乱読の旅の果て2(中澤)

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。写真をご覧になった後、この記事を読んでいただきたいと思います。

 写真は私が昨年の8月から2月にかけて二週読破した本です。1周目は文章に目慣れし、2周目で内容を大まかに把握しました。その結果、全科目全分野大まかに内容把握したことになります。勿論完全なインプット、アウトプットはこれからです。それをこの一年間でやっていく予定です。この記事を書くことを昨年の8月に計画し、今実行していることに自分ながら感動しています。

 実行して気づいたことが二つあります。一つ目は目次の大切さです。学校では教科書の内容をマラソンのように授業してしまいます。そのため、「いつまで勉強するの〜」「内容が多すぎるから嫌だ」という子どもの声が溢れてしまいます。教師は目次を有効活用すべきだと私は思いました。目次とは、勉強内容全てを一言で並べたものです。目次に書いてあることを暗記し、分厚い本でも結局は10数個の項目にすぎない。その項目を引き出しに例えてその引き出しを膨らましていこうかと伝えればどれほど頭に入りやすいかと実感しました。

 二つ目は、学校は以下に子どもの未来の可能性を、仕方なく狭めてしまうのかということを感じたことです。私たちは文理選択する時に自分のやりたいこと得意なこと苦手なことで考えます。ここで考えたいことはそもそも苦手なことと認識してしまう理由は何かということです。私の話になりますが私は理科が大嫌いでした。全く理解ができませんでした。しかし理由はと聞かれたら教科の内容が難しいからではありません。理科を教えていた先生が嫌いで、授業の内容が全く理解できず、結果教科の内容がわからなく、それが拡大して理科嫌いになりました。私は記憶がなくなったこととゼミの教えのもと自分で自分に授業をするための教材研究として理科を勉強しました。するとすーっと頭に入っていきました。

 教師を志す人は、自分によって本来苦手になるはずでない教科を苦手にさせてしまうことがあると心に留めることが大切であると私は考えました。私も教師力を生かすことを考えている人として心に留めていきたいと考えています。

 さてさて難しい話になりましたが、タイトルについて話して終えたいと思います。この結果は、玉置研究室の本棚の本を乱読し、読んだことのない本を読む癖がついていたからだと考えています。(玉置研究室の本を読破したことを乱読の旅の果てという記事でかつて書きました。)玉置ゼミの教えを無駄にしないために必死になっていますが、無事繋がることができて良かったと思っています。玉置ゼミに多大な感謝の気持ちを示し、記事を終えたいと思います。(玉置先生に対する感謝の気持ちは、それだけで一本の記事になります。後日書けたらと思います。)お読みいただきありがとうございました。(中澤)
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