後輩との時間(早川)

 こんにちは。3期生の早川です。

 初任者としての1年間が終わりを迎えようとしています。4月から始まって、元号も令和に変わり、初任研の出張で補充をお願いしながらの日々の授業。思い返すと本当にあっという間だったなと感じます。

 さて、自分が教壇に立ってから1年が経過しているということは、今度は後輩たちが教壇に立つ番がやってきます。今日はそんな後輩の4期生高桑と加藤奨の2人と食事をしてきました。

 それぞれの近況報告や、4月からの過ごし方で僕なりにできるアドバイスをしてきました。やはりゼミの後輩との会話は、どこか大学生のときに戻れた気分になり、とてもいい時間が過ごせたなと思いました。

 ふたりとも春日井市勤務ということなので、これから先もいい関係を築いていきたいなと思います!(早川)
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4年間の振り返り(井上)

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 こんにちは!4期生の井上です。今回は卒業ということで、4年間の振り返りをしたいと思います。これで記事を書くことも殆どなくなると思うと寂しいです。これまで読んで頂き、ありがとうございました。最後の記事となります。あと少しだけお付き合い下さい。

 この大学4年間を振り返るととても濃く、充実したものになったと自信をもって言うことができます。

 まず、よさこいサークル柳に入ったことで、他では味わうことのできないような学生生活を送ることができました。皆で汗、涙を流し、真っ黒になりながら練習し、1つのことに夢中になれる。そんな場所で4年間過ごすことができ、本当に幸せでした。暑くて熱い色あせることのない最高の青春で、そこでは一生付き合っていくことになると思えるほど良い仲間にも恵まれました。

 そして2年生のゼミ選びの時に、玉置ゼミに入ったことで僕の目標が少し変わりました。これまで僕は「教師になること」を目標にしてきました。

 しかし玉置先生をはじめ、多くの素晴らしい先生と出会ったことで、教師になることはただスタートラインに立つことに過ぎず、僕もこの方達のように教師自身が楽しみながらキラキラ輝いて授業をしたい!と強く思うようになり、それが新たな目標になりました。

 玉置先生と4期生12人の仲間に出会うことができて本当によかったです。よさこいサークル柳での言葉を借りれば、「出会えたキセキに感謝」です。13人それぞれが支え合いながら良いスパイラルを生み出し、全員が成長できました。

 そしてその成長を見守り、時には優しく、時には厳しく、愛情を持って玉置先生が指導して下さったおかげで今の自分達があります。本当に感謝しかありません。ありがとうございました。4期生の皆もありがとう。皆は僕の誇りです。これからも切磋琢磨し合って頑張っていきたいです!

 卒業した実感はまだまだありませんが、前を向き、これから先に待っている新たな世界に飛び込んでいきたいと思います!失敗しても大丈夫!4期生の皆や先輩方や後輩、そして玉置先生がいるんだから!これ以上良い味方はいない!思いっきりやっていきたいと思います!短い間でしたが、ありがとうございました!!!(井上)

4年間の感謝と、これから(高橋)

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 こんにちは。4期生の高橋です。先日、例年とは違った形ではありましたが、何とか卒業式を終えることができました。今回は、久しぶりの四方山話で、この大学生活を振り返ってみたいと思います。

 この4年間は本当に濃く、私にとっては、とても刺激的でした。
 家族のもとを離れ、一人暮らしをしました。
 初めてアルバイトをしました。
 お客様に怒鳴られたこともありました(笑)。
 車の運転ができるようになりました。
 1人で切符を買って名古屋に行く、電車の乗り方を覚えました。
 飛行機の乗り方は、最近やっと覚えました。
 お弁当作りも、それなりに続きました。
 今まで、出会ったことのない人とたくさん関わることができました。

 その中で、救われることもあれば、尊敬できる仲間の中で、自分とを比べて落ち込むこともありました。楽しいことばかりではありませんでしたが、本当に周りの環境と人に恵まれて、充実した4年間を過ごすことができたと思います。

 そんな4年間の中でも、最も大きな出来事は玉置ゼミに入ったことだと思います。このゼミでなければ出会えなかった先生方、見ることのできなかった授業、そして、先輩方との繋がり。この2年間で、これから先も、ずっと残り続ける財産を得ることができたと思います。

 そして、4期生のみんな。いつも明るくて、顔を合わせると元気をもらえる人たちでした。教採のときには、文字通り一丸となって、励ましあいながら取り組むことができました。みんながいたから、辛い勉強も、面接練習も頑張ってこられたのです。こんなに素敵な人たちと、もっと早く出会っていたかった、と何度も思いました。

 しかし先日、3年生時に知り合った別の友人から、
「1、2年生の思い出を振り返っても、和奏はいないんだよね」
と言われました。確かに…そう言われるとちょっと寂しいな、と思っていたのですが、そのあと、
「21年間を振り返ってもほとんどいないけど、未来にいるね!」
と言ってくれました。ちょっと綺麗すぎる言葉で笑ってしまったのですが、とても嬉しくて、心に残っています。

 そして、この言葉は、ゼミにも言えることだなあと思いました。3年生から本格的に始まったゼミでは、顔見知りは多かったものの、初めて出会う人、初めて話す人がほとんどでした。玉置先生でさえ、私は講義を受けたことがなかったので、初めましてでした。そんな玉置ゼミで、絶対に忘れられない2年間が送れるなんて思いませんでした。4年を振り返ると、ゼミで過ごしたのはたったの2年間ですが、玉置先生や、4期生とは、これから先、共にする時間の方が長くなると思います。

 大学を卒業するのは寂しいですが、大人になってからでも、こんなにも素晴らしい出会いが待っていると思ったら、卒業も悪くないな、とちょっと思いました。卒業を前向きに思わせてくれた、玉置先生と4期生のみんなには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 いつも、「いいゼミだなあ」と言って優しい眼差しで私たちを見守ってくださる玉置先生のもとで、2年間学ぶことができて幸せでした。ありがとうございました。

 長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!春から、また新しい場所で頑張りたいと思います。これからもよろしくお願いします。(高橋)

「感謝」玉置ゼミでの日々を振り返って(加藤諒太)

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 こんにちは、4期生の加藤諒太です。先日付で式はありませんでしたが、岐阜聖徳学園大学から卒業をしました。それは、玉置ゼミからも卒業ということで、どこか寂しく、そうではないはずなのですが、1人になってしまったという感覚が拭いきれません。

 振り返ってみてよく分かることですが、玉置ゼミで過ごした2年間は、大変多くの学びがありました。それはとても貴重な時間で、学生のうちにはなかなか経験できないことだと思います。だからこそ、後輩たちには今の時間を大切にして欲しいなと思います。

 数々の思い出の中でも玉置先生からの模擬授業に対してのご指導はかなり自分の中で印象に残っています。(笑)しかし、あの時「子どもが見えていない」という言葉を頂かなければ、僕は現場で同じ失敗をしていたと思います。1番大切なのは子ども。子どものために何ができるのかを考えるのが教師、という1番根底にあるべき大切なことが薄くなっていました。

 僕の長所は一つのことを突き詰められることですが、短所は視野が狭いことです。そこに改めて気付くことができました。教師としても、人間としても自分未熟さを実感した1日でした。だからこそ、僕は1番大切な思い出として残っています。あの時、厳しく指導してくださった玉置先生には本当に感謝しかありません。本当にありがとうございました。これからもご指導よろしくお願いします!
 
 もちろん、ゼミ生との思い出もたくさんあります(笑)ゼミでの出会いは本当に大切な出会いでした。教採期間、バーベキュー、お笑いについて話した日々数えればキリがありませんが、もっとたくさん話したり、遊んだり、勉強したりすれば良かったなぁと思ったりもしています。専修も違うメンバーが多く、もしかしたら卒業までずっと知らなかったかもしれない人たちが何かの縁で玉置ゼミとして出会い、共に学んだわけですから本当にこれからも大切にするべき縁だなぁと思います。本当にお世話になりました!ありがとう!!これからもよろしくお願いします!
 
 振り返ってみて思うのが、ここまでのゼミでの努力や学びを存分に発揮する場がこれからだと言うことです。思い出に浸るのはそろそろ卒業して、4月からの新しいスタートに向けて、前向いて一生懸命我武者羅に取り組みたいと思います。

 大切な学びを与えて下さった玉置先生、1期生の先輩方、2期生の先輩方、3期生の先輩方、共に学んだ4期生のみんな、5期生の後輩たち、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。(加藤諒太)

大学生活を振り返って(関口)

 こんにちは!4期生の関口です!今回はこの4年間を振り返りたいと思います。

 私は高校3年生の時、友達に「先生より教えるのうまいね」と言われて「子ども好きだし小学校の先生ありだなあ」という軽い気持ちで大学を選び指定校推薦をもらって聖徳に入りました。

 姉も私立大学に通っており、私自身国公立大学を目指せる学力はなかったため、はなから私立に行く気でいました。

 しかし、大学に入ってから私の家の経済力は余裕がないことを知りました。一級建築士である父が、夜中に物を運ぶ仕事をしていると知ったとき、とてもショックで何故もっと勉強しなかったのだろうと後悔しました。

 そして大学では、教育現場の厳しい姿をたくさん突きつけられます。「もし、教育実習に行って、教師になりたくないと思ってしまったらどうしよう。高い学費を払ってもらってるのに。」ととても不安で両親に泣いて謝ることもありました。両親はそれでもいいと応援し続けてくれました。

 2年生の後期、ゼミ選びがありました。私は国語専修なのですが、正直国語科自体そのものにあまり興味はなく、言葉の面白さや教育自体のものを学びたいという気持ちがありました。

 玉置先生がすごい先生で玉置ゼミがすごいと先輩から伺い、講義を受けたことない玉置先生を知るためにGoogleやYouTubeで調べまくりました。初めは、愛知の教採を1発で受かりたいという欲まみれの動機でもありました。しかし、「いのちの授業」をみた時、何がすごいのかどういう技術が盛り込まれているのか何もわかりませんが、とにかくすごく感動したのを覚えています。いざ面接をしてもらうとすごく怖い面持ちで、入るのは厳しいかもしれないと感じました。国語専修だけで5人もいたので余計に不安でした。結果は全員玉置ゼミに入ることができました。

 初めてのセミナー(だったと思います)は、EDUCOM本社で玉置先生が模擬授業を行われました。私は子ども役として参加しました。算数科で数字を黒板に貼り、並び替えることで偶数と奇数の規則を見つける授業でした。私はこの授業を受けて初めて、「授業ってこんなに楽しいんだ!面白いんだ!」と思いました。

 小中高と先生には恵まれており、大好きな先生もたくさんいますが、「印象に残っている授業」と聞かれると思い出すことができませんでした。私はこの授業をきっかけに「こんな面白い授業がしたい」と自分の中で教師という夢が明確になったと思います。

 教育実習は、とても楽しかったのですが、意気込んでいた授業技術を使えるほどまだ力がないことを思い知りました。すでに、教師になりたくなくなったらという不安はなく、悔しい思いとさらに頑張りたいという思いしかありませんでした。

 教員採用試験ではゼミ生みんながいたからこそ頑張れました。広島を九州だと思っていたりインドの位置も形もわからなかったりとみんなよりスタートラインが後ろだったのですが、頑張っているみんなの姿を見てやる気をもらいましたし、たくさん励ましてもらいました。ゼミじゃない子たちと討論をすると玉置ゼミすごいと崇められ、私の力ではないけど悪い気はしませんでした(笑)

 今思い返すとつらかったけど、少し戻りたいなと思うくらいのいい思い出です。こう振り返ると本当にゼミの存在が大きく、私はたくさん支えられてきました。

 そして来月、私は教壇に立ちます。まだ大学生気分が抜けておらず、この状態で先生になれるのかと思っています。教壇に立てば、新任だろうが新卒だろうが関係ありません。たくさん失敗はすると思いますが、プロとして今までの学びをうまく活用していけるよう、記事で振り返りながら読書でさらに学びを増やしていきたいです。

 今まで本当にありがとうございました。この場を借りて、ゼミで関わってくださった皆様に感謝申し上げます。そして、家族にも感謝を伝えたいです。

 今の私の課題は実践が足りていないことです。生活力も足りてません。実践を繰り返しながら、生活面でも自立できるよう頑張ります。

 長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後の活躍に乞うご期待ください!(関口)
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乱読の旅の果て2(中澤)

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。写真をご覧になった後、この記事を読んでいただきたいと思います。

 写真は私が昨年の8月から2月にかけて二週読破した本です。1周目は文章に目慣れし、2周目で内容を大まかに把握しました。その結果、全科目全分野大まかに内容把握したことになります。勿論完全なインプット、アウトプットはこれからです。それをこの一年間でやっていく予定です。この記事を書くことを昨年の8月に計画し、今実行していることに自分ながら感動しています。

 実行して気づいたことが二つあります。一つ目は目次の大切さです。学校では教科書の内容をマラソンのように授業してしまいます。そのため、「いつまで勉強するの〜」「内容が多すぎるから嫌だ」という子どもの声が溢れてしまいます。教師は目次を有効活用すべきだと私は思いました。目次とは、勉強内容全てを一言で並べたものです。目次に書いてあることを暗記し、分厚い本でも結局は10数個の項目にすぎない。その項目を引き出しに例えてその引き出しを膨らましていこうかと伝えればどれほど頭に入りやすいかと実感しました。

 二つ目は、学校は以下に子どもの未来の可能性を、仕方なく狭めてしまうのかということを感じたことです。私たちは文理選択する時に自分のやりたいこと得意なこと苦手なことで考えます。ここで考えたいことはそもそも苦手なことと認識してしまう理由は何かということです。私の話になりますが私は理科が大嫌いでした。全く理解ができませんでした。しかし理由はと聞かれたら教科の内容が難しいからではありません。理科を教えていた先生が嫌いで、授業の内容が全く理解できず、結果教科の内容がわからなく、それが拡大して理科嫌いになりました。私は記憶がなくなったこととゼミの教えのもと自分で自分に授業をするための教材研究として理科を勉強しました。するとすーっと頭に入っていきました。

 教師を志す人は、自分によって本来苦手になるはずでない教科を苦手にさせてしまうことがあると心に留めることが大切であると私は考えました。私も教師力を生かすことを考えている人として心に留めていきたいと考えています。

 さてさて難しい話になりましたが、タイトルについて話して終えたいと思います。この結果は、玉置研究室の本棚の本を乱読し、読んだことのない本を読む癖がついていたからだと考えています。(玉置研究室の本を読破したことを乱読の旅の果てという記事でかつて書きました。)玉置ゼミの教えを無駄にしないために必死になっていますが、無事繋がることができて良かったと思っています。玉置ゼミに多大な感謝の気持ちを示し、記事を終えたいと思います。(玉置先生に対する感謝の気持ちは、それだけで一本の記事になります。後日書けたらと思います。)お読みいただきありがとうございました。(中澤)

限られた時間の中で(酒井)

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 こんにちは。先日の卒業式から一週間以上たってもなお先輩ロスに襲われている5期生の酒井です。
 ところでこれを書いている今日は2020年3月22日です。そう!今日は!なんと!私が生まれて8000日目の日です!!!…笑
 8000日×24時間で192000時間も生きています。ここまでの時間で自分はなにが変ったのだろうか。毎日毎日もっと大事に時間を使うべきだったのではないか。過去を振り返るとついそんなことを考えてしまいます。マイナス思考は良くないと分かっているのになかなか直りません。一度考え出すと負のスパイラルにはまってしまうこともしばしば…。
 そんな私も最近立ち直る方法が見つかって落ち込んでも早めに自力で立ち上がることができるようになってきました。自然と積んできた経験のおかげで自分を理解しつつあるからかもしれません。限りある時間、せっかくなら自分にとって楽しく過ごせた方がいいなあと思うようになったからかもしれません。

4年生スタートまであと9日
22歳まであと36日
教員採用試験の一次試験まであと118日
卒業まであと358日

 某ワニくんのように残された時間が分かっていることはそうそうありませんが時間が有限であることは確かです。だからこそ今日という一日を、今のこの瞬間を大切に過ごしたいなと改めて思いました。(酒井)

100日後に変わった私(大久保)

 こんにちは!5期生の大久保です!今回は、過去に1度記事にした4コマ漫画についての感想を書いていきます。

 以前心を動かされた4コマ漫画という題で、Twitterで流行している「100日後に死ぬワニ」について記事を書きました。そんなワニの漫画が開始してから、3月20日で100日が経ちました。

 結論から言うとワニは、タイトル通り100日目に死んでしまいました。

 ワニは彼女が出来て、親友とも仲良くやり、幸せ真っ只中の日々を過ごしていました。
100日目には、彼女と親友2人と親友の彼女で花見をする予定でした。しかし、その道中轢かれそうになっているヒヨコを助けて、ワニ自身が轢かれて亡くなってしまいました。
(直接的な表現は無いので、私の解釈です。)

 「こんな死に方って…」

 私はそう思いました。どれだけその人が幸せでも、充実していて、虚しくても、死というのは誰にでも降りかかってしまう。なんて惨いのだろう。

 少し話が変わりますが、スティーブ・ジョブズのスピーチに私が好きな言葉があります。それは、

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定を私は本当にやりたいだろうか?」

 という言葉です。スティーブ・ジョブズは、毎朝鏡に映る自分にこう問い掛けていたそうです。

 私は「Yes」と胸を張って言える日々を過ごしていません。面倒臭いことは後回しにして、本当にやるべきことに向き合わないでいる。そんな日々です。この言葉を大切にしていた自分自身もいつもの間にかどこかへ消え去っていました。

 今回ワニの100日間を通して、長らく忘れていたこの言葉に再び向き合うことができました。

「まあ、明日があるからいいか」

 この考えがある内は、本当の自分に、やりたいことをやれる自分になれないと思います。

 いつまで生きていられるか分からない、そう考えると不安になります。しかし、そうではなく、今生きている1分1秒の現実を噛み締め、今この時に何が出来るのかを常に考え続け、悔いのない1日を過ごしていくことこそが大切なのだと強く感じました。そう感じた自分自身がこれからどうしていくかが、人生の岐路だと思います。

 今まで通り後回しにして楽に生きる道。自分のやりたいことを見極めて、悔いのないように生きる道。私は後者の選択が出来るよう邁進していきたいと思います。

 最後まで読んでいただいた方、ご高覧いただきましてありがとうございました。(大久保)
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心の天気と「なんでもない日」(遠藤)

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 こんにちは!5期生の遠藤です。今回は、2月中旬から参加させて頂いている、「心の天気」の研究について書きたいと思います。ちなみに私は現在、晴れの日が一番多く、次に雨の日が多い状態です。

 私にとって晴れの日は、「なんでもない日」「普通の日」というイメージでした。その為、晴れが続く事に特に喜びもなく、当たり前のように感じていました。

 しかし2月のある日、楽しみにしていたサークルの大きな行事が新型コロナウイルスの関係で取りやめになってしまい、私は初めて雨をつけました。その日はちょうど練習日で、久しぶりにサークルの皆と再会し、心はまさに晴れ模様だったのですが、その一件で一気に雨に変わってしまいました。翌日には面接練習が無くなり、更にその翌日にはインターンが中止になりました。

 目標がなくなって、私の心の天気は連日雨ばかりでした。そうして雨が続くようになって初めて、当たり前のように感じていた晴れの日々のありがたさに気付いたのです。忙しくも充実していたこと、晴れだと自信を持って言えた日常だったこと。2月の心の天気を振り返っていて、そんな当たり前の日常が続いていた尊さを感じました。

 一日一度、自分の一日を振り返ることが出来るのはとても良い事だと、日々実感しています。しかも、日記のように色々書くのではなく、天気の選択肢の中から一つ選んで自分の気持ちを表すので、とても楽でやりやすいです。難しい作業もいらずさっと出来るので、ズボラな私でも続けられています笑
 
 これからも「なんでもない日」のありがたさを噛み締めて、正直な自分の心の天気と向き合っていきます。

***

 余談ですが、最近一番印象的だった天気は集団面接練習の日です。上手く話せるか不安で、いっぱいだったので、心の天気は曇りにして出かけました。しかし、面接官役の先生に沢山ご指導頂いて、やるべきことがはっきりとわかる内に、徐々に気持ちが晴れやかになっていきました。その日家に帰ってきた時には、「今の自分は晴れだ。」と言えるくらい気持ちがスッキリしていました。

 自分の気持ちは家を出る前と出た後でこんなにも変わったのだから、朝の会と帰りの会に心の天気を導入したら、子ども達の心はどんな風に変化しているのでしょう。是非現場で見てみたい、子ども達にも、気持ちの変化を是非感じて貰いたい!と強く思った一日でした。

 日々沢山の発見、学びがあります。素晴らしい実証実験に参加させて頂けて幸せです。株式会社EDUCOMの皆さん、本当にありがとうございます。 (遠藤)

「三楽の仕事日記」に対する一考察(中澤)

 こんにちは!コロナウイルスの影響で「三楽の仕事日記」を見ることしか楽しみがないと感じている中澤佑太です。ということで今回は「三楽の仕事日記」について記事を書きたいと思います。

 みなさんは「三楽の仕事日記」を読んでいますか?私は大学4年生になった頃から「三楽の仕事日記」を毎日読んでいます。なぜならあの日記でできることがたくさんあるからです。

 私は「三楽の仕事日記」を読む時に、書いてある文章に合わせて自分の一日を振り返って頭の中で文章を作っています。すると気づきます。…自分はいかに無駄な時間を過ごしてしまっているのかと笑。そこから私は朝起きてから寝るまで何をするのかを大切にするのは勿論。「無駄に過ごしたときにも何かしら意味はなかったのか」と考えるようにしています。その結果充実した日々を過ごせるようになってきました。もともとストイックな考え方をするのにさらに磨きがかかってしまいなんだかなぁです。

 また記事がアップされるときの一言のコメントはドキドキしながら見ています。あのコメントで自分が提出した記事やゼミ生の記事を玉置先生はどう思って上げているのかわかるからです。このことに気づいた時に私は決めました。

 絶対昔の仕事日記は読まないでおこう(笑)。なぜなら私の昔の記事を上げていただいた時も当然コメントされているわけで、もっといえば私が大学3年生のときと玉置先生との関わりも書かれているわけで。そう考えると恐ろしくて恐ろしくて(笑)。

 ゼミ生一人一人「三楽の仕事日記」の活かし方を見つけてみてはいかがだろうか。これだって自分にしかない貴重なものなのだから。

 ということで今回は「三楽の仕事日記」について振り返ったことを書いてみました。お読みいただきありがとうございました。(中澤)
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あの日から9年。(遠藤)

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 3月11日。今年もこの日がやってきました。

 2011年3月11日の東日本大震災、当時私は小学6年生で、卒業式練習の真っ最中でした。体育館全体が大きく揺れて、皆が悲鳴を上げてしゃがんだり、走り出したり、外に出ようとしました。その騒音のせいで、教務主任の先生からの放送が全く聞き取れず、「放送を聞きなさい!」と担任の先生が怒っていたのをよく覚えています。

 2012年の3月11日は、中学校で黙祷をしました。同い年の子ども達で、まだ中学校に行けていない子が沢山いる事を知り、大震災に終わりはないのだと気付きました。

 2014年の3月11日は、高校入試の直前でした。頑張ってきた勉強の成果を発揮できなかった東北の子ども達はどんなに悔しかっただろう、と同じ受験生という立場から想像しました。

 今年は、「自分がもしあの時教員だったら、私は何が出来ただろう」と考えていました。最近、色々なニュースを見ては「自分がもしこの立場なら・・・」と置き換えるクセが付きつつあります。(これは恐らく、玉置先生に「この場面、もしあなただったらどうする?」と唐突に問われる経験から、習慣付いたものと思われます(笑)。ゼミ生特権ですね。)

 しかし、上手く考えがまとまらなかった為、手がかりを求めて玉置先生の仕事日記を紐解きました。

 すると、2012年3月11日の日記の中で、先生が佐藤正寿先生の「ふるさとが復興する時は必ず来る 〜岩手の子どもたちと共に〜」という原稿を紹介してらっしゃるのを見つけました。

 私はこの佐藤先生の文章を少なくとも三回は読み返しました。そして、この記事に今出会えた事に心から感謝しました。

 当時小学生だった私は、ラジオやTVで終わりなく流れてくる被災地の様子に怯えることしか出来ませんでした。被災地の子ども達が、こんなに地域や互いを思い合い、未来を向こうとしていたなんて!高齢者へのマッサージや炊き出しの手伝いをする子ども達の姿を知り、なんて立派なんだろう、と涙が出ました。

 私が教師になれたなら、子ども達に東日本大震災の話をする際は、必ず今日佐藤先生の原稿を通して知ったことを伝えたいです。

 そして、2011年から何年経っても、震災のことを自分ごととして捉えられるようにしたい、子ども達にもそうなってほしい、と思います。何より、互いに支え合って前を向くことの大切さを伝えたい、と強く願っています。

 近頃、新型コロナウイルスの関係で寂しいニュースが続いています。東北の子ども達は、困難に対して互いに支え合い、前を向くことの大切さを知っていました。このことは、大震災だけでなく様々な身の回りの困難に置き換えることが出来るはずです。衛生製品の買い占めや、体制批判をする前に、周りの人達と支え合う意識を持った行動をして欲しい、と佐藤先生の原稿を読んでいて改めて感じました。

 東日本大震災から9年、まだまだ知らないことばかりです。あの日のことを忘れずに、今私に出来ることは何か、考え続けようと思います。

http://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h23/...
 上記のページでは、佐藤先生も原稿の中で仰っていた「釜石の奇跡」の体験談が書かれています。この記事の中にも、被災後4日目から自発的に避難所の名簿作りに取り組んだ生徒達の存在が出てきます。

 防災訓練への意識が変わるような、本当に貴重なお話ばかりで、是非多くの方に読んで欲しいと感じた為、リンクを貼らせて頂きました。(遠藤)

セミナーに通い続けて思ったこと(中澤)

 こんにちは!コロナウイルスの影響で玉置先生のセミナーが中止になり禁断症状が出ている笑中澤佑太です!ということで、今回は二年間セミナーに通い続けた今だからこそ話せることを話していきたいと思います。

 私はセミナーに行きまくりました。行き過ぎたあまりにゼミ生や先生方から「どうしてそんなにたくさん行けるの?」とか「玉置ゼミが好きなんだねぇ〜」「良い教師になりたくて必死そうに見える」なかには「正直場所は違うけれど同じ内容じゃん。そんなに行って飽きない?」など、とんでもない内容までいろいろと言われてきました。それらの言葉に共通して皆さんが思っていることはこれだと思いました。

 「なぜセミナーにたくさん行ったのか?」

 勿論教師力を貪欲につけたいからと言えばそれまでです。しかし、それなら何回か行けば良いと私も玉置先生も思っているはずです。話が重複するのは当人も思っているはずであるし、むしろ教える内容がぶれてはいけないのだからです。けれども私は明確な目的のもと足しげもなく通い続けました。

 その理由は、玉置先生の姿を少しでも取り込むためです。

 授業でもセミナーでも内容は重複することがあっても、発表者がその時に発言する内容はその時しか得ることができません。だから私はその時しか話さない玉置先生の考えを聞きたいから通い続けました。またセミナーに通い続けると、玉置先生が困っている瞬間や、聞き手に対してどう対応するか悩んでいる瞬間に気付くようになりました。

 そして、その時にどう対応しているのか、考え方やたたずまいはどうか、実際の本音はどうかなど、長く忍耐強い人生経験に基づいた姿や考え方を直に知ることができます。だから、私は玉置先生にひっついてばかりいました。

 当然そうしたからって、自分に何か身に付く訳ではない。それが当たり前。…と本来なら言うところですが、通い続けているうちにいつの間にか自分も同じ考え方をしている時があったり、見てきたこと聞いてきたことを生かさなければと考えていたりなど、少なからず片鱗があり、「これはしばらく経つと面白い人間になっているなぁ自分」と思えるようになっているのだから面白いと考えています。

 セミナーの記憶が全てあるかといえばうそになる。けれども身体に染みついているという状態です。いやはや本当にセミナーに通い続けた。

 後輩たちに伝えることがあるとするならば、セミナーが当たり前にあると思ってはならない。長い人生の中で本当に誰も経験しないあなただけの貴重な体験であることを思っていて欲しい。そして玉置先生といられる時間は有限であることも忘れてはいけない。そんなふうに私は今思っている。

 今回はセミナーについて振り返ってみました。お読みいただきありがとうございました。(中澤)
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心の天気(矢崎)

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 こんにちは。矢崎です。

 心の天気の研究に携わらせていただいてから、1週間が過ぎました。

 晴れ、晴れ、晴れと連日、晴れが続いていた私ですが、とうとう雷になりました。私は勝手に雷はイライラしたときの気持ちやどうにも言葉にできない気持ちを表すものだと解釈しています。

 昨日の夜遅く、雷になってしまいました。自分の情けなさや、周りに対しての不満。それらが雷の原因となりました。自分で頑張っていると思っていた事を心ない言葉で否定されると、もう、何というか、言葉にできなくて。雷雨になりました。

 頑張りは他人からは見えづらく、そして伝わりにくいです。また、自分が頑張っていると思っていても、人にはそれぞれキャパというものがあり、どうしても人は自分のキャパで人の頑張りを測ってしまいます。

 自分でもそれは重々承知です。自分も必ずキャパで人を測る一面を持っています。だから、日頃、私はなるべくその人のキャパでその人を見ることができるようによーくその人を見て、支えたり、支えられたらしてきたつもりです。

 でも、それが、なかなか上手くいきません。決して自分はできる人ではありません。だからこそ、周りと一緒に頑張りたいのに。

 志賀内さんの本にあった「気張る」それを私はまだできていないのでしょうか。あの言葉を見てからそれができるように心がけてきたのに、とてもとても難しいですね。

 心の天気はとても良い仕組みだとこの1週間感じました。心の言葉にならない気持ちを吐き出すことのできる小さな避難場所です。この避難場所があることがどれだけいいことか。言葉にできない黒く重い気持ちはその人の心にずっと靄のように居続けます。その靄は自分一人の力では吐き出せません。そんな時にこの心の天気は大活躍すると感じています。

 晴れになれるよう、美味しいものを食べたり、友達と話したりします!(矢崎)

感動!柳卒業演舞(玉置)

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 2月23日(祝)、本学体育館で行われた「第16代目 柳 卒業演舞」を見てきました。

 感動!感動!感動!の連続でした。

 我が4期ゼミ生の3人(井上君、秋田さん、山田さん)を始め、柳の皆さんは大学時代の多くの時間を費やして、侃々諤々しながら、こうした素晴らしい演舞を創りあげてきたんだな、と羨ましい気持ちになりました。そして40数年の過去になる自分の大学時代、落語研究会に所属し、多くの時間をかけて落語会の企画運営や落語の稽古に熱中していた青春時代を思い出しました。

 たくさんの方々が体育館に集まってきていること(中には2期ゼミ生の古川さん、牧野さん、白井さんもいました)に驚きました。また柳の代表者がそのことに深く感謝している姿勢にも感動しました。おかげさまで良い時間となりました。

 また、写真のように久しぶりに(笑)4期生の関口さん、高桑さん、高橋さんとも出会え、足を運んでよかったなあと思いました。

 そうそう立川談慶師匠が、「自分の時間を費やして会いたいと思えるのは、日頃の人間関係の答え合わせです」と書いておられました。今日はこの言葉が心に浮かんだ日でもありました。(玉置)

 

2月15日EDUCOMへPC貸与へのお礼

 玉置ゼミはEDUCOMこころの天気実践に全面的に協力することになりました。そのためにPCが5期生・6期生21名に貸与されました。そのときのお礼の言葉です。生田君が叩き台を作り、5期生で作り上げたお礼文です。

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 こんにちは。岐阜聖徳学園大学 教育学部 玉置ゼミ生の生田朋也です。本日はお忙しい中、Chromebookの貸与式、説明会を開催していただきありがとうございます。

 日頃からお世話になっているエデュコム様の研究に参加させて頂けること、私たち玉置ゼミ一同、大変嬉しく思っております。

 これからの教育現場には、pcが1人1台配付されることが決まっております。そうした新しい時代の中で、どのようにICTを活用し、どのような授業を行うのか、私たち一人一人が常に考えて行く必要があります。まだ勉強中の身である大学生の私たちにとって、このような研究に参加させて頂けることは、大変貴重な経験だと感じております。

 本日お借りしたChromebookを普段の学習から活用し、自分たち自身のスキルを磨くのは勿論、これからの学校現場で活躍するシステムの開発に少しでもお役に立てるよう、取り組んでいきたいと思います。

 エデュコム社長 柳瀬様、そしてこのような場を設けてくださった株式会社エデュコムの皆様、本当にありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。簡単ではございますが、以上で私からのお礼の言葉とさせて頂きます。
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リスタート(酒井)

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 こんにちは。久しぶりに四方山話を書いております5期生の酒井です!

 教員採用試験に向けて勉強する仲間が少しずつ増えてきたの日に日に感じる今日このごろです。味岡小学校を参観させていただい2月6日、私は一足早く退席し大学で開かれた岐阜県の宝の話にも参観させていただきました。宝の話とは教員採用試験を終えた先輩方から対策や試験についてのお話を直接聞くことができる機会のことです。参加させていただいてまず焦りを覚えました。自分を奮い立たせてやらなくてはならないなと強く思いました。

 加えて、頼もしい先輩方のお話を聞くことできる有り難さも感じました。その年その年で単発で終わらせるのではなく、先輩から後輩へと受け継ぎ背中見て励むことのできる環境を用意していただけていることを本当に感謝したいです。

 教員採用試験は自分の夢を叶えるひとつの過程。頑張る目的はその先にあります。仲間や息抜きを大切にしつつ後悔のないように励んでいきます。

 来年度受けるみなさん!!共に頑張りましょうね!!!少し時間にはおわれましたが充実した一日になりました。よし、頑張ろっと。(酒井)

心を動かされた4コマ漫画(大久保)

 こんにちは!5期生の大久保です!今回は初めて四方山話を書いてみます!(記事に死という言葉が多く用いられています。ご了承の上読んでいただけると幸いです。)

 題名にしているので、お分かりかと思いますが、今回は私が心を動かされた4コマ漫画ついて書きます。

 それは...

 Twitterで流行している「100日後に死ぬワニ」という4コマ漫画です。

 軽く内容を説明します。と言ってもタイトルが全てを物語っています。作者は、きくちゆうきさんという方です。どこにでもいるようなワニ(人型)の、何気ない日常を4コマ漫画で描き、毎日「100日後に死ぬワニ 〜日目」といってアップされます。

 この4コマ漫画の何が興味深いかと言うと、主人公であるワニは100日後に絶対に死んでしまうのです。しかし、ワニは死にたいなんて思っていませんし、自分が死ぬということも知りません。読者である私たちのみが、ワニが死ぬという運命だけを知って、毎日読み進めているのです。

 漫画の中のワニは、私たちと同じようにご飯を食べて、テレビを観て笑い、恋をして、色々なことに悩むのです。そして、人一倍感受性が豊かで、小さなことに喜び、小さなことに悲しむ、とても綺麗な心の持ち主です。そこに、読者である私たちはどこか惹かれているのだと思います。

 私はこれを初めて読んだ時、衝撃を受けました。こんなに楽しそうに笑っているのに、100日後には死んでしまうのだと思うと、言葉に言い表せない、何とも言えないような気持ちになりました。

 漫画に対する読者のコメントに目を向けてみると、恋をしているワニに対し「今しかないんだから、想いを伝えてほしい!」「後悔したまま終わって欲しくない」といった内容のものが数多く寄せられています。

 実際に私も「もっと積極的に頑張れ!」や「毎日を無駄にしないでほしい」と何度も思っていました。

 しかし、死というのは、私も直面するものであるのに、どこか他人事のように考えていました。ただただ客観的に漫画を読んでいたのです。

 私は1日を無駄にしてしまうことがよくあります。「無駄にしてしまったな。でも、明日があるからいいか」と、楽観的に済ませてしまいます。当たり前のことが当たり前ではないのだと、この漫画を通して痛感しました。

 ここで、私の小さい頃の話をさせていただきます。私は、昔からおばあちゃん子で、幼稚園の時は、毎日送り迎えをしてもらっていました。祖母のことは好きなのですが、時に口うるさく怒られることがあったので、小さい頃の私は腹を立て、「もう話さない!」とよく思っていました。ただ、寝るとそんなことも忘れて、いつもように祖母と話すのです(笑)

 そんな祖母が、私が小学4年生の時に、事故により脳死状態になり、そのまま亡くなってしまいました。本当に突然のことでした。私は成人した姿を見せることも叶わず、祖母に感謝の言葉すら伝えることが出来ませんでした。

 自分自身が死ぬかもしれないと思い、毎日を無駄にせず過ごそうと思っても、死というのは、周りの人に対しても同じように降りかかってしまうものです。周りの友人、先輩、先生方にもしっかりと気持ちを伝えていかなければいけないと改めて強く思いました。

 今(1月23日)の段階で、43日目です。つまり、ワニが死んでしまうまで、残り57日です。私は57日後に、これに関する記事をもう一度書こうと思います。

 たかが漫画かと思うかもしれませんが、私がこうして心を動かされたように、同じような気持ちになる人がいるはずです。この記事を読んでいただけた方で、本当に興味本位で良いので調べてみてほしいです。

 長々と書いてしまいました。最後までご高覧いただきましてありがとうございました。(大久保)

 ※写真は、主人公であるワニです。
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「学校へ行けない僕と9人の先生」を読んで 矢崎

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 こんにちは。五期生の矢崎です。今回は「学校へ行けない僕と9人の先生」を読んでの感想を書かせていただきます。

 この本は玉置ゼミの必読書です。この本を読むまでは題名に「9人の先生」とあるので、きっと「僕」がいい先生に出会う話が書かれているのだろうなと思っていました。
しかし、内容は全く違っていました。

 この本を全て読み終えて私が感じたことは「教師も人である」ということです。

 私は「先生」と人から呼ばれる職業は周りから「人」とは思われにくいと感じます。どうしても、その「先生」と呼ばれる人は自分より上で出来る人、いや、完璧でいるべき人だと思われがちだと思います。

 でも、今回この本を読んで、改めて「教師も人である」ことに気づかされました。主人公の棚橋くんの人生に関わってきた「先生」「人」でした。勇気を出してわからないと言った棚橋くんを平手打ちした「先生」もいました。学校で不安を感じている棚橋くんに「わかるでしょ?学校に行っていないと困るってことが」と言った「先生」もいました。学級を上手くまとめられず、保健室に逃げ込む「先生」もいました。ご褒美と罰を与えて学級をまとめようとする「先生」もいました。様々な「先生」がいました。

 「人」にはそれぞれ生きてきた世界があります。苦手なこと、得意なこと、今うまくいっていること、うまくいっていないこと、全てが揃ってその人の世界です。当然、その世界は「先生」にもあるのです。それを理解することは大変な時間と労力が必要です。ついつい、自分の世界だけでその子を見ようとしてしまいます。

 でも、それをされた子どもはたまったもんじゃないと思います。子どもはどうしたらこの「先生」は怒るのか、喜ぶのか、この「先生」にとっての「ふつう」ってなんなのだろうと「先生」の世界を探ります。私もそうでした。そうして探る中で「いい先生」、「悪い先生」を決めていました。

 だから、私は教師になる身として、自分が「人」であることを忘れないようにしたいです。

 自分は子どもたちと同じように「人」であり、嫌な事も好きな事も、こだわりもめんどくさがりなところもあるということを忘れずに「人」である子どもたちに向き合いたいと思いました。そうすることで、自分だけの世界ではなく、その子の世界を見せてもらえる教師になれるのかなとこの本を読んで感じました。(矢崎)

素敵な本と出会って (矢崎)

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 こんにちは。五期生の矢崎です。今回は玉置先生にプレゼントしていただいた、志賀内さんの「京都祇園もも吉庵のあまから帖」の感想を書かせていただきます。

 この本は玉置先生が繋いでくださったご縁で志賀内さんが私への直筆のサインを書いてくださった、とても特別な本です。この本はとっても素敵でした。志賀内さんの文章はスッと私の心に心地よく着地していきます。どんどん本の中の世界へ入っていきました。

 この本は京都の祇園を舞台とした小説です。その祇園で元芸妓さんをしていたもも吉さんが一見さんお断りの甘味処「もも吉庵」の女将をしています。その「もも吉庵」に悩みを抱えた人が訪ねてきて、もも吉さん特製の麩もちぜんざいを食べ、気付けば悩みを吐露している、「もも吉庵」はそんな場所なのです。悩める人にもも吉さんは心を解きほぐす言葉をかけていきます。

 もも吉さんの言葉は人として自分はどうあるべきか考えさせられるものばかりでした。

 もも吉さんは「叱るときには『慈眼』が必要だ」と言います。「慈眼」とは簡単に言えば、「思いやり」です。これは当たり前のことかもしれません。でも、私は叱る時は、叱る側の考えや生き方が主体となりがちと思います。「私はこうやって生きてきた、だから大丈夫。」と相手に伝えているのと一緒ではないでしょうか。それはその人への「思いやり」が欠けています。

 しかし、十人、人がいれば十通りの性格があるのと一緒で、人にはそれぞれの人生があります。その人の今までの人生は叱る側の人生とはまるで違います。だからこそ、その人を「思いやる」ことを忘れてはいけないのです。その人の今までの人生を慮ってその人と対話することを忘れてはいけないのだと学びました。

 また、もも吉さんは「頑張る」と「気張る」の違いを教えてくれました。「頑張る」は「我を張る」こと、自分独りよがりのこと。「気張る」は「周りを気遣って張り切る」ということ、周りの人たちを巻き込んで、助けたり助けられたりして、色々な考えを1つにまとめて自分の力を発揮すること。

 この言葉に私はハッとしました。私はつい、自分に何か任されたときに「頑張って」しまいます。周りにもっと頼ってよ、一人でやらないでと言われます。そんな言葉に私はなんて言葉をかけてくるんだろう、信じられないと思っていました。しかし、もも吉さんの言う通り、私は「頑張って」いたのです。だから、これから、私は「気張る」ことを目指したいです。そして、「頑張る」人に「気張る」環境をつくれる人間になりたいと思いました。

 そして、「ふつう」についても考えさせられました。ご飯を食べる前に「いただきます」を言うこと。食べた後に「ごちそうさま」を言うこと。落ちているゴミを拾うこと。
これらは人として普通のことです。でも、つい忙しく生きていると忘れてしまうことばかりです。でも、そういう当たり前のことができる人を人は見ています。人として当たり前のことをできるようにしていきたいと思います。

 「大事な人」についても考えさせられました。毎日一緒にいる家族、友達、恋人についイライラしてしまうことがあります。それはきっと私が心を許しているから、その人のことをよく考えようとしているからでしょう。

 だからこそ、その人と笑い合う時、気付いてはいませんがとっても幸せなのだと思います。でも、情けないことに、そういった感情はその人を失ってから気付くものです。

 でも、この本を読んで、「相手が幸せなら、自分も幸せ」だということに気づかされました。自分が幸せなら、きっとその人も幸せに感じてくれているということです。だから、どれだけその人と幸せになれる瞬間が多くなるかは私の関わり方にあるのだと思い、「大事な人」に誠実でありたいと改めて思わされました。

 最後に、「苦労」について考えさせられました。人生、生きていれば様々な「苦労」があります。

 それは人それぞれです。他人から見て、一見小さな「苦労」だと思われることでも、その人からしてみれば、とてつもなく大きな「苦労」なことだということもあります。そう、「苦労」に大きいもの小さいものないのだと私は思っています。人の「苦労」を自分のはかりで測ることはできないし、してはいけないのだと思っています。

 そして、小説の中で無轍様が言った「神様がときどき人に苦労を与えてくださる。」という言葉に私は覚えがありました。

 母が亡くなった時に祖母が私に言った言葉だったのです。
「かえちゃん、神様は乗り越えれる人にしか苦労を与えないんだよ。」と。 
 私はその言葉を今も心の中で常に座右の銘にしています。小説の登場人物たちが言っていた、「こんな苦労いらん。いやや。」という言葉。痛いほど分かりました。

 でも、なぜなのでしょう。神様はその「苦労」を私たちに与えるのです。その「苦労」を私たちは乗り越えて「財産」にしていかなくてはいけないのです。これから教師をしていく中で、自分自身はもちろん、子どもたちの「苦労」を見るときが多々あると思います。本当に辛い時、人は月並みの言葉では「苦労」に立ち向かえません。「覚悟」がないと無理なのです。その時に、私はこの無轍様や私の祖母のように、その子に「覚悟」を持たせてあげられるような言葉をかけたいです。そのためにこれからも「苦労」と付き合って、「財産」にしてやろうと思います。

 この本でたくさんの「言葉」をいただきました。私にとってこの本と出会えたことは財産です。志賀内さん、玉置先生、素敵な本を本当にありがとうございました。(矢崎)

さあ勇気を出して一年を過ごしていこうか(中澤)

 新年明けましておめでとうございます。この記事を読んでいただいている全ての皆様の御健康と御健勝を御祈り申し上げます。四期生ゼミ長の中澤佑太です。六期生の皆様はじめまして。今回は、今年の抱負を書きながら、六期生のために自己を紹介できたらなと思います。

 新年を迎えるにあたって、私は一つの目的を掲げました。それは、『この一年間をどう過ごすかによって、私は死ぬまでどう生きていくことになるのかが決まる』です。

 私のことを書く前に他の四期生にも当てはまるなと思ったことを書きます。

 四期生は、この四月から教師という仕事を担う社会人としてスタートをきります。それはつまり一年間に渡る子どもたちとの関わり、毎日の安定した授業提供、保護者との関わり、同業者との関わりをし続けていくことになります。当然そこでは、予想外のことが身にふりかかり、頭を抱えたり、困惑したり、落ち込んだり、理不尽のあまり怒ったりします。失敗の連続になると思います。当然一年目であるという支援もあります。

 しかし、だからこそ私は『この一年間をどう過ごすかによって、死ぬまでどう生きていくことになるのかが決まる』と考えることが大切ではないかと思いました。言い換えれば、予想外の事態に直面するたびにどう考えて、どう感じて、どうするのかが、その後の教師人生での無意識のくせになり、自身がより良い教師になっていくのかが決まるということです。よってこの一年間、毎日を過ごすなかで、一日一日を徹底的に分析することが大事になると考えました。

 さて私の話をします。私の場合は複雑ではないけれど、少し難しいことになっています。とりあえず私のことを知らない人のために、簡潔に玉置ゼミに入った後の中澤を紹介すると、

1,大学二年生以前の記憶、そして三年生の記憶がなくなる。
2,玉置ゼミで学んだことがそのまま自分の性格、思考、判断、表現など人格を形成する要素となる。つまり人格が変わる。
3,小学生のころからの夢であり周囲からも期待されていた教師になるという信念を抱いてきたが、自分を知ることで、名古屋市公務員になるという信念へ変わるというか成長し、来年から東京アカデミーで法律を学ぶなど修行をする。

 このような感じになります。おそらくよく分からないと思うし、そんなことが現実に起こるか信じられないと思われると思いますが、事実だから仕方がない。証人は最低27人はいます。(笑)

 ゼミに入ってから二年間私は様々な恩恵を与え続けていただきました。しかし当然大学を卒業すればそのようなことはありません。(無論一生続くゼミという言葉の通り、相談できる環境があるというだけで贅沢でありがたいわけですが。)

 けれども私は、与えていただいた物事の考え方や能力を駆使した新しい生活スタイルを確立したいと考えています。どんな仲間を何人作るか、人間付き合いをどうしていくか、私はどんな性格でどんな風に日常を過ごし、仕事や課題、目的にむかってどう乗り越えるのかを、これから出会う人達に知られたいのかを作り上げたいと思っています。勿論名古屋市公務員試験当日までどうゼミで培った力を駆使して積み上げていくのかもあります。

 よって、『この一年間をどう過ごすかによって、私は死ぬまでどう生きていくことになるのかが決まる』という抱負を抱くことになりました。この一年間、毎日徹底的に振り返り大切にしていきたいと思っています。

 ここから五期生六期生へメッセージです。

 五期生のみなさん。教採の一年を迎えましたね。皆さんに言いたいことは、『この一年をどう過ごすかで、教師としての自分をどこまで知ることができるかが決まります。』難しいことを言ってるのでなく、自分が教師として本当に生きていけるのか、またどんな困難が待ち構えていて、どう自分は考えて乗り越えていくのかを理解できるのかということです。それがわからなければ面接官も、この人は教師にしておけないなと判断されても仕方がないことになるからです。一年間自分と向き合いましょう。

 六期生のみなさん。ようこそ玉置ゼミへ。皆さんに言いたいことは、『この一年をどう過ごすかで、今後の人生がより幸せになるかが決まります。』玉置ゼミに打ち込めば打ち込むほど今以上に素敵な人になるし、人生変わるよということを言いたいです。玉置ゼミにはそれだけのパワーがあります。あなた次第でそのパワーをどれだけ引き出せるかが変わります。素敵なゼミライフになることを願います。

 ゼミ関係者に現状報告するたびに、良い意味で驚いてもらえる報告をし続けられるように、この一年間挑戦し続けていきたいと思っています。以上で抱負を終えます。お読みいただきありがとうございます。今年も御指導御支援よろしくお願い致します。(中澤)
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