コロナ感染対策として、全校生徒が体育館に集まるような形態での全校朝礼(その他、集会等)を避けています。本日の全校朝礼も、ウェブ会議システム(Zoom)を利用して行いました。
校長室からリモートで行う私の講話を、生徒たちは教室で聴きます。何人かの担任の先生からは「どの生徒も姿勢良く真剣に聴いていました」との報告を受け、嬉しく思うと同時に「さすが板三中生」と感心しました。
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物心つく頃から、私は「変わった子」と言われることが多かったように思います。例えば、小学生時代の私は、いわゆる「わんぱく小僧」でした。外遊びでは隣近所の塀や庭の木、下手をすると家の屋根にまで上って遊び回るような子で、私の母はよく苦情を言われていました。
小学6年生の担任の先生は、あるグラフを教室に掲示していました。グラフにはクラス全員の児童名が書かれてあり、その児童が「あること」をすると、名前の上に丸いシールを貼り足していくようになっています。そして、グラフには赤いシール用と青いシール用がありました。
ある日、母が保護者会で学校に来た時、そのグラフを見て期待しました。なぜなら、赤いシールも青いシールも、ダントツで私が一番多かったからです。
「いつも苦情を言われている我が子が、何を頑張ったのだろう」 しかし、そんな母の期待は、グラフをのぞき込んだ瞬間打ち砕かれました。なぜなら、赤いシールは「宿題忘れ」、青いシールは「持ち物忘れ」を意味していたからです。
現在、私の母は90歳近くなりますが、今でも親戚が集まる席ではその話を持ち出し、私を「笑いのネタ」にしています。
ただし、私が「変わった子」と言われていたのは、教室に貼ってあったもう一つのグラフのせいかもしれません。そのグラフは、黄色のシール用でした。そして、そのグラフも私がダントツの1位。なんと私は、グラフのシール獲得3冠王だったのです。
その黄色のシールが表すものは、学校の図書室で借りた本の数でした。近所から苦情を言われる「わんぱく小僧」で、学校では「宿題忘れ」と「持ち物忘れ」のチャンピオン。しかし、一度家に帰れば、食事と風呂、寝ているとき以外は「本の虫」…。
確かに私は「変わった子」だったようです。
今回私が、恥を忍んでそんなエピソードを話したのは、皆さんに「inclusive(インクルーシブ)」という言葉を知ってもらいたいからです。インクルーシブは「包括的な」という訳し方をしますが、簡単に言えば「全てを包み込む様子」のことです。
「インクルーシブ教育」という言葉もあるように、学校とはあらゆる生徒を包み込む場所、つまり、全ての生徒にとって居心地の良い空間でなければなりません。
ただ、残念ながら学校も含め日本の社会は、どちらかと言えば「皆にそろえること」「多数派と同じであること」を要求する傾向にあります。一度ぐらい聞いたことがあるかもしれませんが、それを「同調圧力」と言います。
さて、学校が再開して1ヶ月以上たちました。そろそろ、新しいクラスメイト一人ひとりの個性が分かってきた頃かと思います。そして、その中には「ちょっと変わっている」「みんなと違う」と思うような人がいるかもしれません。
しかし、学校をインクルーシブな場所、つまり、全ての生徒にとって居心地の良い空間にするためには、お互いの個性を尊重することが大事です。もちろんその個性は、集団のルールの範囲内で認められるべきものですし、流行を追っているだけの外見的特徴やわがままなどは、個性ではありません。
ちょっと変わっている人や、みんなと違う人が輝ける学校は、自分自身が輝ける学校でもあります。金子みすゞさんの詩に【みんなちがって みんないい】という一節がありますが、さらにその後に付け足して、私はこう思うのです。
【みんなちがって みんないい みんなちがったほうが もっといい】
最後に、誤解のないよう実体験に基づいて付け添えておきます。それが宿題であれ持ち物であれ、やはり忘れ物は自分が一番損をします。よい子の皆さんは、絶対に真似しないように。