教育実習での学び(久野)

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 こんにちは!そしてお久しぶりです。7期生の久野舞菜です!コンビニの特設おでんコーナーに秋の訪れを感じる時季になりました。「冬にもアイスは売られているのに、なぜ夏におでんは売られないのか!」と憤っていた近所の子どもを思い出します。子どもの発想は豊かではっとさせられますね。

 さて、小学校、中学校とそれぞれ4週間の教育実習に行ってまいりました。
今回は教育実習での学びを振り返り、記事にしたいと思います!

〔小学校〕
 小学校では、人生初の授業実習をさせていただきましたが、見事に大失敗でした。いきなりレベルの高すぎる発問をしてしまい、児童を困惑させ、さらに、答えに向かうためのプロセスも児童に提示できず、わかる子の発言だけで進めていく授業になってしまいました。担当の先生からは、「そんなので児童が答えられるわけがないでしょう。」と厳しくも的確なお言葉をいただきました。
 全員参加の授業にするためには、いきなり発問を提示するのではなく、考えるためのヒントを得られるようなステップをいくつか用意することが重要だと学びました。

〔中学校〕
 中学校では、道徳の授業実習において、オウム返しをしてしまっていることをご指摘いただきました。その際に、オウム返しにも必要な時と場合があることを教えていただきました。
 例えば、生徒の発言内容が曖昧である場合、明確にするために聞き返すオウム返しは有効。しかし、そうでない場合は、生徒の学び合いを止めることになってしまう。
 私は、生徒の発言内容を自分自身が理解するために、その時間を確保するための有効ではないオウム返しをしてしまいました。お互いの発言を理解し深め合うのは、教師と生徒ではなく、生徒同士です。教師は学び合いの外側にいることを自覚しました。
 今後は、生徒の発言にすぐさま食いつくことなく、全体を見渡し、周囲の反応を”待つ”、または、周囲に「どう思う?」と投げかけ生徒同士の学びを”繋げる”ことを体に覚えさせなければなりません。
 恥ずかしながら、ご指摘をいただいた瞬間は、「教師が、生徒の発言にコメントを返さないなんて、薄情じゃない?無視しているみたい。」なんて思っていました。そんなものは大間違いだと今ではわかります。生徒の発言の聞き手は教師ではないのですから。
 今回の経験は、玉置先生が以前伝授してくださった「発言を判断するのは教師ではなく、生徒同士。」という教えが実体験とともに身に染みるものでした。

 小学校・中学校と本当に多くのことを学ばせていただきました。大学の講義だけでは知り得なかったこと、実感できなかったことばかりです。新型コロナウイルスによる影響で大変な状況にある中、このような機会をくださった学校、また指導してくださった先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。実習で出会えた児童・生徒たちには愛が止まりません。子どもたちの「久野先生大好き!」「がんばって本当の先生になってね!」という温かい言葉でどこまでも頑張れるような気がします。実習時よりももっともっとパワーアップした姿で、今度は教員という立場で教壇に立てるよう、これからは自分磨きと勉強に努めたいと思います。
(久野)
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