黙食。(今井)

 みうのひとりごと。

 黙食・・・会話をせずに、無言で食事をすること。
 この言葉は、コロナウイルスの流行をきっかけに、この言葉が広まった。

 飲食店でも「黙食」を呼びかけるポスターには見慣れてきた。先月の小学校実習でも、「黙食」を呼びかけるポスターが掲示に貼られていた。子どもたちは、全員黒板を向いて、それぞれが黙々とごはんを食べる。しゃべると怒られる。異様だ。コロナが流行する前は、「友だちとの会話を楽しみながら、食事をしましょう。」なんて、食事中の会話が推奨されていた時代もあったのに、、、、。自分の小学生時代からは考えられない光景に、私は、驚きを隠せませんでした。絶対お話したいよな、、、可哀そうだななんて思っていました。

 ここまでは、私のアンポンタンな考え。実習ノートに、給食のことを書いた。担当の先生のコメントを読み、自分の考えがどれだけ浅はかであったかを思い知った。
 先生のコメントには、以下のような内容が書かれていた。外食は4,5人でと言われているのに、学校の教室では40人近くが一緒に食事をする。それは、なんとも不思議な状況で、児童にとっては「黙食」なんて相当厳しいはずなのに、みんなが理解して一生懸命に取り組んでいるということ。さらに、黙食になって、こぼすのが減ったり、食と向き合ったり、良いこともあるということだった。
 本当にそうだと思った。40人近くが一緒に食事をするためには、こうするしかない。大人でも中々難しいことを、子どもたちは一生懸命にやっている。可哀そうと思っていた自分を恥ずかしく思った。その次の日の給食、子どもたちの「黙食」姿を見て、涙が出そうになった。この素晴らしい姿を大人に見せたいと思った。こんなにも小学生が頑張っている、我慢している。素晴らしい小学生の姿を見て、自分の身が引き締まる思いがだった。
 先生のコメントにはこんな言葉もあった。「今できることをやります。」黙食になって、会話はできないけど、こぼすのが減ったり、食に向き合うことができたりと、できなくなったことを数えるより、今できることを数える。今、目の前にいる子どもに向き合っているからこその言葉だなと感じ、この言葉は私の中に強く刻まれました。
 
 「黙食」これは、悲劇から生まれた言葉かもしれない。この言葉が消滅することを願う人も多いだろう。しかし、私はこの言葉から子どもたちが素晴らしい輝きを見せてくれた。今までは、「黙食」という言葉を見ると、暗い気持ちになっていた。しかし、今はこの言葉を見ると、身が引き締まる。私の中でこの言葉は、小学生との約束だ。私たちも頑張るから、先生も頑張ってねと言われているような感覚。同じものでも、自分の見方を少し変えるだけで、全く違うものになる。あなたが今心に抱える負の塊も、反対側から見てみると、案外愛せる塊なのかもしれない、、、、、。

p.s.私の好きな給食は、わかめごはんです。(今井)

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