がんばれへなちょこ。(久野)

 こんにちは、教員採用試験で見事落ちました、久野舞菜です。結果発表から数か月たち、傷は癒えないにしても、あんまり泣かなくなってきたので(笑)。ご報告までに記事を書かせていただきます。

 先ほど綴った通り、教員採用試験に落ちました。お力添えいただいた先生方や玉置ゼミのみんなへの申し訳なさで、もはや消えてしまいたい思いもありますが、、、(笑)正直消えている場合ではなく、来年度働く職を見つけなければなりません。地元、安城市の教育委員会に講師登録に出掛けました。

 そこで、感動の再会。教育委員会にお邪魔すると、中学校の頃に部活の顧問をしてくださった先生が出迎えてくださいました。そのまま恩師と面接。

 その先生は、中学時代、私を「へなちょこ」と呼んでいました。(笑)

 毎日、「おい、へなちょこ!」と怒られてばかりでしたが、私はその先生のことが大好きでした。厳しくても、伝わるんですよね、愛って。その先生がわたしのこと大好きでたまらないことを、日々のやり取りから感じていました。(笑)

 「採用試験に落ちてしまって」と先生に告げました。
 「まぁ、おまえはそうだろうな〜へなちょこだもんな〜」と笑い飛ばされるだろうな、と思ってたんです。ところが。

 「そうか。おれの知っている久野舞菜は、真面目でしっかりやる人間だ。絶対、うまくやっていける。」
 そんな嬉しい言葉をかけてくださいました。

 「あれ、先生、そんなこと思っててくれてたんですか?当時からもっと褒めてくださいよ〜!」なんて冗談めかして返しましたが、内心嬉しくてうれしくて。先生が言う「へなちょこ」の中には、こんな嬉しい意味も含まれてたのかもしれないなあと思いました。

 ああ、この言葉に出会うために、この素敵な先生との再会のために、採用試験落ちたって考えても悪くないな、なんて思いました。だって、受かってしまっていたら、先生ともう会うこともなかったかもしれない。

 私は、採用試験に落ちた私が好きです。不器用で失敗続きでもたくましく生きる、へなちょこな私が。がんばれ、へなちょこ。それゆけへなちょこ。わたしのこのあり方が、子どもを元気づけられたらいいな。(久野)
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置かれた場所(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。卒論がひと段落し、2年間のゼミでの学びを今一度ノートに記しながら、学びを確かなものにする冬を迎えています。本記事では、ある言葉について考えます。週に1本記事更新は、週に2本になりそう(笑) 書きたいことが山積みです。

 『置かれた場所で咲きなさい』

 とてもとても綺麗な言葉ですよね。置かれた場所(環境)があなたのいる場所なのだから、どんな時もあなたらしく咲くことを諦めない。雨の日や風の日、どうしても咲けないと思ったのなら、下に下に根を張りなさい。

 私は、キリスト教系の中高一貫校に通っていたので、ちょうどこの時期に開かれるクリスマス礼拝でこの言葉を知りました。『置かれた場所で咲きなさい』を著された渡辺和子氏はキリスト教カトリック修道女の方です。

 中学生の時、なるほどなあと思って礼拝でのお話を聞いていました。でも、ふと疑問に思ってしまいました。私の悪い癖です。

 サボテンは街中では咲けないし、たんぽぽは砂漠では咲けない。もし、たんぽぽが砂漠に置かれてても咲きなさいって言われたら辛いんじゃないかな。

 上記の感想を礼拝後の感想シートに書いた私は、職員室でこっぴどく叱られました(笑) それはもうとてもとてもこってりと絞られたのですが、やっぱりたんぽぽは砂漠では咲けないじゃないかと随分長い時間粘ったことを覚えています。結局、「置かれた場所を見極める力が必要だと思います」という言葉で、一旦生徒指導室から私は解放されました。

 今、不登校支援のボランティアを行っている時、昔の私を思い出します。この子たちは、たんぽぽだったんじゃないかって。彼ら彼女らというたんぽぽにとって、学校という砂漠に置かれて、でも咲きなさいと言われ、苦しくなってしまう。それはそうですよね、だってたんぽぽは砂漠では咲けませんから。

 私の行う不登校支援のボランティアは、子どもが中学を卒業する時に終わってしまいます。中学3年生になると進路先を決めていく姿が見られます。通信制の学校だったり、月に何回スクーリングするという学校だったり様々です。中学校には行けなかったけれど、この高校だったら行けると思う!と目を輝かせる子どもを何人もこの2年間で見てきました。その時、ああこの子たちは自分で「置かれた場所を見極める力」を身につけたんだなと思います。

 自分がたんぽぽかサボテンか、はたまた、向日葵か桜かなんて子どもには分かりません。まだこの世に生まれて、数年しか経っていないのですから、分かっていたのなら超人です。だから、大人がいると私は思います。卒業研究にも書きましたが、自分を見つめる時間こそが自分を好きになる第一歩なのです。

 自分はどんな花で、自分が置かれる場所は自分で決められる。そんな時代になったと思います。咲くことを諦めないでいられる場所が沢山できたのが現代です。

 自分を見つめる時間を取れる教師になりたいです。もちろん、私自身も。花は変化していきます。自分の努力次第で、突然変異だってします。そういった意味で、『置かれた場所で咲きなさい』を捉え直すと中学生の頃の私が思う存分報われたように思うのです。

 優しい気持ちで自分を大切に。自分の花を大切に生きていく教師であり、自分の花を大切にできる子どもたちが生きられる社会であって欲しいと願っています。

(下野)

給食(今井)

 おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。今日はみうのひとりごと。少しお久しぶりですね。

 私は11月に幼稚園実習に行かせていただきました。そこで衝撃を受けたのは、幼児は給食を1時間半かけて食べるということです。うそだと思うでしょ?本当なのです。

 でも、自分の幼少期の記憶はほとんどないので、自分もそうだったのかなーと思うしかできませんが。私は給食が嫌いな、食べるの遅い組でした。(笑) 母に、先生に「食べれるだけにしてくださいって言ってね」と懇願するほど、、、今の食欲をあの時の自分に分けてやりたいくらいです。

 そこで思ったのは、小学校って給食の時間短いよな〜です。教育実習の時、大学生の私でも急がないと完食できないくらい給食の時間って短いです。(私が食べるのが遅いだけかもしれません笑)
 私の担当が年中さんだったので、年長さんになれば、もう少し短くなるのかもしれない。でも、小学校になり急に急がなきゃとなるのは、子どもにとってとてもストレスではないかと思った。

 小学校低学年の頃も、母に給食のことを先生に言ってもらうようにお願いしたことがある。今思えば、たかが給食。しかし、あの時の自分は、朝の会から1時間目、2時間目とずっと給食のことを考え、心配していた。まるで、片想いしている乙女のようですね。(笑)

 4月、私は給食の時間をたっぷりと取りたいなと思う。食事って、生きる上で欠かすことができない。だから、疎かにしてはいけないと考えている。食べることは生きること。今の私は、もう少し疎かにした方がいいかも、、、🐷笑(今井)


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仕事をつくる(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。書きたいことが山ほどあって、卒業まで週に1本とは言っていられなくなりました(笑) 思いを書き綴ると止まらなくなったのは、玉置ゼミに加入してからです。今回は、「教師」という職業選択について綴ろうと思います。

 「4月から教師になります!」と言うと、「大変だねえ」「えらい仕事だよ」と必ず言われます。まあ概ね大半の人はそう言います。これは、「教育学部です!」と言った時も同じでした。

 私は、ずっとこう言われるのが嫌でした。大変なことなど百も承知で目指して夢を掴み取った訳ですから、何ら問題はありません。なんだか夢を否定されているような気持ちだったのです。

 ある時、後輩にこの話をしました。「私、大変だねって言われるのが嫌なんだよね」と。そうすると、後輩が

 「そもそも、自分のやりたい事があらかじめ社会に職業として用意されているわけないよね。だから、あやみちゃんは幸せ者なんだよ。やりたいことが職業だもん。」

 と言いました。続けて、

 「大概の人は、やりたいことが社会に職業として用意されてないから、それが入ってみて大変だった〜とかそんな感じ。どの仕事も大変なはずなのにね。教師ってみんなが学校行ってきたから大変そうって分かるじゃん。みんなが何となく全貌を知ってるから、大変だねって言うだけだよ。もはや妬み。あなたは、やりたいことが職業として用意されてて羨ましいなって人間本能的に思うんだよ。」

 ハッとしました。たしかに。と。

 仕事をつくるってそういう事だと思いました。もちろん、教師になっても自分のやりたい実践ややりたいことが全部が全部やらせて貰えるわけではありません。だからこそ、自分で仕事をつくる。自分にしか出来ない仕事を丁寧に積み重ねる。

 そもそものスタートが「教師」は、幸せなのです。社会に職業として用意されているから。そこから、仕事をつくっていくことが大切なのだと彼女の言葉から学びました。

 私の周りにいる人は、みんな素敵です。私に色んなことを教えてくれます。人生の大先輩からも、アルバイトの後輩からだって。子どもたちからだって。人との繋がりってそういう事だと思います。

 教師として、どんな仕事をつくっていきたいのか考えさせられる出来事でした。私は、どんな教師でいたいのか、私が私であれる教師としての仕事を今一度突き詰めていきたいと思います。(下野)

※写真は林文通先生からいただきました(玉置)
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アンパンマン(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。卒論がやっと一段落しました。卒業まであと何本記事を更新できるでしょうか。卒業まで週に1本記事更新、今週は「アンパンマン」について綴ります。

 私の周りにいる友達は、みんなよくご存知かと思いますが、知らない人のために私!アンパンマンがめちゃくちゃ好きなんです。特にドキンちゃん。ドキンちゃんが大好きで、ちびっ子たちに混ざってアンパンマンミュージアムで大はしゃぎし、車の中も携帯のフォルダもドキンちゃんでいっぱいなぐらいです。いい大人が、、、と言われるのですが、アンパンマンってとても奥深いのです!

 ドキンちゃんへの推し愛を語っていると記事がまとまりませんので、ここから本題とします。

 私が続けているカフェのアルバイト。18歳、段々と周りからも認められて、ちょうどお給料が上がった頃でした。私は、酷いミスを連発するようになりました。お皿を割ったり、クレジットカード決済をミスしたり。それを毎日毎日、昇格したのにも関わらずです。自信損失そのもの。怒られるし、迷惑はかけるしで、もう辞めた方がいいとさえ思いました。

 今日こそは、失敗しないようにしないようにと朝の準備をしていた時、カフェのテレビでアンパンマンが流れました。
 
 ♪もし、自信をなくして くじけそうになったら
 いいことだけ いいことだけ 思い出せ

 『アンパンマンたいそう』の出だしです。全国の可愛いキッズたちは、この音楽に合わせて可愛らしく踊っているわけなのですが、私は、この時涙が溢れました。そうか、いいことだけを思い出せばいいんだと不覚にも気付かされます。

 仕事は、楽しく済ませても仕事、ダメージを負っても仕事で、お給料は同じ。賃金は、ダメージを負った慰謝料ではないのに、自分が何故お金を貰っているのか分からなくなっていました。
 もっと仕事に対して、崇高なポリシーとか目標とか、そういうかっこいいものがあればこんなことで悩まないとさえ思いました。そうしたら、もっと楽しく仕事ができると思い込んでいました。

 お客さんに「しもちゃん今日も元気だね、ありがとう」と言われたこととか、「ありがとね、いつも元気になるよ」とか、そういう「いいこと」だけを思い出して、失敗は忘れて働きました。すると、スランプは抜けていた。知らぬ間に、大きなミスは無くなりもう一ランク昇格を言い渡されていました。

 ポリシーとか目標とか、カッコいいものばかりを追い求めていたくせに、アンパンマンに背中を押された。頭で考えるよりも、もっともっと単純なことでした。

 4月から教師になります。また、私は頭でっかちになってポリシーとか目標とかを追い求め始めそうになる時がいつかやってくるだろうと思うのですが、、、またその時は、アンパンマンに背中を押されるのだろうと思います。失敗が続く時こそシンプルに考えてがむしゃらに働いてみる大切さを18歳で知れた私は、とっても幸せ者です。

 取り留めのないお話となってしまいました。とにもかくにも、疲れた時こそアンパンマンです!生きるヒントがいたってシンプルに散りばめられているから。大人の皆様、もう一度チラッとアンパンマンを流し見してみてください( ¨̮ )とオススメの記事でした!

*写真は、大好きなドキンちゃんと私
 
(下野)

先見の明(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。寒くなってきました。もう11月。小さい頃は、時間がすぎるのがすごく遅くて、あーまだ○月かあなんて、連絡帳に書く度に思っていました。それが、大人になったのでしょうか。この前年を越したばかりなのに、、といった気持ちです。
 先日、記事にも書かせて頂きましたが、山梨県へ行ってきました。山梨県は、父の現在の赴任先です。父は、昔から仕事熱心な人でした。小学校3年生からは、単身赴任となり、今も離れて暮らしています。4月から社会人になる私が、父の仕事姿を見に行く旅はなんだかくすぐったくなるような思いでした。卒業までに『週に1本、記事更新』。今回は、父の先見の明について綴ろうと思います。

 山梨までの旅のお供は、パソコンでした。卒論書きです。景色が綺麗であまり進まなかったのは、ご愛嬌なのですが、パソコンを見つめて「なんで私こんなにパソコンに対して苦手意識がないんだ?」とふと思いました。GIGAスクール構想により、一人一台端末が普及されると知った時もワクワクしました。小学生の頃も、中学生の頃も、人よりタイピングは早かったです。高校生の頃の情報の授業は、ダントツで早く課題を仕上げて、友達の課題を手伝っていました。なぜだろう、、、?

 ぼーっと景色を見ながら考えていると父の顔が浮かんできました。あ、そうだと思いました。
 私は、幼稚園生の頃からパソコンを触らせてもらって、小学生の低学年に父のお古のパソコンをもらいました。父は「自由に使って良いよ」と。それだけしか言いません。何も知らないから、調べます。文字はどうやって打つのかとか、Excelってなんだろうとか、検索ってなにかとか。今思えばとても主体的な学びです(笑)

 そんなこんなで、パソコンに苦手意識はなかったのかと納得が言ったところで、またひとつのことを思い出しました。「自由に使って良いよ」という父の言葉にもう一言ありました。「これから絶対大事になる。役に立つ」。今日という今日まで、その言葉を忘れていました。とんだ先見の明です。正に、役に立っています。小さな頃から、どんなことをしでかすかも分からないおやんちゃ娘によくパソコンを渡したなと父ながら凄いなと思ってしまいます(笑)

 私がパソコンに対して苦手意識を持っていないのは、父の先見の明があったからだと偶然にも父に会う旅で気がつきました。何事も必然なのだなあと思います。

 気付いたは良いものの恥ずかしくて父にはその感謝は伝えられませんでした。ので、記事にしました。見てくれたらいいなあ(笑)

 父が教えてくれた事は山ほどあって、それが今の私に繋がっています。父は、私のヒーローです。絶対に追い越せないだろうなと思いつつ、やっぱりいつか越えたい背中です。
 昔から父には、「人と人との繋がりを大切に生きなさい」と教えられてきました。私の名前「綾巳」の「綾」の字には、「人と人とを繋ぐ」という意味があるそうです。ちなみに、「巳」は、「一番。先頭に立って、切り拓く力」という意味が込められています。父のつけてくれた名前に恥じぬようこれからも生きていきたいと思います。

(下野)
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11月15日 山梨県韮崎市立韮崎北東小学校での学び(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。11月15日に山梨県韮崎市に行って来ました。なんで山梨に!?と思われる方もいらっしゃるかと思います。今回は、「玉置先生にご一緒!」させて頂いたわけではなく、、、「自分で行って来ました!」と大きな声で書き綴りたいものなのですが、まだまだ私にそんな大それた繋がりも無く、、、父から『金融教育公開授業』の誘いを受け行って参りました!

 特急しなのへ乗り塩尻まで。諏訪を抜けて、韮崎という所まで行ってきました。実に、4時間弱の電車旅は、景色が綺麗で電車に揺られる間は卒論書きをしようと持ってきていたパソコンも開いたまま、何時間も景色を眺め心落ち着く旅となりました。

 私が今回お邪魔させて頂きましたのは、韮崎市立北東小学校です。すれ違う子どもたちが「こんにちは!」と大きな声で挨拶をしてくれる、そんな温かい心が溢れるお出迎えにとてもとても心がほっこりしたスタートでした。

 『金融教育』をテーマにした公開授業。小学校2年生の道徳と小学校5年生の家庭科の授業を同時公開ということで、どちらも参観したい気持ちをグッとこらえ、両授業半分ずつ参観させて頂きました。沢山の参観者がいる中で物怖じしない子どもたちに驚くと共に、先生方の授業力が圧巻そのもの授業。沢山の学びは、いつもの如く私のメモにびっしりと記されました。その一部ではありますが、私が印象に残る学びを綴りたいと思います。

 予てから、私は「子どもに自信と誇りを持って輝いて欲しい」と、そんな教育がしたいと教員採用試験まで走り抜けてきました。そして、今でもその想いを持って学びを積み重ねています。しかし、どこか引っかかりがあったのです。自信と誇りを持っているだけで社会で輝けるのか。自信と誇りが持っていても、社会で生きていくためにはもうひとピース必要なのではないか。どことなく抱えていた引っかかりを今回『金融教育』というキーワードが解いてくれました。

 『金融教育』は、生きるための教育だと今回の講師であるあんびるえつこ先生は、仰られました。生きるために、「自立」し、「社会の形成者」としてお金をどう捉え、お金をどう使い、どう貰うか。生きていくためには、その双方が上手に車輪のように回らなければなりません。予てから私が目指していた「自信と誇りを持つこと」は、「自立」に繋がります。『金融教育』で学ぶ、自信と誇りを社会で生かし、お金という対価で頂いた時、それをどう使うのか、それは、「社会の形成者」としての意識を芽生えさせるのだと私はご講演を聞いて学びました。

 公開授業でも、「社会の形成者」としての意識が子どもたちに芽生えるような授業展開がなされます。それは、もしかしたらこの先子どもたちがずっとずっと大きくなってから気付くことなのかもしれません。だからこそ、学校教育で『金融教育』は必要であり、新学習指導要領で提言される「学校で学んだことが、明日、そして将来につながる子供の学び」は、『金融教育』という見方にもあるのだと私の学びの引き出しがまたひとつ深まりました。

 韮崎市立北東小学校の先生方、学生という身分ではありましたが、現場へ出る前にこうして他県で学びを培わせて頂いたこと、私の宝物です。とても素敵な経験をさせて頂きました。ありがとうございます。

 あんびるえつこ先生、『金融教育』についてもっともっと見識を高めたいと思います。現場に立った時、子どもが生きるための「教育」を長期的で広域的な視野を持って行いたいと強く考えさせられるご講演でした。またお会い出来ますこと楽しみにしております。ありがとうございました。

 そして、最後に、父へ。小学生ぶりに父の仕事姿を見ました。小っ恥ずかしい話にはなりますが、忖度なく、私のお父さん、すごくかっこいいなと思いました。いつか私も授業を見てもらいたいと思っています。ありがとう。

 他県でこうして学びを培うことが出来ました。これも人と人との繋がりです。この出会い全てが必然であるのだと思います。山梨が大好きになりました。また行きたいなと思います。今回も全てに感謝でいっぱいです。ありがとうございました!!!(下野)

卒論(下野)

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 こんにちは、7期生の下野です。卒業までに1週間に1本記事を書くという目標は、どうやら卒論があるとなかなか難しい自分へのお題であったなと思います。しかし、書くことが好きな私。そんな卒論執筆の最中にも、ふわふわと書きたいことが頭の中に浮かんでくるのです。今回は、今私が楽しみながら取り組む「卒論」をテーマに記事を綴りたいと思います。

 「卒論」とは、「卒業論文」のこと。この学生生活で何を学んだのかを表明する「論文」です。思えば、玉置ゼミに加入が決まってはや2年が経ちます。玉置ゼミで学べることが私の何よりの喜びでした。1年生の頃から卒論発表会に参加させて頂いていた私は、玉置ゼミの卒業研究が大好きでした。1年生の頃、事前にアポを取り、緊張しながら入室した玉置ゼミの卒論発表会で私は、初めて「価値語」という言葉を知りました。どの先輩の発表でも「価値語」「価値づけ」という言葉が出てきます。「価値語」と大きくノートにメモを取り、ぐるぐると赤ペンで目立つように囲ったことを鮮明に覚えています。それほどまでに、「価値語」との出会いは強烈にインパクトがあったのでしょう。そして、今私は『子どもを輝かせる価値語実践』というテーマで卒論を執筆しています。

 玉置ゼミに入ると、先輩方がなぜ「価値語」や「価値づけ」という言葉を大事にされていたかがよく分かりました。学校教育の全てに「価値」が存在することを玉置先生は私たちに教えてくださるからです。それは、授業でも学級経営でも、どんな小さな場面であってもです。見逃してしまいそうな「価値」でも、しっかりと示す。分かっているだろうと奢らず丁寧に「価値づけ」をしていく大切さを玉置ゼミでこの2年間沢山学びました。

 玉置ゼミの代名詞は、「書くことによって学ぶ」の他に様々な学校への訪問があります。きっと私が玉置ゼミではなく、ただ教職に進んでいただけであれば門をくぐることも、その学校の子どもたちの学びを見ることも、その学校の校長室に入室することも、行き帰りの道での景色だって見ることは無かったはすです。私は、大分玉置先生の学校訪問やご講演にご一緒させて頂いたのだと思います。卒論を執筆する際、「あっ、前にこの話を玉置先生がおっしゃっていたぞ。」とか「今書きたいところについて、玉置先生はなんと話されていたかな。」とゼミノートを開けば沢山の資料があります。卒論の参考文献に、『私のゼミノート』と記したいほどに、学校訪問や自分の書いたセミナーの議事録が大きく卒論を進展させてくれています。

 冒頭に、「この学生生活で何を学んだのか表明する「論文」が卒論である」と綴りました。こういうことなのだと思います。玉置ゼミで出会った「価値語」は私の軸となり、その玉置ゼミでの学びの一つ一つが繋がり今私は「卒論」を執筆しています。

 ここまで長く綴りましたが、結局「私は玉置ゼミに入って幸せです」の一言で全てが完結してしまいそうです。卒論は、これまでの私の学びの軌跡であり、これからの人生のブレない強い強い軸となると、そう確信しているのです。

(下野)

夢のおはなし。(今井)

 おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。私は、幼稚園の教育実習中であります。この記事を書いている今は、帰りの電車の中です。

 みうのひとりごと。

 生活の中で、記事を書こうと思う出来事が起こったり、記事を書くネタを思いついたりした段階で、私は「タイトル」をメモしています。いわゆる、記事ストックです。今は4つの記事ストックがあります。その一つが「夢のおはなし。」です。
 私の習性として、話の内容とは関係があるけど、タイトルだけを聞いても話の全てはわからないよというタイトルをつけがちなのです。
 そして、この「夢のおはなし。」
 何を書こうと思ったのか、全く思い出せなくて。もはや、メモした記憶もないくらいに心当たりがないのです。

 もしかして、これは夢?笑
 
 (今井)

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選択(下野)

こんにちは、7期生の下野です。
1週間に1本企画の第3段。『選択』というタイトルでお送りしたいと思います。

『選択』は、様々な種類があります。人生の岐路やほんの些細な今日の服どうする?だとか、、、。私は、今日の服はどうしようで何分も迷っているのですが。

ある方に「先生は、なぜ教師になる『選択』をされたのですか?」と問われたことがあります。話す間もなく、「後悔はないのですか?」と続けて問われます。

私は、そこで初めで考えました。後悔がないかと問われると、そうでもないかもしれないなあと。学校が大好きな優等生でもなかったし、どちらかと言えば学校は苦手だったし、不安なことは山ほどあるしなあと。

人生において、「選択」を後悔しないことなど一体あるのだろうか。とも思いました。

私は思い切ってこう答えます。
「後悔がないかと言われたらそうでも無いように思います。でも、どの道を選んだって後悔する。私が教師にならなかったら、ならなかったことを後悔するだろうし。なったらなったで、後悔しないとも言い切れない。難しいけれど、私は、「選択」をする上で自分が好きな自分であれる教師を選んだように思います。ずっとそうしてきました。何かを「選択」する時、必ず後悔は付き物で、でもそれでも、自分が好きな自分であれる道を選んだなら、それははなまるのように思えて、、、、。」

話し途中で、その方は
「そういう考え方か。たしかに。」と仰られました。

特段私の考えが正しいとかそんなことは思いません。でも、私が捉える「選択」とは、そういうものでした。

私が「選択」について考えるエピソード。私にその気付きを言語化させてくださった方は、今では私の前でよく笑顔になってくれます。もしかしたら、私の考えがズバンッとハマったのかもしれません。

よく世間は、「後悔しないように生きなさい」と言いますが、後悔はするものなのです。と、言い切っていいのかも分かりませんが、私の人生で後悔しないことなんてひとつもありませんでした。でも、自分が好きな自分であれる道を選んできたことに後悔は微塵もありません。

だから、これから悩んだ時、苦しい時
もっともっと大きな「選択」をしなければならない時、私はいつものように自分が好きであれる道を選んでいきたいと思っています。その道が間違いかどうかは進んでみないと分からないから。進んでみて間違っていても、その時は自分が好きであれる道はそこだったと自信を持って言えるように。そうしたら、直ぐに修正出来そうなものですから。

まとまりなく、なんだか哲学的な文章になってしまいました。そんな私は、今日も「服をどうしよう」と迷っています。それもまた、自分が好きな自分であれる服を。なーんて思ったり(笑) (下野)

 ※写真は記事とは関係ありません。提供は林文通先生です。
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新たな特性(今井)

 おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。
 みうのひとりごと。

 今朝、気づいたことがある。
 私は、人混みを歩くのが下手である。

 通勤ラッシュは人の流れがある。なぜか私はいつも、その流れに乗れない。人の流れに乗ってたつもりが、いつの間にか、あれ?という感じ。人にぶつかりそうになったり、ぶつかったり。「ごめんなさい」「すみません」のオンパレード。そんなに苦手意識はなかったけど、ふと思った。

 もう一つ。道や場所を覚えることも苦手。これを方向音痴というのか?先月、東京に友達と旅行に行った。私は店を出たとき、どちらから来たか分からなくなる。しかし、友達はすぐ分かっている様子だった。一度見た店にもう一回戻りたい時、私はマップを見ないと方向すら分からない。友達は、こっちから来たから、こっち側に進んでいくとあるはずと、行った場所がどんどん頭の中でマップ化されるらしい。
 その友達とも話したのだが、ちょっと出来る、ちょっと出来ないという人はいなくて、出来る人はすごく出来るけど、出来ない人は全く出来ないと2極化される。

 自分が方向音痴だろうなと思っていたけど、こんなにも他人と差があるとは思ってなかった。この22年間生きてきても、まだ自分という人間を理解出来ていない。

 ここで思ったのは、他人と関わることで、自分を知れるということ。自分との対話だけで分かる自分には限りがあり、周りの人と関わることで自分の新たな一面を知ることができる。今回の私は、下手だったり苦手だったりすることだけど、そんな自分も愛らしいではないか。笑

 他人に興味がないと周りとの関わりを避ける人がいるけど、他人と関わるのは他人を知るだけでなく、自分も知ることになる。私は、これからも沢山の人と関わって生きていきたいな、と思った、今日この頃。(今井)

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インスタで学ぶ。(丹羽)

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 こんにちは。7期生の丹羽です。教員採用試験の結果が出てほっと一息つく間もなく、卒論やボランティアのラストキャンプやいろいろやっできます。お家も引っ越しすることになり、バタバタの日々です、、!!!!

 そんな中、最近は、インスタグラムで学ぶことにはまっています!!

 消しゴムハンコを載せてるインスタグラマーを見て、消しゴムハンコセットを買ってみたり。そして、リスペクトするインスタグラマーの先生達のインスタライブやzoomの会へ参加して、学級通信の書き方について学んだみたり。前勉強していた、養護教諭について知りたいって思って養護教諭のインスタグラマーさんから学んだり。疑問がでてきたらDMをして質問をしたり。SNSってすごいなって思う日々です。学びたいなっておもったときに手軽に学ぶことができます。私自身、"やらなきゃ!"という気持ちではなく、楽しく学ぶことができています。そんな風に楽しく学べている今が幸せです。

 そして、インスタグラマー先生から、こんなような投稿を見つけました。

 「ロイロノートが導入されて一番嬉しいことは、職員室で先生達と授業のトークができるようになったこと。」

 私は、現場はロイロが導入されて大変だろうなと感じていました。しかし、先生間でコミュニケーションが生まれ、学び合いが生まれるとっても素敵な機会が生まれているということを知るとあったかい気持ちになりました。現場にはいってから、私も先生達と授業トークができるくらい、授業を頑張りたいです。(丹羽)

ご報告 (岡)

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 皆さん、お久しぶりです。7期生の岡です。今回はタイトルにもある通り、ご報告ということで少し記事を書かせていただきます。

 まず、結論から書かせていいただくと私は教員ではなく児童養護施設で働くことを決意しました。

 理由としては、私は大学で児童養護施設での実習経験などを通して、子どもと生活を共にしながら子どもを育てていきたいと考えたからです。もちろん、教員という仕事も実習を通してとてもいい仕事だと考えています。また中学生の時からなりたかった職業でもあります。しかし、その中で自分の中にあった子どもを育てたいという想いが児童養護施設での生活を共にしながら、子どもに寄り添って子どもを自立させるという方がより合っているのではないかと考えました。

 以上が自分の中の理由です。正直この決断をするまでに何度も心が揺れる瞬間も感じました。児童養護施設の存在を知ったのも遅い段階であったりしたこともあり、いざどちらかを選択する時に本当にいいのはどちらなんだろうかと迷うこともありました。その中で自分の中で1番今したいことや、将来自分はどんな人になりたいのかという想いの中で決断させていただきました。

 最後にはなりますが、まず児童養護施設への就職活動を始めようという相談させていただき、私の決断を尊重してくれた玉置先生。本当にありがとうございます。ゼミの中で学んでいる学級経営や子どもとの関わり方は今後の生活にも活かしていけると思っています。今後もよろしくお願いします。

 次にゼミ生のみんなへ。教採が終わるまで黙っていてごめんなさい。また唐突な宣言となってごめんなさい。どこかで聞いた人とかもいるかもしれませんが、一応教採が終わるまでは就活していることも言わないと決めて動いていました。ひょっとしたらおかしなところがあったかもしれませんが、それはこのことが原因かもしれません(笑)。これからもゼミでは全力で模擬授業などをやっていくので、今後もよろしくお願いします。

 そして本当に最後に父と母へ。最後の最後に大学まで通わせてもらいながら、教員ではない選択肢をとってしまいごめんなさい。教採が終わってから今日までたくさん話し合いをしてきたと思います。正直反対もされました。その中でも最後の最後には自分の決断を尊重してくれてありがとう。社会人の先輩として厳しい現実を伝えてくれたり、将来のことについても心配してくれてありがとう。正直教員になってほしい気持ちの方が強かったと思うけど、最後には自分の決断を尊重してくれてありがとう。これからは2人に心配されないように自立した社会人として生きていけるよう頑張ります。これからも私のことを見守っていてください。(岡)

クリームシチュー(今井)

 おはようございます。こんにちは、こんばんは、7期生の今井美羽です。最近は、気温も下がり、秋の匂いがしますね。

 今日の「みうのひとりごと。」は、寒い冬に食べたくなるクリームシチューのおはなし。クリームシチューのCMがテレビで流れ始めると、いよいよ本格的に冬が始まったなという感じがしますよね。

 私の家の昨日の夜ごはんはクリームシチューでした。ある日をきっかけに、クリームシチューを食べるといつも思い出すことがあります。

 私の母方の祖母は、一時期心の状態が悪く、弱っていた時があります。(当時の信じてもらえないであろう不思議なお話があります笑これも別の記事で書こうかな)
 祖父は他界していますので、祖母は母の兄(私の叔父)と2人暮らしです。あまり連絡をしてこない叔父ですが、そのときは兄妹に連絡が来たそうです。
 まず、母だけ祖母の様子を見に行きました。そのまま、母は私の家に祖母を連れて帰ってきました。いつも明るい祖母が元気を無くしている姿は、今思い出しても涙が出そうなくらい、悲しかったです。

 その時、クリームシチューをみんなで一緒に食べました。祖母は「2人だと中々作らないから、久しぶりに食べたらすごく美味しい」と言っていました。それを聞いた時、祖父が亡くなってから祖母は寂しい気持ちが溜まってしまってたのだなと思いました。

 クリームシチューを食べるときは、このことをいつも思い出します。祖母は、あのときのことが夢だったのかと思うくらいに奇跡的に回復して、最近は友だちと旅行に行きまくっています笑

 数週間前、私たち家族は少し大変でした。(全く深刻じゃないです)その時、祖母から茶封筒が届きました。そこには、嬉しい贈りものと共に手紙が入ってました。そこには、あの時の感謝から送ってくれたという内容が書かれていました。もう3年前の話です。私たちの中では、そんなに感謝されることもしてないよという気持ちでしたが、祖母の中ではとても大きかったのだなと思いました。これは、玉置先生がいつも言ってる分福だなと思いました。人に与えた幸せは、巡り巡って自分に返ってくるのだと思いました。

 ここまで読んでくださった皆さま、クリームシチューが食べたくなったのではないですか??笑よし‼︎おばあちゃんに連絡をしようっと(今井)

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決戦前夜(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。もうすっかり肌寒い季節。秋は、可愛い服と可愛いコスメと美味しい食べ物で溢れる季節。大好きな空気が毎日私を包みます。先週から始めた『卒業まで週に1本記事を更新』の第2弾。今日は、私が教員採用試験の二次試験前に書いた文章を紹介したいと思います。

 二次試験の前夜、私はこれまでの人生を振り返っていました。高校三年生の時に、教師を目指して教育学部に入学してから色んなことがありました。色んな出会いが私を強くしました。そんなことを振り返っていたのです。以下は、私がそんな人生の節目の試験で人生を振り返っている時に書いた文。今見返すと決心と覚悟が溢れていて、これからいつか壁にぶつかった時私自身を励ましてくれる文になっているように感じます。

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 教育学部に入らなければきっと目指さなかったであろう先生。私が大嫌いだった学校と先生は、私が命をかけてでも離してやれない大きな夢になりました。

 今までたくさんの子どもに出会いました。私は、どれぐらい子どもを救えたでしょうか。本当に私みたいな子どもは、いるのでしょうか。それは分かりません。

 でも、人は生きてる限り自信と誇りを持っていいんです。私には、自信も誇りもなければ、自分の輝かせ方だって知らなかったけれど、今は輝けます。

 教師を本気で目指して、こんな私が「子どもを輝かせたい」と思った。私が教壇に立つことが正しいとか間違ってるとかそんなの物差しは要らないぐらい、私は、子どもたちに生きて欲しいと願っています。誰にどんな言葉を浴びせられようとも、私は絶対に子どもの側にいることを諦めない。

 私が死んでも死にきれず、諦められなかった夢は、もうすぐそこにあります。それは、もう私だけの夢ではないみたい。いつしか仲間ができて、応援してくださる人がいて、一生懸命戦った日々が明日やっとみせられる。

 必ずぐうの音もでないぐらいの丸をつけてやりたいと思うのです。

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 まるで、自分を奮い立たせる文は私の核心となりました。きっとこの文で私は、改めて決心が固まったのだと思います。試験本番は、必死で余裕なんてなかったけれど、忘れてはならないことは私の胸にしっかり留まって自分の言葉で語ることができました。

 4月からは教師です。私の夢は、やっとスタートラインにたちました。長かったようで、短かったように思います。今まで経験したことは、何一つ無駄じゃなかったと私は自信を持って言えます。4月から子どもたちに語れるお話がこの半年でもっともっと増えていきます。ひとつひとつを大切に。感謝しながら、人と人との繋がりを大切に最後の学生生活を過ごしていきたいと思います。

(下野)
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セルフ個別最適な学び(5期生酒井)

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 こんにちは。玉置ゼミの5期生の酒井です。今回は10月10日に行われた教師力アップセミナーでの学びについて書かせていただきます。

 久しぶりの対面で開催されたこともあり数多くの学びが得られました。その中でも特に印象に残ったことが2点あります。

 1つ目は教材研究は素材研究がまず必要であることです。今まで授業準備として自分がしてきたことは課題や発問を考えることがほとんどでした。素材である文章と向き合うことなく、それをしていた自分をすぐさま改めたくなりました。文を読んで、辞典で調べて、文脈を考えて、素材そのものを自分自身が学ぶことを惜しまず実践して行きたいです。

 2つ目は国語は教材指導をしがちだが、教科指導こそ必要であるということです。今まで自分が受けてきた授業、してきた国語授業を振り返ると思い出すのは物語や説明文、詩など教材の内容がほとんどです。でも、それだけでは、それ以外の文章と出会った時、学校で習ったことは活用されにくくなってしまうことに気付きはっとしました。子どもたちに、私が望んでいることは目の前の文章と向き合うことではなく、今の学びがいつか将来で役に立つことです。(少し大袈裟かもしれませんが…笑)少しでも理想の実現に近づけるよう努力します。そして、「個別最適化な学び」を自分から追い求める自分でありたいです。

 野口先生と初めての対談できたこと、講話を聞かせていただけたことはもちろん、玉置ゼミという繋がりの中で学びが得られたことが大変有り難いと感じる1日となりました。有意義な時間をありがとうございました。(酒井)

転校生(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。秋が深まりました。教員採用試験も無事終え、ある目標を立てました。1週間に1本、思ったこと感じたこと日々のこと記事にしようと。
 「書くことによって学ぶ」玉置ゼミ。もうゼミで学ぶ学生生活もあと半年を切りました。卒業は、すぐそこです。最後の私の目標です。ご高覧頂ければ幸いです。

 小さい頃から映画が好きでした。なんだか違う世界に行ける気がしたから。人生の夏休みの終盤を迎えた私の休日は、映画鑑賞三昧です。
 久しぶりに、『阪急電車 片道15分の奇跡』を観ました。3歳まで兵庫県宝塚市に住んでいた私。兵庫での記憶はあるようなないようななのですが、阪急電車に乗った記憶、阪急電車から見える景色はしっかりと覚えています。なんだか懐かしくなる映画です。

 映画を観ながら懐かしさを感じていると同時に、沢山の街の空気や景色が思い浮かびました。私は、父の仕事で転校生になる機会が多かったです。それぞれの街の空気と景色が色濃く記憶に残っています。

 一見華やかな転校生は、そんなに楽しいものではありません。何度か転校を重ねるうちに、「どうせ友達なんて、2年でばいばいだし。」の気持ちになりました。本当は、出来た輪の中に入ることが苦手でした。でも、父と母には迷惑や心配をかけたくない一心で毎日学校に通っていた私。友達が出来なかったわけではありません。ただ、疎外感というか余所者感は抜けませんでした。今思えば、私がそう捉えていただけなのかもしれません。

 どことなく「余所者扱い」を感じながら、通う学校の私の唯一の楽しみは、季節が変わる頃の空気や街の景色、雰囲気でした。場所によって匂いが違うのです。同じ季節でも、どことなく違う香りがする。

 私は、愛知県に転校してきて初めて「金木犀」の香りを知ったように思います。愛知県へ転校する一つ前は、東京に居ました。東京にいた頃は、「金木犀」を感じなかった。恐らく植えてはあったはずなのですが、どうも気づかなかった私は、「金木犀」の香りを愛知県で初めて知りました。

 「金木犀」を知ってから少し学校へ行くことが楽しみになりました。秋口には、「もう金木犀の季節!」と思ったり、秋を待ち遠しく思いながら1年を過ごすのです。

 4月から教師になります。きっと転校生にも出会うことでしょう。私の人生は、上手いこと出来ているのかもしれません。なんだか「余所者扱い」を感じたあの日々も、ちょっとだけ無理をしてでも笑顔でいたいなと思っていた日々も、「金木犀」と出会ったちょっと楽しみな通学路も。いつか子どもたちに話せるように思うのです。

 沢山の気持ちが私の人生には渦巻いていたのでしょう。悪く言えば、繊細で気にしいで自分の殻に閉じこもっていたのかもしれません。でも今は、それで良かったと思います。色んなことを色んな経験をちゃんと傷ついて、ちゃんと前を向いて、ちゃんと自分のものにしてここに立っていられるから。

 人生にある全ては意味があると、昔の私は今の私に教えてくれました。いつか転校生と出会ったなら、昔の私がその子に話しかけてくれるでしょう。「大丈夫、貴方の人生で転校は必ず意味あることだから。なかなかできる経験じゃない。なが〜く人生を見たなら、きっと宝物になる。今貴方の目の前にいる先生がそうだったよ。」と。(下野)

※ 写真は、阪急電車 片道15分の奇跡 : フォトギャラリー 画像 から。
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あやみんにしか出来ない(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。唐突ではありますが、私は中学生・高校生時代通った女子校で「あやみん」と呼ばれていました。大学生になった今は、「あやみちゃん」とか「あやみ」とかごくありふれた呼び名。あの若さ故の「あやみん」が私の青春です。

 そんな高校生。華のJKですね(笑) それはもうこの世界は私たちが中心で回っている!と本気で思い込んでいたあの時期、私にはあるひとりの友人が居ました。

 今は、私の唯一の男友達といったところでしょうか。彼とは、同じ中学・高校に通いました。あれ?と思った方もいらっしゃるはずです。私は、女子校に通っていました。

 彼は、身体が女の子でした。心は男の子でした。私は、昔から人を人のまま好きになる人間でしたので、それを言われても「あ、そうなんだ〜」程度でした。何も変わりません。

 でも、周りは違いました。厳格な伝統ある女子校に通う私たち。制服はもちろんセーラー服です。登下校は、制服(セーラー服)でも我慢するから学校の中では体操服で過ごさせて欲しいと願う彼を先生方は許しませんでした。苦しかったはずです。なんの関係のない私が、「なんでダメなんですか?登下校は我慢するって言ってるのに、なんで許せないんですか?」と先生と職員室の前で喧嘩もしました。保健室で苦しむ彼に、私は、何も出来ずに「大丈夫大丈夫、そのまんまでいい」としか言えなかった。

 進路を決める時、彼に教育学部に進むと伝えました。すると彼は、「あやみんは、先生になった方がいいよ。僕みたいな子を理解出来る子どもを育てて欲しい。それで、救ってあげてよ。」と言ってくれました。彼は覚えているか分かりません。でも、それは私にとってとても心の支えになりました。今でも私が教師を目指す一つの理由です。

 彼と関わったことで、私はジェンダーについて深く考えるようになりました。教員採用試験の面接練習でも、ジェンダーについて良く問われました。私はいつも彼を思い浮かべます。彼だったら、どう考えるだろう。どう寄り添って欲しかっただろう。教師がどうであったら彼は心を安心させて過ごせただろう。とても大切な友人です。

 なぜ、今回こういった記事を綴ろうかと思ったのか。それは、5年ぶりに彼から連絡があったからです。大学へ進学した私たちは、各々の道を歩み連絡が途絶えていました。久しぶりに話す彼に、ずっと貴方の言葉が私が教師を目指す理由の一つだった、今は結果待ちだよ。と伝えれば、「嬉しいなあ」と屈託のない笑顔と返事がそこにはありました。

 彼は今、作家として美術作品を制作しています。彼もまた自分の夢へと真っ直ぐに向かっていることを知り、私も負けられないなあと思うばかりです。

 人は、きっとまたいつかどこかで会える。そんなことを実感した大学生活最後の夏休み。夢を叶えるために、「私にしかできない何か」がそこには待っている」と信じられる出会いがありました。

(下野)
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ようやっとる(下野)

 こんにちは、7期生の下野です。お昼間はまだ暑い陽射しがありながらも、朝晩は涼しく鈴虫が鳴き声をあげるこの季節。私は、秋の香りが好きです。

 3年前の秋、祖父を亡くしました。まだ70歳でした。祖父は、寡黙な人でした。でも笑う時はカラカラと笑う人でした。

 あまり出来の良い孫ではない私に、いつも密かに期待をしていてくれていたのは祖父でした。特段頭が良いわけでも、特段何かに優れていた訳でもないのに、いつも祖父は「綾ちゃんはようやっとる」と言ってくれていました。本当に?と内心で思いながらも、その過大評価でない「ようやっとる」の言葉は私の自信でもありました。

 実は、私には後悔していることがあります。祖父は、身体を悪くした時孫が病院に来るのを拒みました。きっと孫に自分の弱っている姿を見せたくなかったのだと思います。まだ、元気だけれど入院している時、祖母が「じいちゃんの病院に行く?」と言ってくれたことがあります。私は、面倒だったので断りました。その次に、祖父母の家に遊びに行った時には、祖父は病室を祖母以外面会拒否とし、私は祖父に会えなくなりました。

 これが私の後悔です。あの時会っておけば良かった。あれが最後の祖父と会える時間だった。祖父が亡くなった時、何度も「ごめんね」と心の中で思いました。でもなんだか、祖父は許してくれているような気もしました。孫は勝手なのです。そして、そんな勝手な孫を祖父は、愛してくれていたと私は思うのです。

 私は、祖父が亡くなった時絶対に教師になろうと誓いました。誰よりも「ようやっとる」と言ってくれた人だから。本当は見せたかったのが本音です。教育学部に入学する時、誰もが「やめておいた方が、、、」と口にしました。でも祖父は、お決まりの「ようやっとる」と一言。これも密かな期待を寄せていた。私はそう思います。

 教師になることは、勿論自分の夢を叶えるため。でも、そこには祖父の密かな期待に、盛大に応えたいという思いもあります。「見ていてね、そして、カラカラ笑っていてね」と願いながら、試験前はお墓参りに行きました。

 結果は分かりませんが、祖父が近くに居てくれたように思います。きっと試験後には、空から「ようやっとる」と言ってくれていたように思います。

 秋になると祖父を強く思い出します。だから、私は秋が好きです。きっとまだまだ出来の悪い孫を「ようやっとる」と見守ってくれているから。

 いつか私が教師として、人生の役目を果たしてじいちゃんに会えた時には「ようやっとったな」の言葉を貰いたいと思うのです。

(下野)
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国語の説明文の授業で大切なこと(8期生 寺尾)

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 こんにちは、8期生の寺尾です!週末明けから小学校教育実習を控えていて不安と楽しみでいっぱいです(笑)
今回は、「白石範孝先生の国語授業の技術」(東洋館出版)を読んで学んだことを書いていきます。

 この本は白石先生流の国語の授業や、文学作品・説明文・詩の技術が書かれています。私自身、小学校教育実習で説明文の研究授業を行う予定でいるので、主に説明文の技術について記事にしていきます。

 説明文の授業を行う上で大切だと思ったことは、「形式段落の主語」を考えることです。形式段落の主語が同じものをひとつのまとまりとする原理・原則が、「はじめ」「なか」「おわり」を分ける時に役立ちます。逆に言えば、この主語連鎖を切り離して3つに分けることが出来ないのです。

 私は小学校や中学校の頃、説明文を読んでいた際にどこまでが「なか」でどこからが「おわり」になるのだろうと迷っていたことがありました。これを知っていれば、納得しながら「はじめ」「なか」「おわり」に分けることが出来ていたかもしれません。そのため、授業を行う時には形式段落の主語が何かを問う発問をしたいと思いました。

 また、説明文の中に複数の問いがある時、問いと答えは切り離して分類してはいけないのです。このことにも注意して説明文を「はじめ」「なか」「おわり」に分けていくよう指導していきたいです。

 そして、「題名から問いをつくり、それを解決していくことで、読みの課題(要旨がどこにあるのか)が見えてくる」ということも大切だと学びました。題名に続く形で子どもたちそれぞれが文中の言葉を用いてまとめをつくり、 その説明文で大切なことを捉えるという活動を取り入れていきたいと思いました。

 この本では、「たんぽぽのちえ」や「和紙の心」など実際の教材を例にして、このような授業をつくっていくことができるということを視覚的に見やすく書かれているため、スラスラと読むことが出来ました。

 今回学んだことを今月の教育実習で少しでも生かすことが出来たらなと思います。(寺尾)

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