12月14日飛島学園での学び(山田・高橋)

 こんにちは!4期生の山田です。今回は、先日飛島学園で行われたセミナーでの、玉置先生の飛び込み授業ついて書きたいと思います。初めて見せていただく玉置先生の道徳の授業ということもあり、たくさん学ばせて楽しみにしていました。

 玉置先生も、和田先生同様、飛島学園の先生方を生徒役として模擬授業をしてくださいました。

 教材は中学生対象の「茂の悩み」。バスケ部で部長を務める茂が、対立する部員の意見に、部長としてどう行動すれば正しいのか悩む場面が描かれた話でした。代が変わり部を引っ張る立場になる学年にぴったりの教材です。年齢によって、今置かれている状況によって、同じ生徒が同じ教材を読んでも感じ方は違うと思います。だからこそその時々の学級の生徒にとって1番ぴったりの教材を選ぶのも教員の力量であり、大切なことだなと感じました。

 玉置先生は、授業の最初に「道徳は人から嫌な人だなあと思われない為に学ぶ」とおっしゃっていました。どうして道徳を学ぶのかというのは、子どもたちも疑問に思うことだと思うし、自分の中で授業に芯を持つ為にも、考えを持っておくことが大切だと思います。玉置先生のこの考え方はとても納得させられたので、これをきっかけとして自分でも考えてみて、さらに自分の言葉で伝えられるようにしておきたいなと思いました。

 玉置先生の道徳の授業で特に特徴的なだったのは、生徒が、「自分が主人公の立場だったらしないこと」を考えて、それについて議論する場面です。新学習指導要領の内容にも記載されている、道徳の核となる学習活動は「取り得る行動の検討」であるという考えのもと、今回このような授業をしてくださったそうです。

 何より驚きなのは玉置先生がまだ中学校で学級を持っていた頃に行った授業だということです。その頃から熱心に教材研究に打ち込まれていたからこそ今の玉置先生があるのだなあと思わせるエピソードだし、そのことを少し自慢げに話されていたちょっぴりお茶目な玉置先生の親しみやすさも、多くの人から慕われる理由だなと和ませていただきました。

 自分がしない行動を議論するというとはとても新鮮で刺激をいただいたので、とても教師の技術のいる授業だと思いますが、将来、高学年の担任になったら挑戦してみたいなと思いました。

 セミナー後に玉置先生が時間を作ってくださった和田先生との交流の時間もとても勉強になることばかりでした。セミナーやお話を聞いている最中は、少しでも学ばせていただかなければと必死ですが、こうやって後から記事を書いて振り返っていると、こんな貴重な経験をさせていただいている学生は他にいないとしみじみありがたさを感じます。お話を聞かせてくださった和田先生、素敵な場を用意してくださった玉置先生、ありがとうございました。

 また、飛島学園の先生方をはじめとする関係者の方々も素敵な学びの場をありがとうございました。(山田)

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 こんにちは!4期生の高橋です。今回は12月14日に伺った、飛島学園での和田先生の模擬授業からの学びを書いていきたいと思います。

 和田先生の模擬授業で印象的だったのは、子どもの発言に切り込んで質問するときのスピード感です。

 子どもの一瞬のつぶやきも逃さず、「まだこの時は思ってない?じゃあどの時言おうと思ったの?」「そのあとが大事!」「嘘を重ねた、重ねたってどういうこと?」と矢継ぎ早に質問を続けられていました。

 わたしは、授業での和田先生と子ども役の言葉を一言一句記録していこうと思っていたのですが、途中から、追いつけなくなる場面がありました。そこが、授業のテンポが一気に上がり、より深まっていったポイントであったように思いました。そこでは和田先生の発問も続きましたし、子ども役の発言数も多くなっていました。

 和田先生の授業は、全体に流れがあり、とても自然に展開が進んでいきました。発問ごとに展開が途切れ、物語をぶつ切りにしたようになってしまう自分の授業とは大きく違う点だと感じました。

 和田先生は、きちんと言わせたい、考えさせたいところはしっかり止まり、流すところは流すというように発問にも優劣をつけながら、進めていくとよいとおっしゃっていました。

 止まりたいところというのは、玉置先生がいつもおっしゃっている授業の最後に子どもに何て言ってほしいか、というところに繋がっていると思います。

 話は戻りますが、子どものつぶやきを逃さず、ぐっと踏み込んだ切り返しをするためには、止まって考えさせたい言葉を確かに持っておくことが本当に大切なんだと学びました。

 和田先生の授業を見て、道徳の難しさも感じましたが、それ以上に道徳の面白さや、わたしもこんな風な授業をやってみたい!という思いを感じることができました。
すばらしい授業を見せていただいた和田先生、玉置先生、貴重な学びの機会をありがとうございました。(高橋)
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12月14日飛島学園での学び(中澤・安部)

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 こんにちは。4期生の中澤と安部です。 12月18日に飛島学園にて、和田先生と玉置先生による道徳の模擬授業と対談が行われました。道徳についてさらに深く考える、とても良い機会になりました。学んだことを書きたいと思います。

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。今回は12月14日土曜日の飛島学園でのセミナーについて書きたいと思います!

 今回玉置先生の模擬授業を久しぶりに拝見しました。そのなかで新たに学んだことがあります。それは、「人からみられていやだなぁって思われないようにすることが道徳」ということと、「自分はやらないと思う行動について考える」ということです。

 道徳の授業では、物語の内容を踏まえて、人間として正しい行動は何かを考えていくということがよくあります。そのため子どもたちは、人間として正しい行動は何かを当てようとしてしまいます。

 それに対して玉置先生は、自分はやらないと思う行動は何かと考えさせました。「なぜやらないかは、その人の行動論理があるから考えさせる」と授業後玉置先生はふりかえりでおっしゃっていました。

 この発言を聞いて私は、やらないと考えることは、確かにその人の人格を表していて、そこから物事の考え方をより良い方向へ考え深めていくことができると考えました。大変参考になる模擬授業でした。

 中学校実習で道徳の授業を行ったときに、生徒の考えを引き出すことの難しさを痛感したため、今回のセミナーでは胸を打つ会となりました。本日も学ばせていただき、ありがとうございました。(中澤)

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 こんにちは。4期生の安部です。昨年に引き続き、飛島学園に行かせていただきました。和田先生と玉置先生の授業を見させていただいて、学んだことを書きたいと思います。

 まず、和田先生の道徳の授業では、小学校1年生を対象に「どんぐり」という資料を使って行われました。和田先生は、初めから資料をあえて子どもに渡さないやり方を取られました。一年生にはとても難しいのではないかと思いましたが、場面ごとに教科書の挿絵があり、そのときの気持ちが端的に示されいる板書はとても構造的で見やすかったため、資料を見なくても黒板を見ているだけで授業の流れがよく分かるものでした。

 授業後に、和田先生は以下のようなことをおっしゃっていました。「授業を考えるときにまず板書計画を考えて、それを文章化したものが指導案である」「板書計画を常に手元に置いておき、授業中はそれしか見ない」なるほど、たから和田先生の授業は子どもからどのような言葉が出てもそれを黒板に整理して書くことができるのかということを感じました。

 私は実習の時も、ゼミで模擬授業をするときも、指導案作成に力を入れて、板書計画はいつもなんとなくで終わってしまいます。今回、和田先生に板書計画の大切さを改めて気付かせていただいたので、これからは私も板書計画を元に授業を展開するようにしたいと思います。

 また、和田先生は「瞬間に追究する」ということを道徳の授業で意識されているそうです。低学年の子どもは特に、もやもやした気持ち、すっきりした気持ちなどそのとき思ったこと、感じたことを瞬間に問われないと忘れてしまうそうです。だから和田先生の授業はテンポがとても良くて1人の発言をそこで終わらせない、追質問して、心の奥にある思いを引き出したり、他の子どもに繋げて考えを深めていっているということがわかりました。「瞬間に追究する」というのはそう簡単にできることではなく、4月からすぐにできることではないと思いますが、和田先生のような授業を頭で描きながらそこを目指して頑張りたいと思います。

 次に玉置先生の授業から学んだことです。私はこれまで玉置先生の道徳の授業を見たことがなかったので、今回、とても楽しみにしていました。対象は中学生、資料は「茂の悩み」というものでした。

 まず、資料の読み方に工夫がありました。長い文章を読む中で、ところどころ板書にメモをして、登場人物の関係を図示し、生徒が早く物語に入り込めるように時々先生自身の感想を入れながら気持ちを込めて読む音読の仕方、それらを自然にされているのが素晴らしいなと思いました。

 また、授業の展開として目から鱗だったのが、「自分が取らない行動を挙げさせる」ということです。今回の資料は特に、自分が茂の立場に立ったとき、様々な行動が取り得るとは思います。どれが正解なんて話し合っても拉致が開かないと思います。最終的にどのような行動を取るかは人それぞれ違っていい、道徳の授業で教えなければならないのは、「人として取ってはいけない行動」であるということです。だから、自分ならこの行動は絶対に取らないという行動を挙げさせ、人との違いを確認し、それぞれ自分の考えを話す中で、道徳性が養われていくということです。

 私は以前、道徳の模擬授業をやらせていただいた際に、「本当はこう思うよなあ」という自分の思いと、「でも子どもたちにはこういうことを教えなければならない、こういう思いにさせなければならない」という2つの思いで揺れていました。本来、道徳の授業は教師も子どもと共に考える中で、道徳性を養っていくものであるのに、上から押さえつける、教えてあげるというふうに私は間違った考え方をしていました。前回の山田貞二先生のお話、そして今回の玉置先生の授業を見て、自分の道徳の授業に対する考えはまた一つレベルアップした気がします。まだまだ学ぶことはたくさんありますが、4月まで残された期間、出来る限り多くのことを学んで卒業したいと思います。

 玉置先生、和田先生をはじめ、飛島学園の関係者の皆様、ありがとうございました。(安部)


12月18日(水) ゼミ模擬授業からの学び(加藤奨基)

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 こんにちは、4期の加藤奨基です。12月18日の最後のゼミで、模擬授業をさせていただきました。そこからの学びを、記事にします。

 扱わせていただいた題材は小学校5年生の算数で、以前にUD学会に参加した時に見た田中博史先生の割合の授業を行いました。結果的には、課題の多く見つかった模擬授業でした。
 
 自分は、UD学会で田中先生が行っていた、「子どもたちが、間違えることを恐れず自分の考えを出す」ということをしたいと思っていました。しかし、実際に授業者という立場に立つと、題材の難易度や自分の発問の具合により、田中先生のようにはいきませんでした。何より、子ども役のゼミ生の発言が減り、流れが途切れたように感じました。

 振り返ると、田中先生の授業に比べて、自分の模擬授業では発問や声掛けの仕方やタイミングが全く違っていました。玉置先生にいただいたご指導では、授業を見る際のノートのとり方に問題がある、ということを指摘していただきました。

 自分は今まで、教師の働きかけやその内容をメインにメモをとっていましたが、それよりも発問や働きかけで教師が実際に話した言葉や、それに対する子どもの言葉をメモするほうが、後々効果的であるということを実感して学びました。他のセミナーで和田先生の授業メモをいただく機会があったので、それを参考にこれからはメモのとり方を試行錯誤していきたいと思います。玉置先生、子ども役をしてくれたゼミ生のみなさん、ありがとうございました。(加藤)

12月18日4期生後期ゼミ山田志摩さんの模擬授業記録(関口)

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 こんにち!4期生の関口です!今回は最後のゼミで行われた山田志摩さんの模擬授業記録を書きます!

 山田さんは算数科で「計算のきまり」という単元の授業を行いました。

 最初に37×9と37×12という式を提示しました。これを子ども役に解かせて、気づくことをあげさせました。
しょうきさん「37×15をしたら555になりそう」
ゆりさん「37×3×3に分けると111×3になる」
となかなか核心を突く発言がすぐに出ました。

 そこで山田先生が「答えが222になる計算式を作ってみましょう」と指示しました。この後どうしてすぐに解けたのか問うことできまりに気づかせようとさせていたと思います。

 わたしはゆりさんの先の発言を引用して子ども役として発言しました。それを山田先生は、「このはさんが行ってることわかるよって子いる?」と問い、わからなかったよしともさんにわかるようにと、ゆりさんに自分の言葉で同じことを発言させました。その後も「高橋さんも頷いてるからよしともくんにわかるように説明して」と指示し、発言させました。それからよしともくんに戻して、「よしともくんどう?わかった?」と聞き、頷くよしともくんに「言えるところまで言ってみて」と伝えました。

-ゼミ生から-
◎どの子にもわかるように工夫されていた
◎子どもとのやりとり
◎井上くんに戻す、取り残さない
△時短をするために省くところは省くべき
△子どもの発言に付け足さない

-玉置先生から-
物分かりが良すぎる。
例えば、しょうきさんの発言である「37×15」に対して、物分かり悪く「なんで15が出てきたの?」ときく。このように子どもの発言に対して「どうして?いいの?」と物分かり悪く子どもを揺さぶったあと価値付けすることで、単に答えを出す授業ではなく、子どもに「違いがどのように違うかを見つける力」と「数を分解する力」など、一生役に立つ力をつけることができる。

 私は、自身の模擬授業で、わかる子わからない子をきいたにも関わらず、そのまま突き進めました。今回山田さんはわからないと言ったよしともさんにしっかり戻して、全員参加の授業を見事に作りました。また柔らかい山田さんの授業はとても居心地のいい時間で、子どもとのやりとりもスムーズだったのだと思います。

 今回でゼミは終わってしまいました。もう教壇に立つまで残り少なく、玉置先生がそばで教えてくださる時間もわずかです。すごくさみしいですが、自分の力として来年度から発揮できるよう今までの学びも振り返りながら前進していきたいです。
ゼミでの卒業旅行がたのしみだあああ!
の前に卒論発表会も楽しみですね、、(関口)

12月9日 味岡小学校訪問&玉置先生講話からの学び(加藤奨基・高桑)

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 こんにちは、玉置ゼミ4期の加藤奨基です。今回は、日頃からインターンシップでお世話になっている味岡小学校へ、玉置先生の講話として伺わせていただきました。味岡小学校にはタブレットが本格導入されていて、先生方もタブレットを用いた授業をいくつも展開されていました。そこからの学びを、記事にしたいと思います。

 今回いくつかのタブレットを用いた授業を見させていただいて、タブレットを用いると子どもの個人学びが深まる、ということを特に感じました。タブレットを用いた学習に対する子どもの意欲は非常に高く、ほとんどの子どもが、与えられたタブレット教材に積極的に取り組んでいました。

 学習の基礎を学ぶ際には、タブレットを用いた個人学習が非常に有効だと学びました。また、基礎学習を個別で行うことで授業時間数の短縮を図ることができます。そして、空いた時間で学びに本当に必要な部分を話し、議論することもできます。

 しかし、その後の先生方による分科会や校長先生から、タブレットの欠点になる点もいくつか学ばせていただきました。まず、どうすれば深く学べるのかが曖昧である、ということです。タブレットを授業に取り入れるだけなら、比較的簡単にできると思います。

 しかし、「深い学び」を達成しようとすると、とたんに難易度が上がってしまいます。その理由は、タブレットが個人作業になりがちなアイテムということです。欠点にも関連しますが、タブレットは基本的に傾けて操作することが多いモノです。すると、反対側にいる子どもからは、タブレットの背面が邪魔をして壁になってしまいます。座席を移動するなどしなければ、操作している子どもの手元はほとんど見えません。これでは子ども同士で繋がることは難しいです。

 また、子どもの「困った!」の内容が、タブレットの操作に関する困ったがほとんどである、という点も挙げられます。本当は学習面で困り感を共有し学び合ってほしいところですが、操作に関してはできる子どもが教えればすぐに解決してしまう、ということがあります。このように、子どもが繋がりづらく、深い学びに到達しづらい、ということがタブレットの欠点であると学ばせていただきました。

 早いもので、去年の今頃に初めて味岡小学校を見学させていただいたことが信じられません。4月からインターンシップとして入らせていただき、ゼミ生としては約半年ぶりの味岡小学校見学でした。その中で学びのない時はなく、常に学ばせていただくことができました。この記事があがる頃には2学期も終わり、残すは3学期のみです。残りの約3か月間も、子どもとの関わりを大切にし、学びを深めさせていただきたいなと思います。本日は玉置先生、味岡小学校の先生方、本当にありがとうございました。(加藤)

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 こんにちは、4期生の高桑です。先日、味岡小学校で多くの授業を参観させていただき、その後ゼミ生で意見を出し合いながら授業について深く考える機会をいただきました。今回は、そこから学んだことを書いていきたいと思います。

 まず、玉置先生に授業の見方を教えていただきました。授業は子どもが変わるための場であり、授業内でおさまらず「〇〇ってこういうことか、こうすればいいのか」と子どもが汎用性の高いことを学んでいる姿があれば、よい授業であると言えます。つまり、板書の仕方やタブレットの効果的な使い方など教師に注目するのではなく、つぶやきなどから子どもの変容を見るべきだとおっしゃっていました。

 このお話を聞いていて、授業づくりをするときも同じく大切にすべき観点だと思いました。私は、指導案を考えるときに「これをやったら子どもたちが楽しんで授業に参加できるかも」と教師の手段メインで考えてしまうことがよくあります。そして、いざ授業をやってみると、「結局自分は何がやりたかったんだろう」とゴールを見失ってしまいます。これでは、教師メインの授業に子どもが付き合わされているだけになってしまいます。

 玉置先生が口を酸っぱくして何度もおっしゃってくださる、「授業終わりに子どもが何と言ったら成功か」というゴールを明確にして、それを軸に授業を考えていくことが大切であるということを改めて実感しました。

 その後、多くの教室を周り、授業の様子を見させていただきました。そこで、子どもたちのいいなぁと思える姿が多くありました。「〇〇くんいいこと気づいたねぇ」と仲間を称える言葉が上がったり、表情豊かに朗読をしたり、外国籍の子どもが見慣れない私たちにも目を見てあいさつをしてくれたり、子どもの輝く姿が多くあり、感動しました。

 特に心に残ったのは、研究授業で見たAくんです。Aくんは、タブレットの使い方がわからず個人追究の時間も小声で「わかんない」と言って意味もなくタブレットをいじっている姿が印象的でした。それに気づいた教師が直接教えるのではなく、Aくんを前に呼び、困っている状態をみんなに見せて、クラス全員で解決策を考える時間を設けていました。その後、Aくんは「わかった!」と得意げにタブレットを使い、同じグループの子どもに教える姿がありました。私はAくんのことを1時間しか見ていませんが、授業の始めと終わりのAくんの様子の違いから、子どもが少しでも変化できる授業をつくり、その変化を積み重ねていくのを見守るのが教師の役目なんだと感じました。今回、味岡小学校で見させていただいたこと、感じたことをこれからの授業づくりに生かしていきたいと思います。

 最後になりましたが、玉置先生、味岡小学校の先生方、素晴らしい学びの機会をありがとうございました。(高桑)

あけましておめでとうございます

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 2020年となりました。

 あけましておめでとうございます。

 今年も玉置ゼミ生一同で、ゼミでの学び、セミナーや学校訪問での学びなどを中心に発信します。

 稚拙な内容もあるとは思いますが、「書くことによって学ぶ」というゼミ方針のもと、わずかな成長でも目指して発信し続けたいと思います。

 おかげさまで、4月には玉置ゼミHP開設6年目に入ります。今年もどうぞよろしくお願いします。(玉置)

2019年振り返り(玉置)

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 2019年の振り返りを「三楽の仕事日記」に書きました。

 書きながら、今、自分があるのは皆様からの支えがあってこそ。
 改めて感謝する年末です。

 もっと書いておきたいことはありますが、長くなりすぎるで、このあたりで。
 よろしければお読み下さい。

 ここをクリックしてお読みください。

12月11日3分間スピーチのふりかえり(安藤)

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 こんにちは。4期生の安藤優里です。今回は12月11日に行った3分間スピーチについて振り返りを書かせて頂きます。

 私は中学年を対象に「ちょっと視野を広げて見よう」というメッセージのスピーチを行いました。

 これはもうすぐ冬休みのこの時期にする話をしたいな、と自分なりに考えていたところ、お恥ずかしい話、冬休みの宿題をずるずると溜め、休みの終盤に慌てていた小学生の頃の自分自身の経験を踏まえて(泣)、「ちょっと先を見て行動することの良さ」を話そうと思った次第です。

 最近、私は自動車学校に通い始め、人生で初めて車を運転しました。そこでは私は、目先の道路を見るのに必死で、教官に「目線はもっと先に」と言われていました。道路がこの先どうなっているのか、先を見ないとうまく走れないとのことですが、それが目の前のことでいっぱいいっぱいな自分とすごく重なるところがあるなあと思い、車の運転を例に「ちょっと先を見て行動することの良さ」を伝えることにしました。

 宿題もあらかじめ全体の量を把握して、前半にこれだけ、1週間ではこれだけ、じゃあ今日はこれをやろう!と逆算しないと、目先の課題をとりあえずやっていては、中々終わりが見えず、進みません。授業づくりもゴール(子どもたちに最後に言って欲しい言葉)から考えます。少し目線を先にして、ゴール(目標)を自分の中で持ちながらそこまでの道のりを着実に進めていくのが、「コツコツやるコツ」なのかな、と自分自身感じたので、スピーチにしました。

 このようなことを伝えたかったのですが、話にすると中々伝えられたのか微妙な感触でした。玉置先生からは、「子どもたちとのやりとりの中で笑いが取れていてよかった」というコメントを頂きました。今回他に5人スピーチを行いましたが、悔しいくらい話が上手い同期で、なるほど!と思うネタと、伝えたいこと、話し方の3つが揃っていてすごいなぁと思いました。

 来年から今回のスピーチで玉置先生や同期から学んだ話し方を生かして、子どもたちに良い話ができるように普段の生活や様々な経験をしたいです。ありがとうございました。(安藤)

11月27日4期生ゼミ模擬授業の学び(安藤)

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 こんにちは。4期生の安藤優里です。今回は11月27日に行った模擬授業の学びを書きたいと思います。

 私は道徳で、2年生の『泳げないりすさん』を題材に選びました。これは、教育実習で1度授業をしたのですが、実習の時は全然うまくいかず、自分は道徳の授業をするのが苦手だなぁ、と思うようになりました。そこで今回ゼミでもう一度リベンジしたいという気持ちで同じ題材に挑戦した次第です。

 今回はまず、事前に玉置先生に、指導案の相談をさせて頂きました。教育実習の時にうまくいかなかった、ということを伝えると、何がうまくいかなかったと思う?と尋ねられ、役割演技がごっこ遊びのようになってしまい、意味のある活動にならなかったことを伝えました。すると、玉置先生が仰るには、道徳で役割演技を入れると、子どもも照れてふざけるなど、あまりいい授業にならないそうで、改善点を見つけることができました。

 そして、役割演技をやめて、発問を、「仲間はずれにされたりすの気持ち」を問うものから「仲間はずれにした3匹の気持ち」を、考えるものに変えました。

 実際に授業をしてみて良かった点は、りすではなく、仲間はずれにした3匹の気持ちを問うことで、前回より意見に深みがでて、よかったです。

 反省点としては、意見の収集がつかなくなってしまったことです。私は「甲羅で運ぶんだね〜なるほど」で終えてしまったのですが、玉置先生は「行動の裏に気持ちがある。なんでそういうことをするの?とその行動に至る心情を問うと良い」とアドバイスをくださいました。板書も、子どもから出た心情をキーワードでメモして、心情や行動の変化が一目で分かる板書を作りたいです。

 後々感じた反省点としては、3匹が「泳げないからダメ」と言った時に、りすは泳げないから仕方ないよね、一緒にいられないことは悪いことなのかな?と揺さぶって、3匹がりすを置いていったことを後悔していることに触れられたらよかったな、と感じました。

 玉置先生に相談させて頂いた時に、発問についての提案をくださいました。その際に玉置先生から、これから先、現場でも、先輩の先生方に相談して、アドバイスを頂けることがたくさんあるだろうが、それをそのまま全部やろうとすることが、良いわけではないということを教えて頂きました。その方法が自分ができそうなことなのか、そして子どもたちの実態に合っているのかを考えて、最終的にその方法をやるかやらないかは自分で決めなくてはいけないよ、という教えを頂きました。先輩方に学ばせて頂きながらも、自分の意思や意図を忘れないように気をつけたいと思います。

 ご指導くださった玉置先生、授業を受けてくれた4・5期生のみんな、ありがとうございました。(安藤)
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