つかみの話術は重要

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 大学時代は落語研究会に所属していました。
 大学時代4年間で覚えた落語は30席を超えるほど。
 演じなくなってしまった落語はまったく忘れてしまっていますが、時折、お声をかけていただき演じる落語は、稽古をまったくしなくても、スラスラ出てきます。ある意味、自由自在に時間調整して演じることもできます。

 やはり若いときにしっかり覚えておいてよかったな、時々、出力することが大切だなと感じています。

 今日(6月7日)は、地元で開催されている有志の会「藤栄シニアクラブ」からお声をかけていただき、今日は落語出演。

 会場に着いてビックリ。芸名、演目が書かれた名ビラ掲示。気持ちも高まって、ご要望通り、四方山話と落語で1時間。

 世話人の方による僕の紹介「先生はとってもお忙しい方で、ようやくつかまりました」を受けて、のっけは「ようやくつかまりましたとは、泥棒みたいですけど」で一気に笑い。これは業界用語では、「つかみが成功した」と言います。一気に会場がなごみ、演者の方に注目していただけました。教師には、こうした「つかみの話術」も大切です。(玉置)

漢字は難しい…?

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最近漢検2級の勉強で必死だ。(自分を追いこむために、ここで受験を公表させていただきます 笑) 13日(土)の試験が迫り、焦る気持ちでいっぱいだが今日はおもしろい発見があったので紹介したい。

「漢検2級は難しい漢字ばかり出てくる」と最初は思っていたが、そうでもないような気がしてきた。例えば親友の類義語は何か。答えは「知己(ちき)」である。漢字そのものは難しくない。だが、普段使わないので難しく感じてしまう。

疑問に思ったのは「己を知る」でなぜ親友になるのか。調べてみると「知己」が「自分の人柄や埋もれた才能などを知っている人・理解してくれている人」という意味になるからだそうだ。

出典は『史記』刺客列伝、「士は己を知る者のために死す」というもので、もともとは「己の埋もれた才能を知って厚遇してくれる主君」という意味が、時代とともに「親友」の意味に代わってきたとのこと。

ひとつの熟語でもその意味を知ると印象に残る。勉強中に疑問に思って良かった。また、機会があったら親友に自分のことをどれだけ知っているか聞いてみたいと思った勉強時間であった。(松井)

1人1台タブレット端末を活用した公開授業(国語・算数)参観

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 本日(6月6日)は、東京で開催されている「NEW EDUCATION EXPO2015」に参加してきました。といっても名古屋会場での参加で、東京会場からのライブ中継を見たのです。

 いくつかの番組が同時並行しているのですが、見たのは「教科教育の研究を基盤とした1人1台タブレット端末を活用した公開授業(国語・算数)」と題した筑波小学校の国語と算数の教師による授業です。

 現在、2020年までに「児童生徒に一人1台ずつの情報端末を渡す、教科書をデジタル化する」といった動きがありますので、そのような環境がすでに整っている学校での授業を見ておきたいと思い、サテライト会場の名古屋へ出かけたのです。

 授業は少々おや?と思うことがありましたが、午後の協議会での助言者より、その部分が解消されて、とてもすっきりした気持ちになれました。「動くと見えるものがある」と言われますが、それを実感した1日でもありました。(玉置)

部分肯定

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 来週開催の教師力アップセミナー講師である志水廣先生の『子ども、教師、学校が変わった「○つけ法の」の奇跡 ー「どうせできねーもん」からの脱却ー』を読みました。

 この本では○つけ法の理論や実践が書かれています。

 その中で印象に残っているのは「部分肯定をする」ということです。○つけ法では×をつけず、部分肯定の○をつけます。

 例えば3桁の筆算で答えが間違っていたとしても、「なるほどね、1の位は合ってるよ」と部分肯定の声かけをして1の位に○をつけます。算数が苦手な子にとってたとえ一部分であっても自分のノートに○があるということはとても嬉しいことだと思います。

 この本には実際に○つけ法を実践したノートの写真も載っていて先生方がどのように○をつけているかを知ることができます。

 私は今まで算数のノートで○がある場所は答えのところだけだと思っていました。しかし、子どもたちのノートには考える過程で書かれた絵や図、途中の式などいろいろなところにたくさん○がついています。

 私も子どもたちの「できる」を見つけて認めることのできる先生になりたいと思いました。(渡部)

「学校ふれあい体験」の引率

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 本学の特徴の一つ「学校ふれあい体験」に、写真の15名の学生を引率して出かけてきました。この体験は、受け入れ先の学校の多大な理解と協力があってできるものです。3月末まで学校現場にいた人間ですので、学校側の細かな配慮がとてもよくわかり、感謝するばかりでした。振り返りでの学生たちの学びは予想以上に多く、引率者としては安心ができました。

 以下は、本学サイトに掲載されている「学校ふれあい体験」の説明です。参考までに。(玉置)

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 岐阜聖徳学園大学教育学部1年生が学校ふれあい体験で本校を訪問し、一日実習をしています。これは本学独自の教員養成プログラムの一環で教育実習前から積極的に学校現場に出かけ、教師の仕事を知る、子供たちの実態を知ることを主な目的としながら、教育に対する自分自身の考え方を深めていく実習です。

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書くことを通して

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「ゼミのホームページを作ろう」という玉置先生のひと声から始まったゼミ学生と先生で作り上げるホームページ。玉置先生が様々な場面で情報を発信してくださっていることもあり、今では大学の友人に限らず、学校の先生や教育に従事されている多くの方々にホームページの記事を読んでいただけている。

先日、中林則孝先生が玉置先生宛てにホームページへのコメントを寄せてくださった。「他の人に見られるということがより質の高い学びにつながる」ということを教えていただき、「自信がある文章だけでなく、日常的な学びを発信していくことが大切である」というアドバイスもいただいた。

正直に言うと、いつも自分が書いた記事には自信がなかった。「これで伝わるだろうか、文章はおかしくないだろうか…」という思いは常にある。そして、良い記事を書きたいという気持ちがあったことも確かだ。そんな自分にとって(他のゼミ学生にとっても)中林先生のコメントは記事を書くときの気持ちを前向きに変えてくれるものだった。やはり書くことからがスタートなのだ。

まだホームページ開設から2ヶ月だが、読んでくださる方々がいることで私たちはより深く学ぶことができている。書くことを通して12名がより今後も学びを深めていけるホームページにしていきたい。いつも記事に目を通してくださる方々に感謝します。ありがとうございます。(松井)

 ※ 写真は7号館前から見る本館風景です。(玉置)

ゼミ報告の充実を目指して

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 毎日、200を超えるこの研究室サイト訪問を嬉しく思います。
 ゼミ生の大きな励みとなっています。もちろん私も同様です。
 ありがとうございます。

 今週のゼミから、ゼミ報告をこの研究室サイトで積極的に行うよう指示しました。
 ゼミを始めたばかりですので、どのゼミ生も自分が関心があること(研究テーマに関わるであろうこと)を文献やネット等で調べ、A4判1枚にまとめるという段階です。
 その内容をはじめ、ゼミでの質問やそれを受けて自分はどのように考えたかを発信するように指示しました。このことは様々な点において、自身の力を高めることになると考えています。

 さきほど、記録の第1号、第2号の発信がありましたので、あらためて記事発信の目的について、皆様にご理解をいただき、稚拙な内容でもあっても温かく見守っていただきたく、指導者の思いを記事にいたしました。

 ★ 【6月1日ゼミ記録】私の発表(浦珠美)

 ★ 【6月1日ゼミ記録】私の発表(堀江恵里花)

 
 なお、ゼミでは学生発表後、私から、教師人生を目指している学生にとって、少しでも有益となる情報を伝えることにしています。その内容についてもゼミ生が順番に記録し、記事にするように指示しています。

 ★ 【5月25日ゼミ記録】子どもの言葉を生かす授業とは?

 ★ 【6月1日ゼミ記録】教師が大切にすべきこと

 こちらもご覧いただければ幸いです。(玉置)

【6月1日ゼミ記録】私の発表(堀江恵里花)

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先日のゼミで、自分の研究がどれだけ進んでいるのかを発表しました。
私の研究テーマは「子どもの個性を尊重する学級経営のあり方」です。
今回は、『個性について自分なりの定義』と『個性を発揮できる環境』について発表しました。(レポートはこちら

私は菊池省三先生の本を参考にして、個性の定義を「一般性を身につけた上で出てくる自分らしさ」と定めました。そして、個性が発揮できる環境としては、「子ども一人ひとりが安心し、自信を持っている学級」である必要があるということを発表しました。

発表後、次のような質問があり、以下のように答えました。

○一般性を身につけると言っても、それが難しい子どもにはどのような指導をするのか。
→今後の課題にする。

○一般性を身につけるためにはどうしたらいいのか。
→「3・7・30の法則」で学級の中でのルールを守るようにする。

○一般性を身につけないと個性は本当に出ないのか。
→一般性を身につけていない上での個性は、自由奔放となってしまい、学級においての個性発揮と言うには少し違うと思われる。

他にも質問はありましたが、上記の3つの質問に対して、少し曖昧な答えとなってしまったので、今後、研究していって、はっきりさせたいと思います。

また、「個性というものを、能力面で見るのか、見た目で見るのか、表現方法で見るのか…など、ある程度絞ったほうがいいのではないか」という意見をもらいました。

今後の課題も見つかり、研究を深めていく内容も分かったので、これからどんどん進めていきたいと思います。(堀江)

【6月1日ゼミ記録】私の発表(浦珠美)

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先日のゼミの時間から、ゼミ生1人1人が今まで研究してきた内容を順番に発表し合うことになりました。

私が今回発表したことは、「学校で起きているいじめ問題にどう向き合うか」。

いじめの定義、現在のいじめの特徴を中心に調べ、そこから教師はどうしていくべきなのかを考え自分なりにまとめてみました。(レポートはこちら

その後、ゼミのみんなから多くの質問をもらいました。

「ネットいじめはどう発見するか。」→確かに発見しにくいなと感じた。(要調査!)

「子どもは例えばどのような方法でSOSを送っているのか。」→目で訴える、辛そうである、顔が暗いなどがあると考える。(自分が辛い時どのように人に伝えようとするかで考えてみる。)

「今は差異を生み出すためにいじめが行なわれているのならば、昔はどうしていじめがあったのか。」→自分より劣っている人をいじめることで、自分が優位な立場にいると感じたかったからだと考える。(今も昔も、“差異”が鍵!?)

はっきりと答えることのできない質問もあったのですが、改めて調べたことに向き合うよい機会がもらえました。

調べ、まとめ、発表し、質問を受け、さらに考える…。このサイクルを活かして、研究のテーマにしている「居心地のよい学級づくりのあり方」に迫っていきたいです。(浦)

ユニバーサルデザインの授業

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私は最近、志水廣先生、大羽沢子先生著書の「算数授業のユニバーサルデザイン」という本を読み始めました。

第2回教師力アップセミナーの講師の先生が書かれた本だから、という軽い気持ちで読み始めたのですが、自分の研究のヒントとなるようなことが多く書かれていました。

ユニバーサルデザインの授業とは、どの子も「分かる、できる」と感じることのできる授業だと書かれています。
学習環境、フォローする一言があるかないか。
少しの工夫や教師の行動で授業の中身は変わっていきます。

私は研究内容の1つでもある学校でのいじめ問題について調べていく中で、いじめが起きてから対処を始めるのではなく、前もっていじめが起こらないような対策を教師はすべきであるということを考えました。
授業でそのような対策をするならば、劣等感などをあまり感じさせないユニバーサルデザインを考えた授業はとても有効なのではないかと思います。

読み進め、気付いたことをまた記事にまとめたいと思います!(浦)

【6月1日ゼミ記録】教師が大切にすべきこと

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学生2名が研究テーマについて発表、お互いに質問をし合って研究を深めた後に、玉置先生が36年間の教師人生をふり返り、教師人生が大きく左右された出来事を話してくださった。

それは「数学の神様」と呼ばれた馬場康雄先生とのエピソードであった。一宮市に勤めておられた馬場先生の勉強会に、玉置先生は小牧市から参加されていたそうだ。同じテストの平均点を比べてみても馬場先生の平均点が7,8点も高く、テストの点を上げることに自信があった当時の玉置先生でも敵わなかったそうだ。

コンピューターを使った授業を行っていた玉置先生は、一宮市のある学校で行われたコンピューターを使った研究授業に助言者として招かれた話をされた。その時のもう一人の助言者は馬場先生だったとのこと。

コンピュータ室に入ると、生徒の中には金髪の生徒が一人。あのような生徒がいては、さぞかし「授業はやりにくいだろうな」と玉置先生は思ったそうだ。

無事に授業は終わり、研究会で助言者に話が振られた。すると馬場先生は突然、

「お前なんか教師を辞めちまえ!」

と怒鳴った。

「あなたは50分間金髪の生徒に一言も声をかけなかった。それは50分間かけて他の生徒に、ああなったら見捨てられるということを伝えたと同じだ」

静まりかえった教室で、次に玉置先生に助言を求められたが、何も言うことはできなかったと仰った。

心のどこかで「できない子はしょうがない」と思っていた自分を反省し、それが授業を見直すきっかけになったと玉置先生は仰った。子どもを伸ばすことが教師の大切な仕事。一人一人を伸ばしていこうとしなければならない。授業づくりや学級経営を考えていく前に、教師とは何かという原点に立ち返るようなお話を聞くことができた。(松井)

※ このエピソードは、2012年度発行の「VIEW21(pdf)」でも読んでいただけます。写真は、その一部です。

生きる力の基礎はコミュニケーション

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菊池省三先生は、「生きる力の基本にコミュニケーションがある」と本の中で言われていた。

つまり、コミュニケーションができなければ「生きる力」がないということか。

確かにコミュニケーションができなければ、社会で生きていくことは難しい。現在はグローバル化により、さらなるコミュニケーション能力が求められていると感じる。

自分も、人前に立ったり、街中で人に道を聞いたりするのが、とても苦手だ。

「知徳体」どれを伸ばそうとしても、言葉によるコミュニケーションがとても大切であると感じた。(中田昂)

群れから集団へ

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私は先日のゼミで、学級を群れから集団にすることを少しお話しました。私が今読んでいる野中信行先生の、学級づくり3原則という本に、集団について書かれていたので、ご紹介します。
まず、学級を集団化することは、子どもたちが自分たちで自分たちを動かしていくこと、だとありました。私はなるほどと思いました。今まで集団というのは、教師の指示を聞いて子どもたちが的確に動くことをイメージしていたのですが、最終的には、子どもたち自身が動かしていくことが大事なのだと考えさせられました。
また、集団に近づけていくために、「ちょこちょこ学級会」を行うと良いとありました。これは、学級の中で困ったなと思うことがあったら、すき間時間を用いて、学級のみんなで話し合うというものです。私が小学生だったころを思い出すと、学級会は年に数回で、意見も少なく、形式的なものだったと思います。しかし、この「ちょこちょこ学級会」は、学級の決まりや目標をこまめに話し合う機会になり、学級が集団へと近づく一つの手段になると強く感じました。(牧野)

動機づけのタイプ

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 外発的動機づけと内発的動機づけを自己調整タイプを中心にした自己決定連続体のモデルを元にタイプ分けできることを知った。このことは、自律的かどうかで分類できる。

 外発的動機づけの中で、自己決定的(自律的)が強い順に、統合による調整、同一化による調整、取り入れによる調整、外的調整だ。

 外的調整のレベルとしては、お母さんに言われるから仕方なくや、やらないと叱られるからと言った具合だ。

 取り入れによる調整のレベルは、自分の価値観ではなく、恥をかきたくないからや、馬鹿にされるのが嫌だからと言った具合である。

 同一化による調整のレベルは、将来海外で働きたいから英語を学ぶといった自分にとって重要であるからである。

 統合による調整は、電車で高齢の方に席をゆずるものだからゆずるといった、ゆずらないことを考えたこともない。そういったやりたいと思うから行うといったものだ。

 そして内発的動機づけは内発的調整に分け、これは楽しいからや、興味があるからといったものである。

 私はこれを受け、外発的動機づけの中でも学習意欲は十分にあるのではないかと考える。例えば同一化による調整で将来のことを考え、今できることをやるという姿勢は意欲があることであると思う。子どもの学習意欲を高める上で、外発的動機づけの中でもうまく内的にもっていくことで学習意欲を高めてあげられるのではないかと感じた。(小川)

 ※ 写真はこの4月から設置された看護学部が主に使う9号館を研究室から撮影した。(玉置)
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