言葉の引き出し(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。
 教員採用試験まで残り2ヶ月と少しになりました。段々と詰めている勉強もたまには「はあ」と心が溜息をつく日がやってきたりもします。

 そんな時、「書くこと」が私を救ってくれます。ふと、私はいつから「書くこと」が好きになったのだろうと疑問が湧きました。読書感想文は、大の苦手。作文の授業では、ダメな書き方だ!なんてクラスみんなの前で言われたこともありました(笑) 今思えば、よくトラウマにならなかったなと思う程の出来事もあったはずなのに、今、私は「書くこと」で頭の中を整理しています。

 益々、いつからこんなに「書くこと」に重点を置いて生きるようになったのだろうと疑問は深まるばかり。特段、文章を褒められたことがなかった私ですが、「言葉」は好きでした。国語専修とは言えど、国語が好きというより、「言葉」が好きです。

 高校3年生の時、梶井基次郎の『檸檬』を学びました。作中、檸檬の果実は「黄金色に輝く爆弾」と表されています。心の鬱憤や焦燥感を込めた「黄金色に輝く爆弾」。檸檬の果実が「言葉」ひとつでこんなにも末恐ろしい物体に変わるのかとヒンヤリした気持ちは今でも忘れません。

 きっと私は、そこで「言葉」の面白さに気付いたのだろうと今は思います。「言葉」ひとつで、伝わり方は変わる。

 もうひとつ『檸檬』の冒頭で私の好きな「言葉」があります。


  えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終壓へつけてゐた。焦燥と云はうか、嫌悪と云はうか−


 なんだかよく分からないものが自分にのしかかり、焦燥感を募らせているのか、嫌悪感を募らせているのか、自分でも理解できない。そんな状況。人は、生きているうちに「えたいの知れない不吉な塊」に心飲まれる瞬間があります。そんな日もあっていい。でも、なかなか上手く「言葉」にできないから、心が余計に蝕まれていくのです。

 先人が上手に「言葉」にしてくれています。自分の気持ちが分からなくなった時、「言葉」の引き出しは、心を救ってくれるのです。だから、「書くこと」が好きなのだと。「言葉」の引き出しを少しずつ少しずつ増やしていく為に、私は、「書くこと」をこれからも大切にしたいと思います。

 子ども達が不安になった時、苦しくなった時、もし私の持つ「言葉の引き出し」が少しでも心を癒せたら。きっと私の「書くこと」の意味がそこにあるように思うから。

 「書くことによって学ぶ」玉置ゼミの伝統を受け継ぎながら、これからも「言葉の引き出し」を蓄えていきたいです。

(下野)
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