20180525_3期生&4期生食事会

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 3期生が設定してくれた4年生と3年生合同食事会に向かう。3期生・ゼミ長の早川君から、「お酒がなくてもこれだけ楽しく交流出来るものだなぁと感じました」(同感!)とのコメントと、僕が参加したことへのお礼メールが届く。写真を見ていただければ、その楽しさが分かっていただけるはず。

※三楽の仕事日記より

今日もお土産をいただきました

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 玉置研究室にはお客様が多く、そのたびにお土産を持ってきていただけます。

 今回いただいたのは、岡崎名物の「オカざえもん」のクッキーです。ありがとうございました。

【20180421口演】京都賢人会で落語披露

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 朝から小咄を思い出しメモ。8時前に家を出て、京都へ向かう。京都駅から乗り継いで創業安政3年という歴史ある下鴨茶寮へ。集合時刻まで時間があったので、近くの川沿いを散策。

 11時30分から志賀内泰弘さんプロデュースの「京都賢人(変人?)会議」開始。16名の皆さんが参集。変人の定義は世のため人のために動いている人とのこと。仲間に入れていただけたことに感謝。僕は依頼を受けて落語披露。特別ゲストは落語家・桂紅雀さん。僕が段取りの依頼を受けて来ていただいた。

 京料理茶懐石を味わいながら、皆さん一人一人からお話を伺う。さすが選び抜かれた変人の皆さん。何度も感動。

 13時頃からゲストの「レーヴパピオン」さんのバイオリンとオーボエの演奏。13時30分から僕が小咄。その後、紅雀さんのたっぷりまくら後の「親子酒」。

 再びトークで15時30分まで。タクシーで京都駅まで。PHP編集長の大谷さんと同乗。談慶師匠の出会い話で盛り上がる。18時過ぎに帰宅。

※三楽の仕事日記より

嬉しかったこと(丹羽)

 こんにちは。3期生の丹羽亜由美です。いよいよ教採まで残りわずかとなりました。最近あった嬉しかった出来事を書かせて下さい(笑)

 私は先週、横浜の試験を受けてきました。その試験を終え家に帰ると、勉強机の上にお守りが置いてあったのです。また、そのお守りには太宰府天満宮と書かれていました。

 実は母と妹が私の合格祈願をするためにわざわざ福岡県まで行ってきてくれました。これこそ「家族愛」だなと感じるとともに、ここまでしてくれる家族のためにも、なんとかして合格したいと思いました。

 この教採を通して感じたことは、いろんな人に支えられているということ、仲間の大切さ、温かさです。私が教員になることを応援してくれている人や、一緒に頑張ってくれる仲間がたくさんいるということを改めて実感しました。まだ終えていませんが、この気持ちをずっと忘れないようにしたいです。

 そして、頑張ってきた仲間とともに合格を勝ち取りたいと思います!!

ps.玉置先生、前期のゼミありがとうございました。神社まで頭を下げに行って下さったことを無駄にしないよう残りの日々を全力で進んでいきます!(丹羽)

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第12回復活寄席でトリ

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 8時39分に乗車。9時30分ごろ、愛知産業大学工業高校の橘座到着。

 パンフレット、幟、お土産、出囃子、はめもの合わせなどをしていると、2時間があっという間。もちろん稽古をする間はない(泣)。ゼミ生にいろいろとお願いして開場。多くの方が来ていただけた。久しぶりに会う方とミニ懇談。

 13時30分開演。僕は席亭としてタイムキーパー。元落研顧問(カンボジアでの大きな仕事を終えて帰国)の朝米先生をゲストに招いての口上は、約束通り突っ込み。十分に会場が温まる。

 細鶴「一文笛」 まくらで大笑いさせ、かっちりした上方落語。
 駄楽「居酒屋」 一人突っ込み芸健在。ギャグの連続技健在。
 鶴太「人生いろいろ」 代書を彷彿させる人物登場。鶴太風味の落語も衰えなし。
 三楽「仔猫」 おなべさんの人柄のよさを伝わたつもり。久しぶりに稽古をして臨んだことは褒めてやりたい。(自評)

 最後に皆様へお礼。来年もやります!宣言をして、一本締めでお開き。 ゼミ生らの手伝いもあって、あっという間に片付け完了。持参した「落語家直伝 うまい授業のつくりかた」も完売。

 タクシーで懇親会場へ移動。朝米顧問も含めて22人の愛知教育大学落語研究会のメンバーで大盛り上がり。あのころを思い出し、話題は尽きず。20時前にお開き。


※三楽の仕事日記より

久しぶりの家族揃ってのご飯(嶋藤)

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 こんにちは。3期生の嶋藤です。6月30日に久しぶりに家族揃って夜ご飯を食べに行ったのでそのことについて書かせてください。

 私の家族は7人です。兄は4月から働き始め、寮に入っているため7人全員が揃うのはとても久しぶりでした。「6月30日は兄が夜ご飯を奢ってくれるから空けておきなさい」と母に言われ、この日を楽しみにしていました。

 沖縄料理が出るお店に行き、母と妹以外はお酒を飲み、今まで以上に腹を割って話をすることができました。兄とはあまり仲良くなかったのですが、お酒を飲めば仲良くなれるもんですね。(笑)今までになく、兄が優しく感じました。(笑)「家族との時間って大切だな」「私の支えになっている人たちは家族だな」と改めて感じました。

 「来年は菜月の番だな、奢ってくれるの楽しみにしているよ」と言われたので、奢ることができるように教員採用試験に受かって、しっかりと職を持たなければならないと思いました。あと少しですが、悔いのないように頑張りたいと思います。(嶋藤)

【お勧め】安田和夫先生が書かれた「『半分、青い』…知ってほしい一側性難聴」

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片方の耳が聞こえない「一側性難聴」

 今年4月に始まったNHK朝のドラマ「半分、青い。」のヒロインの楡野鈴愛(にれのすずめ)は、小学3年の時、おたふく風邪が原因で左耳の聴力を失います。

 実は、私も小学校3年生の時、自分の左耳が聞こえていないことに気づきました。私の場合は、砂場に落ちていた腕時計の動く音を確かめようとし、偶然、左右の耳で聴き比べてみて、聞こえていない事実を知ったので、何が原因だったのか、いつ失聴していたのかもわかりません。1年半ほど、耳鼻科医で注射による治療が続きましたが、聴力は回復することなく、現在に至っています。

 さて、鈴愛の両親は、医師から、鈴愛の「片方の耳が聞こえていない」という事実とともに、「音の遠近感覚や方向は分からなくなります。」と告げられます。私の場合も、まったくそのとおりです。「安田さん」と呼ばれていても、どこから呼ばれているのか、遠くなのか近くなのかもわからないので、周囲を何度もきょろきょろして、声が発せられる場所を探り当てます。左右の目が見えることで、遠近感が分かるように、左右の耳が聞こえることで、音の出ている方向や距離感がわかるのです。

外見ではわからない「一側性難聴」
 「一側性難聴」は、片耳は聞こえるため、補聴器をつけていることも少なく、外見では分かりません。また、抱える不自由さが理解されにくいことがあります。

 大学の特別支援教育の授業で、学生に「実は、私には障がいがありますが、どんな障がいなのか、わかりますか。」と聞くことがあります。外見からは、まったくわからないので、「眼鏡をかけておられるので視覚障がいがあると思います。」とか、「教室を活発に動かれるので、多動症ではないかと思います。」と、逞しく想像力を働かせて答えてくれますが、いずれも、見えていることをヒントに答えを導き出そうとしているにすぎません。
「実は、一側性難聴といって、私の片方の耳、左の耳はほとんど聞こえていません。」と告げると、多くの学生は驚きます。普通に、学生とやりとりしながら講義を進めているのでびっくりしたようです。目に見えないということは、言われなければ気が付かない可能性が高いということです。

 その後、「一側性難聴で困ることは何だと思いますか」と聞きます。多くの学生は、「聞こえにくい方から話をされると、聞こえにくく困ると思う。」と答えてくれます。その後、「実は、左右両方の耳が聞こえないと、音の方向が分かりにくくて困ることがあるよ。」と話すと、さらに、びっくりします。当事者だからこそわかること、その重みを感じてくれたと思っています。

 その他にも、私の場合、道を歩いていて、左後方から進んできた車や自転車の存在を、傍にくるまで気が付かなくて転びかけたことや、ざわざわした場面や複数の発言者がいるようなグループ討議や懇親会などで、とても聞こえづらいことは度々あります。
聞こえにくいと感じた時、鈴愛のように「つけ耳」を使うことはありませんでしたが、右手を耳元に広げ、右耳に音が集まりやすいようにすることはよくありますし、話し手の口元を見つめ、読唇(唇の動きからどう発音しているのか読み取ること)することもあります。

 そんな時、聞こえにくいことの不便さよりも、相手の反応はどうなのか気になってしまいます。時々、あわてて、口元を隠されることがあります。「また、やっちゃった!」と後悔する時です。「口元を見すぎて、相手にいやな思いをさせてしまったに違いない。」と思い込むのです。若い時は、自分は嫌われたのかもしれないとさえ、思うこともありました。

 また、「今の話、聞こえなかったんだ。もう一回話して。」とお願いすることができずに聞き漏らしたままにしておいて、大失敗をしてしまう経験は数多く、そのたびに、自己嫌悪に苛まれることもありました。

 鈴愛や私のような一側性難聴(一側聾)は、「片方の耳が高度の難聴である場合を言い、1000人に1〜2人と、比較的高い頻度で発見されます。学童期まで気づかれずに、健診ではじめて見つかることが少なくないので、学校保健上問題となります。原因は先天性遺伝性聾〈せんてんせいいでんせいろう〉かムンプス(おたふくかぜ)聾のどちらかの可能性が高いのですが、実際にはどちらかわからないこともあります。」(日本耳鼻咽喉科学会)とのことです。脚本を書いておられる岐阜県出身の北川悦吏子さんも数年前に左耳が聞こえなくなったそうです。今回の朝ドラ「半分、青い。」は、こうした一側性難聴の理解や、当事者の苦しみや困難さの理解への一助になってくれればと思っています。

聴覚障がいのある学生の入学
 そんな中、この4月、私の勤務する大学に、「将来、特別支援学校の先生になりたい」と入学してきた聴覚に障がいのある学生がいます。

 彼女は、両耳の感音性難聴で、高等学校段階まで、聾学校で学んできましたので、入学以前から、環境の大きな変化に不安や戸惑いを感じていました。しかし、入学式の手話通訳、音声文字変換アプリの活用、学生サポーターの配置などを進める中、「この大学に来てよかった」と言ってくれています。

 しかし、実は、大きな学びを得て成長させてもらっているのは、むしろ、サポーターの学生や特別支援教育専修の同級生、そして、教職員なのかもしれません。彼女が入学してきてくれたおかげで、聴覚障がいについての理解や、基本的なコミュニケーション時の配慮が、日々の生活の中で深まっていきます。

 毎週金曜日に行われている手話学習会には、私と共に、彼女が講師になって、手話を教えてくれています。毎週、40名近い学生と学生支援室の職員で教室はあふれかえり、活気に満ちています。彼女の存在が、大学を、学生を、教職員を元気にしてくれています。
最後に、ご紹介したい話があります。彼女が、学校ふれあい体験で訪問させていただく羽島市立竹鼻小学校に、事前の打合せにお伺いし、彼女の障がいの特性を説明した上で、配当学級で、聴覚に障がいのある事やそのことで知っておいてほしいことを自己紹介で話させていただきたいと申し出ました。すると、豊島博校長先生は、「この機会に成長させてもらえる児童は本当にありがたい。ぜひ、児童の前でじっくりと話してください。」と、本人に声をかけていただけました。帰った後、本人からのメールには、「校長先生や教務主任の先生、担任の先生にお会いし、温かい声をかけてもらえてうれしかったです。不安が少なくなりました。頑張って参加したいと思います。」との感激した内容が記されていました。共生社会の重要性が叫ばれる中、校長先生の力強い一言から、互いに学び合う、育ちあうことの大切さを改めて気づかせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。

ゼミの仲間、やっぱり最高です!(安部)

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 こんにちは。4期生の安部です。以前に四方山話をもっとアップしていきます!と意気込んでいたのに、最近は課題に追われていることを理由になかなかアップできていなかったので、今日は久しぶりに「最近あった楽しかったこと」について書きたいと思います!

 「最近あった楽しかったこと」とは、4期生ご飯会をやっと実現できたことです!(体調不良で1人参加できなかったので今度こそは全員で!)1か月前からみんなで予定を合わせて決めていた日だったのでとっても待ち遠しく、本当に楽しみにしてました。3期生の先輩方にもよく言っていただけますが、私たち4期生は本当に仲がいいと思います!(笑)仲がいいというかとても暖かい雰囲気があって居心地がいいって感じです。セミナーに行くのもゼミに行くのもこんなに楽しく、気楽な気持ちで行けるは玉置先生はもちろん、同期のみんなのおかげだと思っています!楽しいときは思いっきり笑い、学ぶときには真剣に学び、1人1人の向上心がとてもよく伝わるみんなが大好きだし、本当にいい仲間に出会えたなと思っています!(笑)

 これから先、つらく苦しいこともたくさん待っていると思いますが、楽しいときは思いっきり楽しみ、つらい時にはお互いに悩みを打ち明け、励まし合えるそんな仲間になっていけたらいいなと思っています!(安部)
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教員の魅力について(山下)

 こんにちは。3期生の山下です。

 今日は教員ってやっぱりいい仕事だなぁと感じた出来事を記事にしたいと思います。
私は毎週火曜日に一宮市内の小学校で学習チューターをさせていただいています。学習チューターというのは将来教員を目指す学生が授業の補助をしたり個別指導をお手伝いさせていただいたりするものです。

 毎時間違う学年・クラスにつくので子どもたちの名前や顔を覚えるのも大変ですし、関わる時間が短いのではじめはどう声をかけたらいいのか戸惑いました。時間が経つにつれて子どもたちも心を開いてくれ、いろいろな話をしてくれるようになりましたが1人だけとても気がかりな児童がいました。その児童は教科書やノートも出さず、先生が注意をしても屁理屈ばかり言ってまるで授業に参加する気がないように見えました。私が話しかけても無視されるか睨まれるかでどうしたらいいのか悩みましたが、持ち前のポジティブさでしつこいくらい声をかけ続けました。

 すると何日か経ったある日休み時間にその子が自分から話しかけてくれました。さらには算数の教科書に「山下先生」と書いて見せてくれました。そのとき私は「先生」として認められた気がしたのです。はじめは少し悲しい気持ちになりましたが諦めなければ子どもに伝わる、子どもを変えられると感じた瞬間でした。

 もちろんすべてがそんなにうまくいくわけではないことはわかっています。しかし、自分の働きかけによって子どもの成長を手助けできる可能性があることは間違いないと思っています。改めて教員という職業に魅力を感じ、先生になりたいという気持ちがますます強くなりました。

 教員採用試験まで1ヶ月を切り、時間のない中ですがとても貴重な経験をさせていただいています。お世話になっている先生方に恥じぬよう勉強にも一層力を入れていきたいと思います。(山下)

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