本日の全校朝礼では、下記の表彰も行いました。
【身近な環境に関する標語及びポスター展】 最優秀賞=橘さん(1年)
橘さんは、標語部門での受賞でした。 おめでとうございます!
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何かが終わるということは、その何かに始まりがあったということです。 「始まりがあったからこそ、終りがある」 しかし、時に私たちは、終りに注目する一方で、始まりに対する関心は低いことがあります。
今週の金曜日12月8日、皆さんは、76年前のその日、何が始まったかを知っているでしょうか?
1941年(昭和16)12月8日、後に日本人だけで約310万人の犠牲者を出したといわれる太平洋戦争が始まったのです。
その戦争が終わったのは、4年後の8月15日。 こちらはマスコミ各社が「終戦記念日」「終戦の日」といった名称で報道するので、きっと多くの人が知っていることでしょう。
ただし、私は、「なぜ、戦争はいけないのか」を知ることは「戦争とは、何か」を知ることであり、「戦争とは、何か」を知るためには、「終り」だけでなく「始まり」を知ることも必要だと思うのです。
だからといって私は、今ここで太平洋戦争の原因となった当時の世界情勢や、日本の抱えていた外交上の問題、欧米諸国との関係を説明するつもりはありません。 それらの概略は、歴史の授業で学んでください。
私が皆さんに知ってもらいたい「戦争の始まりと終り」。 それは、ルネサンス期のイタリアの政治家・マキャベリという人が残した次の言葉に集約されています。
【戦争は『しよう』と思ったときに始まる。 しかし、『終わってほしい』と思ったときには終わらない。】
76年前の12月8日、日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ軍基地を攻撃し、甚大な被害を与えました。 そして、その報を聞いた多くの日本人が喜びに沸き、万歳三唱したり、祝賀パレードを行ったりしました。
まさに、多くの日本人が「しよう」と思ったときに、戦争は始まったのです。
しかし、その戦争の始まりは、いつか自分が、あるいは愛する家族が、死の危険と隣り合わせの戦場に行くかもしれないということを意味していました。 いえ、それだけではありません。
先ほど、犠牲者の数は日本人だけで約310万人と言いましたが、戦争が奪ったのは戦場にいる兵士の命だけではありません。 その中には、子供も含む民間人が約80万人以上も含まれているのです。
おそらく戦争の始まりに歓喜した人々も、やがて悲しみと恐怖、飢えや痛みとともに、その終りを願うようになっていたに違いありません。 しかし、『終わってほしい』と思ったときに、戦争は終わりませんでした。
人間の始めた戦争が、その人間の意思とは無関係に長期化し、深刻化し、泥沼化してしまう。 そして、莫大な犠牲者を出すことでしか、終わらせられなくなくなってしまう…。 とても恐ろしいことです。
「なぜ、戦争はいけないのか?」
私はたくさんあるその答えの一つに、「人間によって始められた戦争が、いつか自ら意思をもったかのように暴走し始め、始めた人間でさえ制御できなくなるから」という理由があるように思えてなりません。
【戦争は『しよう』と思ったときに始まる。 しかし、『終わってほしい』と思ったときには終わらない。】
この体育館にいる誰もが、直接的に戦争を知りません。 だからこそ、私たちは、「戦争が一度始まれば、取り返しのつかない結果を招く確率は100%である」ということを、歴史から学ばなければならないのです。