笑っていたい(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。

「お姉さんの笑顔とっても気分が良いわ。素敵ね。アイドルみたいだわ。」

 先日、私がアルバイト先でお客様から掛けられた言葉です。不覚にも「アイドルみたい」と言って頂けた事に、照れてしまった私。と、そんなことはさておき、「笑顔」を褒めて頂けたことが一番嬉しかったお言葉です。

 教師を目指し、大学に入学してから沢山の出来事がありました。講義や教育実習、18歳の頃から続けるアルバイト、今は、面接練習やゼミ活動が主となってきています。それ等を通して、私は何が一番人の心を惹きつけるか、人との繋がりをより強めるかを学びました。

 それは、「いつも笑顔で明るくいること」。
 実を言えば、私は、そんなに笑顔が得意なタイプではありませんでした。明るくもなかったように思います。どこか、シラけた物事をちょっと斜めに見るようないや〜なお子様だったような気もします(笑)

 沢山の人と出会う中で、「どんな背景があろうとも、笑っていること」の意義を知りました。難しいことです。悩み、辛さ、苦しみ 生きていれば感じてしまうこと。でも、それって私の問題です。私と関わる人には、「笑顔」であってほしい。だから、私は「笑っていたい」。私が多用する言葉で置き換えれば、「笑顔の発信源」でありたいと思うのです。

 夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』には、こんな言葉があります。

 「呑気と見える人々も、心の奥底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」

 社会は、そうやって出来ているのだと思います。「笑顔」でいることは、楽しそうで呑気でいいなあなんて思われることもあるかもしれません。でも少しの悲しい音がもしかしたら、紛れているのかもしれない。

 冒頭の言葉をお客様から頂いた日、私は前日にご指摘を受けていました。「店員が飛び跳ねていて、不快だ。」と言った内容でした。私は、お店が忙しくなるとアドレナリンが出るのか、跳ねるように動き回る癖があります。きっとそれがあるお客様には不快だったのでしょう。私の接客は、いけなかったのかなとどこか悲しい音が私の心に鳴りました。しかし、「笑顔の発信源」であることを忘れたくないと翌日は笑顔で接客をしていたのです。

 いつも笑顔で明るくいることは、並大抵の労力では叶いません。時には、泣き、時には、存分に苦しむことが必要です。それでも、笑っていればきっと誰かの心を動かし、誰かを笑顔にできると、信じる理由がまた一つ今回できました。

 様々な経験を通して、子ども達と接する時、私は「笑顔の発信源」でありたいと思うのです。(下野)

※ 記事と写真は関係はありません(玉置)
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