3月11日(水)休校中のお知らせ(8)学びの支援サイト
東京都教育委員会より「学びの支援サイト」開設の通知がありました。
文字どおり「学びの支援サイト」とは、今回の臨時休業における児童・生徒の学習をサポートするために開設されました。そこでは、まず東京ベーシック・ドリルが掲載されています。
東京ベーシック・ドリルは、小学校第1学年から中学校第1学年までの国語、算数・数学、小学校第3・4学年の社会、理科、中学校第1学年の英語の基礎的な学習内容を身に付けるためのドリルです。
中学生向けは第1学年の国語・数学・英語のみなので、2・3年生は復習用に使ってください。 また、特に1・2年生は、あえて小学校の各教科のドリルを使って自分のつまずきを解決するというのも、臨時休業期間だからこそできる有用な学習だと思います。
その他「学びの支援サイト」では、家庭学習に役立つ文部科学省や経済産業省等の外部リンク先もまとめています。 前の記事で示した学校からの学習課題追加分とあわせ、ぜひ活用してください。 下記のURLをクリックすれば、ジャンプできます。
https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/con...
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-11 12:34 up!
3月11日(水)休校中のお知らせ(7)学習課題の追加
本日、全学年で追加の家庭学習課題を提示しました。
詳細は、学校ホームページ(HP)のトップページ【新着情報】より『臨時休業期間の各学年の課題はこちらから』か『3月11日学年通信』の部分をクリックしてもらえれば確認(プリントアウト)できます。
その際、改めてそのお知らせが「学年通信」であることを意識してください。 臨時休業期間中も、このような形で学年通信を発行していく学校など、そうあるものではありません。
そこには追加の学習課題が提示されているだけでなく、各学年の先生方からのメッセージや、皆さんに読んでもらいたい記事の他、3学年通信では卒業式関係のお知らせや注意事項なども記載されています。
繰り返しになりますが、こうした形で学年通信を発行し続ける先生方も、また、休校以来毎日全生徒に電話をかけ「健康状態はどうか」「困っていることはないか」を確認する先生方も、私の知る限り他にいません。
そんな板三中の先生方を、生徒の皆さんはどう思いますか?
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-11 11:46 up!
3月10日(火)休校中のお知らせ(6)東京大空襲
本日は、現時点で特に新しい「休校関係のお知らせ」はありません。
さて、生徒の皆さんは、今日3月10日が何の日だか覚えているでしょうか。 というより、昨年の2学期始業式で配付し読み上げた『校長通信』(9月1号)に書かれていたことを、覚えているでしょうか。
『私たちの失敗』と題したその校長通信で私は、今から75年前の3月10日未明に起きた「東京大空襲」について取り上げ、戦争を二度と繰り返さないために、歴史を語り継ぐことの大切さを訴えたつもりです。
もう忘れてしまったという人は、下の『おりたたみ記事』に全文を再掲しておいたので、ぜひ読んでみてください。 少し長い文章ですが、休校中の時間のつかい方としては、決して無駄にはならないと思います。
校長 武田幸雄
校長講話・ここをクリック
おはようございます。
2学期の始業式を迎えました。 私が1学期の終業式で話した『3つの落とすな』は守れたでしょうか。 学校の目の前で交通事故に遭った人がいてヒヤッとしましたが、打撲ですんだことは不幸中の幸いです。 今日から始まる2学期も、命・学力・品格を大事にしつつ、「東京で一番の学校」を目指して勉強や運動、文化活動に励んでもらいたいと思います。
さて、私はこの夏休み中、板橋区立中学校の代表生徒とともに「広島平和の旅」に行ってきました。そこで、本日は校長通信を使って戦争に関する話を読み、皆さんにも戦争と平和について考えてもらいたいと思います。 そのためいつもより長くなるので、熱中症対策も兼ねて教室での始業式としました。
これから聞いてもらう校長通信の中には、皆さんと同じ名字の人なども出てきますが、そんなことに気をとられず真剣に読み、そして、考えてください。
では、配られた校長通信を見てください。私が、読み進めたいと思います。
★ ★ ★ ★ ★
1945年(昭和20)8月6日、広島に原爆投下。同年8月9日、長崎に原爆投下…。 たぶん多くの日本人が、その日を「忘れてはならない日」として心に刻んでいることでしょう。 では、皆さんの中に、同じ年の3月10日に何が起きたかを問われ、即答できる人はいるでしょうか。
広島や長崎に原爆が投下された年と同じ1945年の3月10日未明、日本の首都・東京は炎に包まれました。終戦の約5ヶ月前、日本の敗戦もいよいよ決定的になりつつあったこの日、東京は下町を中心にアメリカ軍の無差別攻撃(B29型爆撃機 約300機による、夜間低空焼夷弾攻撃)にさらされたのです。
空襲時間約2時間30分、投下された焼夷弾(対象物を焼き払うため油脂を充填した爆弾)約33万発、死者約10万人、消失家屋27万戸(区部の約1/3が焼失)。これが世に言う『東京大空襲』です(被害状況には諸説あります)。ちなみに10万人という死者の数は、短時間の惨禍としては約14万人と推定されている広島原爆による死者に次ぐ多さです。
平成2年、東京都はこの東京大空襲が行われた3月10日を『東京都平和の日』と定めました。
東京に住んでいながら、広島や長崎に原爆が投下された日は覚えていても、同じぐらい多くの犠牲者を出した東京大空襲の日を知らない…。 そういう人は、中学生に限らず大人にも大勢います。 以前から私は、そのことが不思議でなりませんでした。 いえ、「不思議」というより、「残念」という表現をしたほうが適切かもしれません。
私は、当時皆さんと同い年ぐらいだった自分の父から、東京大空襲の1か月後の山の手大空襲の様子を聞かされたことがあります。 父は、母親(私にとっての祖母)と弟たち(私にとっての叔父)が田舎に疎開していたため、父親(私にとっての祖父)と二人暮らしでした。
その日、まだ夜中だというのに、辺りはすべての家屋を燃やす炎で昼間のように明るくなったと言っていました。 そして、祖父と二人、近所で唯一燃える建物のない場所、現在のJR埼京線・池袋駅〜板橋駅間の鉄道敷地内を目指して逃げたのだそうです。 そこにたどり着くまでの間、道路両脇の家がすべて火事で燃えていたので、まるで炎のトンネルのようになった道を走り続け、一命を取り留めたと聞かされました。
私の手元に、『東京が燃えた日』(岩波ジュニア新書)という本があります。 著者の早乙女 勝元氏が、自身の体験やさまざまな資料、罹災者の証言、記録等をまとめた書物です。 中学生である皆さんにもぜひ読んでもらいたい本の一冊ですが、今日はこの中に収録されている森川寿美子(すみこ)さんという方の手記を引用させてもらいます。
森川さんは当時24歳になる主婦で、輝一(てるいち)君(4歳)と、敦子(あつこ)ちゃん涼子(りょうこ)ちゃん(双子・8ヶ月)の3人のお子さんがいました。 ご主人は出征(しゅっせい=兵隊として戦地に行くこと)していて不在だったため、森川さんは荒れ狂う戦火の中から幼な子3人の命を、女手ひとつで守らなければならなかったのです。
紙面の都合上全文を引用することはできませんが、体験者にしか綴ることのできない生々しい手記の一部を読んでみましょう。
★ ★ ★ ★ ★
〈 前 略 〉
外の風はもう言葉にならない強さで吹きまくっている。人びとのもち出したふとんは、木の葉のように飛んでゆく。まりのように転がったまま起き上がれない子どももいる。私はどうしたらいいのだろう。近所の人たちはもうだれもいない。私が子どもの用意をしている間にみんな逃げてしまったらしい。 いつも森川さんをおいて逃げるようなことはしないわよ、といってくれていた近所の人たちも、この夜ばかりは、自分のこと以外考えられなかったのでしょう。
★ ★ ★ ★ ★
森川さんは輝一君の手をつかみ、双子の赤ちゃんを二人とも背負って、火の粉まじりの烈風の中を避難場所の公園まで逃げてきました。 しかし、間もなくその公園も炎に包まれてしまい、とうとう公園の隅にあるプールにまで追いつめられてしまいます。 もはや一刻の猶予もありませんでした。 彼女は氷点(ひょうてん)に近い冷たさの中、意を決して3人の子どもと共に水中に身を投じます。 火は、すでに近隣の小学校にまで燃え移っていました。
★ ★ ★ ★ ★
ああ、火の粉は、私たちの頭の上から落ちてくる。 学校に燃えうつった火は、まるでプールの中の私たちのさけびをあざ笑うように、容赦なくふりかかってくる。 「おかあちゃん、熱いよ、おじいちゃんの所へいこうよ」「輝一、もうどうしようもないのよ、もうすぐ燃え落ちるまでがまんしてね」「うん」 力なくうなずいて泣く輝一を抱きしめて、私もあふれる涙をぬぐうこともできないのです。
背中の子たちはこの煙と熱さに、さっきまでの力もなくなったのでしょう、ときどき小さな泣き声を出すばかりです。 ああ、どうすればいいのだろう。どうしてやりようもない。 私はあつい地獄の火の中で、背筋のつめたくなるのを感じました。 かわいそうな子どもたち、こうして苦しみながら死んでいくのにおろしてやることもできない。 何というむごさであろう。
ああ、もうだめだ、こんな小さな身体で、最後の力をふりしぼって私に訴えているのであろう、小さな足が私の腰をけっている。ごめんなさい。ごめんなさい。敦子、涼子。さぞこの母がうらめしかろう。私は一瞬この火の海の中で、輝一もいっしょに親子そろって死んだほうが、どんなに楽だろうかと思った。
そのとき輝一が、「おかあちゃん、熱いよ、赤ちゃんもっと熱いだろうね、だいじょうぶ?」と声をかけてきた。 私はぎょっとした。 「輝一、だいじょうぶ、赤ちゃんおとなしくしているから、ぼくは男だもの、もうちょっとがまんしてね」「うん、赤ちゃんだいじょうぶならいいんだ。どこへもやらないでね……」 輝一は苦しげに私に訴えている。 力もつき果てそうな私に、輝一の声は神の声にも聞こえたのです。私には、輝一がいる。この子を何としても助けよう。
学校にうつった火の手は、もう目もあけられぬほど、私たちの頭の上におそってくる。 もしこのプールにとび込むのがもう少しおそかったら、私と子どもはすでに焼けただれていたことだろう。 身動きもできぬ人たちはおたがいにお父さん、お母さん、○○ちゃん、××子と肉親の名を呼びあっている。 私にはだれもいない。 林さんの姿も私の目に、はいらなくなってしまった。 すがるべき人はだれもいないのだ。
二人の子はもうすでに死んでいる。 背中で重くなった敦子、涼子の小さな身体が、私の肩にくいいるように感じられる。 そしてもう一人、私の手の中でだんだん弱まっていく輝一は、すでに意識もさだかでないのだろうか。
「輝一、しっかり。眠らないで、もう少しよ。輝一、輝一、おかあちゃんおいていかないで」 私は輝一の意識を呼びもどそうと、声をかぎりによびつづける。 この子を死なしてどうしよう。 輝一だけは助けよう。 私の姿は、さながら狂女のようであったろう。
火の手は弱まることを知らぬように、ますます大きくうなりを立てて落ちてくる。私は輝一を焼くまいと、輝一の顔へ自分の身をかぶせるようにして火を防ぐけれど、苦しく、熱く、ときに私自身ふうっと眠くなるような気持になってくる。 今眠ったら大変だ。こんなとき眠くなるのは一番あぶないことだ、とずいぶん昔だれかに聞いたことを思い出して、私はまたも、輝一、輝一と呼びかけるのです。
ああ、もうだめだ、こんな大きな学校が焼け落ちるまで、身動きもできない苦しさの中で耐えられるかしら。もうしかたない、心の底からあきらめに似た気持が湧いてきたときまた輝一が、「おかあちゃん、僕おとうちゃんに会いたいよ」とつぶやくように言った。
「輝一、がんばろう、もうすぐみんなに会えるのよ。おとうちゃんにも会えるからね。がまんして、輝一、輝一」と、落ちてくる火の粉をふせぎながら、私はもう一度、輝一をはげしくゆすったのです。 けれど輝一は、「赤ちゃんは大丈夫?」とつぶやいたきり眠りに落ちていきました。
ああ、この火はいつおさまるのだろう、おそろしいこの地獄の苦しみはいく時間つづいたのだろう。三月はじめの夜明けといえば、六時をまわっていると思う。 いつか火も弱まり明るくなってきたとき、私はぬけがらのような自分に気づきました。
そしてこの目で見た一晩の苦しみは、いく百人かの死体と、あまりにも変り果てたあたりの様子だったのです。
ぎっしりつめこまれたようにプールにはいった人たちは命長らえた人も気の狂ったまま、ただぼう然と立ったままの人も大勢いました。 またその人を助けあげる力も、すべての人はなくしていました。見るも無惨とはこのことをいうのでしょう。
私はなんの考えも浮かばない。 でもこの手の中には輝一がいる。 このおさない身体に、一夜の苦しみはあまりにも重く耐えきれなかったのでしょう、唇はもうすでに死んだように黒くなっている。
やっとプールからはい出た。 ぬれた身に吹きつける北風は輝一の身体を固くしていきます。 私は寸時(すんじ)もおくれてはならない。 でもどうしたらいいのだろう。くずれそうになる心をふり切って、背中の二人をおろしました。小さな手は母の肩につかまってなかなか離れない。家を出るとき着せた菊の花模様の着物の胸に住所、姓名の名札までつけて、いつもおとなしく眠っているときのように、二人ならんで死んでいる。私は、二人の上におおいかぶさって、泣きました。ごめんなさい、ごめんなさい。 私はただこれしかいえないのです。
輝一はますます唇を固くかみしめていく。 小さな二人は、もうすでに手のつけようがないのだ。今は、なんとしても輝一を助けなければ…。
★ ★ ★ ★ ★
残されたたった一人の子、輝一君を抱きしめ、あらん限りの声でその名を呼び続ける森川さんは、通りかかった警察官からサッポロビール工場の庭にある臨時救護所に行くよう勧められます。 そこで、冷たくなった二人の赤ちゃんに、焼けこげ、水につかった「ねんねこ」を掛けてやり、後ろ髪を引かれる思いで公園を出ました。
救護所に向かう路上は、まさに死体の山。 男女の区別もつかないほど真っ黒になった死体が、人形を焼きころがしたように散乱しています。 そんな町中を歩き続け、やっとの思いで救護所にたどり着きますが、そこに肝心の医者はいませんでした。 そのためやむを得ず、焼け残った知り合いの斉藤さん宅に身を寄せ、改めて医者を捜すことにしたのです。
★ ★ ★ ★ ★
せまい家の中には、大勢の人がぬけがらのような顔で逃げてきている。ぬれた服を脱がせ、かわいたのを一枚貸してもらいました。斉藤さんの厚意でふとんもいただき、つめたく固くなっている輝一をくるみ、私はしっかり抱きしめ、摩擦をはじめました。
もう疲れも何もありません。なんとか助けよう、どうしてもと、無我夢中でした。だれか覚えていないけれど、熱いお茶を手渡してくれました。私は口うつしに、輝一の口に少しいれてやりました。初めちょっと苦しそうでした。 でも、輝一は「ううっ」と飲みくだしました。
ああ、輝一はだいじょうぶ死にはしない。 輝一がんばろう。 私はうわごとのように呼びかけながら、摩擦をしたのです。せめて私の身体の温かみを少しでもあの子にうつせるものならと、私は自分の肌に直接輝一をくっつけて、手を足をこすりました。 でも、輝一は最後の力をふりしぼったのでしょう。薄く目をあけ、小さな声で「おかあちゃん」とただそれだけいってもう息をしなくなりました。 「輝一、輝ちゃん、もう一度目をあけて、死なないで、だめよ、だめよ」 私は輝一におおいかぶさったまま、何もかも終わってしまった、もうなにもないと思ったまま、何かに引きずりこまれるようにわからなくなりました。 〈 後 略 〉
★ ★ ★ ★ ★
『東京が燃えた日』の著者である早乙女勝元氏によると、森川寿美子さんは、以上の手記のもとになる記録ノートを、東京大空襲の翌年の3月10日、子供たちの一周忌に墓参りから帰宅して書いたのだそうです。 どうしても「あの夜のこと」を書き残しておきたくて、亡き子らに話しかけるような気持ちで書いたのだといいます。 そして、手記の原稿には、次のような手紙が添えられていたそうです。
【あと何年かたって、日本中が戦争を知らない世代ばかりになった時、あの子たちの死んだことが、だれの心にも残らなかったとしたら、母として子どもにすまない気がして書きました。】
最初に『東京が燃えた日』を読んだとき、私は取り返しのつかない「過去」に対する悲しみと怒りを覚えました。しかし、森川さんの原稿に添えられていたという手紙を読み、森川さんの執筆動機、つまり、なぜ森川さんが「あの夜のこと」を書き残しておこうと思ったのかを知ったうえで読み返すと、悲しみや怒りだけではない、また別の思いがわき上がってきます。
それは、取り返しのつかない「過去」を、あらゆる可能性を秘めた「未来」に語り継がなければならないという使命感です。
生徒の皆さん。
私と一緒に考えてください。戦争は、なぜ起きるのでしょう?
…いえ、その言い方は、無責任だったと思います。 戦争は、勝手に「起きる」ものではなく、人間が「起こす」ものなのですから。 では、主語を入れ替えたうえで、改めて問います。
人間は、なぜ戦争を起こすのでしょう?
自分たちの領土を拡大するため? より多くの資源を確保するため? 異なる主義や思想・民族・宗教が許せないから? 巨額の富をもたらす軍需産業という名のビジネスが、存在しているから? あるいはまた、人間という生き物が、本質的に同種間の争いを好む習性をもっているから…?
その答えは人によって、あるいは、戦争によって異なると思います。ただし、誰が、どんな理由を付けようとも、すべての戦争に共通した紛れもない事実があります。 それは、戦争によってたくさんの血と涙が流れ、多くの命が理不尽に奪われたということです。 そして、その都度、誰もが嘆き、あるいは憤り、あるいは眉をしかめ唇をかんできたということです。
それなのに、歴史という大きな時間の流れの中では、次の瞬間また同じ失敗を繰り返してしまう…。 しかも、科学技術の進歩を背景に戦略や兵器の近代化が進むにつれ、失敗もまた、繰り返されるたびにますます多くの犠牲を出すようになっていきました。 20世紀に行われた戦争が「大量殺戮(さつりく)の時代」と呼ばれるゆえんです。
もう、人間はいい加減に気づくべきではないでしょうか。どんな理由をつけても、戦争は戦争なのです。そして、戦争とは、多くの命を奪い、多くの傷を人々の心と体に残すものなのです。そんな当たり前で簡単なことを後世に語り継ごうとしないから、人間は同じ失敗を繰り返してしまうのです。
私も、皆さんも、実体験としての戦争を知りません。 しかし、歴史を学び、後世に語り継ぎ、先人のはらった莫大な犠牲を無駄にしないよう心掛けるのは、あとに残った者の使命だと思います。 その使命を私たちが果たさなかったために、いつか私たちの子孫が同じ失敗を繰り返したとしたら、それはもはや彼らの失敗ではありません。
「私たちの失敗」なのです。
死んだ彼らが残したものは
生きてるわたし
生きてるあなた
ほかには誰も残っていない
ほかには誰も残っていない
谷川俊太郎 『死んだ男の残したものは』より
この校長通信を読んだ感想、おうちの方や友達と話し合ったこと、考えたことなどがあれば、教えてください。私も、皆さんと一緒に考え続けていきたいと思います。
【学校日記】 2020-03-10 11:38 up!
3月9日(月)休校関係のお知らせ(5)教室整備
本日は、現時点で特に新しい「休校関係のお知らせ」はありません。
写真は、つい先ほどの2階の教室や廊下(3年生フロア)の様子です。 大掃除や教室整備もできないうちに臨時休校となり、そのまま年度末を迎えようとしていることは、皆さんも分かっているでしょう。
そうした中にあって、先生方は用務員の皆さんにもご協力をいただきながら、生徒に代わって教室整備を行っています。 先週来、机や椅子を廊下に出されてから、掃除やワックス掛けをされています。
生徒の皆さんは、規則正しい生活リズムで休校期間を過ごし、家庭学習課題や自分で見つけた課題にしっかり取り組むことで、そんな先生方に応えてもらえたら嬉しく思います。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-09 17:02 up!
3月8日(日)今週の予定(3/9〜13)
※ 写真は、休校中に屋上プールで遊んでいた珍客です。
3月 9日(月)【臨時休業日】
10日(火)【臨時休業日】
11日(水)【臨時休業日】
12日(木)【臨時休業日】
13日(金)【臨時休業日】
★ ★ ★ ★ ★
※午後3時00分までは家庭学習です。その後も、不要不急の外出は避けてください(特に人混みへの外出)。
※原則として平日は毎日、下記の時間帯を目安に電話連絡を入れます。
【1学年】 8時30分〜11時00分
【2学年】10時30分〜13時00分
【3学年】12時30分〜15時00分
電話連絡の際には「朝の体温」「健康状態」「何か困っていることはないか」を尋ねるので、すぐ答えられるようにしておいてください。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-08 09:53 up!
3月6日(土)一週間を振り返って
本日は、現時点で特に新しい「休校関係のお知らせ」はありません。 生徒の皆さんは、午後3時00分までと決められている家庭学習に、しっかり取り組んでいるでしょうか。
もし学校から出された課題が早く終わってしまった人は、毎日先生が入れている電話連絡の際にその旨を申し出て、アドバイスを受けるようにしてください。先生方も、課題の追加については検討・準備中です。
また、4日(水)の記事でお知らせしたRWS向上プリント(皆さんがRSタイムで取り組んでいる新聞コラムの視写プリント)も、昇降口入り口においてあるので、個別に取りに来てぜひ活用してください。
いずれにせよ、最初に言ったとおり、午後3時00分までの家庭学習時間を守るとともに、それ以降の外出も緊急でやむを得ない場合を除き控えるようにしましょう(特に人混みへの外出は避けましょう)
※写真は、校庭脇の緑地のオカメザクラ(3年前の創立70周年に三中会から寄贈していただきました)です。 満開の花の中で遊ぶヒヨドリの姿に「春は、近い」と実感しました。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-07 07:38 up!
3月6日(金)休校関係のお知らせ(4)卒業式について
今年度の卒業式について、板橋区教育委員会の方針により決まった概要を、下記のとおりお知らせします。
1.日 時 令和2年3月19日(木)10時00分開式
2.場 所 本校体育館
3.受 付 校舎入り口玄関(9時40分より)
※参加者は、卒業生・教職員・保護者(各家庭2名まで)のみです。
※時間の制約もあるため、国歌斉唱・卒業証書授与・校長式辞・校歌斉唱のみを執り行います。
※感染症予防等を目的に、お子さんの参加を見合わせる場合は、事前に担任までご連絡ください。また、風邪等の症状が見られる場合は、参列について熟慮されますようお願い申し上げます。
※詳細は、トップページ【新着情報】に貼り付けてある保護者宛プリントをご覧ください。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-06 11:17 up!
3月5日(木)休校関係のお知らせ(3)教科書等について
臨時休校以降、履修できていない学習内容(未消化の単元等)についは、学校が再開された後に何らかの形で補う予定です。
そのため現在使用している全ての教科書やワーク等の副教材は、各教科担当の先生から指示があるまで必ず保管しておいてください。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-05 10:03 up!
3月4日(水)休校関係のお知らせ(2)RWS向上プリント
下記のとおり、RWS向上プリントを入れた箱を用意しました。
●毎週水曜日、2種類ずつ新しいプリントを配付します。古いものもそのまま置いておくので、いつ取りに来ても持って帰れます。
●設置場所は、昇降口に入ってすぐの所です。各自取りに来られるときに登校し、受け取ったら速やかに下校してください。
●強制ではありませんが、休校期間を有効に過ごすためにも積極的に活用してください。学校に提出する必要はありません。
RWS向上プリントは、RS(リーディング・スキル=読み解く力)、WS(ライティング・スキル=正しく書く力)、SS(スピーキング・スキル=わかりやすく話す力)を向上させるためのワークシートです。
新聞コラムの視写(書き写し)や意味調べを通し、RSやWSの育成や語彙力の向上を目指します。 また、その内容を保護者の方に要約して伝える活動を通し、SSの育成も図ります。生徒の皆さんは、毎週火曜日と木曜日のRSタイムと同様の取り組みをしてください。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-04 11:13 up!
3月3日(火)電話連絡の時間帯変更について
本日は、初日ということもあり学年・クラスによって電話連絡の時間帯が当初の目安より大幅に遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。
あわせて、各学年とも多くのご家庭で電話連絡への協力態勢を整えておいてくださったことに、心より感謝申し上げます。引き続き明日以降も、宜しくお願い申し上げます。
本日の実態を踏まえ、明日以降の時間帯の目安を以下のように変更いたしますので、ご確認のほど宜しくお願い申し上げます。
【1学年】 8時30分〜11時00分
【2学年】10時30分〜13時00分
【3学年】12時30分〜15時00分
以上、また時間が前後した際には、ご容赦ください。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-03 16:42 up!
3月3日(火)電話連絡の遅れについて
本日より、指定された時間帯を目安に学校から生徒一人ひとりの健康チェックをするための電話連絡を入れています。
しかし、10時00分現在で思ったより時間がかかっており、当初目安の時間より遅れることが予想されます。特に2・3年生は大幅に遅れるかもしれませんが、遅れても必ず電話連絡はします。
「朝の体温」「健康状態」「何か困っていることはないか」について、すぐ答えられるようにしておいてください。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-03 10:11 up!
3月2日(月)休校関係のお知らせ(1)
本日、下記の3種のプリントを配布しました。
➀『臨時休業(休校)について保護者の皆様へのお願い(新)』
➁『臨時休業(休校)について生徒の皆さんへのお願い(新)』
➂『校長通信・3月1号』
上記➀と➁は両面印刷されています。また『(新)』とあるのは、配付した後で急きょ教育委員会より連絡が入り、一部変更した内容があるからです。同様の変更が、差し替えの間に合わなかった本日配付の➂『校長通信』や、先週配付済みのプリントにもありますので、訂正してください。
【変更点】
●水曜日に時間指定して行う予定だった「個別登校」は中止です。
●時間指定で行う個別の電話連絡は、原則として平日の毎日行います。
上記電話連絡では「朝の体温」「風邪の症状はあるか」「身近に体調不良の人はいるか」「何か困っていることはないか」等を尋ねます。必ず生徒本人か保護者の方が、それらに答えられるようにしておいてください。(なお、電話連絡の時間帯は、前後することもあります)
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-02 16:09 up! *
3月2日(月)全校朝礼・校長講話
『ざんねんないきもの事典』というシリーズ本があります。 生き物の意外な生態を、長所や能力としてではなく「残念な個性」として面白く紹介し、ベストセラーにもなっています。
例えば【脂肪を蓄えたラクダのコブは、エネルギーを使い果たすとしおれてしまう】とか【800Vもの電気で敵を撃退するデンキウナギは、自分も感電してしまう】といった具合です。
ただし、それらが本当に「残念」かといえば、必ずしもそうではありません。本のタイトルは、その動物に対する愛情とユーモアを込めて「ざんねん」と表現しているだけで、ラクダのコブもデンキウナギの発電も、それ自体は大変素晴らしい個性です。
※校長講話の続きは、下の『おりたたみ記事』をクリックしてください
校長講話・ここをクリック
★ ★ ★ ★ ★
さて、来年度から本校の校則は『 Be Gentleman(ビィ・ジェントルマン=紳士であれ)』に一本化されます。それに先だって私は、昨年末に生徒会役員の人たちと、この2月には各専門委員長の人たちと話し合いの場を設け、意見交換してきました。
その席上、学校や学年・クラスの代表者からは、一様に期待と不安の声が聞かれました。 期待の声としては「自分たちで考えて行動する力が育つ」「自主自律の精神を身につけられる」といった内容が多かったように思います。
一方、不安の声として圧倒的に多かったのは「髪の毛を染めたり、極端にスカートを短くしたりするなど、学校の雰囲気を悪くする人が出るのではないか」という具体的な内容でした。
そうした不安を払拭するため、私からは『板三中生の誰もが快適な学校生活を送るための約束』を設けるよう提案しました。 ただ、それとは別に、今回の校則の一本化を機に、改めて皆さん一人ひとりに考えてもらいたいことがあります。 それは「個性とは何か」ということです。
さあ、考えてください。あなたの考える個性とは、何ですか?
わざと人と違う言動をとること、わざと奇抜な言動をとることですか? 流行の服や装飾品を、身につけることですか? 目立つ髪の色や髪型にしたり、芸能人に似せたりすることですか?
もし、そうだとしたら、私はそれこそ正真正銘の「ざんねんな個性」だと思います。 なぜなら、それは意図的につくられた個性であり、お金で買える個性だからです。 本来個性とは、つくるものでもお金で買うものでもありません。
個性を「自分らしさ」という言葉に置き換えれば、わかりやすいかと思います。皆さんの「自分らしさ」とは、自分の外側に飾り付けるものですか? 違うはずです。自分の内側からにじみ出てくるからこそ「自分らしさ」なのではないでしょうか。
★ ★ ★ ★ ★
最初に述べたとおり『ざんねんないきもの事典』では、愛情とユーモアを込めて「ざんねん」と表現していますが、紹介されている生き物の個性はけっして「ざんねん」ではありません。
ラクダが、2つのコブに蓄えた100kg近い脂肪をエネルギーに変え、約1ヶ月何も食べずに生きていける特長を、私たちはとても真似できません。 自分の何十倍もの大きな体をもつワニを、自ら発した強力な電気で撃退するデンキウナギの能力など、私たちがお金で手に入れようと思っても不可能です。
それと比べ、校則の一本化をいいことに、自分の外側に飾り付ける安っぽい個性、借り物の個性こそ「ざんねんな個性」と言わざるを得ません。
『 Be Gentleman(ビィ・ジェントルマン=紳士であれ)』の校則の下、皆さんが目指すのは「自律の精神」を身につけた中学生です。「ざんねんな個性」で自分を飾る「ざんねんな中学生」にだけは、絶対にならないでください。
【学校日記】 2020-03-02 13:31 up!
3月1日(日)今週の予定(3/2〜6)
※ 写真は、先週の授業風景です。
3月2日(月)【午前授業】 全校朝礼 全校集会(4h)
3日(火)【臨時休業】
4日(水)【臨時休業】
5日(木)【臨時休業】
6日(金)【臨時休業】
★ ★ ★ ★ ★
※2日(月)は午前授業で、給食終了後に下校となります。なお、この日の都立高入試の合格発表・報告等は、学年の指示に従ってください。
※臨時休業中は、毎日朝の検温と健康観察を行ってください。
※臨時休業中は、午後3時までは家庭学習です。その後も臨時休業の趣旨を踏まえ、不要不急の外出は控えてください。
※臨時休業中の平日は、原則として毎日指定された時間帯を目安に学校から電話連絡が入ります。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-03-01 09:09 up! *
2月29日(土)一週間を振り返って
※ 写真は、今週の授業風景です。
昨日の記事でも申し上げたとおり、新型コロナウイルス感染予防対策の臨時休業については、本校では早い段階から準備を進めておりましたので、政府の発表で大きく混乱することはありませんでした。
しかしながら、保護者の皆様には不安と戸惑いの声も上がっているかと思います。それを最小限にとどめるべく、学校としても最善の努力をしておりますので、ご家庭のご理解とご協力を宜しくお願い申し上げます。
★ ★ ★ ★ ★
●臨時休業の期間は3月2日(月)午後〜4月5日(日)です。3月2日は通常どおり登校してください。通常授業を4時間目まで行い、給食終了後に下校となります。
●臨時休業期間中の平日は、別紙プリントに記載した時間帯に学校から電話連絡をし、健康チェック等を行います。ただし、水曜日は個別登校の日としています(登校の時間帯は別紙参照)。
●臨時休業中の諸連絡は、電話連絡や個別登校の他、主にこの学校HPを利用します。学校HPを閲覧できない方のために、保護者・生徒どうしで情報を共有されますようお願い申し上げます。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-02-29 07:00 up!
2月28日(金)新型コロナウイルス感染予防対応について
本日『新型コロナウイルス感染拡大防止のための小・中学校臨時休業について』(板橋区教育委員会)『新型コロナウイルス感染予防に伴う臨時休業への対応(4)』(板橋第三中学校)の2種のプリントを配付しました。
すでに本校では臨時休業(休校)を見越して準備・周知を進めておりましたので、現在のところ大きな混乱は生じておりません。しかしながら、今後の状況の変化については予断を許しません。
まずは、本日配付の2種のプリントを確認されますとともに、以前学校より配付した(1)〜(3)のプリントにも改めて目を通されますようお願い申し上げます。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-02-28 17:17 up!
2月27日(木)学年末考査・第2日目
学年末考査2日目の本日は、英語・美術・保体のテストが行われました。
1年生の英語のテストでは、テスト(授業)のめあてが【問題をしっかり読み、聞かれたことに対して正しく答える】とありました。よく「問題に正対する」という表現で言われることですが、とても大事なことです。
例えば「あなたは、その食べ物が好きですか」と尋ねられ「この食べ物は、甘い味がします」と答えた場合を考えてください。「甘い味がする」というのは事実かも知れませんが、質問の答えとしては成立しません。
つまり、答えが質問に正対していないということです。それと同様のことが、英語に限らず各教科のテストにも言えます。もちろんテストで良い点数をとるには、その教科の知識や思考力・表現力などが必要です。
ただし、問題文が何を尋ねているのかをしっかり読み解けなければ、質問に正対した答えを導くことは出来ません。そういった意味からも、RS(リーディング・スキル=読み解く力)の重要性を意識させてくれるテスト(授業)のめあてでしたね。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-02-27 12:36 up!
2月26日(水)学年末考査・第1日目
本日より今年度の学年末考査が行われています。
第1日目の本日は、数学・社会・音楽のテストが実施されました。 テストといえども授業であることには変わらないので、テスト問題を担当された先生が「授業のめあて」を設定しています。
3年生の数学のテストでは、めあてが【最後まで全力で書き込む】とありました。 作図問題や証明問題等では、解答が途中まででもよいから、最後まで全力で問題に向き合うという意味のようです。
一方3年生にとっては、この学年末考査が中学校最後の定期考査です。そんなことから、めあてには「最後の教科の最後の問題まで、全力で向き合う」という意味合いもあるのではないかと、私は勝手に解釈しました。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-02-26 15:13 up!
2月25日(火)本日の授業風景
【写真・上】3年2組・国語の授業の様子です。
先週末に都立高一般入試が終わったのも束の間、明日からは学年末考査が行われます。 そうした中ですが、試験範囲の学習を終えたこのクラスでは、考査後の『百人一首大会』に向けた練習をしていました。
【写真・中】2年1組・社会(歴史)の授業の様子です。
歴史分野の学習も、いよいよ明治時代に入りました。 本日は「殖産興業」「徴兵令」「地租改正」など、明治政府が欧米諸国に劣らない強い国にするためにとった政策(富国強兵)を学習していました。
【写真・下】1年3組・理科の授業の様子です。
1年生は『大地の変化』で火山活動や地震を取り上げていることを機に、防災について考える学習も行っています。防災備蓄用品の確認など、今後新型コロナウイルスの感染が拡大した際にも参考になる内容でした。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-02-25 18:27 up!
2月24日(月・振休)今週の予定(2/24〜28)
※ 写真は、先週の授業風景です。
2月24日(月) 〈 振り替え休日 〉
25日(火)【 通常授業 】
26日(水)【学年末考査】数学・社会・音楽
27日(木)【学年末考査】英語・美術・保体
28日(金)【学年末考査】国語・理科・技家(終了後、通常授業)
★ ★ ★ ★ ★
※26日(水)27日(木)は、学年末考査のため給食がありません。
28日(金)は、学年末考査終了後は給食を挟んで通常授業(学活・セーフティ教室等)となります。
校長 武田幸雄
【学校日記】 2020-02-24 07:19 up!