共通言語『笑顔』(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。今回は、幼少期、父から教わったお話を綴りたいと思います。

 私の父は、大学時代イギリスへ留学したそうです。小さい頃そのお話を聞いた時、私が口に出した言葉は、「え?パパ英語話せないじゃん!」でした(笑) なんとも、失礼な娘ですが、、、(父の名誉のために、お伝えしておくと、父は人並み以上には英語ができる人です。子どもの頃の私はなんと失礼な、、、)
 父は大笑いして「そう、だから気付いたことがあるんだ。笑顔だけはイギリスでも伝わった。笑顔は、共通言語なんだよ。国を越えるんだ。だから、笑顔でいることは大事なんだよ。」と。

 つい最近、このことを思い出しました。なぜだか、理由は分かりません。面接練習でずっと「笑顔」について考えていたからかもしれません。本当にふっと思い出したのです。

 きっとこのお話を父は何度もはしていないと思います。幼い頃に、たった数回程度だったはずです。不思議なことに、人は大切な時期に大切なことを思い出すように設計されているのかもしれません。

 「笑顔の発信源でありたい」
 これは、私がずっとお話していることです。きっと父のDNAが私に、確かに受け継がれていたのでしょうか。父が「共通言語『笑顔』」と核心を持ったように、私もまた「笑顔の発信源でありたい」と確固たる核心を得ました。

 笑顔は、国をも越えます。父がそう教えてくれていました。私の笑顔につられるように、子どもたちが笑顔になれるように。そんな魔法を私は子どもたちにかけたいのです。だから、私は、「笑顔の発信源」になりたい。

 幼い頃、父がそっと伝えてくれた教えは確かに私の人生に心に在りました。もし教職を目指していなかったら、思い出さなかったのかもしれません。教師は、「笑顔」という共通言語を持って、人を育てる職業なのだと思います。

 父の教えである 共通言語『笑顔』
 私が志す 『笑顔の発信源』
 
 その夢は、まだまだこれからです。私はやっとやっと始まりへの挑戦を今しているところ。父には、まだまだ敵いませんが(笑) 私は私の世界で、「笑顔」を大切に、いつか父にこのお話をしたいと思っています。

(下野)

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ありがとう (下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。4月に半年も待って届いた新しい車がとっても大切な相棒となりつつある、8月。月日が経つのはあっという間だなと感じます。

 そんな私の経験。これまで沢山の経験を積みました。それは日常の些細なことであったり、本から得た知識であったりそれはもう様々です。

 私は、「人にモヤモヤを伝えること」が極端に苦手です。言わない方がいいなと思ったり、これを伝えて関係性が壊れてしまったらどうしようと思うから。

 小学生の時も、中学生の時も、高校生も、勿論大学生になってからも20歳を超えるまでは、「あ、それ良くないんじゃないかな?」と思っても私がやればいいや、私が我慢すればいいやと口を固く閉ざして生きてきました。

 アルバイトを初めて2年目。ちょうど20歳の誕生日を迎えた4月に、先輩方が全員卒業されました。私たちの直属の先輩はいなくなり、私たちだけでお店を守らなければならない状況です。不安でいっぱいでした。いかに先輩方に甘えていたのかを身に染みて痛感します。

 6月頃までは、お店はぐちゃぐちゃ。お客様からお叱りを受ける等々、それはもう悲惨な状況で、トレーニングも上手くすることができず、後輩達との関係も最悪でした。

 ある日、卒業された先輩がお店に遊びに来てくれました。悲惨な状況を見て大笑いし、「あやみちゃん我慢してるでしょ?(笑) いいんだよ、言って。貴方がトップなんだから。自信持って。あやみちゃんにならみんなちゃんとついてくる。それが、上のする役目だよ。」と。
 見抜かれていました(笑) 私は、後輩達が出来ないことは自分がカバーすれば良いとずっと1人で動き回って空回っていただけなのだと気付きます。

 そこから、私は変わりました。まずは、全てに感謝することから。「○○してくれてありがと。助かったよ。」「今日もお疲れ様。ありがとう。」といったように、1人でありがとうキャンペーンを開いたのです。
 そして、同期にも、後輩にも仕事の伝え方を変えました。仕事ひとつひとつの意義を伝えながら、「こうすると効率がよくなるよ」であったり、「この仕事をしておくと、次の人がとっても助かるよ」だったり、、、。
 さらには、みんなの良いところを共有するようにしました。「○○さんがこの仕事をしてくれたから、みんなが仕事をしやすくなりました。とっても素敵なことだなって私は思います。」というような文面を私が働いた日には投稿していました。

 こんなことを続けていくうちに、それはもう変わる変わる。目まぐるしく、とっても優しいお店に大変身しました。岐阜という片田舎で季節のおすすめドリンク売上全国一位を叩き出したり、お客様からのお褒めの言葉が社報に何度も載ったり。

 私一人だけの力ではありません。ありがとうキャンペーンは、みんなに伝播し、キャストみんなが「ありがとう」を伝え合う関係になりました。仕事の意義をひとりひとりがしっかりと理解し、新たに入ったキャストにはそれを伝える風習が私たちの店には出来ました。お互いの良いところをありがとうを添えて伝え合う関係もまた、伝統となりました。

 最近気付いたことがあります。これってプレ学級経営だったのかなと。学級経営において、私が大切にしていきたいことをアルバイトで実践していたのだと思います。
 
 面接練習で「貴方が学級経営で大切にしたいことは何ですか?」と問われれば、アルバイト先のみんなの顔を思い浮かべます。「ありがとうを伝えられる学級」。これが根幹だと私は思っています。

 「ありがとう」は、人を繋げる と私は位置づけています。当たり前のように側にいてくれる人、いつも心の支えになってくれる人、価値観が合わない人、絶対に許せない!と思う人にも「ありがとう」を伝えられたら、それはそれは素晴らしいのだと思います。「ありがとう」を伝えられる人に子どもたちにはなって欲しいのです。そして、私もまた子どもたちに「今日も生きていてくれてありがとう」と。そう言葉で伝えたいと思っています。

 アルバイトから学んだことのひとつを、今回は綴りました。長くなってしまいましたが、ご高覧頂いた皆様ありがとうございました。どうしても、綴っておきたい経験だったのです。

(下野)

聴す(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。ここ数日、ずっとセーブをかけていたアルバイトを解禁しました。面接練習と兼ね合いを取りながら、今は思う存分いつものお得意技「笑顔の発信源」として、楽しく働いています。

 カフェでのアルバイトももう5年目。それはもう沢山の後輩がいるわけなのですが、卒業を控えたこの半年は特に後輩育成に力が入ります。それは、私が居なくなってもお店を守って、それに加えもっともっとより良くして欲しいから。

 夏休みのこの時期、アルバイトの応募は沢山きます。先日、新人の女の子が入りました。トレーニングをする中で、「迷惑をかけてしまうかもしれないけど、よろしくお願いします!」と言われました。

 迷惑か、と私は思います。そう言えば私も新人の頃、沢山先輩に迷惑かけただろうなと思いました。クレジットカード決済は連日間違えるわ、お客さんの目の前でお皿は割るわ、それはもう多大なるご迷惑をお掛けしていました。それでも、いつもいつも笑い飛ばして許して貰っていました。たまに、怒られて落ち込んでいたけれど、次の日には「よっしゃ!頑張るよ!」と言ってくださる先輩ばかりに囲まれて育ってきた私。

 そんな私の返答は「迷惑は、かけていいんだよ。だから、その分これから後輩が出来た時にそれをカバーしてあげられるキャストになってね。」でした。これが私が先輩から背中で教えて頂いたことだと思うから。

 新人の子の顔がパッと明るくなりました。どうしても、5年目の先輩は怖そうに見えるんだと思います(笑) 肩の力がスっと抜けてくればいいなと思って掛けた言葉。

 人って誰かに迷惑をかけて生きているのです。迷惑をかけることが当たり前だとも言えるのではないでしょうか。だから、「聴す(ゆるす)」。聴くの字をとって、「聴す」は「ゆるす」と読むそうです。みんながみんなに助けられて支えられて生きている。だからこそ、人の心や声に耳を傾け聴くことで、「聴し合える」そんな関係が築き上げられたら素敵だと私は思います。

 アルバイトでは、沢山のことを学びました。そして、残りあと半年。後輩育成に力を入れながらも、私が教師として生きていく上で大切なことをまた一から学んで宝物にしたいと思っています。

(下野)

楽しみ?教員になりたくてたまらないでしょ(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。教員採用試験の一次試験の結果待ちの今、私たちは面接練習に励んでいます。

 愛知県の教員採用試験の一次試験は、筆記試験のみ。来る日も来る日も問題集を解きこみ、もう後輩に渡せないほどにボロボロになってしまいました(笑) そんな日々を抜けて、来たる二次試験の面接試験の為に、入念に面接練習を重ね、自分自身と沢山向き合う時間を過ごすなか。

 ある日の面接練習が終わった直後、タイトル通り
 「楽しみ?教員になりたくてたまらないでしょ。」とある先生からこのお言葉を頂きました。

 私は、面接が好きです。自分の想いをやっと伝えられます。なぜ教員になりたかったのか、私にとっては命からがら辿り着いた道でした。

 「教員になりたくてたまらないでしょ。」この言葉は、とっても嬉しかったです。「そうです、なりたくてたまらないんです!それはもう早く!」と意気込んで返事をしました。

 練習ではあるけれど、想いが伝わったのだと思いました。そして、私自身「教員になりたくてたまらないんだ」と改めて自覚し、自信を持つことが出来ました。

 本番まであと少し。この時期の教育学部の4年生のほとんどが皆「あと少し」と口ずさんでいるように思います。本当にあと少しで終わってしまいます。だからこそ、悔いのない自分らしい「準備」と「教員になりたくてたまらない」という想いを胸に、もうひと踏ん張りです。

(下野)
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過去の自分から学ぶこと(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。玉置ゼミに加入して、はや1年半が過ぎようとしています。もうそんなに?と思う程、早く感じるのは玉置ゼミでの学びが濃密で深いものだからだと思います。

 玉置先生の元で学べると決まってから、私は沢山記事を書きました。議事録も沢山書かせていただきました。

 教員採用試験は、自分が自分に真っ直ぐ向き合うべく試験です。私は、時折自分が書いてきた記事を読み返します。すると、「ああ、こんなものを書いたな」「この時はこういう気持ちだったな」とよみがえってきます。ありがたいことに、過去の私は、記事のおしまいを必ずこういう教師になりたいとか、こう子どもと向き合いたいと綴ってくれていました。

 過去の私から学ぶことがあります。面白いことです。あまりにも「なりたい教師」や「ありたい子どもへの向き合い方」が多すぎて、いつだって私は夢を追いかけているんだなと自分で自分に関心してしまうほど。

 もうその夢へのスタートラインに立つ挑戦は、始まりました。あともう少し。過去の自分から学んだ私の夢を願いを今の私が叶えるんだと気持ちを持って。(下野)
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今も昔も。(今井)

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 おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。一次試験が無事に終わり、ひとまずホッとしています。あともうひと踏ん張り!最後まで走り抜けたいと思います。久しぶりに「みうのひとりごと。」です。

 私は、歴史が苦手です。中学、高校とテストのための暗記をしてしまったため、今頭に残っているのが断片的な知識なのです。教採を受けるにあたって、これはまずいぞと思い、歴史の漫画を読み始めました。ストーリーで頭に入るので、この勉強法は中々良かったなと思います。後輩にもおすすめします。

 漫画を読んでみて、気づいたことがあります。それは、事件の原因は人間の「嫉妬」から生まれるということです。後継者争いや、地位のために多くの人の命が奪われていました。一度や二度ではないのです。「またかー!」とツッコミを入れたくなるほど。「嫉妬」は、こんなにも人を変えてしまうのか。とも思いました。

 そのような歴史があると知っていても、人の「嫉妬」は中々無くなりませんね。今も昔も。

 自分のガソリンとなる「嫉妬」もあるでしょう。「良きライバル」です。

 SNSが普及し、他者と比べないでいる方が難しい時代。大切なのは、その「嫉妬」を他者に向けないことでしょうか。自分自身を高めるガソリンに。(今井)

信じる魔法とやってみる価値(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。教員採用試験の一次試験が先日終わりました。ホッと一息は、まだもう少し先。今は、一次試験の通過を願いながら二次試験へ向けて面接練習に励む日々を送っています。

 そんな一次試験の前夜。私は、中高の恩師に連絡をしました。先生嫌いの私が唯一大好きだと言える先生です(笑)

 私が教育学部を目指した時、職員室はきっと大騒ぎだったと思います。「え、下野が?」そんな心の声が顔にダダ漏れの先生ばかりでした(笑) よく言えば色んな方向から物事を見る子、悪く言えばひねくれていたトゲトゲな私は「だって、私は先生たちみたいな先生になりたくないんだもん!私みたいな子の気持ちが分かる先生に私はなりたいんだもん!」と言い張っていました。

 そんな私に、ひとりだけ。たったひとりだけ。笑いながら「向いてるかどうかはやってみないと分かりません。貴方は、頭が良いから大丈夫でしょう。それに、貴方みたいな子どもの気持ちは貴方にしか分からない。やってみる価値はあります。」と仰ってくださる先生が居ました。中学生の時に社会科を教えて頂き、高校1年・2年の担任の先生です。

 そう言って頂いた時、きっと私は生意気だったので「先生だけじゃーん!分かってくれるの!」なんて大口を叩いていたはず。でも、心の中ではとっても嬉しかったんです。誰に話しても、「本気?」と聞かれた私を信じてくれた先生が1人だけでもいてくれたことが。特別頭が良いとも思ったことも無かったし、正直そんなに自信がなかった私の唯一の救いでした。「やってみる価値」に私は掛けようと思いました。

 何とも恥ずかしい世界は自分たちで回っていると本気で思い込んでいた中学生、高校生を見守っていてくださった、唯一夢を応援してくれた先生に一次試験前に連絡を入れました。どうしても先生に連絡がしたかったこと、やっと採用試験まで辿り着いたこと、合格したら必ず会いに行くこと、全部に感謝を込めました。

 先生は、「ここまで長くて、本当に色々あったと思います。でも、それを乗り越えた貴方が多様な生徒の喜怒哀楽に寄り添える先生になれることを願っています。」と返信をくださいました。ほら、やっぱり信じてくれていた。私の夢を最後まで応援してくださる。

 「やってみる価値」に掛けた私。それを信じてくれた先生。私も先生のように、子どもを信じたいと思っています。きっと、先生は私のことを今もこれからも信じてくれているんじゃないかななんて恩着せがましいことさえも思わせてくれる魔法が「信じる魔法」でした。

 「やってみる価値」への挑戦はまだまだ続きます。信じてくれた人に感謝を伝えられるように。

 あと少し!!!!頑張ります!!!

(下野)

人生(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。教員採用試験まであと○○という書き出しで始めていた今年の記事は、もう教員採用試験が目の前ですとのご報告をしなければなりません。記事を綴っているこの今。来週の今頃には一次試験が終わっています。

 人生の勝負の時です。私が教師を目指して、挫折をして、また踏ん張り持ち直したのがこの大学生活でした。

 18歳、もう立ち直れないと思っていました。もう二度と誰も信じない、誰とも会いたくないと思っていました。でも違ったんです。自分のために笑っていなくても、誰かが私の笑顔で笑っていてくれること、見てくれている人、認めてくれている人が近くに沢山いたこと。沢山のことを学びました。
 19歳、玉置先生と出会いました。教師の意味を考え直して、やっぱり私は教師になりたいと意気込んで大学へ戻った金曜日の1限「教師論」。私は、この授業で玉置先生と出会いました。素敵な先生だと、私はこの人の元で学びたいと本気で心から思いました。
 20歳、コロナ禍。人と人との繋がりが薄れ、思うように生活は出来ずもどかしい中、ゼミ選考。玉置ゼミへの強い憧れと強い願いと想いを持って、無事玉置ゼミへの加入が決まったあの画面は忘れません。
 21歳、教育実習。笑って笑って子どもたちを輝かせたいと本気で願い、自分自身の「準備」に打ち込んだ教育実習は人生の宝物です。勿論ゼミも充実していました。沢山の学校現場に同行させて頂き、沢山の授業と沢山の視点を築かせて頂きました。
 22歳、教員採用試験へ向けて。半年以上かけて挑む教員採用試験。実習が終わってから、ずっと頑張ってきました。全ては子どもたちを輝かせたかったから。それが私の願いでした。

 こう振り返ってみると、高校を卒業してからの大学生活は大分面白くて、大分充実していたことが分かります。私が私らしくあれる姿を取り戻したようにも思います。
 
 どうしても些細なことで落ち込みやすい私に、玉置先生はいつも「必然・必要・ベスト」の言葉を送ってくださいます。人生における全ては、必然であり、必要であり、それが最もベストなものなのだと私は捉えています。

 今まで人生の出来事は、今ある私に繋がる「必然・必要・ベスト」であったと今は分かります。そして、教師という職業は自分のこんなにも沢山の経験と深みと命の重みと考えが必ず生きる職業です。私が素晴らしい過去であれるかは分かりません。それでも、未来を生きる子どもたちの素晴らしい過去となれるように、人を育てる職業に私は就きたいと心から想います。

 一人の人として、子どもたちを輝かせられる教師でありたいという想いを胸に。

 頑張ってきます!!!!!

(下野)

自分の歩んだ道の振り返り* (丹羽)

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 こんにちは!7期生の丹羽真琴です。

 昨日で23歳が終わり、今日から24歳。教員採用試験ももう目の前ということで、自分のこれまでを少し振り返ってみました。

 私は、岐阜聖徳学園大学に入る以前は、名古屋学芸大学の養護教諭コースに1年間、その後河合塾に1年間通っていました。

 前の大学に入ってから半年くらいしてから教師になりたいという思いが生まれ、この先をどうやって生きていこうか悩んだ時がありました。4年間大学を卒業してから、通信などで免許を取ろうかとか、このまま大学を2年通って編入で入ろうかとか、大学をやめて浪人して大学を入り直そうとか、沢山考えた上で自分で進みたい道を決めました。

 6年間。どのように過ごしても6年。
 だったら、今、自分が一番やりたい学びをしよう!今を後悔なく生きよう!
 そんな思いが、自分の心を動かしました。

 今は、この道を選んで本当によかったなと思っています。この5年間沢山の人に出会い、とっても素敵な人生を歩めました。前の大学でも、予備校でも、今の大学でも、ボランティアでも、自分の心に残るくらい素敵な人との素敵な思い出が沢山あります。

 こんな風に少し変わった人生を歩んできた自分にだからこそ、教員になりたい!と語れる思いは沢山あります。そして、教師になったら子供たちに沢山語って、面白い人生を見せてあげたいです。

 あっという間に学生最後の一年になり、もう少しで教員採用試験です。自分にとってはとっても緊張する日でもあり、大切な日でもあります。この道を進もうと強く決めた日を忘れずに、ここからもこれからも頑張っていきたいです!!!!(丹羽)

モチベーション(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。1次試験まで1ヶ月を切りました。ここまで走り続けてきた夢への道のりも本当に残り僅かです。

 教員採用試験は、始まりへの挑戦。私はそう思っています。学校が好きではなかった私が教師になりたいと思ったのは、ある意味反面教師でした。私みたいな子どもの気持ちを分かってくれる教師がいたら、私みたいな子どもを救えるかもしれない。高校生の時にそう思いました。

 私にとって、教師になることは私自身を救うことなんだろうなと今は思います。学校という場は、みんながみんな楽しい訳でもありません。子どもは、精神的にも経済的にもまだ自立していないのですから、悩み苦しむのが当然だと思います。悩み苦しんだ経験は、必ずその人の輝きに繋がります。元を正せば、悩み苦しんでいる時こそ人は輝いているのかもしれません。それだけ、自分自身に向き合っている証拠です。

 そこで、「そんなことぐらい大人になったらいくらでもあるよ」「辛いのは貴方だけじゃない」なんて言われたら、それは輝きを削ぐ声掛けです。教師は、何事も価値づける必要があります。どんなにどん底でも生きているだけで素晴らしいのだから。悩んでいる姿だって素敵です。

 こう綴っていると、きっと私は、誰かにそう言って欲しかったのだろうとやっぱり思います。私という人間を価値付けて貰いたかったのだと。そんな気がします。

 今は、沢山の素敵な人と出会い、沢山認めて頂き、やっとやっと自分で自分を価値づけられるようになりました。自分を信じられるようになりました。自分に価値を見出していなかった私が人と人との繋がりの中で、自分を好きでいられるようになりました。

 私がそうであったように、人との出逢いが自分を好きであれる契機になります。私は、子どもたちのそんな出会いの一人になりたいなと思います。少し遅かった私が自分で自分を好きであれる瞬間を、私と出会った子どもたちにはいち早く感じてもらいたいと思うのです。

 教員採用試験を前に、こんな想いが私のモチベーションになっています。かつて悩んでいた私への救いの手を今、自分自身で差し伸べるように。

(下野)

世界の人口(今井)

 おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。久しぶりのひとりごと。

 今日は、金曜日。いつもと違う時間の電車に乗った。いつもとは違う顔ぶれ。少しそわそわしてると、その中にいつも見るインドカレー屋さんっぽい方を発見。なぜか安心した。勝手にインドカレー屋さんだと思ってるけど、ほんとは何の仕事をしているのだろうか。

 それにしても、知らない人だらけだなー。
 今の世界の人口は、79億1234万2506人。これを入力している間にも、多くの命が誕生し、消えていく。

 私が出逢った人たちは、その中の一部の一部の一部。そう考えると、すごい確率で出逢ったってわけで。一人ひとりに「出逢う人抽選会」があったとすると、79億1234万2506人分の1。どんな抽選会よりも当選するのが難しい。
 そう考えると、出逢いってすごいなー、出逢うべくして出逢っているのだなと思った。それは、どんな人でも。少し気が合わない人だって、なにくそーと思う人だって、こんなにも世界に人がいる中で、出逢えたんだから。

 私の周りには、出逢ってよかったと思える人たちが沢山います。今までの人生の選択が一つでも違っていたら、出逢うことができなかった人たち。相手も私との出逢いをそう思ってくれていたら良いな〜

 今日は、私の好きな俳優さんの誕生日です(笑)芸能人だって出逢いです。生まれてきてくれてありがとう。私と出逢ってくれてありがとう(今井)

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悩むこと(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。
 教員採用試験まで1ヶ月と少し。1日がただの1日ではないような、あっという間に過ぎ去るようにも思え、長い長い1日にも感じるような。これが人生最後の勉強かと思い馳せる日々を過ごしています。

 毎日を生きていると、時々、自分の在り方が分からなくなります。なんてことはないのかもしれません。けれど、色んなことが頭の中でグルグルと回ります。

  不真面目になれない自分が憎らしかったり、正しくあることが弱さに思えたり。

 子どもたちも日々を生きています。例えば私みたいな子どもがいたのなら私はその子に何を語りかけるだろうと考えました。

 きっと私はこう語りかけます。

「少しぐらい悩んでいる人の方が私は好きです。物事を深く捉え、真面目に、優しく生きている、とても素敵な事だから。悩むことは、人生にきちんと向き合っている証拠です。とてもとても素晴らしいことです。どうか、そのままで。貴方を素敵だと思い、素晴らしいと思う人が今目の前に、ほら1人はいるでしょ?」と。

 教職を目指してから、自分が思い悩んだ時、私みたいな子どもが居たら?と考えるようになりました。これが案外自分の心の安定に繋がるのです。自分の事だと思うと、ネガティブに捉えてしまう私ですが、もし子どもが同じ気持ちだったら?と思うと、自分にも優しくなれます。

 悩むことは、その人らしさなのだと思います。生きることは傷つくことです。でもそれ以上に夢中になれる何かがあって、面白く生きられたらと思います。悩みながら自分に優しく生きたいです。そして、出逢う子どもたちにもそんな心を一緒に考えたいなと思うのです。

(下野)

20220611 バンクーバー日記(小林)

 3週間程前、新型コロナウイルスの陽性反応が出てしまったため、学校にもお仕事にも行けていませんでした。初めは私より前から咳をしていたシェアメイトがいたため、風邪をもらってしまったかなと軽く考えていました。しかし、バイト後にバス停に行くのも辛くなってきておかしいなと思い検査したところ、陽性でした。

 バンクーバーではマスク着用義務がなくなり、街でマスクをしている人の方が少ないです。そんな環境で過ごしているうちに、自分のコロナに対する危機意識も低下していました。自分がコロナウイルスに感染することによって、お仕事先の人に迷惑をかけてしまい、とても反省しました。

 コロナウイルスに罹患している間、ずっと自分の部屋に隔離されていたのでとても孤独でした。一人暗い部屋に何日間もいると、体力だけではなくて精神的にもマイナスなことばかり考えてしまい、弱ってしまいました。お仕事先に迷惑をかけてしまったこと、誰かに移してしまっていたらという不安、授業についていけなくなる不安、考えても解決しないことばかり考えてしまいました。そんなときに、シェアメイトが支えてくれました。風邪薬やビタミン剤を部屋まで届けてくれたり、おかゆを作ってくれました。長い間部屋で寝ていたため、体力も無くなってしまい、長い間お休みをいただいてしまいましたが、みんなの優しさに助けられてまたお仕事に行けるようになりました。

 最近は学校でも、最後のタームである3ターム目に入り、7月にはいよいよ学生期間が終わります。学生期間が終わると、学生ビザから就労ビザに切り替わるので、フルタイムで働けるようになります。今までフルタイムで働いた経験が無いので色々な不安はありますが、今まで以上にお給料がいただけるようになります。しっかり貯めて、ここにいるからこそできる経験に使いたいと思います。

 バンクーバーでの生活に慣れてきて、コロナウイルスに感染してしまったことは私の気持ちの緩みの表れだと思います。これからは楽しむ気持ちは持ち続けつつも、勉強や仕事など気を引き締める部分のことも常に頭に置いて生活していかなければならないと改めて思いました。

 写真は、多くのクラスメイトがバンクーバーで一番好きな場所に挙げていたイングリッシュベイという海岸で撮った写真です。久しぶりに学校へ行けた日に友達が誘ってくれたので業後に訪れました。平日の20時ごろに訪れたのですが、本当にたくさんの人が来ていて驚きました。最近は21時を過ぎてもまだ外が明るいです。

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ホームフレンド(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。私は、大学3年生から愛知県教育委員会のホームフレンド活動というボランティアをさせて頂いています。今回は、このホームフレンド活動について、綴りたいと思います。

 ホームフレンド活動とは、不登校の子どもの遊び相手や話し相手になる活動です。私は、子どもたちの最高のフレンド(友達)になることだと活動意義を位置付けています。

 ホームフレンド活動では、たくさんの子どもたちと出逢います。一期一会です。

 私がホームフレンド活動で大切にしていることは、「貴方と出会えたことがとっても嬉しい」という気持ちを活動時間に目一杯伝えること。伝え方は、様々ですが私が主に大切にする伝え方は「言葉」です。

 「言葉」には、大きな力があります。思っているだけでは伝わりません。「言葉」で必ず伝えること。私は、ホームフレンドで出会った子どもたちには、必ず帰り際「会えて嬉しかったよ。ありがとう。」と伝えるようにしています。そうすると、パッと子どもの顔が明るくなることがよく分かります。私はその瞬間がたまらなく嬉しいです。私のありがとうの気持ちが伝わったのだなと僭越ながら思っています。

 ホームフレンド活動では、子どもに笑顔になる瞬間に出会うことができます。目の前でパッとにっこり笑顔を見せてくれる時、少しでもホームフレンド活動が子どもの心に光をもたらしているのでしょうか。それは、子どもたちにしか分かりません。それでも、私は子どもたちがにっこり笑顔になる輝く姿がとても好きです。

 ホームフレンド活動。それは、子どもがにっこり笑顔で輝く姿を、見取り、ホームフレンド自身もにっこり笑顔で輝ける時間です。

 学生だからこそ、子どもたちの隣に居られて、見られる景色があります。私は、もう来年の3月にはこのホームフレンド活動を卒業しなければなりません。

 「どんな敏腕教師もずっとは側には居られないのだから、子ども自身が人生を歩めるようにしなければならない。」と、玉置先生は仰られます。まさしく、私は今そんな活動の仕方を模索中です。私が敏腕ホームフレンドだとは、そんな烏滸がましいことは思いません。それでも、私が居なくとも子どもたちがにっこり笑顔で輝けるように。出会った子どもたちが「あんなお姉さんも居たなあ」とどこかで少しの勇気づけになるように。今はそんなことを思いながら活動を続けています。

 ホームフレンド活動に携わり、子どもたちの心を癒し、にっこり笑顔に立ち会える瞬間の感動をこの先も誰かが感じてくれたら嬉しいなと思い、この記事を綴りました。

 これからも子どもたちの最高のフレンドが子どものそばに居ますように。(下野)

準備(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。

 教師としてどう在りたいか、人としてどう子どもたち関わっていきたいか。私には何が子どもたちに伝えられるだろうか。

 上記は、私が最近よく考えることです。

 私のまだ拙い22年間という人生を振り返ると、「苦手」を「好き」に変えてきた人生でした。

 私は、人前に立つこと、加えて人前で話すこと。だけに留まらず、そもそも人と話すことが苦手でした。
 私は、書くことが極端に苦手でした。
 本番にもめっぽう弱く、何か大事な場面では必ず良い結果は出せませんでした。

 その私が今は子どもの前に立って授業をする教師を目指している。
 「書くことによって学ぶ」が代名詞の玉置ゼミの一員としてここにいる。
 自分の100%を出したいと本番に挑むことが出来ている。

 昔の私と今の私が出会ったなら、、、
 「え?教師になるの?やめやあ、向いてないよ。ほらだって、話すの苦手じゃん。学級通信も上手に書けないよ。参観日とかもきっと上手にできないよ。」なんて言われそうです(笑)

 それならば、と今の私はこう答えるでしょう。
 「そんな私が好きだった?本当は、上手にみんなの前で話したいのに。本当は、もっと上手にやり遂げたいと思ってるのに。いつも自信がないのは、自分でしょ?それなら、準備すればいい。全部怖くないぐらい準備するんだよ。今の私はそうしてる。」

 「準備」です。私は、「努力」という言葉があまり好きではありません。なんだか、すごく頑張っているような、頑張らなければならないような言葉だから。なんだか「努力しなさい」という言葉は、終わりが見えないように思うのです。だから、私は俗に言う「努力」を「準備」と置き換えています。

 全ては、「準備」なのです。昔の私は、努力しなきゃしなきゃと思っていました。でも先が見えないから、中途半端に終わってしまうのです。だから、話すこともまとまらず、書くことからも逃げて、本番に弱かったのです。

 いつから、「準備」をするようになったかは分かりません。いつからか、自分を好きになるために「準備」を絶え間なくするようになりました。

 人前でしっかり話すために、初めは話す内容を書いてまとめてそれからやっと話せるようになりました。でも、今では、頭の中の引き出しを要領よく開けて話すことができます。
 書くために、それまた沢山書いて書き直して書いて書き直してを繰り返して、やっとそれなりの文章になりました。それも今では、スラスラと文章を綴れるようになったのです。
 大人として結果を求められる時は、心配性の塊のような動きをして準備に勤しみ、初めて上手に回せるようになりました。今では、様々な経験を糧にこの時はこういう立ち居振る舞いをするといった自分なりのスタイルが出来ました。

 「苦手」を「好き」に変えるためには、「準備」が必要なのです。闇雲に「努力」をするのではなく、何か指針を持って「準備」すること。

 私は、子どもたちの「苦手」にこう寄り添いたいと思います。「苦手」を「好き」に変えてきた人間が今あなたの目の前にいること。「苦手」が少しの「準備」で「好き」に変わっていくと大分人生が面白いこと。

 私と出会う子どもたちには、楽しく笑顔で人生を歩んで欲しいのです。命を大切にして、心を大切にして、楽しく面白く笑って生きて欲しい。そのために、大事な1年間をこの学級でこの仲間で一緒に笑って過ごそうね。と。私は、来る教職人生をこう始めたいと思っています。

 教員採用試験も教師となるための「準備」です。私が大好きな「準備」を惜しまない私であるために。

(下野)

20220515バンクーバー日記(小林)

 今週は月曜日から金曜日までブレイクタイムで、学校がお休みでした。このブレイクタイムのおかげで心も身体もしっかりと休めることができました。

 月曜日にはカレッジのクラスメイトとグランビルアイランドへ観光に行きました。ここは多くのお店やレストランが並んでいる小さな街のような場所です。お店の商品を見ていると、家族や友達に買って帰りたいお土産のことばかり考えてしまいます。バンクーバーは物価が高いので普段は甘いものを買うのを我慢しているのですが、この日は自分へのご褒美として、甘いものをお腹いっぱい食べられてとても幸せでした。

 水曜日には一人でディープコーブという大自然へ観光へ行ってきました。日本にいた頃は、一人でどこかへ出かけることはほとんどありませんでした。そんな私が予定がないからという理由で一人で観光へ行ったことに自分で驚いています。曇りと雨の天気でしたが、それでもとてもきれいな景色を見ることができました。また晴れの日に挑戦しようと思います。

 そして今日は私の誕生日だったのですが、シェアメイトがお祝いしてくれました。ホールケーキとピザとビールを準備してくれました。ケーキは私が一番好きなチーズケーキで本当に美味しかったです。私のために話し合って準備してくれたことが本当に嬉しかったです。次は私がシェアメイトの誕生日を盛大にお祝いできるように頑張ろうと心に決めました。

 バイト先では傷つくこと、悔しいことが沢山あります。例えばお客さまに「もっと英語できる人呼んできて」と言われたこともありました。そういった一言が本当に悔しくて、自分が情けなくて、バスの中で泣きながら帰ったりしています。でもこのような辛い出来事と同じくらい、たくさん幸せな経験もできています。毎日がとても濃くて、宝物のような思い出でいっぱいです。本当に留学に来てよかったと思えています。こんな気持ちを味わえているのは確実にまわりの方々のおかげです。アルバイト先の先輩方、学校のクラスメイト、シェアメイト、そして日本から連絡を取ってくれる方々。すべての方に与えてもらった分の恩返しをすることはできないかもしれません。だからこそ感謝の気持ちをずっと忘れないようにしたいです。(小林)

写真は左から、グランビルアイランド、ディープコーブ、誕生日の写真です。
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失敗の反対 (下野)

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 こんにちは、7期生の下野です!

 「教員採用試験まで残り○○日です!」の通知が枚私には届きます。アプリで設定しているのです。勉強を初めて、はや半年。きっと最初の頃よりは、うんと知識も技術も積み重なっていることを実感しつつも、ちょっとの不安も日に日に大きくなっているように感じる今日この頃。

 そんな教員採用試験の対策で、「小論文」を私は週に1本書いています。あるテーマで「失敗」について書くことがありました。

 ふと、書きながら思ったことがあります。
 「失敗」の反対は、本当に「成功」なのか。一般的には、そうでしょう。でも、私はどこか違和感を抱くのです。

 「失敗」の反対は、「挑戦」なのではないだろうか。「挑戦」をしなければ、「失敗」は訪れません。つまり、「失敗」は実は、「失敗」という言葉だけで表すには勿体ない。「栄えある失敗」とでも言い換えれるように思います。

 この小論文を私はこのように締めました。
「子どもたちに、挑戦する癖をつけさせたい。失敗に対して、ちゃんと悔やんでいけるように、ちゃんと傷ついていけるように。それでも尚、挑戦する力を持てるように。」

 多くの「栄えある失敗」は、人を強くします。成長させます。それは、「挑戦」をしたから。人には「大成功」に見えても、自分にとっては「栄えある失敗」の時だってあります。一方で、人には「大失敗」だと責められても、自分にとっては「大挑戦の結果の栄えある大失敗」だと思ってしまえばいい。そんな風に人生を生きたら、面白いじゃないか!と私はこんなことを思います。

 私は、「小論文」が好きです。自分が子どもに何を伝えたいか、どんな景色や考えを子どもたちに見せたいか。それらを言葉にできることが嬉しいのです。

 さあ、人生を賭けた大挑戦!教員採用試験へ!

(下野)

人にはヒトの乳酸菌(今井)

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おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。
電車に貼られている広告を見るのが地味に好きな「みうのひとりごと。」

今、教採に向けて勉強をしています。なんだかんだ楽しんでいる自分もいながら、もっとみんなやっているのではないか、合格できるのかな?と思ってしまう時があります。

中学,高校のテスト前、「勉強した?」と聞き合う風潮が結構嫌いでした。
でも、聞いてしまうんですよね。みんな「全然してない。」って答えるんです。それが嘘だということもわかっているのですが、聞いてしまいます。その言葉を聞いて、自分の中で安心したいのです。

今も、「一般教養勉強してる?」とか「バイトどのくらい入ってる?」「1日どのくらい勉強してる?」と聞いてしまいます。

みんな沢山やってるんだ、私もやらなきゃ。と思えるので、知ることで、良いこともあります。でも、友達のやり方を真似したって、自分に合うかどうかは分からない。ただ友達を真似ることはしないよう心掛けてます。あくまで、自分が良いと思ったことを。

題名に書いた「人にはヒトの乳酸菌」という言葉。

ビオフェルミン製薬が伝えてきた“人にはヒトの乳酸菌”とは、健康なヒトの腸を研究して生まれた、人のおなかと相性がいい乳酸菌を意味します。
(ビオフェルミン製薬HPからhttps://www.biofermin.co.jp/pdf/news_20210705.pdf )

本来の意味とは、少し違いますが、私はこの言葉を「人にはヒトそれぞれの乳酸菌」という意味で使っています。(笑)
私には私の、あなたにはあなたの、相性がいい乳酸菌がいるはずです!!

他人と比べて不安になったり、他人に安心を求めてしまうけど、自分の乳酸菌は自分の中にしかなくて、自分にしか見つけることはできない、それが「人にはヒトの乳酸菌」✌︎✌︎(今井)

※画像はビオフェルミン製薬HPから
岡田将生かっこいいなー(笑)

言葉の引き出し(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。
 教員採用試験まで残り2ヶ月と少しになりました。段々と詰めている勉強もたまには「はあ」と心が溜息をつく日がやってきたりもします。

 そんな時、「書くこと」が私を救ってくれます。ふと、私はいつから「書くこと」が好きになったのだろうと疑問が湧きました。読書感想文は、大の苦手。作文の授業では、ダメな書き方だ!なんてクラスみんなの前で言われたこともありました(笑) 今思えば、よくトラウマにならなかったなと思う程の出来事もあったはずなのに、今、私は「書くこと」で頭の中を整理しています。

 益々、いつからこんなに「書くこと」に重点を置いて生きるようになったのだろうと疑問は深まるばかり。特段、文章を褒められたことがなかった私ですが、「言葉」は好きでした。国語専修とは言えど、国語が好きというより、「言葉」が好きです。

 高校3年生の時、梶井基次郎の『檸檬』を学びました。作中、檸檬の果実は「黄金色に輝く爆弾」と表されています。心の鬱憤や焦燥感を込めた「黄金色に輝く爆弾」。檸檬の果実が「言葉」ひとつでこんなにも末恐ろしい物体に変わるのかとヒンヤリした気持ちは今でも忘れません。

 きっと私は、そこで「言葉」の面白さに気付いたのだろうと今は思います。「言葉」ひとつで、伝わり方は変わる。

 もうひとつ『檸檬』の冒頭で私の好きな「言葉」があります。


  えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終壓へつけてゐた。焦燥と云はうか、嫌悪と云はうか−


 なんだかよく分からないものが自分にのしかかり、焦燥感を募らせているのか、嫌悪感を募らせているのか、自分でも理解できない。そんな状況。人は、生きているうちに「えたいの知れない不吉な塊」に心飲まれる瞬間があります。そんな日もあっていい。でも、なかなか上手く「言葉」にできないから、心が余計に蝕まれていくのです。

 先人が上手に「言葉」にしてくれています。自分の気持ちが分からなくなった時、「言葉」の引き出しは、心を救ってくれるのです。だから、「書くこと」が好きなのだと。「言葉」の引き出しを少しずつ少しずつ増やしていく為に、私は、「書くこと」をこれからも大切にしたいと思います。

 子ども達が不安になった時、苦しくなった時、もし私の持つ「言葉の引き出し」が少しでも心を癒せたら。きっと私の「書くこと」の意味がそこにあるように思うから。

 「書くことによって学ぶ」玉置ゼミの伝統を受け継ぎながら、これからも「言葉の引き出し」を蓄えていきたいです。

(下野)
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20220506バンクーバー日記(小林)

 最近はテスト週間とアルバイトでなかなか自分の時間が取れないことが続いていました。そんな中、アルバイト先の先輩やシェアメイトに精神的にとても支えられました。例えば私が元気がないことに気づいて、シェアメイトがアルバイトに行く前にお散歩に誘ってくれました。アルバイト先の先輩は、夜ご飯を食べに連れて行ってくださいました。お金を稼ぐためにアルバイトを出来るだけたくさんしなければいけないことと、最終テストに向けて勉強しなければいけないことが今の私には少し辛かったです。

 けれどこんなことで辛くなっている自分に情けない気持ちになりました。私の考えでは、教師は子どもたちに自分の機嫌を感知されてはいけないと思います。私が子どもたちの気持ちを繊細に感知するべきです。もっと常に心に余裕を持てるようにならなくてはいけなかったと反省しています。

 昨日ついにテストが終わり、日記を書くことが出来ました。1週間に一回書こうと決めていたのに、続けられなかったことが悔しいです。

 昨日はホームステイのときのルームメイトに最後にカフェで会いました。明日9日に彼女は日本に帰ります。彼女は日本人ですが、ホームステイ期間、毎日英語でコミュニケーションを取っていました。彼女の英語に対する姿勢に私も良い影響をたくさん与えてもらいました。彼女は大学四年生の前期を終えて休学してバンクーバーに来ていました。彼女の目標は教科書出版会社に入社することで、留学と同時に就職活動もオンラインでしていました。私は夢に向かってまっすぐな彼女を応援していました。しかし昨日、二社どちらも不採用であったと聞きました。でも後悔はしていないと彼女は言いました。きっと、後悔はしていないと言い切れるほど、たくさんの努力をして多くの時間を費やしたのだと思います。きっと彼女なら、新たな縁で結ばれた会社で輝けるのだろうなと確信しています。

 もうすぐバンクーバーで過ごして3ヶ月が経過するので、今の心境を書き留めておこうと思います。たった3ヶ月ですが、今までの人生で一番辛い、一番楽しい、両方の気持ちを経験した気がします。初めての海外でクラスに馴染めない、家が見つかるかどうかの不安、家族に会いたい。この三つが重なっていたときは本当に辛かったです。そして夢だった海外での生活、初めての自炊、新たな仲間との出会い、全ての新しい経験が本当に楽しいです。心配しながらも留学に行くことを許してくれた両親に心から感謝しています。

 私は周りの人に恵まれて毎日とても幸せです!

 写真は20時40分に撮った写真です。夜なのにまだ明るいです。
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