最新更新日:2024/05/08
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訪問研修「森の道標」裾野西中 国語

 12月12日(月)西中の堤佐保先生の授業を参観させていただきました。堤先生は新採2年目ということで、今年度4回目の訪問(森の道標)です。1回目は随想、2回目はプレゼンテーション、前回は小説、そして最終回の今回は古文の平家物語「敦盛の最期」を題材として選ばれました。
 堤先生は毎回学習指導案を筋道立てて丁寧に書かれます。熱心に教材研究を重ねていることが伝わってきます。今回も単元(7時間配当)の最後に朗読会(「琵琶法師になろう」)を設定し、それを最初の授業で生徒に提示することで単元全体の学習計画を共有しています。このことは、生徒も今やっていることがどこにつながっていくのかを理解して学習に向かうことになり、意欲化につながります。
 また、板書も構成的に見やすく工夫され、授業の流れがよくわかります。生徒が後でノートを見た時、そのときの授業の様子と共に学習内容が整理できることは大切なことです。
 本時は、武功をおさめたいと願っていた直実が、最後は「発心の思ひは進みけれ」と語られていることに注目し、なぜ直実の思いが変化したのかを考えるというものでした。
 堤先生は、古文から根拠を確認しながら、語り方に着目して直実と敦盛の人物像を対比して捉えさせ、そこから今日の学習課題「なぜ直実の『発心の思い』は強くなったのだろう」を班で考えようと投げかけました。
 生徒にとって古文は、語句や語彙を理解し、内容を的確に把握することがかなりのハードルとなりがちです。先生は事前に班で分担して現代語訳をする活動を取り入れましたが、内容の把握には個人差があり、課題について深め合うことはなかなか難しそうでした。
 そこで先生はI君の「本当は殺したくなかったけど、味方の兵が来たから殺さなければならない」という意見を採り上げて、殺したくなかった理由を明らかにしながら、「対句」や「係り結び」を押さえ、次時に続けて本時の課題を深めていくことにしました。
 事後の懇談では、堤先生から、他の学級ではA’に想定した「自分たち武士にはない敦盛の優雅な心に触れたこと」が最初に生徒から出て、学習課題を解決した後に文法的な押さえを行ったというお話を伺いました。同じところでも学級によって、一人の子の発言によって展開が大きく変わることがよくあります。生徒の思い(発言)がつながっていくように、教師が柔軟に対応していく力が求められます。その力は、事前の多様なシミュレーションと本時の中で謙虚に生徒の発言に耳を傾けること、そして事後に教師自身の振り返りをきちんと行うことによって身についていくのだと思います。
 「振り返りのできる人が成長できる人」〜そんな教師になってくれることを信じて学校を後にしました。 

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訪問研修「森の道標」裾野西中

 12月8日、訪問研修「森の道標」で、西中へ伺いました。中学1年生の理科「光の性質」の授業です。授業者は、新採2年目の1年生の学級担任ですが、授業クラスは、自分のクラスではない別のクラスでした。
 授業前の理科室は、穏やかに談笑する生徒たちのよい雰囲気で溢れていました。授業者もその中に加わって、より一層微笑ましいフレンドリーな雰囲気が醸成されていました。授業の前から授業者と生徒たちの笑顔があり、授業中はもちろん、授業後もずっと笑顔を絶やさない授業者のすてきな人間性を感じ取ることができました。自分の経験上、いたずら好きやお調子者の男子生徒がいるはずですが、誰もが一線を踏み外さないという、授業者に対して好感を持っていることがわかりました。
 こういう学習集団の雰囲気は、日常の声かけだけでは無理で、授業者の持っている人間性が、やさしさや微笑ましさという形になって、自然に表出しているんだなあと感じました。
 授業中の生徒たちの様子からも、参観者が複数いてビデオカメラも回っていたので、緊張しつつも授業者のために今日の授業は頑張ろうという姿勢が感じられました。全体的に、とても落ち着いた授業風景だったと思います。愚かにも、つい、新採2年目の頃の自分と比較してしまい、恥ずかしさを覚えてしまいました。授業者も、心の内の多くが、緊張感と不安感で支配されていたことだと思いますが、とても新採2年目の教諭とは思えない落ち着いた授業をなさっているなと感じ、驚かされました。
 授業中は、既習事項の定着が不十分だったり、生徒たちが陥りやすい初歩的な勘違いをして授業が空回りしたり、多様な見方や考えが多発したりと、本時の目標にどこまで迫ることができるかどころではなく、ここからどう授業をまとめていくのかという、こちらの不安をよそに、いくつかの手だてによって「全反射」を導き出した、授業者の堂々たる授業ぶりにも驚かされ、この先生の力量はすごいぞと感心させられました。
 授業力は、授業者の前向きな多くの教材研究と実践と経験のみでしか培うことはできません。そう考えると、先生の今後がとても期待できて楽しみです。
 本時は、実験台に置いた十円玉の上に、水の入ったガラスコップを置くと、目の位置によって十円玉が消えたり(見えなくなったり)、反対側のガラスコップの壁面に十円玉の像が映ったりする事象を教材化した授業でした。あえて教科書にない実験観察を扱ったということは、授業者の「自然事象はおもしろい」ということを伝えたいという思いや、授業に対する真摯な姿勢が感じられます。
 授業案を最初に見たときの所感は、授業案に想定してある生徒の発見や事象のとらえ方がかなり限定されているので(実際のこの事象は難しく、生徒の多様なとらえが想定されるものと考えました)、本時の課題を1つに絞ることができるか(少なくとも2つ程度が1時間の授業の限界だと思います)、無理矢理1つに絞っても、同じ課題を生徒全員が共有できるか、想定外の課題にどう対処するのか等々、下手をすれば考え散らかしてお終いになるのではないかという心配でした。
 ところが、実際は、連続した手だてによって1つの課題が共有され、生徒が全反射にたどり着きました。中には、「何だ、反射だけかよ」などといった、物足りなさの発言もありましたが(この発言をしたA君は光の屈折に対して授業前から持っていた関心の高さがなせる技です)、「反対側のガラスコップの壁面に十円玉の像が映ったりする」理由については、しっくりと納得がいったものと思われます。しかし、この教材の真のおもしろさは、「目の位置によって見えるものが異なる複雑なことを、光の道筋(全反射と屈折)で説明できてしまう」所にあると私には思えてなりません。中学1年生には高度な内容と考えがちですが、やり方によっては(14時間の授業計画を工夫する)、生徒たちが大きな満足感を抱くことのできる教材であると考えます。新採2年目の先生がチャレンジするには、少し荷が重すぎる気もしますが、このチャレンジ精神と自然事象の楽しさを何とか生徒たちに実感してもらいたいという先生の授業者としての姿勢が、生徒たちに自然科学の興味をそそらせるものになっていたと確信できました。

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行事予定
4/6 入学式、1学期始業式(小・中)

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