8月9日真打会での学び(中澤・酒井)

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 こんにちは。四期生の中澤と五期生の酒井です。今回は、8月9日に行われた。真打会について記事を書きたいと思います。

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 四期生の中澤です。真打会では、久しぶりに道徳の教材研究を行いました。教材が伝えたい内容は、自分が立てたきまりを継続的に続けるために必要なことは何かを考えるという内容でした。

 私は、自分が立てたきまりというものは、実は母親に指示されたものであり、母親が喜ぶからという動機できまりを守っていたため継続せず、自分で目的を考え、きまりを守ることに自分で価値付け、喜びを感じることで継続することができるということを考え、それに気づかせるように発問を考えました。

 ところがゼミの仲間と話し合ううちに、この考えたことは、小学生には気付きにくく、さぼりたい、めんどくさいという気持ちに打ち勝っていることが前提であるため難しい内容になると教えていただき、改めて子ども心を理解することの難しさを実感しました。

 先輩による模擬授業では、工夫という言葉の難しさを学びました。教師はよく「工夫は何ですか?」という発問をすることがある。ところが工夫という言葉は子どもには難しい。なぜなら工夫とは、自ら言わず、他者から価値付けされるものであるからである。

 私たちは、長年の経験上、工夫されると他者から認識されることは何かを理解しているため工夫したところを聞かれても答えられる。子どもにはその経験がないため、答えることは難しい。そのため、「工夫したところは?」でなく、「一生懸命書いたところは?」と書くことが望ましい。

 また、子どもたちは、教師の発問に答えることに夢中になり、発問内容とねらいを結びつけることが難しいため、教師は徹底して発問とめあてを一致するように授業を展開していかなければならない。

 今回のセミナーでは、7月以降はじめて松井さんや大西さんと会いました。私は大西さんと話がしたいと思い、大西さんに「玉置先生が知っていますが、私変わったんですよ」と冗談めいて伝えたところ大西さんから「よく聞いているよ。玉置さんとさだまさしのコンサートにいったんだって?」

 一体私のいないところでどのような会話が展開されているのか。というより、もしかして私はありがたいことに思いの外注目されているのだろうか。

 私のことを気にかけていただき、成長していることを気付いていただける人が多くいることにありがたいと感じて、真打会を終えました。ありがとうございます。(中澤)

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 五期生の酒井です。私は今回初めて子ども役をやらせていただきました。子ども役をすることで今までにはない視点で得るものがあり感動しました。授業は道徳と国語の2つで、真打会に所属する現役の先生方が教材研究されたものを受けさせていただきました。

 授業から前座会の方々のアドバイスを通してとくに心にぐっときた事を3つ書かせていただきます。

 1つ目は指名の仕方のバリエーションが豊富であった事です。子どもたちの考えを聞きたい時に多くの場合は発言を求めると思います。たくさんいる子たちから誰に話してもらうのか考えて当てるのは難しいことだと私は思っています。あてられる側からしてもいつも同じ子が当たったり、日付けなどパターンが見える当て方をしたりするのは経験上心地いいものではありません。

 今回授業してくださった先生はテンポよく当てる時もあれば、挙手した子を全員起立させて話すようにする事もありました。どんな当て方されるか分からないのは、みんなの前で話せるチャンスを偏りなく与えることができることが考えられるでしょう。と同時に当たったらどうしよう…も当たったら応えられるように授業に参加したくなる気持ちになることを実感しました。

 2つ目は指示プラス〇〇の工夫が細やかに使われていたことです。指示プラス○○の工夫と言うのは例えば、教科書を範読するので目で追いながら一緒に読んでほしい時ただ「教科書見ながら聴きましょう。」と言うだけではなく、指で読んでいるところを追う動作をプラスしたり、本時のめあてを書く時ならただ、「めあてをノートに書きましょう。」と言うのではなく「先生と同じ速さで」という言葉をプラスしたりしていたことです。

 授業をしてくださった先生は、なさっていた工夫の多くは意識していないとおっしゃっていました。もしかしたら大掛かりなことではないかもしれないけれど、やってほしい核心の部分だけ伝えられるよりもぐっと授業にひきつけられる気持ちになりました。同じことをしてほしくても言い方でこれだけ気分が変わるのか、と驚きました。

 3つ目は子どものつまずきポイントを考え、流れに添うように授業を進めるべきだということです。それぞれの授業を終わった後、和田先生に子ども役やってみてどうだった?と尋ねていただきました。そして自分が授業を受けていてスムーズについて行けなかったところは子どもたちもついていけないことが考えられること、先生に言われたら仮に授業の趣旨からずれていたとしても忠実に従ってしまうことなどを教えてくださいました。この表現で伝えたらどんな反応をするのか、という子どもの思考の流れを踏まえて展開していかないと、先生の教えこみ一方通行になってしまう恐れがありそうだと思いました。子どもに寄り添う進め方は子ども主体に繋がるのでしょう。

 素晴らしいと思うポイントはたくさんあるものの、正直すぐには自分のものにはできません。しかし今回の大いなる財産はできるようになることではなく、素晴らしい技術に出会えたことだと思います。今後もっと経験を積み重ねて使いながら自分のものにしていきたいです。

 前座会の先生方、真打会の先生方のおかげで学びの多い有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。(酒井)
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