4期生の中澤でーす笑(中澤)
お久しぶりです。四期生の中澤佑太です。寒さが強くなってきた頃になります。皆様の健康の無事を願っております。(この記事の内容は六期生や七期生にはよくわからないと思いますが、ご了承願います。)
大学を卒業して八ヶ月が過ぎました。八ヶ月が過ぎてようやく心身も状況も良くなってきたなと感じています。 まず心身については、大学だけでなく学校という環境にいたことで生じていたうつ病の症状がほぼ完全に回復しました。具体的には、笑顔で表情が豊かになったといえばわかっていただけると思います。今振り返って、よく大学卒業まで不登校にならず生き残ってこれたなってつくづく思います。誰が悪いわけではないけれども、いや本当に生きづらかっただろうな過去の自分って思っています。玉置ゼミが無かったらどうなっていたことかと感じています。 次に状況ですが、公務員予備校生としては、おそらく順調に進んでいます。頭の回転が速くなったし、全科目全分野わかるようになりました。また世の中のことを知ることができました。先日大卒レベルの模試がありましたので、結果はどうなることやら。 そしてもう一つ、以前紹介したもう一つの居場所(金山ブランチ)で、高校生や障害者、就活に困っている人たちなど多くの人と交流していますが、そこではもう頼れるお兄ちゃんになっています(笑)。なぜなら全科目全分野わかるのだから理系文系関係なく高校生さに教えることができますし、就活に困っている人に対しては、教採対策と予備校で培った自己PR、面接の組み立て方を教えていたり、もともともっていたカウンセリングマインドとゼミで培ったメタ認知、価値づける、物事の本質を見抜き伝える能力で、さまざまな人が自分に心を開いて悩みを打ち明けて私の言葉に耳を傾けようとしているのですから。面白くてたまらない。 最後に今後については、どうやら大学卒業後二年以内に決着がつく見通しが立っています。いや公務員になるんでしょって思うところですが、どうやら私は環境適応能力が著しく低いことが明らかになり、(教育実習で潰れたのもそれが原因だと判明。)公務員になって一年以内に潰れる予感がしてならないのです。まぁその辺の話はいずれ報告ができると思いますが。 この報告から私が言いたいことは、人生何か行動している限り悪いようにならないということです。大学卒業してからも何名の方が私を生かそうと働きかけ、「どうやらそう簡単には死なせてはくれないみたいだな」と生意気ながら思わずつぶやいてしまうほどです。その方々との交流模様は、また別の機会にお話ししたいと思いますが。いやぁわからないものだなぁ。学生時代は四期生で結婚が一番遅いって思い込んでいたけれども、もしかしたら意外とはやいかもしれないし。 今回はこんな感じで終えたいと思います。玉置先生再会したくて待ち遠しいです。大分印象変わっているので楽しみにして欲しいです。次に会えるのは教師力アップセミナーなのかな。それではお読みいただきありがとうございます。(中澤) 牛乳と「思いやり」 (矢崎)
こんにちは。
5期生の矢崎です。 私の最近の悩みを聞いてください。 「思いやり」ってなんだと思いますか。 最近、この言葉に悩んでいます。 人と関わる上でこの「思いやり」はとても重要だと思います。 でも、ふとした時、自分が「あの時、私はあの人のためにこれをやってやったのに」と感じてしまうのです。 それで、その考えから離れたときに自分の醜さに苛立ちます。 だって、「あの時」私がした「思いやり」は「思いやり」ではなくなるなからです。 じゃあ、「思いやり」ってなんなんだと。 簡単に「思いやり」とは言うけれど、これってとっても難しいことじゃないかと。 そんなことを考えていた時、ふと、「あれ、私疲れてる?」と思いました。 よく考えたら、最近、「誰かに気を遣う」ことが多いなと。 別に「気を遣う」ことが悪いことと言いたいわけではありません。 「気を遣う」ことは「思いやり」の一種だとも思っています。 でも、明らかに私は自分の中の「思いやり」に疲れていました。 そこから、私は「思いやり」の量には限りがあるんじゃないかと思いました。 イメージとしてはヨハネス・フェルメールの「牛乳を注ぐ女」がぴったりです。 この絵画の牛乳が「思いやり」で、その「思いやり」を誰かの器に注いでいるような感じです。 この絵画の女性が注ぐ牛乳も永遠に注げません。限りがあります。 だから、この女性は牛乳が足りなくなったら、牛のところに行って牛乳をもらってくるでしょう。 牛に牛乳をもらえば、また新たな器に牛乳を注ぐことができます。 だから、「思いやり」も限りがあるし、足りなくなったら誰かに「思いやり」をもらわなくてはいけないのではないでしょうか。 逆に言えば、「思いやり」は誰かからもらったものを誰かに注いでいるのじゃないかと思います。 その素敵な連鎖の中に自分はいるんじゃないかと。 だから、今は自分の注げる「思いやり」が足りなくなっている時期なんだなと思います。 足りないのに無理やり注ごうとしているから、「やってやったのに」と感じてしまうのだなと。 だから、注ぐのは休憩して、家族や友達と話して、「思いやり」をもらいに行こうと思います。 また「思いやり」がたまったら、だれかに注ぎに行きます。 (矢崎) |
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