人と人との繋がり-『学校へ行けなかった僕と9人の友だち』を読んで-(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。昨日(4/21)『学校へ行けなかった僕と9人の友だち』を同期の丹羽さんから受け取りました。(現在、7期生は研究室本棚に在る3冊の本書を回付しています。)

 棚園先生の前作『学校へ行けない僕と9人の先生』を読んだ際、私は「フツウとちゃんと」という記事を書かせていただきました。

 前作から一貫して、本書に綴られていることは「フツウの多様性」だと私は感じています。「フツウ」と「多様性」、一見相反する言葉に見えます。しかし、この世界は多様な「フツウ」があり、人は生きていく中で自分なりの「フツウ」を獲得していくのではないでしょうか。人は一人一人身なりも心も相違していますから、同様に「フツウ」も一人一人相違します。つまり、「フツウ」は「多様性」に溢れていると思うのです。

 では、人はどの様にして自分の中の「フツウ」を獲得していくのか。それは、沢山の人に出逢うこと。考え方も生きてきた道も違う沢山の人の「フツウ」に出逢ったのならば、自分の中にある「フツウ」が変容していくのだと思います。

 私も学校へ行けなくなったことが何度かあります。一人の方が心が落ち着いて、ずっと家に居たいと思っていました。しかし、やっぱり「フツウ」を追い求めていた様に今は感じます。それも、自分で作り上げた「フツウ」ではなくて、誰かの作りあげた「フツウ」にです。

 時は経ち、家族の温かさを改めて知り、友人にも恵まれました。一人で良いとは思い諦めた時にも、人は知らず知らずのうちに繋がっていくのだと思います。誰かに支えられ、一方で知らぬ間に誰かの支えになっているのかもしれない。そんな繰り返しで世界は繋がっているのでしょう。

 前作『学校へ行けなかった僕と9人の先生』から、教師を目指す私は、私の持つ「フツウ」が子ども達それぞれの持つ「フツウ」の変容に少しでも良い働きかけとなれば良いなと思いました。教師の持つ「フツウ」が子どもを救い、時には傷つけてしまうことを知ったからです。

 続く本書『学校へ行けなかった僕と9人の友だち』には、9人の友だちの様々な「フツウ」が描写されます。本書を読み前作の考えに新たな目標ができました。子ども達が関わり交わりながらそれぞれの「フツウ」を形作る過程を「みんながそれぞれのフツウ」を持っていて良いのだと、それが「フツウ」なのだと見守り支援できる教師をとなりたいということです。子ども達が出逢い、過ごす日々がどうか自分なりの「フツウ」見つけられる日々となる様、授業や学級経営に取り組みたいと思うのです。

 棚園先生をお迎えする会は、7期生が初めて企画する会です。皆の学びが深まると共に、笑顔で溢れる素敵な会にしようと準備も着々と進んでおります。7期生のみんなが同じ本を読み、沢山の捉え方をお互いに分かち合う、これもまた人と人との繋がりによる「フツウ」の変容なのでしょう。

 棚園先生、お会いできる日を楽しみにしております。元気いっぱい笑顔いっぱい、学びの連鎖が絶えず広がる7期生です!玉置先生、こうしていつも私達に人と人との繋がりの大切さを教えていただきありがとうございます。今回もまた、感謝でいっぱいの心で記事を綴らせていただきました。ご高覧いただきまして、ありがとうございました。(下野)

まねっこ。(今井)

 おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。今日の「みうのひとりごと」お食事中の方は、読まない方が良いと思います。

 先日の朝、犬の散歩をしている人とすれ違いました。可愛いな〜と思って見ていたのです。飼い主さんは、大きなビニール袋とトングを持っていました。小型犬なのに、とても大きなpooをするのだなと思いました。でも、よく見てみると、袋の中には赤色や黄色の何かが入っているのです。あれ?茶色じゃないの?と不思議に思っていたら、飼い主さんが道に落ちているゴミを拾ってビニール袋に入れました。犬の散歩をしながら、ゴミ拾いをしてくれていたのです。

 私は、少し恥ずかしい気持ちになりながらも、朝からとても素敵な光景を見ることができたなと思いました。誰が捨てたかわからないゴミを、誰に頼まれたわけでもなく、拾ってくれているのです。心の中で、ありがとうございます。とお礼を言いました。

 真似しようとも思いました。私も犬を飼っています。今度からお散歩に行く時は、ビニール袋とトングを持って行きます。

 「良い行いをしなさい。」という言葉。「お利口さんになりなさい。」と言われているようで、あまり好きではありませんでした。でも、その行い自体が誰かの役に立っていることはもちろん、その行いで誰かの気持ちを穏やかにしたり、誰かの行動を変えたりすることができる、だから、「良い行いをしなさい。」と言われるのだなと思いました。

p.s.登山では、トイレに行くことを、女性は「お花摘み」、男性は「雉打ち」と言うそうです。(今井)
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7期生高橋さんの記事から(松浦)

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 こんにちは!6期生の松浦です。先日、7期生の高橋さんの記事を読んで、自分の心に変化があったので、記事にしてみたいと思います!

 高橋さんの記事を読んで、人生初の授業、しかも道徳という、かなり難しく悩んだ様子が伝わってきて、1年前の自分を思い出しました。何も分からない状態ながらも、試行錯誤を繰り返し、先生や先輩方に必死に着いていけるように頑張っていた記憶があります。
 高橋さんの記事には「初めての授業で大失敗をした」と書いてあって、とても悔しい思いをしたのだなと思いましたが、それを何倍も超えるくらい、大切なことをたくさん学んでいて、とても良い刺激を受けたのだと思いました。私も昨年のゼミで算数の模擬授業が上手くいかず、すごく悔しかった経験があります。しかし、その失敗からの学びが教育実習でとても活きました。きっと、高橋さんも今回の学びを次に活かして、どんどん自分のものにしていくんだろうなと思いました。

 1年しか違いませんが、なんだか若々しくて、いきいきとした気力を感じて、記事を読みながらすごく刺激を受けました。今でも授業をするとなるととても緊張しますが、初めての授業をした時の、あの緊張感を忘れたくないな、と思います。そして、いくつになっても謙虚に、常に学び続ける姿勢を大切にしたいです。

 7期生の皆さんの活躍を見て、いつも刺激をもらいますし、尊敬しています。私たち6期生も負けないように頑張ります!7期生のみんな、ありがとう!6期生のみんな、頑張ろうね!!!(松浦)

田んぼのおしゃれ。(今井)

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 こんにちは。7期生の今井美羽です。「みうのひとりごと。」のお時間です。ん?と思ったそこのあなた!私の記事を読んでくださっている方なら、ピン!ときたのではないでしょうか。そうです。私が考えているラジオの番組名です。ついに解禁。(笑)

 大学の最寄り駅と大学までの往復は、自転車で、大学の周りの田んぼ道を通っていくわけなのですが、最近その道から春を感じることができます。たんぽぽや、シロツメクサ、名前のわからない花などが道に沿って咲いているのです。きれいだなーーと花に見惚れていると、田んぼに落ちてしまいそうになるので、要注意です(笑)

 帰り道、住宅街のアスファルトに咲いている一輪の花を見つけました。土に植えられた花より、確実に芽を出しづらく、花を咲かせにくい状況であるにも関わらず、力強く咲いている花を見て、とても力が湧いてきました。鉢に植えられたキレイな花も好きだけど、アスファルトに咲く力強い花のかっこよさも良いなと思いました。この花は、咲きたいという気持ちが強かったんだろうな、絶対咲いてやると思っていたのだろうな、なんて考えながら、自転車を漕ぎました。

 私もアスファルトに咲く花のように、苦しい環境や境遇に負けず、力強く、しぶとく生きていきたいです。

p.s.朝、もう少しで大学に着くぞという時、顔を少し上げると、大学の後ろにそびえ立つ荘厳な山々が見えます。冬は、頂上に雪が積もっていたりします。その山を見るのもお気に入りです。その山を見ながら、深呼吸をします。機会があれば、ぜひ見てみてください✌✌(今井)

フツウって?

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 こんにちは、7期生の池戸です。新学期がはじまり毎日学校で授業を受けられることに喜びを感じつつ、まだ早起きに苦戦する日々を過ごしています。やっと玉置ゼミ生とも直接会って話せる機会が増え嬉しいです。

 先日、ずっと読んでみたいと思っていた棚園正一さんの『学校へ行けない僕と9人の先生』という本が玉置研究室書棚に返却されていてやっと手に取ることができました。今日はこの本を読んで私が感じたことを記事にしようと思います。

 私は最初、自分が教師だったらという視点で読みました。

 教師にとっての『フツウ』が生徒の『フツウ』とは違う。この本に出てくる9人の先生が全員正しいわけではない、でも間違っているわけでもない。いや、教師に正しいも間違いもあるのだろうか?主人公のボクを前にした時、自分だったらどう向き合い声をかけるのだろうか。

 色々な感情が込み上げてきて、自分の気持ちを整理できませんでした。私は教師になっても大丈夫なのかと不安すらよぎってしまいました。

 次に私はこの本をボクの視点で読みました。

『学校へいくことがフツウなんだ』『ぼくはフツウじゃない』ボクの中でいつのまにか造られる『フツウ』がボク自身を苦しめてしまう。きっとボクはそれを気づかせてくれる先生、大人に出会いたかったのではないでしょうか。先生の優しさが欲しいわけではない。『先生に優しくされるほどボクはトクベツになってしまう』この言葉にすごく重みを感じました。

 子供たちの中で知らず知らずのうちに形成されてしまう『フツウ』が子供たちの夢や将来を奪っていたら、、、。世の中に存在する『フツウ』とは何なのか。この答えは教師になっても向き合い考え続けなければいけないことだと思います。
 
 例えば5人の生徒が同じ問題を抱えていたとして、同じ状況でも、その5人に同じ『フツウ』を与えても何も変わらない。これが教育の現場だと思います。目の前の生徒が何を必要としているのか、一人一人と向き合うことがなかなか難しい中で、どうやってその5人と向き合うかそれこそが教師の力量が問われる部分だと思います。誰かと比べたり、フツウにとらわれる必要なんてないと思います。私は生徒たちが時に自分を認めてあげられるようにサポートしていきたいです。時に先生は教えるためのティーチャーではなく、サポートに回るエデュケーターとしての先生でいなさいとある授業で習いましたが、その通りだと思います。
 
 この本と出会い、『フツウとは?』という当たり前すぎて普段向き合うことのなかった問いに向き合い、考えることができました。そしてまた一つ私の視野が広がりました。5月にはこの本を書かれ、主人公でもある棚園さんと玉置ゼミ7期生での交流会もあります。第二作となる『学校へ行けなかった僕と9人の友達』について語り合うことができる貴重な機会でとてもワクワクしています。このような機会を設けてくださった棚園正一さん、玉置先生ありがとうございます!!

 また違った視点の第二作の感想は交流会で直接棚園さんに共有させていただこうと思います!ぜひ皆さんも一度手に取り、考えてみてください。『フツウって?』(7期生池戸)

小さな夢。(今井)

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 こんにちは!7期生の今井美羽です!4月になりました。桜がきれいだーと思っていたら、もう葉桜になっていて、美しいものは、とても儚いなと思いました。でも、美しく儚いからこそ、私たちは毎年桜に魅了されるのでしょう。

 今日は、私の叶いそうで、叶わない「小さな夢」についてお話します。

 私は、ラジオのパーソナリティをやってみたいという小さな夢を持っています。特に具体的で明確な理由があるわけではなく、ただ単に、楽しそう!やりたい!と直感的に思ってから、私の心の中に「ラジオ」というものが居座り続けているのです。最近の車の運転中は、音楽ではなく、ラジオです。

 ラジオを聴いていると、友達との学校の帰り道、「ああでもない、こうでもない。」と、どうでもいいことを話している感覚になります。これが好きなのです。今、学生時代の帰り道の会話の内容を思い出そうとしても、全然出てきません。そんなものです。でも、あの時間が私の中では宝物で、尊い時間でした。家に帰って宿題をやらなければいけないと分かっていながら、友達とする無駄話。もう家に着いているのに、気づいたら家の前で何時間も話していた、なんてこともありました。

 人生は、一生記憶に残るような大きな出来事が起こります。でも、記憶に残らないような日々の生活や、無駄だと思うこともまた、私たちの人生、自分をつくっているものであると思います。ラジオは、そういう日々の小さな小さな、テレビニュースにならないようなことについて、じっくり話せる気がします。良い無駄話です。だから、私は、ラジオのパーソナリティをやってみたいんだと思います。

 以上、私の「小さな夢」のお話でした。ただ私の「小さな夢」をお話しただけの、中身があるようでないような記事が完成しました。でも、私の中では私の好きなラジオのような、良い無駄話ができて、大大大満足です。読んでくださり、ありがとうございました!

p.s.パーソナリティをやれる予定は、ないのですが、ラジオの番組の名前は、決めているのです。今は、秘密です。(今井)

「先生のための『話し方』の技術」を読んで(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です!今回は、玉置先生の新著「先生のための『話し方』の技術」から学び感じたことを綴りたいと思います。

 本書を読み、まず私が感じたことは「先生はアイドルだ!」ということです。下野はまた何を言ってるんだ!?と思われる方もいらっしゃるかと思います。大半の方は「先生がアイドル!?」なんていう感情を抱かれるかと思います。しかし、私ははっきり断言します。「先生はアイドル」です。

 元気いっぱいの笑顔で、一方通行のようにも見える歌(授業)を伝える。しかし、それは一方通行ではありません。観客(生徒)の心に耳を傾け、観客(生徒)の心を掴む。自分がどう見られているのか、自分をどう見られたいのか常に考える必要がアイドル(教師)にはあるのです。

 アルバイトの後輩に、元アイドルが居ました。本物のアイドルです。やっぱり本物は笑顔の質が違うな、と私は圧倒されました笑 どれだけ忙しくても、どれだけ横柄なお客様がいらっしゃっても、彼女の笑顔にかかれば働いている私達もお客様も笑顔になってしまうんですね(笑)。

 彼女は、もう退職しましたが、私の目標の笑顔は本物の笑顔です。それはアルバイトの中だけではなく、教壇に立つことを目指す私の大きな目標となっています。

 一方で、そんな教師(アイドル)だって人間です。教育実習生として現場に向き合えば、一学生としての面を持ち、教師となれば、一人の人としてのプライベートがあります。つい弱音を吐きたくなること、ふいに心が折れてしまいそうな時だってあります。そんな時は、笑顔いっぱいな子ども達(観客)が教師には付いています。

 「子どもに弱音を吐くなんて恥ずかしい」と私は本書を読むまで考えていました。しかし、どうやら違うみたいです。本書では、伝える相手である「子ども」を「一人の人」として捉え、向き合う大切さを隠れた本質として説いているように私は感じました。教師も一人の人。子ども達も一人の人です。子ども達は、教師をよく見るプロなのです。

 本書を読み終えて、子ども達を一人の人として捉えること、子ども達の前でなりたい自分になれる職業が教師であることを学びました。

 話し方の技術が項目ごとにポイントを簡潔にまとめられている点、まさに伝える技術の具現化だなと、素敵な本だなと何度も読み返し感じております。人は誰かに自分の想いを言葉で伝えられる生き物ですから、教師に留まらず、人としての技術が記されている本だと言えます。

 こんな素敵な本を書かれる先生が私達のゼミ生の先生だなんてとっても嬉しいです!!!玉置先生、今回もまた沢山の学びをありがとうございました。(下野)

ゆらゆら〜。(今井)

 出発してすぐ、線路付近から、こちらを眺めている女性。誰かを見送っているのだろうか。電車に乗っている相手は、彼女に気づいたのだろうか。

 ウトウトしてるスーツ姿の男性。隣の女性に少し寄りかかってしまって、女性は何度か男性を睨む。寝ているので、男性は睨まれていることなど全く気づかない。寝不足なのだろうか。朝は目を閉じている人が多い。

 3分遅れのアナウンス。時計をちらり。乗り換え案内をちらり。朝はこの3分が、運命の分かれ道。1日を「おはようございます。」でスタートするのか、「すみません。」でスタートするのか。

 私は、音楽を聴こうと思い、ワイヤレスイヤホンと携帯を接続する。繋がっていると思って、音楽を流したが、接続されていなかった様子。急いで、音楽を止める。別にバレてもいいのだが、イヤホンで自分の耳に耳届くはずたった曲を車内で流してしまったため、自分の趣味がバレてしまった、という恥ずかしい感覚に陥る。

 そんな、私の朝。(今井)
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雨の日は(下野)

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こんにちは、7期生の下野です。

記事を綴る今日(4/13)は、朝から雨でした。どうやら明日も雨模様のようです。

雨は苦手なのですが、「はあ雨か」と思う度に中学の礼拝を思い出します。
キリスト教(プロテスタント系)の学校でしたから、礼拝がありました。
礼拝にて、「雨は恵みの雨です。足場が悪かったり、学校に行くのは大変でしょう。それでも雨は、飲み水となり木を育て、花を育てます。恵みの雨です。」と言われました。きっと一語一句間違ってないはずです(笑)。なんだか、「恵みの雨です」とはっきりと言い切られると、「恵みの雨かあ、そう思うのもいいかも」と思ったことを今でも覚えてます。

雨の日の懐古は、いつもこのエピソードです。

(下野)

私のコロナ禍の1年(中江)

 こんにちは!6期生の中江です。最近はお日様がぽかぽかしてすごしやすくなりましたね!さらに桜も散る季節になり春の訪れを感じるばかりです。先日見かけた桜の花が真っ白でとてもきれいだったのでつい写真におさめました。ぜひ見てください。

 さて、私のコロナ禍というテーマで今回はお話をします。

 世界がコロナの影響を受けて、もうまる1年経ってしまいますね。ぱっと思い返してみると、空白の1年という印象が私の中では強いのです。それはなぜかというと、1年前、3年生として「よし!頑張ろう!」とスタートをしようとしていた私にとって頑張ろうとしていたことがコロナによって取り消される状況が多かったからだと思います。私は1年生からフレンドシップという活動をしていて、3年生では主体となって後輩たちを引っ張っていくはずでした。しかし、活動はなくなりスタートを切れないまま…。授業においてはオンラインでの講義になり先生との連絡手段、課題の提出方法、その他情報確認の仕方など分からないことだらけで混乱してばかりでした。いったい私は大学で何をしているんだろうと悩むこともありました。

 しかし、本当にこの1年は空白だったのだろうか…?ともう1度ふり返ってみると、ちゃんと意味のある1年だったと感じることができました。そう感じることができたのは、家族の存在と実習の経験がきっかけです。

 私は三重県出身でひとり暮らしをしています。コロナ禍になって前よりも家族のことを心配するようになり連絡をとることが多くなりました。私には大学1年生(今年2年生)の弟がいます。ちょうど弟が大学に入学する時期がコロナと重なりました。入学に伴って弟もひとり暮らしを始めたのですが、入学したのに大学にいけない、まったく学校生活に慣れないという状況つづきでした。履修のことや大学での勉強について不安だらけの弟からよく相談を受けていました。弟は不安は解決しないままだけど話すことで気持ちが楽になると言っていました。そういえば、ひとり暮らしを始めてから家族としっかりコミュニケーションをとれていませんでした。小さな悩みだったりたわいのない話だったとしても家族のよさを知れるものなのだなあと改めて気づきました。

 次に実習のお話をします。コロナ禍での実習ということで、実習に参加させていただく前は本当に力が身につくだろうかと思っているときもありました。しかし、実習で経験させていただいたことはこのコロナ禍だからこそ得られた貴重な学びでした。予想もしなかった状況に直面する中、子どもの安全のためにいかに先生方が配慮をして、それを子どもに伝えるためにどんな指導をしているのか、これを実際に見させていただく機会は他にないと思います。こんなすてきな機会があったのに、空白の1年だなんて言うことができません。とても実りのある実習期間でした。

 コロナ禍の1年をすごして、一見何もなかった1年のように感じてしまいます。しかし、しっかり中身のある1年だったとふり返ることができました。私の人生の中の貴重な1年であって、これからの人生にきっと役に立つことを教えてくれた1年だっと感じています。コロナ禍のこの1年を忘れずにこれからを歩んでいきたいです。(中江)
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和太鼓と私。(今井)

 こんにちは。7期生の今井美羽です。少し前のことになりますが、1月に最後のコンサートを終え、11年間続けていた和太鼓を引退しました。今回は、そんな私の和太鼓人生についてお話したいと思います。

 和太鼓と出会ったのは、小学4年生の頃です。最初は、弟の付き添いで見学に行き、そのまま一緒に習い始めました。

 11年間の中で、様々な経験をさせていただきました。大きなことで言うと、全国大会に出場したり、海外で1ヶ月間公演を行ったことなどがあります。

 和太鼓を通しての経験から、多くのことを学び、色々なことを感じてきました。その11年間で私は「強い心」を手に入れたと考えています。和太鼓の練習は、体力、精神的にとてもきついです。先生も厳しく、最初怒られたとき、私は泣きました。泣いたら余計に怒られました(笑)でも、この厳しい練習を乗り越えた先の達成感、高揚感は忘れられません。全国大会での演奏が終わった後、仲間と抱き合い、結果に喜んだり悔しがったりする時、公演の後、お客さんが、笑顔で「ありがとう」と握手を求めてくる時、とても嬉しい気持ちになり、練習を頑張って良かったと思えます。そして、今まで厳しい練習や困難を幾度となく乗り越えてきたので、少しのことではへこたれないし、苦しい状況でも頑張ることのできる人間になれたと思います。

 また、性格も変わりました。和太鼓をやる前は、人前に出て何かをするような性格ではありませんでした。どちらかというと、静かな子でした。何をするにも人に聞かないと出来ない子で、小学1年生の時、担任の先生から個人懇談で注意されました。和太鼓を始めてからは、前より明るくなり、人前に立つことを恥ずかしいと思わなくなり、自分から積極的に物事に取り組んでいく性格になりました。また、お客さんに感謝される度に、こんな自分でも和太鼓を通して、誰かを笑顔にしたり、元気や勇気を与えたりすることが出来るのだと感じることができ、自分に対しての自信に繋がりました。和太鼓を始める前の自分より、今の自分の方が100倍好きです。

 和太鼓には、未就学児の子からお年配の方まで幅広くいます。その中で、長期休暇には小学生以下が参加する3泊4日の合宿があります。私も参加しており、中学生からはお手伝いとして参加していました。この合宿で、後輩の面倒を見たり、時には指導をする中で、私は教師という夢を持つようになりました。

 和太鼓とは、離れることになりましたが、先生を始め、仲間の皆は私が教師を目指していることを、応援してくています。沢山成長させて頂き、夢を持つきっかけをくれた和太鼓にとても感謝をしています。先生や仲間に良い報告ができるように、これから私は自分の道を切り開いていけるよう頑張ります。

p.s.写真は、最後のコンサートを観に来てくれた友達がくれたプレゼントと、和太鼓の先生と仲間から頂いた花束です。(今井)

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夜の電車の中で思い立ったことです。(名桐)

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 こんにちは。6期生の名桐です。最近、段々と気温も上がり、ようやく春らしい気候になってきました。桜も満開で、吹き抜ける風も心地が良くて春っていいなと改めて感じています。

 春といえば、出会いや別れが付き物の季節です。私は現在、塾でアルバイトをしており、見ていた子ども達が高校、大学合格とともに塾を卒業していきました。担任制の塾のため、毎週同じ時間に会い、授業を楽しくしていた時間がもう来ないのかと思うと、とても寂しいです。別れ際、今までありがとうございましたという感謝の言葉とともに、ハンカチと手紙を貰いました。(その子は2年間見ていたため、人一倍指導してます)中学生の子が一生懸命書いてくれた手紙を見て、久しぶりに泣きそうになりました。しかし、そこはグッと堪えて笑顔で最後の挨拶をしました。

 今回、何を伝えたかったかというと、子どもは自分たちが思っているよりも大人のことをよく見ているということです。書かれた手紙の内容であったり、僕に表情の違いがあったりすると、すぐに気付いて話かけてくれます。(たまに面白半分でいじられますが) そして、自分が好きな物であったり、オススメしたりしたものによく影響を受けます。たかがと言ってしまったら少し言葉が汚いですが、たかがアルバイトで働いているそんな人に対しても、子どもたちにとって見れば塾の「先生」であって、純粋な心で僕達大人を見ているのです。

 これは、教師になったら余計に気をつけなければならないことだと思います。特に、小学生相手ともなると自分のしたこと言ったこと全てが子どもの印象に残ります。身近な先輩方が先日から新人教師として先生への第1歩をあゆみ始めていることを思うと、より一層自分たちの未来や今考えるべきことがケチャップのようにアイデアとして溢れ出てきて、いよいよ教師への切符を掴めるところまできたんだなと少し緊張しています。

 最近、教員の不祥事が多いですよね。加えて、「教師のバトン」という文科省が奨励するSNS上で教師の魅力を伝えるという施策においても、結局ブラックな一面ばかりが表面化し、教師という職業の価値がそれらによってネガティブな方向へ操作されている気がします。私は、そういったニュースを見て教師という職業についてたくさん考えさせられるいい機会を得ています。もちろん、現場に立たれた先生方しか分からない苦労や葛藤があることも十分承知しています。ですが、やはりニュースで教育関係の暗いニュースを見るのは気持ちがよくありません。

 子どもたちは、大人のことをよく見ています。子どもたちの前では手を抜かず、些細なことでもいいので、何か成功体験をし、自分に自信をつけていくことが大切だと思います。私も、決してアルバイトだからといって粗末にするようなことはせず、教師へのカウントダウンが始まったと自負し、教採までのあと少しの期間、子どもたちと関わっていきたいです。夜の電車の中で、ふと決意した気持ちを書いてみました。

追伸
 「書くことによって学ぶ」
 玉置ゼミの真髄でもあるこの言葉、改めてその意義を実感しつつあります。自分の言葉に表すことによって、自分の理解や考えも深まり、見てくださる方々の目にも留まり共有できるこの環境を、もっと大切にしなければならないなと感じました。書くこと自体は嫌いではないので、気まぐれではありますが、今後ともチラッと見ていただけたら幸いです。(名桐)

私のコロナ禍の一年(高橋)

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 こんにちは。七期生の高橋奈優です。コロナと向き合う生活が始まってから一年がたとうとしていることに時の速さを感じ驚きが隠せません。当たり前だと思っていた暮らしが大きく変化して一年がたったということで振り返っていきたいと思います。

 私がこの一年で学んだことは、「自ら行動すること」です。コロナの影響によって対面授業からオンライン授業に変わり、幼稚園から大学一年生まで一日学校で過ごすという当たり前の日常がなくなり家で過ごす時間が多くなりました。そして、自由に使える時間が増えました。この時間を無駄にしたくないと考えていましたが自分の弱い部分が出てしまい前半はうまく使うことができませんでした。これを変えようと後期から二つのことに挑戦しました。

 一つ目は、ボランティアです。活動の内容は日本の公立小・中学校に通っている外国籍の子供たちの学習支援です。二年生前期で履修した「教育の社会制度論」で公立学校に通う外国籍の子供たちについて学び興味を持ち、このボランティアを始めました。子供たちと関わるなかで自分の課題を見つけつつ、コロナ禍で海外には行けないなかで異文化に触れることもでき今後も続けていきたい活動の一つとなりました。

 二つ目は、小学校へインターンに行ったことです。二年生では実践観察という実習がある予定でしたがオンラインでの講義となってしまったため経験値のない状態で教育実習に行くことに不安があり母校の小学校へ行き子供たちと一緒に授業を受け、給食を食べ、休み時間はたくさん遊んできました。

 このようにたくさん時間があるからこそできることを自分で見つけて行動に移すことを学びました。また、このコロナ禍のおかげで明日、今日までの日常が日常ではなくなってしまうことが簡単に起こってしまうことを身にしみて感じたことによって何かと考え込むのではなく、思い立ったら行動するという考え方に変わったことも自分のなかでは大きな収穫になったと思います。

 ひとまず、この一年健康に過ごすことができて良かったです!(高橋)

「先生のための『話し方』の技術」を読んで (矢崎)

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 こんにちは。5期生の矢崎です。

 今回は、玉置先生から卒業のお祝いとしていただきました、「先生のための『話し方』の技術」から学んだことを書かせていただきます。

 私が今回学んだことは、「話すこと、聞くことは相手を『想いやる』こと」だということです。と言うのも、この本の題名に「話し方の技術」とありますが、私は、読んでいくうちに「想いやる技術」が書いてある本だと感じたからです。

 「話し方の技術」と題名に書いてあるし、スピーチコンサルタントの方との本だし、スピーチの見本原稿などが載っているんだろうと思う方もいらっしゃるかと思います。私も読むまではそうかなと思っていました。

 この本には、そのような見本原稿は一切載っていません。なぜなら、玉置先生と菱田さんのお二人は共通して、「話すことは思いを伝えること」とおっしゃっています。話す言葉に「思い」がなければ、「話す」とはいわないということです。ということは、見本原稿などをそのまま真似して話しても、その原稿にはその人の「思い」がないので、「話す」ことにはならず、聞く人には伝わらないのです。だから、この本には見本原稿などは一切載っていません。

 そして、話す言葉に「思い」があるということは、その話を聞いてほしい相手を「想っている」ということです。だから、その「思い」を伝えるためには「想いやり」の技術が必要になります。その「想いやる技術」がこの本にはたくさん書かれています。

 この「想いやる技術」は教員だけに関わることではありません。人として、とても大切な技術です。だから、この本から学んだ「想いやる技術」を基に、教員という立場の前に、人として今目の前にいる人を大切にできる話し方をしていきたいと思います。

 玉置先生、素敵な本をプレゼントいただき、ありがとうございました。(矢崎)

私のコロナ禍の一年(7期生 久野)

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 こんにちは。7期生の久野です。初回の自己紹介以来の投稿でドキドキしております。今回の投稿を機に毎月投稿を心掛けたいと思います。

 今回は、“私のコロナ禍の1年”についてお話します。

 学校や仕事の突然の長期休暇という異例な事態、マスク生活、飲食店や娯楽店の営業自粛、、今まででは考えられないような驚くべき事態に誰もが翻弄されました。しかし、私は正直、「この1年、まぁなんだかんだ悪くなかったかもなぁ〜〜」と思っています。

 この1年、わたしには心のゆとりができ、趣味が広がりました。授業がオンラインになり、通学時間が減ったことで自由に使える時間が増えました。ゆとりができたことで、それを自分がやりたいことに費やせるようになりました。お菓子作りを極めたり、映画鑑賞に耽ったり、昔から念願だった習い事を始めてみたり。豊かで楽しみの多い人生になったと思います。

 コロナ禍前は、朝早起きして学校へ行き、帰ったら家のことを大急ぎで片付け、ダッシュでバイトに行き、、という目まぐるしい日々を送っていました。忙しい日々も悪くはないけれど、満員電車で揉みくちゃにされながら死んだ目でやり過ごしていたあの日々は、豊かで人間らしい生活とは言えないなあ、、、と今では思います。正直、完全に元通りの生活には戻りたくないです笑 

 ただ、友達と会えないのはとてもとてもとっても辛かったです。ズーム飲み会なんてのが流行りましたが、遠隔で顔を見ても、結局、「はやく会いたいね、、、。」「もっと会いたくなっちゃった、、、。」という会話に落ち着きます。生身の人間とふれあうことの大切さ、その時間がいかに愛おしいものなのか身に染みてわかりました。コロナ禍を味わったコロナ世代の私たちは、きっと、人とのふれあいを大切にすることができる人たちだと思います。

 これから、徐々に普通の生活へと戻っていくことかと思います。コロナ禍で見つけた趣味を捨てずに人生をより豊かにしていくとともに、忙しくなる生活に負けずに頑張っていきたいと思います。(久野)

※写真は林文通先生から提供していただきました(玉置)。

コロナ禍での一年間(伊藤)

 暖かい季節になりましたね!!こんにちは、玉置ゼミ6期生の伊藤幹太です。

 私には、二人の弟がおり、4月から、大学生になる次男と高校生になる三男がいます。
大学生になる次男は、受験でなかなかどこも受からなかったのですが、センター利用で補欠合格のさらに下の追加合格で大学に受かり、東京の大学にいくことになりました。その一方、高校生になる三男は岐阜県学力テストワースト2位の実力の持ち主です。今年新設の学校に行くことになりましたが、入学者が4人の学校らしいです。そんな彼ですが、大学に通って遊んでいる私を見て、大学は4年間遊びまくれるとこと考えており、大学進学が夢だそうです。

 このように弟たちの成長を見ているうちに私は、大学4年生になってしまいました。時の流れがとても早く感じます。私が好きな話でこのような話があります。
「寿命が80歳と仮定したときに、20歳で人生半分終わっている」
という話です。寿命が80歳だとしたら、半分は40歳だろと思う人が大半だと思います。

 しかし、時間の感じ方としては20歳で人生の半分終わっているそうです。説明すると、これはジャネーの法則といい5歳にとっての1年は5分の1で10歳の1年は10分の1であるという法則です。それに当てはめて計算すると人間が感じる時間の半分は20歳で終わるそうです。つまり、私はもう人生の折返し地点にいると言っても過言ではないのです。ジャネーの法則からもわかるように大学生活はあっという間に感じました。

 特に今年の1年間は時間が立つのが早かったです。コロナで今まで当たり前だったものが一気に見直され、これからの未来どの様になるのか、色々と考えさせられることが多くありました。また、来年4年生であり、社会人にリーチがかかっており、この一年「自分は将来どのようなことがしたくて、どのような人間になりたいか」考えさせられました。そんな中、このような面白い話を聞きました。

 ある大学教授が、自分の講義で空っぽの壺を持ってきました。その中に石をパンパンに入れました。そして学生たちに「この壺は満杯ですか?」と聞きます。すると多くの学生は「はい」と答えます。次に砂を壺パンパンに入れます。そして「この壺は満杯ですか?」と聞きます。すると多くの学生は「はい」と答えます。そして次に水を壺にパンパンにいれて、「これ以上は入りません」と言いました。この話から、得られる教訓は何でしょうか?

 多くの人は、実際できないと思っていることでも、詰め込めばできるよね。と考えます。しかし、この大学教授が言いたかったことは、石は最初に入れなければあとから水や砂をパンパンに入れたあとでは、入らないということです。

 これは、どういうことかというと、人生において一番大切なことを一番最初に入れてくださいということです。年を取るにつれて人間はできないことが、増えていきます、そのため、自分の人生においていちばん大切なことを考えて、若いうちからやりましょう。ということです。

 よく、脱サラして新しいことに挑戦したり、年をとってからの婚活など聞きますが、かんたんではありません。そのため、自分にとって、「仕事」「家庭」「お金」「趣味」「時間」何がいちばん大切なのか、考えて社会人になりたいなと思ったそんな一年間でした。(伊藤)

※写真は林文通先生からいただきました(玉置)。
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私のコロナ禍での1年(岡)

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 みなさんこんにちは!今年度の目標は何事もコツコツやっていこうと考えている岡倖太郎です!今日はコロナ禍での自分の1年について振り返ってみたいと思います!

 まず振り返ってみれば1年前は実家から車を持ってきて、2年生からは車持ちの下宿になりなんでもできるような気分でした(笑)。 色んなところに旅行に行ったり、友達とたくさんご飯を食べに行ったりありとあらゆる楽しいことを想像していた1年でした。しかしこの1年で車がもっとも輝いたのはバイトの行き帰りでした。とても1年前には想像が出来なかったことです。しかし私にとってコロナはマイナスなものだったかというと必ずしもそうではなかったと断言できます!

 私がコロナの中で良かったなと思うことについて、3つお話ししたいと思います!

 1つ目はバイトをする時間が増えたということです!みなさんからしたらこれのどこがいいことなのと思うかもしれません。しかし私にとってはとてもすごいことなのです。なぜかというと私はバイトが嫌いです笑 バイトと友達の遊びのどちらを優先するかと言われたら100%友達との遊びを優先するくらいです!だから正直いって大学1年生のときは全く稼いでいませんでした。

 しかしコロナになり遊びに行くことがなくなると自然と空いてる時間にバイトをする様になりました。これによって1年生の時とは比較にならないほど稼げるようになりました。そして目標として、貯金をしようと思えるようになりました!まだまだ貯金は貯まってはいませんが、1人の人間として働くことのやりがいを見つけられるようになり、お金を稼ぐことの大変さを知れたということでは貴重な時間だったなと思いました。

 2つ目は料理の能力が向上したということです!私は自己紹介の記事の中でもあげたのですが、家事の中で料理だけは好きです!そのため自粛期間になって1番こだわったの料理です。もともと好きだった漫画の影響もあって味のバランスや、栄養について考えて自炊することが好きでした。コロナの中で時間ができたことで普段は時間がかかって挑戦できないような漫画の中に出てくる料理にも挑戦することができるようになりました。

 さらに毎日スーパーに行く時間をとれるようになったので、頭の中で毎日献立を立てて、旬の食材を取り入れながら料理をするようになり、かなりレパートリーが増えたと思います!これもコロナで時間が生まれなければ出来なかったことだと思います!

 3つ目は海外サッカーにハマったということです。私はスポーツの中でも野球を見ることが好きだったのですが、大学生になってから家族のおかげDAZNに加入していることもあって空いてる時間にJリーグなどを見るようになりました。

 そしてコロナ禍になると大学ではオンライン授業が始まりました!オンライン授業の中にはリアルタイムで行われないものもかなりありました。その影響で朝早起きしなくても大丈夫な状況が生まれました(笑)。

 そこで海外のサッカーを深夜などにリアルタイムで見るようになりました!海外サッカーはさすがに本場なだけあってありダイナミックでかなり面白かったです!さらに各国のリーグによって違いもありとても面白かったです!そこからその国について興味を持つきっかけになり、コロナが終息したらその国に旅行に行ってサッカーをみたいという新しい目標もできました。

 以上の3つのように私は充実した1年を過ごすことができたのかなと思っています。些細なことではあるかもしませんが、何事もプラスに捉えてみることも大事かなと思いました!ただ今年はコロナが終息して色んなところに遊びに行ったり、ご飯とかも食べに行きたいなと思っています!

p.s. 最近バイトが帰りに見つけた夜桜の一押しのスポット写真を載せてみました!(岡)

私のコロナ禍の一年(吉久)

 こんにちは!7期生の吉久です。うららかな春の日差しが心地よく、私の住んでいるところでは桜が満開です。毎日お花見がしたいほど綺麗です。さて、今回は、「私のコロナ禍での1年」というテーマで、この一年間を振り返っていきたいと思います。

 私は正直この一年間が辛かったです。コロナウイルスが流行する前は当たり前のように決められた時間に起き、大学へ向かい、授業を受け、友達と一緒に過ごしたり、サークルに参加したりしていました。

 ですが、コロナウイルスが流行すると、授業はオンラインになり、不要不急の外出は控えなければならず、今までの当たり前の生活が一変してしまいました。慣れないオンライン授業や、実際に友だちと会ってたわいもないお話をすることができなくなりました。

 一方で、通学時間が無くなったことにより時間に余裕はできました。そのため、私はこの余裕のできた時間を始めの頃はバイトにばかりあてていました。

 しかし、このままではいけない!と思いました。この自粛生活だからこそできることがあるのではないのかと考え、色々と試みることにしました。運動を始めたり、ギターを弾いたり、料理をしたり、読書をしたりしました。私は読書が苦手であったためあまり読むことはなかったのですが、自分の苦手な分野、教育に関わる本を読んでみました。いざ読んでみると、苦手な分野をどのように克服すればよいのか、どのように教育での工夫をすればよいのか、多くの学びを得ることができ、気づけば夢中になって本を読んでいる私がいました。

 この「コロナ禍での一年」を通して、辛いと思うこともありましたが、それと同時に、新たな気づきや挑戦、今までの日常を振り返ることができました。自分が当たり前だと思っていたことも、当たり前ではないということが分かりました。また、どれほど今までの当たり前の日常が大切なことであるのかを痛感しました。この経験から、一日一日を大切にし、感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思います。

 p.s.この写真は、自粛期間中に気分転換をさせてくれた私のアコースティックギターです。私の宝物です。(吉久)
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3月28日 バイトでのマイルール(岡)

 皆さんこんちには!お久しぶりです!今の時期はテッシュが大親友の岡倖太郎です!

 自己紹介の記事を書いてから投稿をサボってしまっていたので、今日はこの時期にやっている私の短期バイトでのマイルールについて話したいと思います!

 私はこの時期になると小中高に教科書の搬入と販売を行うバイトをしています!今年で始めてから4年が経ちました!このバイトはとっても面白いです!面白さとしては教育の流れを身をもって体験できるということです!例えば最近で言うと、道徳が教科化されましたね。その年は小学校に初めて道徳の教科書を搬入しました。今までの道徳の教科書の代わりとなっていたものよりも遥かに分厚く一苦労したのを覚えています(笑)

 さらにここ数年で学習指導要領も改定となりました。そのため各学校に学習の範囲の改訂に対応するための冊子を学校に持っていくのですが、これが教科書よりも全然薄いので、教科書の山に埋もれるとよく見失ってしまって焦っていました(笑)。

 ここまで小学校や中学校への搬入のお話をさせて頂きましたが、高校にはまた違った面白さがあります。高校になると搬入するだけでなく販売も行います。さらに私立の高校への搬入と販売もあります。その中で色々と気づくことがあります。私立高校は毎年入学者が同じではありません。だから教科書の注文数をみて、今年は多かったなとか少なかったと言うことに早く気づくことができます。さらに長くこのバイトを続けると毎年注文数が減っていく高校は苦しいのかなって薄々感じたりすることあります。

 私は教科書を販売する時に決めているルールがあります!それは教科書を渡すときは絶対に生徒さんの方に渡すことを心がけています!理由は高校に販売に行くと、必ず一定数と言っていいほど教科書を親御さんが受け取りを子どもは横で携帯をいじったり、後ろで友達と喋っている子がいます!ちなみに私はちゃんと教科書を自分で受け取っていました!これは決して自分はちゃんとやっていたよアピールをするわけではありません。

 私は親から常に「自分で使うものなんだから、それくらい自分で持ちなさい」と言われてきました。この影響もあって自分で持つのが当たり前だと思っていました。しかし販売に行くとひどい時では半分以上の子が自分で持とうとしません。私はこれは良くないと思っているので、「自分で使うやつだぞ」という想いを込めて、教科書を生徒の方に渡すようにするというルールを設けています。

 ちなみに余談ではありますが、私立で販売を行うときは人気のない年ほど自分で教科書を受け取る子が少ない傾向にあると思います。直接関係しているかはわかりませんが、この経験もあって自分の中でこのようなマイルールを設けました。(岡)

※写真は林文通先生からいただきました。(玉置)
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『好きこそものの上手なれ』(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です!今回は、私の好きな言葉を紹介したいと思います。私の好きな言葉は、『好きこそものの上手なれ』です。

 私は、小学校低学年では野球、小学校中学年高学年と水泳、中学生には、ソフトボールとボウリングと様々なスポーツに打ち込みました。試合前に、諦めない気持ちや負けないぞ!という気持ちは、勿論持っていました。

 しかし、最高の自分を演出する為の練習や準備は、していなかったように思います。その時の自分の最大限を出し切ることに欠けていました。程々の力で頑張って、程々の結果でまあいいやといった気持ちだったのでしょう。一方で、自分の目一杯の気持ちを表現できていない為に、自信を持って頑張っていると言えないもどかしさがありました。

 そんな私ですが、大学生になって、「好きなもの」ができました。「教師」という職業です。入学して、学びが積み重なるうちに「教師」という職業がとっても魅力的で、どんどん好きになる自分がいます。「こういった考え方があるのか」「私が教師になったらこうなりたいな」等、沢山の学びが私を強くしてくれています。

 大好きって最強です!!!

 今まで、程々な力でしか何かに向き合って来れなかった私ですが、今は自信を持って一生懸命「教師」という目標に向かって頑張っていると言い切れます。

 人間なのですから、苦手なことは誰にだってあります。「好きなもの」にも、苦手は隠れているものです。それでもくいしばって耐えて少しチャレンジして学んだ先に、大好きな自分が待っていると思います。

 結果を気にするのではなくて、自分の「大好き」の気持ちを大切にしてあげたい。絵だって、勉強だって、パソコンを触ることだって、音楽だって、もっと小さな自分にしか分からない好きだって、なんだって良いのです。『大好きなこと』を一生懸命頑張ってる自分を好きになってほしい。隠れた苦手にも少しの勇気を持って挑んでみて欲しい。私が出会うであろう子ども達には、そんな自分をもっと大好きになる『好きこそものの上手なれ』を伝えたいです。そして、子どもたちひとりひとりの『大好き』の気持ちをそっと後押しし、一緒に喜んだり悔しがったりできる教師になろうと思います。

 まずは、子ども達に出会う前に私が『好きこそものの上手なれ』をおまじないの一言に、今を一生懸命学んで沢山のことに挑戦していこうと思っています。大好きなことを頑張る自分をもっともっと大好きになれる人生を歩み続けようと、本記事にて少しばかりの決意表明とさせて頂きます。(下野)

※ 写真は林文通先生からいただきました。(玉置)
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