あけましておめでとうございます。
新年最初の講話ということで、今日は私の夢についてお話しさせてください。3年前、本校に着任した年に1度話したことがあるので、もしかしたら3年生の中には、覚えている人がいるかもしれません。
実は、私には校長になって以来14年間、抱き続けている夢があります。それは、いつか細かな校則が一切ない学校を築きたいという夢です。現在、私は、その夢の実現に向けて動き始めています。
そう聞くと、もしかしたら「学校に校則がなければ、自分の好きなことができる。ぜひそういう学校にしてください」と勘違いした人がいるかもしれません。そんな人に、私は自分の夢を邪魔されたくないので、真意をわかりやすく説明したいと思います。
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「 Boys,Be ambitious 」(ボーイズ・ビィ・アンビシャス=少年よ、大志を抱け)の言葉で知られるアメリカの教育者クラーク博士は、1876年(明治9)、開校したばかりの札幌農学校(現在の北海道大学)に、初代教頭として着任しました。
その際、開校にあたって定められた細かな校則を見て、クラーク博士はこう言ったそうです。
「規則で人間をつくることはできない。この学校に、校則はたった一つあればいい。それは『 Be Gentleman 』だ。」
「 Be Gentleman 」(ビィ・ジェントルマン)意味は「紳士であれ」。「 Gentleman(紳士)」は男性を指す言葉ですが、これは札幌農学校が当時は男子校だったからで、皆さんは「男女に関係なく、知性に富み、礼儀正しく、思いやりにあふれる人」と解釈してください。
集団の構成員一人ひとりが、「 Gentleman 」つまり、礼儀正しく、人の立場で物事を考えられ、善悪の判断を間違えることなく行動できるのであれば、その集団に細かな規則やルールは不要でしょう。私が皆さんに期待するのは、そうした自律の精神です。
「自ら律する」と書いて「自律」。周囲からの制約でなく、自分で確立した規範に従って行動できる、という意味です。「なんだ、そんな簡単なことか」などと思わないでください。実は、とても難しいことなのです。
周囲からの制約、つまり細かな校則がないからといって、一人ひとりが好きな時間に登校したり、学習の場にふさわしくない身だしなみをしてきたり、スマホやゲームを持ち込んで自由に使ったりしていたら、学校はどうなると思いますか?
ただ自分勝手な人間が集まり、各自やりたいことをやっているだけの無秩序な集団と化してしまうでしょう。現在多くの学校に細分化された校則がある理由の一つは、学校がそうならないようにするためでもあるのです。
全ての生徒が、自分のとるべき行動規範を、自分で決めることのできる学校。さらにその行動規範は、自分のこと以上に、他者の存在やあるべき集団の姿が優先されている学校…。 校則のない学校とは、そういう学校です。
言い換えれば、「校則のない学校」とは「校則を必要としない生徒が通う学校」のことなのです。そして、「校則を必要としない生徒」とは「自律の精神が身についている生徒」のことなのです。 したがって、「細かな校則のない学校をつくりたい」という私の夢も「自立の精神が身についた生徒を育てたい」という夢に言い換えられるでしょう。
たった一つ「Be Gentleman(紳士であれ)」の校則があれば、全ての生徒が快適で秩序ある集団生活を送れる学校。全ての生徒と先生とが信頼し合える学校。皆さんも、板三中をそんな学校にしたいと思いませんか。
もし、そう思うなら、まず自分が「校則を必要としない生徒になる」という覚悟をもってください。 私もこの3学期、皆さんの声に耳を傾けながら、校長としての覚悟を固めたいと思っています。