6月10日 北神さんの発表から学んだこと(遠藤)

画像1
 こんにちは。五期生の遠藤です。今回は、6月10日に行われた五期生ゼミの中の、北神さんの発表から学んだことについて書きたいと思います。

 今回北神さんは、かくれたカリキュラムについてまとめた発表を行っていました。教師が意図していない部分も子供は学び取るのだという内容に、改めて常に見られている意識が必要だと感じ、背筋が伸びる思いで聞いていました。

 発表の中で北神さんは、既習の漢字のみを使った板書と、未習の漢字も使った板書とどちらが適切か?という点を掘り下げていました。私は当然既習漢字のみで板書するべきだと考えました。そうしないと、読めない子が混乱すると思ったからです。

 しかしそのような板書を続けていると、子供は「習っていない漢字は、もしも書くことが出来ても書かなくて良い。」という風に間違った学びをしてしまう危険性があるのだと知り、成る程と思いました。私は、置いていかれる子がいてはいけない、という点にばかり気を配っていて、子供たちをより発展させよう、かくれたカリキュラムを活用して更に学びを深めよう、という意識が低かったのだと気がつきました。

 そのことに関連して、私はとある自分の体験を思い出しました。私の、「遠藤」という苗字ですが、実は遠藤の藤という漢字は小学校学習漢字ではないため、小学校ではいつまで経っても習わないのです。そのことから私は、小学4年生までずっと、名前の欄には「遠どう」書いていました。それが当たり前で、習っていない漢字はとてつもなく難しく、書けないものだと思い込んでいたからです。今思うと、そんな当時の私の感覚も、かくれたカリキュラムによるものだったのだと思います。

 佐藤、加藤、近藤など、藤のつく苗字は沢山あります。また、珍しい漢字を使った苗字の子もいます。最近では、名前の中に人名用漢字にしか無いような漢字が入っている子も増えています。そういった子達は、6年生までずっとひらがなで名前を書けば良いのでしょうか。そんなはずありません。第一、もしもそうだとしたら、中学校ですら習わない漢字の名前はどうするのか、という話になってしまいます。

 習っていない漢字でも自分の名前だから書ける、という子は最大限に褒めて、その漢字を知らなかった子にはその場で教えてあげれば良いのだと思います。そうして、「一つ賢くなれたね、良い学びをくれてありがとう!」と言えるような、そんな教師になりたいと、今回の発表を見て感じました。北神さん、お疲れ様でした。(遠藤)
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30