本日の全校朝礼では、下記の表彰も行いました。
【卓球部】板橋区・新人大会
男子ダブルス第3位 = 渡辺くん(2年)・高橋くん(1年)ペア
【英語科】板橋区・英語のつどい 学校代表 = 施さん(3年)
おめでとうございます! 今後のさらなる活躍に期待しています。
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学校行事や暦の関係で、こうして全校朝礼で皆さんにお話しするのは、10月2日以来です。 そして、その10月2日の朝礼で、私の後に生活指導主任の桑原先生がお話しされたことを、覚えているでしょうか。
桑原先生は「最近『学校生活のきまり』の網目をすり抜けて、ちょっとした違反をする人がいる」といったような注意をされました。 そして、生活のきまりや校則を、自主的に守ることの大切さを説かれていました。
私も、全く同感です。 しかし、その一方で私には、校長になって以来ひそかに抱いてきた夢があります。 それは、いつか細かな生活のきまりや校則が一切ない学校を築きたい、という夢です。
そう聞くと、もしかしたら「学校に校則がなければ、自分の好きなことができる。ぜひそういう学校にしてください」と期待した人がいるかもしれません。誤解がないように、私の真意をわかりやすく説明しましょう。
「 Boys,Be ambitious 」(ボーイズ・ビィ・アンビシャス = 少年よ、大志を抱け)の言葉で知られるアメリカの教育者・クラーク博士は、1876年(明治9)、開校したばかりの札幌農学校(現在の北海道大学)に、初代教頭として着任しました。
その際、校舎内の廊下にたくさんの校則が貼られているのを見て、クラーク博士はこう言ったそうです。
「規則で人間をつくることはできない。 この学校に、校則はたった一つあればいい。 それは、『 Be Gentleman 』だ。」
「 Be Gentleman 」(ビィ・ジェントルマン)意味は「紳士であれ」。
「 Gentleman = 紳士」は男性を指す言葉ですが、これは札幌農学校が当時は男子校だったからで、皆さんは男女に関係なく「上品で礼儀正しく、教養のある人間」と解釈してください。
集団の構成員一人ひとりが「 Gentleman 」つまり、礼儀正しく、人の立場で物事を考えられ、善悪の判断を間違えることなく行動できるのであれば、その集団に細かな規則やルールは不要でしょう。
私が皆さんに期待するのは、そうした自律の精神です。
「自ら律する」と書いて「自律」。周囲からの制約でなく、自分で確立した規範に従って行動できる、という意味です。「なんだ、そんな簡単なことか」などと思わないでください。実は、とても難しいことなのです。
周囲からの制約、つまり校則がないからといって、一人ひとりが好きな時間に登校したり、学習の場にふさわしくない身だしなみをしてきたり、スマホを持ち込んで自由に使ったりしていたら、学校はどうなると思いますか?
ただ自分勝手な人間が集まり、各自やりたいことをやっているだけの無秩序な集団と化してしまうでしょう。 現在多くの学校に校則がある理由の一つは、学校がそうならないようにするためでもあるのです。
全ての生徒が、自分のとるべき行動規範を、自分で決めることのできる学校。 さらにその行動規範は、自分のこと以上に、他者の存在やあるべき集団の姿が優先されている学校…。 校則のない学校とは、そういう学校です。
言い換えれば、「校則のない学校」とは「校則を必要としない生徒の通う学校」のことなのです。 そして、「校則を必要としない生徒」とは「自律の精神が身に付いている生徒」ということになるでしょう。
「 Be Gentleman (紳士であれ)」の一言で、全ての生徒が快適で秩序ある集団生活を送れるような学校を築きましょう。
「 Be Gentleman 」の一言で、全ての生徒と先生とが信頼し合える学校を、共に築いていきましょう。