本日の全校朝礼では、下記の表彰(紹介)も行いました。
【ソフトテニス部】第4ブロック1年生大会
男子準優勝=宮崎&岡村ペア 女子ベスト8=ソルタン&高橋ペア
【卓球部】城北地区大会 女子団体第2位
女子個人第1位=坂本&大島ペア 同第2位=山内&安彦ペア
【税の川柳コンクール】入賞=黒木さん・箕浦さん
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先週の金曜日1月17日、兵庫県神戸市の公園で6,434本のロウソクに灯がともされ、まだ夜も明けない午前5時46分、公園を訪れていた多くの人々が黙とうを捧げました。
この、1月17日午前5時46分というのは、今から25年前、兵庫県の神戸方面を中心に最大震度7の地震が襲った、つまり「阪神・淡路大震災」が発生した時刻です。そして、6,434本というロウソクの数は、その震災で命を落とされた犠牲者の数です。
皆さんは、この6,434という数字を見て、どのような感想をもちましたか? 「ひどい」「かわいそう」「こわい」「かなしい」… 人によりさまざまだったと思います。
確かに6,434という数字でくくってしまうと、それは「ひどい」ことであり、「かわいそうな」ことであり、「こわい」「かなしい」ことでもあります。
しかし、その数字の向こう側には、それと同じ数だけ人生があったということ、そして、それらが失われたとき、そのひとつひとつの人生に関わった、家族をはじめとする多くの人々の深い悲しみがあった(あるいは、今も悲しみが続いている)ということを考えた時、私にはその感情を言葉で表すことはできません。
阪神・淡路大震災は、皆さんが生まれるずっと前の出来事ですが、25年前にTVニュースなどで目にし耳にした神戸方面の惨状を、私はつい最近のことのように覚えています。
真っ赤な炎と黒煙を吹き上げて燃えさかる町。倒壊したビルや高速道路。瓦礫の山と交通渋滞とでいっこうに現場に到着できず、空しく響く消防車や救急車のサイレン…。
そして、そうした被災状況を伝える映像以上に忘れられないのが、震災によって人生が一変した人たちの姿や声です。
地震発生から3日もたって、瓦礫の下から救出された女性の、安堵とも悲しみともつかない涙。「なんでお父さん、私も一緒に連れて逝ってくれなかったのか」という、避難所で背を丸めていたお婆さんの呟き。
家の下敷きになって亡くなった母親の話をしながら、倒壊した我が家を蹴り上げた男性。家族を全て失い、親戚の人に手を引かれていった少年の後ろ姿…。
「6,434」という数字には、それを簡単にひとくくりにしてはいけない「重み」がありました。 そして、その「重み」こそ、「災害は忘れた頃にやってくる」という「教訓の重み」であり、今日生きている私たちが、世代や価値観を超えて心に刻み込んでおかなければならない「生の重み」なのだと思います。
最初に述べたように、さる1月17日は阪神・淡路大震災が発生して、ちょうど25年目の節目の日でした。これを機に、おうちの方と「防災」について、「生の重み」について話し合ってもらいたいと思います。
特に後者については、日頃改めて「生きる」ということについて考える機会の少ない現代人にとって必要なことです。
どうか皆さん、覚えておいてください。「いかに生きるか」「どのような人生を生きるか」を考えることは大切ですが、「まず生きること」「とにかく生きること」は、さらに大切だということを。
あなたが生きているだけで、ささやかな幸せを感じている誰かが必ずいるのです。 あなたという人間を、かけがえのない存在としている誰かが必ずいるのです。 あなたが死んだとき、とめどない涙を流す誰かが必ずいるのです。
『生きていてくれさえすれば、それだけでいい』
「生きる」ということの原点は、もしかしたらそういうことなのではないでしょうか。ただ多くの場合、人は「死」によってそのことに気づくだけなのではないでしょうか。
あなたが生きるということ、そして、あなたに限らず一人の人間が生きるということの重さを、その尊さを、絶対に忘れないでいてください。