものがありました。本来なら教師が「それはどういうこと?」と深めの発問をする場面ですが、先生は敢えてそのままにされていました。

 なぜそのままにしたのか、それはその後に子ども同士での質疑応答時間(対話場面)を設けていたからです。すぐに教師が深めてしまうのではなく、子どもたち同士で対話しながら深めさせるために敢えて抽象的なまま次の活動に進めたのです。このように、「AをするためにBを行う」という先を見据えた見方に現職の先生の凄さを感じました。自分は授業を行った時も普段の生活も、すぐに目の前のことで頭がいっぱいになってしまうので、見習っていきたいと思いました。

 この日は教採一次の結果発表日ということもあり、ずっとそわそわしていました。しかし、見慣れた仲間や先生方を見て、自分はこんなにいい学びをしてきているのだから大丈夫だ、と元気を頂くことができました。二次試験に向けて今まで通りの努力を継続するとともに、良い教師となるための学びも継続していきたいと思いなおすことができました。模擬授業をしていただいた先生や前座会の先生方、関係者の皆様、ありがとうございました。(加藤)

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 こんにちは。5期生の杉山です。大学のテストが終わって夏休み!と思いたいところですが、もうすぐ小学校教育実習なので気を抜けません!今回は、8月9日に行われた真打会からの学びを記します。

 今回の前座会では、道徳の授業と、国語の授業の児童役をやらせてもらいました。それらの授業と、真打会の方々のアドバイスからの学びは、本当にたくさんありました。

 道徳の授業では、4年生の『目覚まし時計』という読み物教材を扱いました。教材研究の段階で、前座会の先生はどのように授業をされるのだろうと思っていましたが、授業を受けていて安心感があり、意見を言いやすい環境づくりができており、対話が深まる授業で、とても感銘を受けました。また、板書も見やすくて振り返りがしやすく、簡単な板書なのに奥が深いものでした。また、発問や声掛けの際がとても明快で、具体的な例を出しての指示は、児童にすっと入っていくものだと感じました。

 国語の授業では、3年生の『「ほけんだより」を読みくらべよう』という教材を扱いました。この教材は、書き手が読み手に対して言いたいことや考えさせたいことを伝えるには、2つの文章のうちどちらが良いかというものを児童に考えさせるもので、正直小学3年生がやるにしては難しすぎるのではないかと、教材研究の段階で感じていました。

 前座会の先生は、児童の対話性を重視されていて、隣同士の児童でペアをつくり、それぞれどちらかの文章を読むことを指定し、児童は、その文章に書いてあることペアの相手に要約して伝えるものでした。これは、必然的に対話が生まれ、児童の文章力や要約力もあがる、とても素晴らしい授業技術だなと思いました。

 今回も多くの学びを提供してくださった玉置先生や前座会の先生方、ご指導賜った和田先生など、感謝申し上げます。ありがとうございました。(杉山)
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