京都 いのちの授業づくりセミナー に参加して(矢崎)

画像1
 こんにちは。五期生の矢崎です。今回は京都で行われた「いのちの授業づくり実践セミナー」に参加させていただきました。

 鈴木先生から得た学びをまず最初に書かせていただきます。

 今回私がこのセミナーに参加した動機は私の母にあります。私の母は私が小学6年の時に癌で亡くなりました。鈴木先生の娘さんも小児癌で亡くなられており、私と同じで大事な方を癌で亡くされている方がお話なさるんだと玉置先生からもらったチラシを見て思いました。

 私は人に母の事をめったに話しません。だから、鈴木先生のように自分の辛い体験を言葉にして多くの場所で話されている方に興味を持ち、このセミナーは私が行くべきセミナーだと感じ、参加させていただきました。

 鈴木先生はいのちの教育を子どもたちに届けるために全国で小児癌だった娘さんのお話をされています。

 鈴木先生は優しく真剣に娘さんの事を大事に大事に話されていました。私はそのお話に自分の体験した事を重ねて、涙をこらえる事ができませんでした。

 私は鈴木先生のお姿から自分の体験を誰かに還元することの大切さを学びました。今まで私は母のことを自分が本当に信頼できる人にしか話してきませんでした。それは私がその話をすれば私の事を可哀想だと人が思い、気を遣ってくるからです。「くるから」と人に気を遣ってもらっているのに罰当たりな表現だとは分かっています。

 しかし、そうやって気を遣ってもらうほど私の中で母の死がどんどん現実になっていくのです。それに私は耐えれません。だから、私は人に母の事を話しません。そして、本当に辛かった母との別れをどんなに信頼している人にも話していません。それだけ私には母の死は今だに信じたくない事実なのです。

 しかし、今回このセミナーに参加し、鈴木先生にお会いできた事で私の中の価値観が変わりました。

 大切な人の死を当時の感情まで振り返りながら話すことができるなんて、相当な葛藤があったのではないのかと勝手に思い、それにまた涙がでました。そして、鈴木先生は私達に最後「いのちの先生になってほしい」と伝えてくださいました。
 「自分の体験を自分の子どもたちに伝えることができ、その話を受けた子どもが5年、10年後にいのちについて考える力がついていると信じることのできる教師になってほしい」
 ともおっしゃいました。

 たしかに、私が子どもたちに自分の体験を話した事でその子たちのいのちに対しての価値観がガラッと変わることはありません。だからこそ、この話をして果たして意味があるのか、私が辛い事を思い出すのに意味があるのかとつい考えてしまいます。

 しかし、そうではないと鈴木先生のお話を受けて気づく事ができました。私が話したことでいつかふっと子どもたちが思い出す事があるかもしれません。その子がいのちについて考える機会を与えるかもしれないのです。その瞬間を信じることが私達教師には必要なのだとわかりました。

 そして、その信じる力はなにもいのちに関することだけではないとも感じました。学校で行われるこの一回一回の授業、毎日のホームルームでの教員の話、果たして子どもたちに届いているのだろうか、そう不安になりつい手を抜きたくなる瞬間がきっとあります。
その時に大切になるのが信じる力だと思います。

 私はこの信じる力を大切にして、自分の体験を子どもたちに還元していける教師になりたいです。鈴木先生にお会いできて私は本当によかったです。ありがとうございました。また、この素晴らしい機会を与えてくださった、玉置先生ありがとうございました。(矢崎)

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30