6月9日教育フォーラムでの学び(長谷川・加藤諒太・小谷川)

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 こんにちは!4期生の加藤諒太と小谷川優衣と5期生の長谷川です!今回は6月9日の教育フォーラムでの学びを書きたいと思います!

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 こんにちは!5期生の長谷川です。今回は6月9日に行われた岐阜聖徳学園大学主催の教育フォーラムに参加させていただきました。そこで、学んだことをまとめます。

 私は授業の中で、真の対話的な学びをするためには、子どもにとって考えたい!と思う発問や授業展開をする必要があることを知りました。なぜならば、子どもがこのような気持ちになったとき「誰かに話したい」「他の人の考えを聞きたい」と思うようになり、対話が始まるからです。また、対話を通して、自分と意見が異なる子や、間違った答えが出た子に対して、「自分の考えを理解してほしい!」「相手の意見を分かりたい!」と思い、さらに対話が深まるのだと感じました。

 特に奈須先生に見せて頂いた「間違いを生かす授業」は、私が今まで観てきた授業とは異なり、間違えた答えを持った児童が堂々と発表していました。これは、あまり普段の授業では見られない光景だと思います。算数の3:2をどのように計算で利用したら良いのか分からない児童が「ここが分からなくて、困っている」と発表すると、問題の解けた児童が後から出てきて説明するという授業展開でした。

 ここには、児童同士の間に「なんとかして分かってもらいたい」「どうしても理解したい」と思う気持ちが溢れ出てきて、対話が深まっている瞬間だったように感じます。一方では、正しい答えが出ているにも関わらず、なぜその答えが正しいのか意味がわからない、と困っている児童もいました。先生方はまさに、このような児童には対話が必要である、と仰っていました。

 奈須先生は授業を通して、子どもたちには皆んなに分からせて帰る義務と、分からない子が分かって帰る権利があるのだと仰っていました。授業は、この2つが合わさって学びの共同体というものができるのだということを学びました。私は、学びの共同体の授業をするためにも、分からないことを分からない、とはっきり言えるクラスの雰囲気や、安心して発表できる教室であることが大切だと思います。このことから、授業づくりと学級経営は深く関わり合っており、真の対話的学びをするためにも、とても重要なことだと感じました。

 今回もこのような学びの機会を設けてくださり、ありがとうございました。(長谷川)

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 こんにちは!4期生の加藤諒太です!今回は6月9日の教育フォーラムでの学びについて書きたいと思います。

 今回のフォーラムでは真の対話とは何かという題で奈須先生からご講話を頂きました。
「真の対話」と聞いて、私自身明確な回答は自分の中で出てきませんでした。しかし、奈須先生のお話を聞いて、対話とは「ただ話すことではない」ということが改めて確信に変わりました。

 奈須先生はSDGsは「地球の裏側で起こっていることを私ごとで捉えようとすること」で、対話とは「友達の関心を自分のものにすることである」とおっしゃっていました。ここにはつながりがあると思います。それは、自分が持っている意見や考えとは違う視点を他人から取り入れて、考えを深めるということです。そのための手段の1つが対話なのであり、交流の場になるのではないかなと私は考えます。

 また、対話の相手は「対象世界(教科書)・他者・自己」であり、学びそれ自体が対話という営みだとおっしゃっていました。確かに、この対話がなければ学びは成立しないと考えます。自分の考えの中に外部から様々な考えを取り入れ、それを深めていくというところまで含め対話なのかなと思いました。こうすることで対話という観点だけではなく、主体性や深い学びという観点にも繋がっていくのではないかなと考えました。

 そして私がこの「真の対話」を実現するために大切だなと感じたのは「対話をして深めるためには一人ひとりが深まっている必要性がある」ということです。私が初めて、対話的という言葉を聞いた時は、意見を交流させればいいのだから教師がその機会を作れば良いと浅はかな考えを持っていました。

 しかし、教育実習で実際に授業を行ってみて、上手くいかない。その原因はこのことだったかと改めて学びました。確かに、対話するための基盤、知識やスキルがなければ実現不可能だと思います。そのためにも奈須先生がおっしゃっていた「対話的に学び深めるからこそこの学びが重要になる」と言ったことを意識してこれから教育と向き合っていきたいと考えています。

 そのあとは、「真の対話」とは何かというテーマで中島先生を交えて討論が行われました。先ほどまで奈須先生のお話を聞いて納得していたので、中島先生の話を聞いた時には何が正解かわからなくなりました(笑)言葉でないコミュニケーションもあると言った意見や日常の中の何割が言葉によるコミュニケーションかと言った意見など鋭い切り口でとても勉強になりました。しかし、これがまさに対話的な学びなのかなと思います。自分とは違う視点の様々な意見が交わされることが対話的につながるのではないかと考えました。

 このような機会を作ってくださった岐阜聖徳学園大学の職員の先生方を始め、玉置先生、奈須先生、講話をしてくださった先生方本当にありがとうございました。(加藤諒太)

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 こんにちは、特別に参加させていただきました教育学部4年の小谷川です。今回は6月19日に行われた教育フォーラムについて書かせていただきます。

 午前中は「若い教師向けのセミナー」でした。参加されている教師の方々が付箋に教室で困ったことなどの悩みを書き、ホワイトボードに貼り、その内容から共有と対話を始めていくというスタイルであったが、 個別対応での問題でかなりの人が障がいのある子の対応について悩んでいることに気付きました。障がいの種類や、特別支援のこと、どう対応するべきかなど学んではきているが、実際現場にいる先生方はどう思っていて、どう感じているのかなどの話をあまり聞いたことがなかったため、苦労している、どう対処するべきなのかわからないなどの本音のような話を聞けたのでとても新鮮に感じました。

 現場の先生方の悩みや困っていることを私たちがきくことにより、現場に立った時に本当に直面する問題や、現場に立たないと実感しないこと、またその時の対応までいち早く知ることができ、とても勉強になりました。

 午後からは奈須先生による「真の対話とは」という題材での話を聞くことができました。

 様々な話を聞くことができましたが、特に1人の学びから他人の話を聞きたくなるにつなげるということを奈須先生の話を通じて知ることができました。学校での話し合いは聞き合いにするべきだという意見にとても納得しました。

 他人に興味をもち、自分にない意見・経験を取り入れることの良さ・素晴らしさを感じることから始まり、その発見を学習に生かしていき、1人学びでの学習に疑念が生じた時の助け舟として他人の意見を聞きに行こうとする、この自然発生的な話し合いこそが真の対話であると理解することができました。

 今まで多くの学校の授業での隣同士の話し合いやグループ活動の様子を見てきたが、上手く行なっているクラスはやはりそれなりに日頃からトレーニングをされているのが伺えたが、今回の奈須先生の話でも他人の意見に関心をもたせるというところからのトレーニングが必要であると思いました。また形では対話はできていても、教師が用意してある対話表のようなものを見ながら書いてある通りに読んでるだけのような台本ありきの対話になっているクラスもみたことがあるが、形から入るのも大事だが、改めて奈須先生の話を聞きなぜ対話をしなければならないのかを生徒にしっかり理解させてあげることの大切さと理解のさせ方を学ぶことができました。

 また後半にみた授業のビデオもとても学びを得られる内容でしたが、その後の奈須先生の言葉で「できない子ができるようになる権利があり、できる子はできない子に教える義務が生じる授業が良い授業」と仰られていて、今までの考えに新しくプラスされるようなそんな刺激いただけました。そのような教室の雰囲気をつくるにはどうしていくべきなのかなど色々と考えさせられました。

 奈須先生の講話の後に討論会がありました。今回は全く意見が違う中島先生も参加ということもあり、様々な角度からの対話についての討論がされていてとてもおもしろかったです。

 この討論会でも奈須先生の講話で出た、対話というのは聞くことが大切であることを改めて感じました。子どもたちのこうしたい、もっと深めたいなどの困ったり、大袈裟に言えば生きる実感を感じた時にでる"〜したい"という思いこそが対話のきっかけであり、深い学びの一歩であると学びました。

 子どもたちの"〜したい"という思いを拾い上げ、生徒同士の対話として持っていくにはどのような働きがけをしていくのか、つなげていくにはどうするべきなのかなど多くのことに考えを巡らせることができたと思います。とても勉強になりました。ありがとうございました。(小谷川)
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