キャリア教育について古今東西を問わず、ニートのような若者は昔から存在していたようですが、それはごく一部のお金持ちの子弟に限定されていました。古典落語の中にも大店の放蕩息子の話はよく出てきます。また、高名な詩人や作家、芸術家なんかの中にも、若い頃はニートのような暮らしを送っていた人もかなりいますね。彼らのほとんどは裕福な家庭に生まれ、働かなくても困らない環境の中で、のびのびと芸術の才能を伸ばしていったのでしょう。 しかし、現代のニートは、昔とは違って一部の特権階級の家庭だけに生まれるものではないようです。実際に、病気や貧困などで失業してしまい、気の毒な状況下で苦しんでいる若者を除けば、親に甘え、頼って生活しているケースが多いとの報告があります。その親も特別に裕福であるというわけでもないのに、必死で働きながら子ども(大きな子ども?)を養っているのだそうです。要するに、親の過保護や過干渉がニートを生み出している一つの要因になっているのです。「8050問題」(齢80の親の年金で、50歳のニートを養っている)なんてのもありますね。 そう考えると、私たちは「子どもを自立させること」を再度心がけて接していく必要があるように思います。それも、高校生になってから急に「自立」だの「自活」だのと言ってみたところで遅すぎます。小学校低学年のうちから発達の段階に応じて「自分でできることは自分でさせる」など、自立させるための基本的な躾を心がけたいものです。 さらに小中学校段階においては、子どもたちが将来大人になり、自立するために必要な能力や態度を育てるための「キャリア教育」の視点をもつ必要があります。 まつのやま学園では、ホップ期のうちから「まつのやまタイム」やその他の時間を使って地域のいろいろなところに出かけたり、素晴らしい地域の人材に学ぶ機会を設けています。これらもある意味、「キャリア教育」の一環と言えます。 各学年で行っている「係活動」「当番活動」あるいは「委員会活動」や「つくし会の活動」、もっと言えば毎日の「清掃」「部活動」だって全部、「キャリア教育」の範疇に入ります。子どもたちが成長していき、そのけじめがステップ期の「チャレンジ合宿」であり、8年生の「職業体験」であり、9年生の「宿泊体験旅行」であり、ということになるのです。なにも「職業指導」「将来の自分のことを考えること」だけが「キャリア教育」ではありません。そう考えると、まさに学校で行う教育活動のほとんどは、「キャリア教育」だと言っていいのです。 今年の入学式で1年生に「学校で毎日してほしいこと」として、「遊ぶ」「働く」「学ぶ」を紹介しました。「遊ぶ」と「学ぶ」に関してはまあ、異論のないところでしょうが「働く」には、「?」だった親御さんもいらっしゃるでしょう。でも、以上のような思いがあってのことでした。 いずれにせよ、子どもたちの周りにいる大人たちが「なぜ、学校で学ばなければならないのか」「勉強は何のためにするのか」という学びの意義や、「なぜ働かなければならないのか」という労働の意義について子どもたちに理解させることが重要なカギになります。 |
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