本日の全校朝礼では、運動会実行委員からの話や、運動会の各カラー代表生徒、ダンスリーダーの紹介もありました。
今年度の運動会は、全学年が4クラスでそろったこともあり、縦割りの意識が今まで以上に強くなります。 また、昨年度まで男女別に行っていたダンスも、今年度は初めて男女一緒に取り組みます。
そうした新しい板三中の運動会に、早くも期待が高まりました。
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今から48年前の今日=1971年(昭和46)6月17日、日本とアメリカ合衆国の間で「沖縄返還協定」が結ばれました。 そして、翌年の5月、戦後27年間にわたりアメリカの統治下にあった沖縄が、正式に日本に返還されたのです。
その沖縄に、私の好きな方言があります。 もしかしたら知っている人もいるかもしれませんが、【なんくるないさ】という方言で、「なんとかなるさ」という意味で使われます。
沖縄の方々には、時間に追われることなくのんびり構え、物事を明るく楽天的に考える県民性があると言われます。 それを象徴するような言葉で、困難に直面したときなど心の中でつぶやくと、元気の出る方言です。
ただし、私は、この【なんくるないさ】(なんとかなるさ)という言葉は、どういう人間が、どんな場面で使うかによって、言葉の重みというか、意味が全然違ってくると思っています。
困難を乗り越えようと、とことん努力した。 自分にできることはすべてやった…。 つまり、自分の力でなんとかしようとしてきた人が、最後の最後に使う「なんとかなるさ」には、説得力があります。
それに対して、それまで怠けていただけの者が、最後に神頼みで使う「なんとかなるさ」、実は何の見通しも立っていないくせに自分を慰めるために使う「なんとかなるさ」には、むなしい響きしかありません。
【人事を尽くして天命を待つ】という諺があります。 「自分にできる限りの努力をしたら、結果は神様に任せる」といったような意味ですが、本来「なんとかなるさ」は、そんな心境を表す言葉として使うべきだと、私は思います。
もう一つ、諺を紹介しましょう。 【窮鼠猫を噛む】(きゅうそねこをかむ)という諺です。 窮鼠(追いつめられたネズミ)が、猫にかみつく…つまり、窮地に陥った弱者が逆襲に転じるという意味です。
ただし、この場合、ネズミを突き動かしたものは勇気ではありません。 どうにもならない状況に追いつめられたからヤケになって噛みついただけで、他にとるべき手立てがなくなれば誰でもそうします。
同じようにそれまで怠けていた人が、いよいよ最後に開き直って行動に移すことを、勇気とは言いません。 本当の勇気ある人(真の勇者)とは、自分が窮地に追い込まれないよう、日頃から最善の努力を惜しまない人のことなのです。
さて、今年度2度目の定期考査、つまり、1学期・期末考査が10日後に迫ってきました。 今、この定期考査に向け、自分がどのように学習に取り組んでいるかを、改めて振り返ってみてください。
勉強を怠ける言い訳として、「なんとかなるさ」を使っている人はいないでしょうか? いつか窮地に追い込まれる予感はあっても、その不安や焦りを「なんとかなるさ」でごまかしている人はいないでしょうか?
繰り返しますが、期末考査まであと10日。「もう10日しかない」ではなく「まだ10日ある」と考えてください。そして、まずは【人事を尽くす】=自分の力でなんとかしようと、最善の努力を尽くしましょう。
それができれば10日後には【天命を待つ】=「あとは、なんくるないさ(なんとかなるさ)」という心境になって、答案用紙に向かうことができるはずです。
試験に限ったことでなく、人生には何回か勝負の時があります。 そのとき、窮地に追いつめられたネズミとして開き直るのではなく、人事を尽くした真の勇者として【なんくるないさ】と言える人であってください。