偉人に学ぶ教育の在り方 Part2 (下野)

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こんにちは、7期生の下野です!
『偉人に学ぶ教育の在り方 Part.2』です!
以前は、ガリレオ・ガリレイの言葉が私の心の引き出しに仲間入りしました。(詳しくは、6月2日更新記事をご覧ください。)

また新たに、そっとしまっておきたい言葉ができました。

太宰治が『正義と微笑』で記した言葉。

「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
これだ。
これが貴いのだ。
勉強しなければいかん。」

そうなのです。
覚えると同時に忘れてしまうのです。

私は、高校生の頃の英語のテストは教科書丸暗記型でした。どこを穴抜きにされても絶対答えられるぐらいには覚えたのです。勿論成績も良好でした。
ですが、どうでしょう。テストが終わったその瞬間にスルスルと抜けて落ちていくのです(笑)
抜けていってるなあなんて感覚さえも分かるぐらいに綺麗さっぱり。

ところが、あの教科書に穴が開きそうになるぐらいに、手が千切れるんじゃないかというぐらい英文を書いた時間は、私ってあれだけ努力できたんだなという砂金であったり、ほんの微かかもしれませんがこの単語見たことあるぞといった知識の砂金となります。

学問は、すぐ忘れてしまう儚いものなのかもしれません。
しかし、それ以上に人間の奥底に未来を拓く砂金を残してくれます。
勉強をしないと分からないことって沢山あります。
勉強をしないと、奥底に残る砂金がないと見えない景色が沢山あるのです。

「学問なんて」「勉強なんて」という言葉は、今も昔も溢れるものですが、私はその学問や勉強が残す砂金を奥底に大切に残したいと太宰の言葉を見て思いました。

この言葉を子ども達に伝えることは少々難しいかもしれませんね。(笑)
それでも、いつか気付いてくれればいいなと
教壇に立った時、私がこの言葉を胸にしまって子どもに接していたのなら、伝わるような気がします。

ご高覧ありがとうございます。
余談ですが、私は太宰治の文学が大好きです。
いつか寝台特急に乗って、太宰治の生家である青森県から東京三鷹にある太宰治文学サロンまで、ゆらりと旅に出たいなと思っています。
コロナ禍でその夢の実現は、まだ当分先のようにも思えますが、いつか必ず。

(下野)
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