国語を学ぶ理由(下野)

こんにちは、7期生の下野です!
小学校実習を終え、早2週間。中学校実習が目前となりました。私の専門は、国語です。国語を生徒達に教えます。そこで、今回は「国語」について私が考えることを綴りたいと思います。

芥川龍之介が遺した言葉です。
「文章の中にある言葉は、辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。」

私は、この言葉を大切にしています。
文章を美しくする言葉。辞書から取り出す言葉の一つ一つを文章にする時、それは美しくしなければならない。

私は、物書きではありません。それでも、レポートやこういった記事や手紙や、現代風で言えばLINEやInstagramなんかでも文章を綴ります。

人は、皆文章を書く機会が生まれることでしょう。「国語」とは、「国」の「語」と書くのですから、日本であれば日本語となります。嬉しいことに、日本語は美しい。

ほぼ日刊イトイ新聞にて、
「日本語の場合『美しい』と『とても美しい』では『美しい』の方が美しいんです。」
と綴られました。

辞書的に見れば、「とても」という副詞がつくのですから「とても美しい」の方が美しさが勝っています。しかし、違うのです。「美しい」。たった一言でいい。これが文章内に含まれる時、きっとそれは辞書にある言葉を越えて、文章に美しさを加えたこととなる。

日本語は、儚く脆く綺麗だ。
そんなことを私は子どもに教えたいです。

国語は、感性だと言われます。たしかに感性でしょう。でもそれは必ず誰しもが持ち合わせています。偏差値や点数だけではない、日本語の美しさを感じてもらう授業を目指したいと思います。

国語を学ぶ理由は、「美しさ」を感じられるようになるから。私はそう位置付けます。
人生において、沢山の美しいものを見た時、きっとその感性が働き、見えるものをうんとうんと美しくさせると信じています。
(下野)
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