「子どもを勇気づける教師になろう!アドラー心理学で子どもが変わる」(岩井俊憲、永藤かおる著)から3(菱川)

◯ キャプチャー3から
 クラスに馴染めない子、気づけばポツンと一人でいる子、あまり手がかからないために存在感が薄い子、逆に誰に対しても威嚇的な態度で牙をむくような子そんな子たちを「協調性に欠ける」の一言でくくってないでしょうか?

● 以上のことから
 確かにその通りである。人はたった一人で生きていけない、だからそんな子たちにどのようなアプローチをかけていくべきか考える必要がある。

「子どもがどんどんやる気になる国語教室づくりの極意国語 授業編」(二瓶弘行編著 夢の国語授業研究会著)から2 (山下)

◯ p44〜
互いの意見が認め合える学級づくりのキーワードは、しずかちゃん

ジャイアンのように、「自分の考えこそがすべて、友達の意見など聞かない」ではなく、また、のび太のように「自分の意見を押し殺して主張しない、ただ聞いているだけ…」でもない。しずかちゃんのような、「なるほど、あなたの言いたいことはわかったわ。私はこう思うわ。」というスタンスです。

●以上のことから
 現在の子どもたちはジャイアンかのび太のような自分か相手、どちらかしか大切にできていない児童が多いように思う。そこで、しずかちゃんのように相手の意見を受け入れた上で自分の意見も話せる子供を育てることで認められるという安心感から誰もが発言しやすい授業になると考えられる。

「算数楽しく授業術」(坪田耕三)から4(早川)

◯ P90(家庭教育への期待)
 学校にはたくさんの子どもがいてこその学びを追究する場だ。
 大勢の子どもがいてはじめて出来上がってくるものに価値がある。
 一人ではできなかったけれど仲間がいて助けられたとか、一人では気づかなかったけれど仲間の一言で、はっと気付くことがあったなどといった体験が豊かな学びになる。
 家でただ一人で勉強していても、この楽しさを体験することはできない。
 そして、この楽しさを味わった子どもたちは、教室での学びが膨らんでくると、当然のごとく教室を離れて追究しはじめる。

● この文章中に学校教育として行うべき授業の姿が、全て詰まっているように感じられた。近頃、一斉指導よりも少人数指導等の密な指導に関心が向いているような気がするが、学校とはどのような場所であるか考え直した上で授業づくりに励む必要があると感じた。また、家庭教育も保護者の方にやってもらうよう促すだけではなく、授業内での学びの延長を子どもが自ら家庭で行うよう仕組むのも教師の役割だと学んだ。(早川)

「ネタ」開発ノウハウ(有田和正)から(静谷)

○ p33 8行目
あちこちで社会科の授業を見せていただくたびに強く感じることがある。それは子どもたちが「調べてみたい」「追究したい」という意欲・問題意識が出てこないうちに、教師の問題をおしつけて調べさせていることである。

● 以上のことから
子どもの学習意欲を高める導入の授業がとても大切であると考える。導入のネタによって、子どもの学習意欲は大きく変わるのだと学んだ。また、教師が「教える」ということを意識しすぎず、子どもの「学びたい」という意欲を尊重することを忘れてはいけないと学んだ。

大村はま 教室をいきいきと2 (丹羽)

◯ P116 12行目より
指導者が本を読むことが前提にある。自分が読まないことにはどうにもならないのです。子どもは驚くほど敏感に、紹介の陰に教師の読書があるかないかを感じ取るようです。

● 以上のことから
本を読む子どもを育てたいのならまずは自分が本を読むことが必要であると、改めて実感します。それと同時にこのことは読書に関わらず、あらゆる場面で生かせると感じます。例えば整理整頓ができるようになって欲しいのであれば、教師の机の上は常に綺麗である必要があると思います。ですから、何事もまずは自分がしっかりできているかという基準を持って子どもたちと関わっていくことが大切だと読み取れました。

「算数楽しく授業術」(坪田耕三)から3(早川)

◯ P75中段
 私は、ある時、先輩から「もしも、5+3=7と答えた子どもがいたらどのように指導するか?」と問われたことがある。
 すぐさま、おはじきやブロックなどを持ち出して具体的に教えると言ったが、その先生は「まずは、それはそのままにして、
、『では、5+2』はどうなるか、と聞いてみなさい。」と言われた。この答えが「7」であれば、その子は、自分から「おやっ?」と思うだろう。「5+3が7で、次に5+3も7であれば、当然『おやっ』と自ら気付くだろう」と言う。「5+3」と「5+2」が同じということはないことに自ら気付くように導くのは先生の役目なのである。そこまでくれば、自分で「なぜか」を考える場ができて、それは本当の学びとなるのである。

● 自分も同じことを問われれば、ブロックなどの具体物を使用して、すぐに間違いを正してしまうのだろうと思いながらこの文章を読んだ。大学の講義では、「『待つ』のも先生として大事なこと」と言われるが、ただ発言が出るのを待つという場面以外に、このような方法で子どもが自らの間違いに気付くのを「待つ」というのもあるのだとわかった。計算ミスをただのケアレスミスとして扱わないようにも配慮すべきだと考えた。(早川)

「ネタ」開発ノウハウ(有田和正)から(静谷)

○ P22 2行目
第七は、人の話に耳をかたむけることである。しゃべるばかりで、他人の話をきこうとしない人がいるが、これでは財産を増やすことはできない。聞き上手は財産を増やすことができる。

● 以上のことから
手持ち財産を増やすためには、話し手を尊重することが大切であると考える。話し手から財産となることをうまく聞き出すことができれば、普段の友人との会話からでも大いに財産を増やすことはできるということを学んだ。

「子どもがどんどんやる気になる国語教室づくりの極意」(二瓶弘行編著 夢の国語授業研究会著)から3 (山下)

◯ p64〜
使う色のルールを決め、矢印などで板書を整理。そうすれば子どもの頭の中もすっきり

発言をしたくても、なにを話せばよいかわからない子どももいます。そのような子どもは、どれが友達の意見かわかると、その意見を参考に話せることがあります。

● 以上のことから
板書は子どもの意見をただ羅列するだけでは子どもはなにを考えればよいのかわからなくなってしまう。教材文を白、子どもの意見は黄色、強調したいことは赤、などと使う色のルールを常に決めておくことでそのとき考えるべき内容がわかったり、友達の意見を参考にすることができ、発言しやすくなる。

「算数楽しく授業術」(坪田耕三)から2(早川)

◯ P16下部〜P17上部
 こんな簡単なことも、以外に実際の授業では行われていない。教科書は、字数、行数が決まっているので仕方なく文字を詰めて書いているのである。
 多くの先生は
つい教科書通りに板書しがちであるが、子どもの理解を促すためにも、小さなことでも気をつけたいところである。
 テストの問題もしかり。妙なところで行替えなどしてあって、文が泣き別れになっている場合さえある。ちっとも子どもの気持ちになっていない。その挙げ句に、子どもは文章問題が弱いとか、それは国語の読み取り能力に欠けているからだと分析する。「文章のほうが悪い」という先生は少ない。もっと考えるべきだと思う。 

● 以上のことから
 問題の答えが求められるように様々なアプローチを考えることの前に、そもそも子どもが文章の内容を把握していなかったらどうしようもない。「子どもの目線にたって考える」とよく言うが、それが場面場面で実際どのような配慮がそれに当たるのかを常に考えるべきである。また、なんでも子どものせいにする前に、先生としてやれることはすべてやったのか考えることが大事だと感じた。また、教科書は優れた問題が載っているので活用する他ないと考える一方で、そのままつかえば良いと信じ込むことの怖さも覚えておくべきである。(早川)

「子どもを勇気づける教師になろう!アドラー心理学で子どもが変わる」(岩井俊憲、永藤かおる著)から4(菱川)

◯ p56から
教師が自分とかかわるクラスに対して責任をもってしなくてはいけないこと、それは子どもたちが健全に共同体感覚育てる、いわば「居心地の良い空間づくり」にほかならないのです。

● 以上のことから
確かにその通りだと感じる。この共同体感覚について突き進んでいけば、子どもが一人で生きていくことなく協力して生きていくことを学べるだろう。

「ネタ」開発ノウハウ(有田和正)から(静谷)

○ P12 1行目
授業を十倍たのしくする方法があるだろうか。ある!
第一に、教師が教材に取り組み、それをどれだけ自分のものにできるか。
第二に、その教材を、子どもの興味関心や発達段階に、どれだけマッチしたものにできるか。
第三に、その教材の提示のしかたや追究のさせ方が、どれだけユニークか。

● 以上のことから
子どもが楽しいと思うために、前提として、教師自身がその教材を面白いと思うことが大切である。その上に子どもの目線に立ち、その教材を子どもが追究したくなるような提示の仕方を工夫することが大切であると考える。

教室をいきいきと2 大村はま (丹羽)

◯ P90 1行目より
ほめるにしても、「いい」という良し悪しを決めつけることばづかいでなく、もっと細かいところに触れたいものです。朗読の場合でしたら「よく読めました」と言ったような、上下を決めるような、階段のつく褒め方ではなくて、細やかな感想を述べる言い方にしたほうがいいと思うのです。

● 以上のことから
教員として子どもの行動を褒めたり価値づけることは大切なことである。しかし、漠然とした「いい」「悪い」のような言葉ではなく、細かい部分に目をつけてほめることで、子どもたちは自分のことを見てくれているのだと感じることができ、教員と子どもとの信頼関係にも繋がるのだと学んだ。

「算数楽しく授業術」(坪田耕三)から1(早川)

◯P0(はじめに)最下部
 日々教室で子どもと共にいるのだが、子どもも一個の人間である。大勢の子どもが集まるのだから、そこには様々な葛藤も生まれる。異なった考えの子もいて当然。いろいろな存在があってこその授業であって、それがよいのである。まずは、そのことが納得され、異なった考えをもつ者を受け入れることが大切である。「共生」の考えと言ってもよい。
 また、一緒に授業を進め、一緒に活動するのだから、相手の気持ちを考えに入れ、いたわりの心をもって、共に新しいことを創り出していくのが授業であると考えたい。「共創」の考えといってもよい。

● 自身の教育実習でも経験したが、子どもたちは誰かの意見に対して「同じです」といいがちである。しかし、再度自分の言葉で考えを述べるように促すと、さっきは「同じです」と言ったにも関わらず、微妙に考えが違うということがあった。この微妙な違いを大事にできる先生でありたい。”相手の気持ちを考えに入れ、いたわりの心をもって”という部分は子どもたちに任せていても難しい部分であると思うので、模範となるよう、まずは先生が子どもたちの個々の考えを受け入れる状態を常につくるようにすべきだと考える。(早川)

「子どもがどんどんやる気になる国語教室づくりの極意 国語授業編」(二瓶弘行編著 夢の国語授業研究会著)から1(山下)

◯ p12〜
授業での発言やスピーチで、ぼそぼそと小さな声で話す子がいます。声を出すことに精一杯で、教室の仲間に「届けよう」という相手意識まではもてていない姿です。仲間に届く声で堂々と話す自信を育てるには、「音読」が、大変有効です。書かれている文字をそのまま読めばいいので、話すことよりも抵抗感が少ないからです。音読で、声を出す楽しさを味わわせることが、仲間に声を届ける自信を育みます。

●以上のことから
みんなの前で話すときに声が小さくなるのは自分の考えに自信がないからだということがわかった。音読は書かれていることをそのまま読めばいいので自信がない子に読んでもらい、褒めたり回数を重ねることでいつでも仲間に届く声で話すことができるようになると考えた。大勢の前で話すことが難しいならばペアやグループで読むことから始めることも効果的である。話すことはあらゆる学びの土台になるので早い段階で身につけさせたい力である。

「スペシャリスト直伝!小1担任の指導の極意」(宇野弘恵 著)から2(岡田)

○ P.11〜
「 大人の思い通りに育たないからといって,脅したり叱りつけたりするのではなく,あたたかなまなざしをもって待つのです。どなりつけてやる気をなえさせることなく,教え諭しできた喜びをともに味わうのです。
 時には厳しく時には優しく,太陽となり北風となり,光り輝く彼らの可能性を信じ,ともに笑い,怒り,迷いながらずっとそばで励まし成長を見届けるのです。たった6年間しか生きていない子どもたちと感情をともにする,そんな柔軟性が小1担任には必要なのです。」

●児童の目線に立って一緒に色んな感情をともにし、寄り添い続ける。こうすることで自分のことをわかってくれているという安心感が生まれるため、信頼関係を築いていくための一歩となる。
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