6月18日 7期生ゼミでの学び-模擬授業で学んだこと-(下野)

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 こんにちは!7期生の下野です!6月18日(金)7期生ゼミで道徳の模擬授業を行わせていただきました。今回は、その学びを綴ります。

 今回の模擬授業で私が学んだことは「悔しい」という想いでした。悔しいという気持ちをここまで肌感で知ったのは今までの人生であまりなかったように思うほどです。

 まずは、「ゆさぶり」の甘さです。今回私は、ミステリーツアー(子どもが僕/私どこに向かっているの?となる授業展開)へ子ども役のみんなを誘ってしまいました。

 「ゆさぶり」とは、今まで子どもや教師が立ててきた道筋を一旦崩して、さらに、深めていく作業です。綺麗事は、世の中に存在しません。だからこそ、道徳の題材では、「ゆさぶり」をかけて実生活に根ざした子どもの心を耕していくのです。

 私は、この「ゆさぶり」を自分の考える展開で行ってしまいました。せっかく子どもが「僕だったら、納得できない」と、「僕だったら」という実生活に匹敵するキーワードが出たにも関わらず、私はそれをスルーしてしまいました。「ゆさぶり」をかけた時に、子どもから出るキーワードは様々です。子どもの率直な意見を臨機応変に取り入れなければならないと新たな学びを掴むことができました。

 次に、「時間配分」について。私は、子どもの意見を汲み取り、子どもの意見から授業を作ろうと必死になり、「時間配分」を誤っていました。子どもの意見を汲み取りながらも、発問を絞り、誰の気持ちに重きを置くのか。(今回私の取り上げた題材は、2人の登場人物がいました)

 「時間配分」を意識した授業構成を考えることで、前述したミステリーツアーはある一定程度回避できるのではないかと思います。

 お手本とする玉置先生の授業を受けさせていただいて、「ゆさぶり」って簡単に見つかる物だと錯覚していました。そんな自分をこら!!!と叱ってやりたいぐらいです。

 「ゆさぶり」は、題材の展開の良さと子どもの心のズレ。そして、「ゆさぶり」は授業を展開していく中で、学級の在り方や子どもの発言等で変容させていく必要があります。
「時間配分」に関してもそうです。玉置先生の授業を受けさせていただいた時、私達は時間を気にせず授業にのめり込むことができました。それは、玉置先生がテンポよく授業を展開し、飽きさせない時間配分を考慮されていたからだと模擬授業を経て気付きました。
やっぱり玉置先生はすごい。

 今回の悔しい思いは、忘れることはありません。忘れられるはずもありません。
もう一度授業をしたい。もう一度挑戦したい。と今は思います。でもそれは、現場では許されることではありません。一つの授業を目の前の子どもにできるのは一回こっきりです。

 教師のクリエイティブな面を今回は深く感じました。子どもの心ってすごいのです。いつか「ゆさぶり」や「時間配分」を臨機応変に上手に展開できた時は、それはそれは気持ちが良いのだろうと感じます。

 今回の模擬授業での悔しさや学びをしっかりと出力し、学びを深めて、実習に望みたいと思います。まだまだ勉強不足。経験不足。準備不足。その3点をまじまじと感じた模擬授業を受け止めます。

 可愛いかわいい2年生役をしてくれた7期生のみんな、本当にありがとう!!みんなの言葉にハッとさせられて、たくさんのこと気づくことができました!!!

 玉置先生、山田先生、
 教育界の大巨匠に授業を見ていただけて、本当に幸せ者です。玉置ゼミに入ってよかったです。だからこそ、見える世界や学びを目一杯吸収できます!ありがとうございました。(下野)
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