その手紙を読んだとき、私は流れ落ちる涙を抑えることができませんでした。 まだ5歳の女の子が、覚えたばかりの平仮名で自分の両親に宛てて書いた手紙です。
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もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりかもっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして
きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから やめるから もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします あしたのあさはぜったいにやるんだとおもって いっしょうけんめいやるぞ
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手紙を書いたのは、船戸結愛(ゆあ)ちゃんという5歳の女の子です。 ニュース等で知っている人もいるかと思いますが、結愛ちゃんは今年3月、両親の虐待によって死亡しました。
結愛ちゃんは、電灯もない部屋に一人寝かされ、自分で目覚まし時計をセットし4時に起床、毎朝平仮名の練習をするよう命じられていました。 父親は、その勉強をせず寝ていたので、殴ったり食事を与えなかったりしたと供述しているようです。
先の手紙は、結愛ちゃんがそうして覚えた平仮名で、練習用のノートに書いたのです。
私は今回の痛ましい事件から、改めて「親とは何か」について考えました。 そして、「子どもを産む・子どもをもつ」ということと「親になる」ということは、必ずしも同義語ではないという私なりの結論に至りました。
その「親になる」ということに関しては、中学校でも保健体育の授業で生殖や妊娠について学びます。 そして、皆さんの教科書には【新しい命を生みだせる体に成長した人間には、その責任がさらに強く求められる】と書いてあります。
また、家庭科の授業では、幼児の生活と家族について学びます。 その際には、子どもが育つ環境という側面から家族の役割を考え、その重要性を認識できるようにします。
さらに、来年度から特別の教科となる道徳の時間では、「家族愛・家庭生活の充実」や「生命の尊さ」も取り上げることになっています。 したがって、新たに採用される教科書を使い、それらをテーマに皆で考え、議論するようになります。
とはいえ、それらは全て「親になる」ための準備学習にすぎません。 実際に子どもを産んだ人・もった人が「親になる」ためには、学校の授業や教科書以外の何かが必要となります。
その必要な「何か」は、人により異なるでしょう。 ただ、私の経験では次の2つが最低限必要だし、逆にその2つさえあれば、最低限の親の務めも果たせると思っています。
一つは、我が子に「この人の子どもに生まれてきて良かった」と思わせるほどの愛情です。 そんな深い愛情を注げる大人になるためにも、中学生の今からあらゆる機会をとらえて「人間愛の精神」や「命を大切にする心」を育んでいってください。
もう一つは「我が子を自立させ、何か社会に貢献できる人間に育て上げる」という強い覚悟と責任感です。 それだけの覚悟と責任感を持ち続けるためには、まずは皆さん自身が自立し、社会貢献できる大人へと成長しておく必要があります。
中学生の皆さんが「親になる」のは、まだ先の話です。 しかし、結愛ちゃんのように「ただ子どもを産んだだけ・もっただけの人」のもとに生まれてきた結果、かけがえのない小さな命が奪われ続けていることも事実です。
そのことを考えたとき、すでに中学校でも「親になる」ための準備学習は始まっていること、そして、中学生の今からできることを知っておいてもらいたくて、今日の話をしました。