8月26日 いのちの大会での学び (安部・中澤)

 こんにちは。4期生の安部です。今日は8月26日に行われました、第14回「広げよう!命の授業」で学んだことを安部、中澤の順に書かせていただきます。長文になってしまいましたが、ご了承ください(笑)。

 ミニ公演では、脳性麻痺の息子さんをもつ寺田恭子さんと小児がんで娘さんをなくされた鈴木中人さんのお話を聞かせていただきました。

 私は専門が特別支援で、障害についてはこれまで多くの事例を見たり聞いたりしてきましたが、実際に障害をもつご家族の方のお話を生で聞くことはあまりなく、今まで以上に深く考えさせられました。

 また、障害をもつ本人やご家族はこれまでに多くの苦労をしてきて、たくさん悩んできましたが、だからこそ普通の人が知らないような、“生きる幸せ”というものを実感しているのだなぁ、とつくづく感じました。「これしかないという選択肢はない」「可能性は無限大」「人はみな幸せになるために生まれてきた」寺田さんが最後に私たちに伝えてくださったこれらのお言葉はとても心に突き刺さりました。

 鈴木さんのお話には、思わず涙を流してしまいました。つらい抗がん剤治療に耐えながらも生きることを諦めず、どんなときも笑顔を絶やさない景子ちゃん。そんな景子ちゃんの姿に親である鈴木さんは“笑顔が人間にとってどれほど大切であるか”ということを思い知ったそうです。私は景子ちゃんを見て、子どもの持っている可能性、素直さは計り知れないなぁと改めて感じました。

 今回、「命の授業」に初めて参加させていただいて、人間的な深い学びをさせていただきました。多くの人と関わり、多くの人とつながり、常に笑顔を絶やさないことが、自分を含め多くの人を幸せにするんだ、ということに気がつきました。実習を目前に控えたこの時期に、このような学びを得られたことにとても感謝します。ありがとうございました。(安部)

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。今回は、寺田ユースケさんについての講演のなかで、自分が考えたことを書いていきたいと思います。

 現在車椅子ダンサーとして活動をされている寺田ユースケさんは、先天的に、体幹機能障がいによる脳性麻痺一種二級を患った。その後彼は、
1.健常者に近づけたいという母親の願いからハードなトレーニングを受けてきた。
2.高校生になって、僕だけが出来ないという劣等感と焦燥感を抱いた。
3.病気から足が十分に使えない彼は、囲碁か将棋の部活に入るか考えていたときに、友達から、「何で野球をやらないの?」と言われた。(勿論友達は悪気はない。しかし彼は傷ついてしまう。)
4.母親に、「生きててもしょうがない。何でこんな体に生まれてきたんだ。」と言うようになる。
5.見返してやるという負のエネルギーを持つが、負のエネルギーによる行動はうまくいかないため、無力感になっていく。
6.車椅子に乗るということは、障がいを認知するということになるが、それを受け入れ、自分らしい生き方を求めるようになる。
7.いろんな人に自分を認めてもらいたいという気持ちから、誰もが助けてといえる世の中にしていきたいという気持ちになっていった。
という人生を歩んでいった。

 さて、ここから私の考えを伝えていきたい。

 私は、2から5の彼の気持ちが手に取るようにわかるのである。母親の、健常者に近づけたいという願いも当たり前である。しかし、その願いも社会が作った、『普通でないものを排除し、普通であることを当たり前とする』という概念が産み出したものであると私は考えている。そしてこの概念があるから、2から5の気持ちを抱いてしまうと私は考えている。そして一旦普通でないと認識してしまった人は、他者の言葉が響かなくなってしまうものである。他者が何を言っても、普通の人には普通でない人の気持ちがわかる訳がないと考え、事実思いやった言動が普通でないことを強調させ、逆効果になってしまうものだからである。

 5については、まさに負のエネルギーによる言動が、負を受け付けない世の中とのずれによって生じてしまうのである。さらに当人は、理屈でわかっていても、認められたいという気持ちを持っているため行動してしまうのである。結果他者から、異物として認識されてしまうことも少なくない。生きていても仕方がないと考えてしまうのが、むしろ当たり前である。

 しかし人間は這い上がれるのである。講演会のなかで、『落ち込んで良い環境を作る。底の場所は思いの外、不快でなく退屈である。そのため底にいることに飽きてくる。その時に自分が誰かの役に立つという認識をすることで、そろそろいいなと認識する。人間は自然と自分で復活する力がある。』などの考えを仰っていた。私は、この事を踏まえ、人との関わりについて以下のように考えている。

 まず落ち込んでいい環境とあるが、踏み込んで言うと、落ち込んでいる状態のままでいられる環境を作ることであると私は考えている。人は、落ち込んでいる人がいるとその人が元の状態に戻ることを無意識に考え、気を使ってしまうものである。また、元の状態と落ち込んでいる状態とを区別せず、配慮をしないという考えをする人もいる。そうではなく、『落ち込んでいようと、私はあなたと出会い、関わっていることに感謝の気持ちを持つよ。そして元気になっていったら幸せだな』と考えることが大事であると私は考えている。こう考える人がいれば自然と、落ち込んでいる人の言動を受け入れ、サポートをすることができる。まさに落ち込んでいい環境を作ることができるのである。そして、落ち込んでいる人は、自分が生きていることを認めてもらっていると認識し、自分ができることを見つけていけるようになるのである。世の中が普通と認識させてもらえない人に対しても同じことが言えると私は考えている。

 そして、落ち込んでいる人に活力が戻り、環境が変わると、負のエネルギーで行動し失敗したことで得たものを武器に、大成するのである。寺田さんで言えば、ダンサーになり、結婚をすることである。

 よく落ち込んでいる人に対して、甘やかしている、贔屓をしていると考えている人がいる。その考え方は間違っていない。けれども、その考え方も普通でない人を排除しようという概念が根底にあるのである。第一、落ち込んでいる人は、そのようなことをわかっているのである。わかっているけれど感情が動かない。自己を肯定出来ないから落ち込んでいる人なのである。笑おうと思っても笑えないから落ち込んでいるのである。笑えない状態を受け入れ支援するのでなく、笑えない状態を受け入れ、親身になって関わっていくことが、最大の支援なのである。上記した心の持ち方を誰もができれば、当たり前になっていけば、障がい者支援だとか、いじめだとか解決していくのにと私は考えている。

 つい熱く語ってしまいました。今回の講演の内容は、私の教師像の根幹である、『慈愛の心を持たせる教師』と直結した内容だったからです。私は教師になったら、学級経営を通じて、上記してきたことを含める慈愛の心を子どもに気付かせ、少しずつ、できる範囲で未来を変えていきたいと考えています。今回も素敵な講演会に参加させていただき、誠にありがとうございます。(中澤)

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