本日の全校朝礼では、下記の表彰も行いました。
【防災標語コンクール】 入選 = 堀口さん(1年)
おめでとうございます。
※校長講話の内容は、下の『おりたたみ記事』をクリックしてください。
校長講話・ここをクリック
先週の月曜日、東京が大雪に見舞われた日のことです。 私は、出張先から帰る途中の駅で、少し悲しい光景を目にしました。
その駅のホームは、雪の影響により遅れている電車を待つ人たちで、大変混雑していました。 もしかしたらそのことが、悲しい光景を生み出した一因だったのかもしれません。
それは、合宿か何かの移動中と思しき学生の集団が、ホームの黄色い点字ブロックの上に、複数のキャリーケースや荷物を放置したまま、おしゃべりに夢中になっている光景でした。
皆さんも、点字ブロックは知っているでしょう。 正式には「視覚障害者誘導用ブロック」といい、目の不自由な方に移動の方向を示したり、注意を喚起したりする目的で、駅や道路に敷設されています。
「白い杖」と書いて「はくじょう」と読みます。 目の不自由な方が使用する杖のことです。 皆さんも街中で、白杖で点字ブロックの感触を確かめながら歩く方を、見たことがあるかと思います。
そうした方にとって点字ブロックの上に障害物を置かれることは、私たちが歩いている時に突然目隠しをされたようなものです。 電車が来るまで目の不自由な方がそこを通らなかったのは、せめてもの幸いでした。
電車に乗り込んだ私は、荷物を放置していた学生たちの無神経さに、少し腹が立っていました。 しかし、すぐに考え直しました。 「あの学生たちだって、意地悪でそんなことをしていたわけではない」と。
ただ、悪気がなかったとはいえ、その行為に「優しさ」が欠けていたことは事実です。 けっして意地悪ではないあの学生たちに、いったいどんな「優しさ」が欠けていたのか、私は改めて考えました。
使い古された言い方かもしれませんが、「優しい」という字は【亻】(にんべん)に【憂】(うれえる)と書きます。 「人を憂える」と書いて「優しい」。 では、「人を憂える」とは、どういうことでしょうか。
それは、「人の心の痛みを、自分の痛みとして受け止める」ということです。 ただし、人の心の痛みは、目に見えません。 したがって、想像することでしか、心の痛みを共有することはできないのです。
その想像力を働かせることが、できるかどうか? 例えば、自分の言動が、他者に与える影響を想像できるかどうか? 困っている人や弱い立場にある人の目線で、その人に何が必要かを想像できるかどうか…?
私は、そういう想像のできる人が「人を憂えることのできる人」つまり「優しい人」なのだと思います。
そして、人の心の痛みが想像できたら、今度はその痛みを癒すために、何らかの行動をとれる人のことを「優しさに秀でた人」…そう、「優秀な人」と呼ぶのだと思います。
私は、板三中生は皆「優しい人」ばかりだと信じています。 そして、そんな皆さんの中から、一人でも多くの「優秀な人」が現れてくれるよう願っています。
特に3年生は、これからの約1か月間、進路先が決定した人と未定の人とが混在した中で、学校生活を送ることになります。 一足早く高校に合格した人は、どうかまだ入試を控えている人のことを憂えてください。
勉強ができるから「優秀」なのではありません。 高校に合格したから「優秀」なのでもありません。 人の心の痛みを自分の痛みとして受け止め、自分の言動を律することのできる人が、「優しさに秀でた人」=「優秀な人」なのです。