教室をいきいきと2 大村はま (丹羽)

◯ p212より
 みなが自分の勉強に、自分なりに精一杯努力していて、それでめいめいが面白かったり張り合いがよかったりする、また自分として何かできるようになってきていることがどの子にもあって、できる人なのかできない人なのかが問題にならないところ、そういう世界で勉強しているのでないと、本当に明るくはならないと思います。

● 以上より
 いきいきとした教室を作るためには、教師として、一人一人に合った教材を用意しなくてはならないのだとおもう。ただ、時間の問題や決められた範囲があるのは事実であるため、同じ教材、資料を使うにしても一人一人の力に合わせた課題であったり声かけをし、その子自身が達成感を味わえるようにしたい。大村はま先生は読書会を開き、一人一人違った本をみなに紹介することで誰もさぼることなく、自分の課題に取り組めるような工夫を行なっており、大変面白いと感じた。

「追究の鬼」を育てる(有田和正)から(静谷)

○ p90 5行目
 追究する子どもを育てるには、単元構成もきちんと考えておかないといけない。一貫した指導ができないからである。単元構成の考え方は、どの学年も同じで、わたしは、どの学年も「一単元」という考え方である。その学年の単元は、すべて連続発展するように組んでいく。

● 以上のことから
 一年を通じて、どのような子どもを育てたいかという目的を持ち、さらにはその目的を果たすためには、年間で一貫した指導をしていくことが大切であると学んだ。年間で計画を立てることによって、この時期までにここまでできる子どもを育てたいという目標を持ち、その目標を果たすために、どのような指導をすれば良いかが明確化され指導しやすくなる。いかに年間を通じた指導が大切かがわかる。

「追究の鬼」を育てる(有田和正)から(静谷)

○p19 7行目
 個人研究をしたことは、必ず書くようにしむける。わたしの場合、「はてな?」帳という名のノートをもたせ、調べたり、考えたりしたことを、どんどん書かせるようにしている。
●以上のことから
 まずは、疑問を持たせるための手段を教師が子どもに与えることが大切となってくる。また、書かせることによって子どもは、「せっかくノートに書いたのだから調べよう」と思い、自ら調べようとする意欲が向上するだろう。はてな帳は、教師にとって教材研究をする際にとても役立つものであるだろう。子どもがはてなに思うということは、子どもにとってわかりにくい、もしくは興味を示す場所である。そうした場所を知っているのと、知っていないのとでは、教材研究の質が大きく変わってくると思う。是非とも実践してみたい。

「追究の鬼」を育てる(有田和正)から(静谷)

○p18 7行目
 教え・わからせ・理解させるのではなく、わかっていると思っていることをネタでゆさぶりをかけ、子どもたちに「あれ!」「わからないや」と言いだせるようにするのである。

●以上のことから
 このような子どもの発言は、自ら追究したいと思うきっかけであると思う。このような発言を出させるためには、教材研究が大切になってくる。教材研究を重ね、子どものわかっていることをゆさぶり、本質に気づかせることが大切であると学んだ。

教室をいきいきと2 大村はま (丹羽)

◯P149 7行目より
 授業での発言において、自分を責めていて、しかし言いわけをするのもいやだというのでしおれて出て行く子のほうが深刻ですから、そういう子にはかならず声をかけます。そういう子に限って、受け答えはしませんが、声をかけておいたほうがよいのです。

●以上のことから
 発言しなかった子どもでも、「今日はくたびれてて」「眠くて」と言いわけができる子どもに対してはそれを素直に受け取り、簡単に返すことでその子にとっての切り替えになるのだと思います。しかし、自分が発言できなかったことに対して、本当に落ち込んでしまう子どもに対しては、本人がなにも言わなくても、教師として気づき、心の傷を直してあげることが大切だと学びました。やはり、その日のうちに声をかけることが重要なのではないかと感じました。

「ネタ」開発ノウハウ(有田和正)から(静谷)

◯ P75 7行目
子どもの実態把握は、ひよこをつかむのににている。
確実にひよこをつかんだ - と思ったら、にぎりつぶしている。
ふわっとやさしくつかんだ - と思ったら、にがしている。
ひよこが死なないように、にげないように、しかも確実につかむことは容易ではない。
ひよこは、一日一日成長している。だから、つかみ方も変わってこなければならない。
つまり、子どもをつかもうとする教師も変わらなければ、確実につかむことは不可能である。「進みつつある教師のみ人を教える権利あり」といわれるのは、この辺のことをさしているのかもしれない。

● 以上のことから
子どもは日々成長するため、実態を把握することはとても難しいことである。そうした子どもの手本となる教師も日々成長していかないと子どもに示しがつかない。常に学び続け、子どもと共に成長し、子どもから学ぼうとする謙虚な姿勢を大切にする教師こそ、本当に子どもに教える権利があるのだと考える。教師という仕事の使命感を強く感じさせられた。

「ネタ」開発ノウハウ(有田和正)から(静谷)

◯ P38 8行目
とにかく、子どもを熱中させるネタの第一条件は、具体的で、目に見えるものであること。である。

● 以上のことから
耳から言葉だけで聞くよりも、目で見たもののほうが子どもにとって熱中するし、信頼もする。ネタを子どもに提示する際、具体物を用意し、視覚的に訴えることが大切であると学んだ。

「算数楽しく授業術」(坪田耕三)から5(早川)

◯ P186 オープンエンド・アプローチ

 また、たった一つの正解をいろいろな方法で解く、といった考え方を変えてみるようにしたらどうであろうか。
 問題を、正解がたくさんあるように設定するのである。
 答えがいろいろ登場して、なるほどそういう考え方もあるのかと発想の転換を迫られることが多々ある。
 授業をそのように設定するのが、オープンエンド・アプローチである。
 これも授業の発展・応用と考えてよい。
 いろいろな授業方法を図示すると次のようになる。
(図略)
(1)解き方色いろいろ
(2)オープンエンド・アプローチ
(3)発展的な問題づくり

● 自分の考える子どもが意欲的に取り組む授業のあり方では、多種多様な考えを認めることがとにかく重要だと考えていた。しかし、エンド(問題の答え)がたくさん存在しても全くおかしくない状況にすることで、発言自体を恥ずかしがる・躊躇する子どもはぐっと減るだろう。勝手に自分の頭にはめられた授業の型の中で、授業技術を見つけようとしているということにこの文章から気付くことができた。(早川)

「子どもを勇気づける教師になろう!アドラー心理学で子どもが変わる」(岩井俊憲、永藤かおる著)から3(菱川)

◯ キャプチャー3から
 クラスに馴染めない子、気づけばポツンと一人でいる子、あまり手がかからないために存在感が薄い子、逆に誰に対しても威嚇的な態度で牙をむくような子そんな子たちを「協調性に欠ける」の一言でくくってないでしょうか?

● 以上のことから
 確かにその通りである。人はたった一人で生きていけない、だからそんな子たちにどのようなアプローチをかけていくべきか考える必要がある。

「子どもがどんどんやる気になる国語教室づくりの極意国語 授業編」(二瓶弘行編著 夢の国語授業研究会著)から2 (山下)

◯ p44〜
互いの意見が認め合える学級づくりのキーワードは、しずかちゃん

ジャイアンのように、「自分の考えこそがすべて、友達の意見など聞かない」ではなく、また、のび太のように「自分の意見を押し殺して主張しない、ただ聞いているだけ…」でもない。しずかちゃんのような、「なるほど、あなたの言いたいことはわかったわ。私はこう思うわ。」というスタンスです。

●以上のことから
 現在の子どもたちはジャイアンかのび太のような自分か相手、どちらかしか大切にできていない児童が多いように思う。そこで、しずかちゃんのように相手の意見を受け入れた上で自分の意見も話せる子供を育てることで認められるという安心感から誰もが発言しやすい授業になると考えられる。

「算数楽しく授業術」(坪田耕三)から4(早川)

◯ P90(家庭教育への期待)
 学校にはたくさんの子どもがいてこその学びを追究する場だ。
 大勢の子どもがいてはじめて出来上がってくるものに価値がある。
 一人ではできなかったけれど仲間がいて助けられたとか、一人では気づかなかったけれど仲間の一言で、はっと気付くことがあったなどといった体験が豊かな学びになる。
 家でただ一人で勉強していても、この楽しさを体験することはできない。
 そして、この楽しさを味わった子どもたちは、教室での学びが膨らんでくると、当然のごとく教室を離れて追究しはじめる。

● この文章中に学校教育として行うべき授業の姿が、全て詰まっているように感じられた。近頃、一斉指導よりも少人数指導等の密な指導に関心が向いているような気がするが、学校とはどのような場所であるか考え直した上で授業づくりに励む必要があると感じた。また、家庭教育も保護者の方にやってもらうよう促すだけではなく、授業内での学びの延長を子どもが自ら家庭で行うよう仕組むのも教師の役割だと学んだ。(早川)

「ネタ」開発ノウハウ(有田和正)から(静谷)

○ p33 8行目
あちこちで社会科の授業を見せていただくたびに強く感じることがある。それは子どもたちが「調べてみたい」「追究したい」という意欲・問題意識が出てこないうちに、教師の問題をおしつけて調べさせていることである。

● 以上のことから
子どもの学習意欲を高める導入の授業がとても大切であると考える。導入のネタによって、子どもの学習意欲は大きく変わるのだと学んだ。また、教師が「教える」ということを意識しすぎず、子どもの「学びたい」という意欲を尊重することを忘れてはいけないと学んだ。

大村はま 教室をいきいきと2 (丹羽)

◯ P116 12行目より
指導者が本を読むことが前提にある。自分が読まないことにはどうにもならないのです。子どもは驚くほど敏感に、紹介の陰に教師の読書があるかないかを感じ取るようです。

● 以上のことから
本を読む子どもを育てたいのならまずは自分が本を読むことが必要であると、改めて実感します。それと同時にこのことは読書に関わらず、あらゆる場面で生かせると感じます。例えば整理整頓ができるようになって欲しいのであれば、教師の机の上は常に綺麗である必要があると思います。ですから、何事もまずは自分がしっかりできているかという基準を持って子どもたちと関わっていくことが大切だと読み取れました。

「算数楽しく授業術」(坪田耕三)から3(早川)

◯ P75中段
 私は、ある時、先輩から「もしも、5+3=7と答えた子どもがいたらどのように指導するか?」と問われたことがある。
 すぐさま、おはじきやブロックなどを持ち出して具体的に教えると言ったが、その先生は「まずは、それはそのままにして、
、『では、5+2』はどうなるか、と聞いてみなさい。」と言われた。この答えが「7」であれば、その子は、自分から「おやっ?」と思うだろう。「5+3が7で、次に5+3も7であれば、当然『おやっ』と自ら気付くだろう」と言う。「5+3」と「5+2」が同じということはないことに自ら気付くように導くのは先生の役目なのである。そこまでくれば、自分で「なぜか」を考える場ができて、それは本当の学びとなるのである。

● 自分も同じことを問われれば、ブロックなどの具体物を使用して、すぐに間違いを正してしまうのだろうと思いながらこの文章を読んだ。大学の講義では、「『待つ』のも先生として大事なこと」と言われるが、ただ発言が出るのを待つという場面以外に、このような方法で子どもが自らの間違いに気付くのを「待つ」というのもあるのだとわかった。計算ミスをただのケアレスミスとして扱わないようにも配慮すべきだと考えた。(早川)

「ネタ」開発ノウハウ(有田和正)から(静谷)

○ P22 2行目
第七は、人の話に耳をかたむけることである。しゃべるばかりで、他人の話をきこうとしない人がいるが、これでは財産を増やすことはできない。聞き上手は財産を増やすことができる。

● 以上のことから
手持ち財産を増やすためには、話し手を尊重することが大切であると考える。話し手から財産となることをうまく聞き出すことができれば、普段の友人との会話からでも大いに財産を増やすことはできるということを学んだ。

「子どもがどんどんやる気になる国語教室づくりの極意」(二瓶弘行編著 夢の国語授業研究会著)から3 (山下)

◯ p64〜
使う色のルールを決め、矢印などで板書を整理。そうすれば子どもの頭の中もすっきり

発言をしたくても、なにを話せばよいかわからない子どももいます。そのような子どもは、どれが友達の意見かわかると、その意見を参考に話せることがあります。

● 以上のことから
板書は子どもの意見をただ羅列するだけでは子どもはなにを考えればよいのかわからなくなってしまう。教材文を白、子どもの意見は黄色、強調したいことは赤、などと使う色のルールを常に決めておくことでそのとき考えるべき内容がわかったり、友達の意見を参考にすることができ、発言しやすくなる。

「算数楽しく授業術」(坪田耕三)から2(早川)

◯ P16下部〜P17上部
 こんな簡単なことも、以外に実際の授業では行われていない。教科書は、字数、行数が決まっているので仕方なく文字を詰めて書いているのである。
 多くの先生は
つい教科書通りに板書しがちであるが、子どもの理解を促すためにも、小さなことでも気をつけたいところである。
 テストの問題もしかり。妙なところで行替えなどしてあって、文が泣き別れになっている場合さえある。ちっとも子どもの気持ちになっていない。その挙げ句に、子どもは文章問題が弱いとか、それは国語の読み取り能力に欠けているからだと分析する。「文章のほうが悪い」という先生は少ない。もっと考えるべきだと思う。 

● 以上のことから
 問題の答えが求められるように様々なアプローチを考えることの前に、そもそも子どもが文章の内容を把握していなかったらどうしようもない。「子どもの目線にたって考える」とよく言うが、それが場面場面で実際どのような配慮がそれに当たるのかを常に考えるべきである。また、なんでも子どものせいにする前に、先生としてやれることはすべてやったのか考えることが大事だと感じた。また、教科書は優れた問題が載っているので活用する他ないと考える一方で、そのままつかえば良いと信じ込むことの怖さも覚えておくべきである。(早川)

「子どもを勇気づける教師になろう!アドラー心理学で子どもが変わる」(岩井俊憲、永藤かおる著)から4(菱川)

◯ p56から
教師が自分とかかわるクラスに対して責任をもってしなくてはいけないこと、それは子どもたちが健全に共同体感覚育てる、いわば「居心地の良い空間づくり」にほかならないのです。

● 以上のことから
確かにその通りだと感じる。この共同体感覚について突き進んでいけば、子どもが一人で生きていくことなく協力して生きていくことを学べるだろう。

「ネタ」開発ノウハウ(有田和正)から(静谷)

○ P12 1行目
授業を十倍たのしくする方法があるだろうか。ある!
第一に、教師が教材に取り組み、それをどれだけ自分のものにできるか。
第二に、その教材を、子どもの興味関心や発達段階に、どれだけマッチしたものにできるか。
第三に、その教材の提示のしかたや追究のさせ方が、どれだけユニークか。

● 以上のことから
子どもが楽しいと思うために、前提として、教師自身がその教材を面白いと思うことが大切である。その上に子どもの目線に立ち、その教材を子どもが追究したくなるような提示の仕方を工夫することが大切であると考える。

教室をいきいきと2 大村はま (丹羽)

◯ P90 1行目より
ほめるにしても、「いい」という良し悪しを決めつけることばづかいでなく、もっと細かいところに触れたいものです。朗読の場合でしたら「よく読めました」と言ったような、上下を決めるような、階段のつく褒め方ではなくて、細やかな感想を述べる言い方にしたほうがいいと思うのです。

● 以上のことから
教員として子どもの行動を褒めたり価値づけることは大切なことである。しかし、漠然とした「いい」「悪い」のような言葉ではなく、細かい部分に目をつけてほめることで、子どもたちは自分のことを見てくれているのだと感じることができ、教員と子どもとの信頼関係にも繋がるのだと学んだ。
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