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「感じ、考え、行動する」ぬのせっ子の力を伸ばそう!

1980年にヒロシマへの修学旅行がはじまりました

1980年、初任者として布忍小学校にきました。
その年、布忍小学校では、ヒロシマへの修学旅行がはじまりました。
試行錯誤のなか、その年の夏に、ヒロシマの被爆者佐伯敏子さんと出会いました。
そして、その聞き取りをもとに、2曲の歌をつくりました。
未熟な自分を支えてくれた先輩の先生や友人、子どもたち、そして佐伯さんに励まされ、つくった歌が「てるちゃんはいう」と「ヒロシマには歳はないんよ」です。
歌詞を紹介させていただきます。

http://www10.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?i...
校長 中島 智子

てるちゃんは いう

てるちゃんは いう

何のために 生きてきたのかと
私が死んだのは 何のためなのかと
私の苦しみは 誰のためだったのかと
生きてきた足あとを 残すことさえ許されず
いのちのすべてが くだきこわされた
あの日は何のためかと てるちゃんがいう

原爆を作ったのは 人間だよと
原爆を落としたのも 人間だよと
あの日の地獄をつくったのは すべて人間の手によるものだと
語ることも 叫ぶことも うめくことさえ 奪われて
死んでいった妹が 私に口を開かせる
あの日 妹はまだ十八だった

ヒロシマの遺骨(ほね)をかえさにゃあ
生きた証を 返さにゃならん
ヒロシマの 叫びを 返さにゃあ
今の社会へ 大人たちへ
子どもたちへ すべての生きるものたちへ
子どもたちへ すべての生きるものたちへ

詩・曲/中島 智子
1980年
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ヒロシマには歳はないんよ

ヒロシマは すべてがあの日のいしぶみ
川も 道も 川の底の土も
今 ヒロシマに 風はそよぎ
緑の木々は しげっているけれど
ヒロシマにいるとき ほんとうは死者の上

ヒロシマというとき ほんとうはなくだけ
ヒロシマというとき あの日に帰る
今 ヒロシマに 水は流れ
空は どこまでも あおいけれど
このまちは いつまでも 歳をとらない

私は 種まく すべての人に
花さき 実るまで きっと死なない
今 ヒロシマに 人はうつり
幾年月が 流れたけれど
ヒロシマを語って 私は生きる
ヒロシマを語って 私は生きる

詩・曲/中島 智子
1980年



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