東日本大震災から9年
今年も3月11日がやってきました。9年前のこの日、14時46分、誰も予想できないような地震がありました。太田市でも体験したことのないような揺れで、校庭に避難したり、そのまま下校したりした小学校がありました。
現在、新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止による休校により、木崎小学校から子供たちの声が消えました。 大きな災害や危機により、ふだん当たり前と思っていることがあっという間にできなくなったりなくなったりすることを、今、改めて感じています。 東日本大震災は、地震の後の津波、福島第1原子力発電所の事故と災害がたたみかけるように起こり、多くの方々が命を落とし、さらに多くの方々が当たり前の日常を奪われました。 先日、福島県から避難した当時小学4年生だった児童の作文を読んで、子供たちに紹介しようと思っていたものを紹介します。 ***** ***** ***** ***** 「おにぎりとみそしる」 小さな白いおにぎりと具のないみそしる。 これは、わたしにとって、わすれることのできないごはんです。 わたしは、東日本大しんさいで、自分の家にいられなくなり、ひなん所で生活していました。その時の食事の内ようです。 それまでのわたしは、おやつを食べて、食事の時には、テーブルにはたくさんのおかずがあって、食後には、デザートまでありました。それが、あたり前だと思っていました。 とつぜんのさいがいを受け、ひなん所で生活をしてみて、わたしが食べていたものが、とてもめぐまれたいた事に気が付きました。 何日間も、おにぎりとおみそしるだけを食べていましたが、ふしぎとあれが食べたい、これが食べたい、とは思いませんでした。おなかがすいて、食べる事ができるだけで、うれしかったからです。 白いおにぎりから、中にうめぼしが入ったおにぎりになった時は、とてもうれしかったです。 ひなん所から東京にいどうした時に、はじめておかずのついたごはんを食べました。 弟が大好きな野菜を見て、 「食べていいの。」 と聞きながら食べていました。とてもうれしそうでした。 今もまだ、自分の家には帰れないけれど、テーブルには、わたしの好きな食べ物がたくさんならびます。 季節のフルーツも食べられるようになりました。 ひなん所でテーブルも無くて、おふとんをかたづけて、下を向いて食べた小さなおにぎりと具のないおみそしるの味はざっ対にわすれません。 ひなん所にいた時は、あまりわらう事ができませんでした。 でも、今は、わらってごはんを食べています。つらい事やこわい事もたくさんありました。今は、ごはんを食べて、おふろに入って、おふとんにねむれる事が、とてもうれしいし幸せです。 これからも、食べ物をそまつにしないで、楽しくごはんを食べていきたいと思います。 ***** ***** ****** 東日本大震災は、日本に住む私たち全員が、忘れてはならぬ出来事だと思います。 今週、荷物を取りにきた子供たちが、「家にいてもつまらない。」「友だちに会いたい。」と言っていました。当たり前の幸せに感謝し、元気な子供たちの声が学校に戻ってくる日を願っています。 14時46分、今年は職員だけで黙祷をしました。 写真は、校庭に上げた半旗です。 |
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太田市立木崎小学校
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