「ちがい」を「喜び」に(矢崎)

 こんにちは。五期生の矢崎です。今日見たテレビ番組に感動した話を書かせていただきます。

 今日、「世界一受けたい授業」という番組を見ました。その中で、今世界で一番レベルが高いとされているミネルバ大学の特集がありました。

 ミネルバ大学には、キャンパスがありません。学生は世界7都市の学生寮を周り、そこで一定期間暮らし、学ぶことで幅広い教養を得ます。大学の講義は全てテレビ電話で行われます。その中で、設定されたテーマに沿って事前に学習してきたことを学生たちが議論し合います。

 テーマへの取り組み、発言、レポート、質問への回答などを踏まえて毎回、先生が五段階の評価を付けます。だから、定期テストというものがこの大学にはありません。そして、講義の中で先生は学生にアドバイスや質問をするだけで、教えることはしません。

 また、学生は暮らしている場所での社会奉仕を行うよう言われています。そこで、学生たちは自分たちが学んだ知識だけでは社会の課題には通用しないことを痛感します。それを痛感することが、これからを担う学生たちの未来のより良い姿につながると大学は考えているそうです。

 そこで学んでいる、初の日本人学生の人が、「違いに寛容になれることが大切だ」と話していました。私はこの言葉に感動しました。これからの社会に必要なのはこの「ちがい」に寛容になれる力なのではないでしょうか。

 自分と「ちがう」ということに人は、抵抗感を覚えます。でも、その「ちがい」に触れたとき、新しいことを知れたという「喜び」を感じることのできる人はこれからの社会でとても強いのではないでしょうか。

 その「喜び」を感じる為には幅広い教養と体験が必要です。その教養と体験を子どもたちに与えられる教育が求められるのではないかと感じました。

 まだ、私の教養は浅いです。今回の番組を見たことでもっと色々なことを知り、それを子どもたちにも伝えられる力を付けたいと思いました。(矢崎)
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2年間のゼミの振り返りと4月からの抱負(鏡味)

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 こんにちは!4期生の鏡味です。
今回は、2年間のゼミの振り返りと4月からの抱負を書きたいと思います。

 私は、4期生として玉置ゼミに入り、2年間過ごし しました。ずっと憧れだった玉置ゼミに加入出来たことが嬉しかったのと同時に、新しい仲間と上手くやっていけるのかという不安もありました。しかし、その気持ちはすぐに吹き飛ぶくらい、4期生の仲間はとても優しく、温かい人たちばかりでした。

 週1回のゼミの時間はどの授業よりも濃く、短く感じ、たくさんの笑いがありました。また、教員採用試験の期間では、苦しい時も全員で支え合いながら、勉強をしたり、面接練習をしたりしました。時間を見つけては、みんなでお花見をしたりバーベキューをしたりしました。

 4期生の仲間と過ごした2年間のたくさんの思い出は、これからもずっと私の大切な宝物です。4期生のみんな、本当にありがとう。

 そして、私たちゼミ生を導いてくださった玉置先生は、どんな時も優しく私たちを受け止めてくださいました。教育実習が辛く泣く私に、教員採用試験が上手くいかずに泣く私に、先生は私に電話をくださり、私の話を聞いて励ましてくださいました。さらに、先生は、教育のことはもちろん、人間としての生き方など様々なことを私たちに教えて下さいました。玉置先生、本当にありがとうございました。

 このような素敵な仲間と先生のいるゼミに入り、2年間を過ごすことができた私は、本当に幸せ者だと思います。これからも、この繋がりを大切にしていきたいと思います。

 そして、4月からは教師としての生活が始まります。今は楽しみと不安でいっぱいです。苦しいことはおそらくたくさんあると思います。しかし、どんな時も笑顔だけは忘れずに子どもたちと向き合っていきたいと思います。授業がうまくいかなくても、プライベートで嫌なことがあっても、子どもたちの前では笑顔で頑張ることを4月からの抱負とします。

 2年間ありがとうございました。私らしく頑張っていこうと思います!(鏡味)

2年間の総まとめ(安部)

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 こんにちは。4期生の安部です。先日、正式なものではありませんが、卒業式を無事に終えました。4月を目前にした今、夢であった、教員ににようやくなれるという嬉しい気持ちと、うまくやっていけるだろうかという不安な気持ちが混ざり合っています。
何事も節目が大切ということで、今回はゼミでの2年間を振り返りたいと思います。

 ゼミで過ごしたこの2年間は私にとってかけがえのないものでした。振り返ってみると、”仲間゛を教えてくれたのが、4期生のみんなそして、玉置先生だったと思います。自分の専修である特別支援を飛び出して、教職ゼミに入り、初対面の人もいる中で最初はドキドキでした。

 しかし、ゼミでの活動が始まり、セミナーにも行き始め、段々と一人一人の良さが出てくるようになりました。大学4年間で1番苦しいと思われる教員採用試験の勉強も毎日ゼミのみんなの顔を見ると、自然と笑顔になることができ、励まされたことも何度かありました。高校受験、大学受験とは全く違い、教採はみんなで戦うことが本当に大切だったということを終わってから改めて実感しています。教採を通して、ゼミでの活動を通して、みんなでテーブルを囲み、授業技術、学級経営のことなどあれこれ話し合い、深く学んでいくことの素晴らしさを実感させてくれたのがゼミのみんなでした。

 4月から自分のクラスをもつことになります。私は4期生のゼミの仲間のように、一人一人の良さが自然と出てくるような、そして幸せを分け与えられるような集団、仲間をつくっていきたいと思っています。

 最後に、私は玉置先生を心から尊敬しています。授業のこと、学級経営のこと、教育に関する知識をたくさんもっていらっしゃることはもちろん、何でもまずは受けとめる温かい心、そして何事も楽しんで学ぼうとされる先生の人間性は本当に素晴らしいと思います。玉置先生でなければ4期生がこれほど強いつながりになることもなかったかもしれません。玉置先生には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。そして、これからもたくさんお世話になります。(安部)

記事について振り返り記事を書いてみた(中澤)

 こんにちは!卒業と同時に記事が課題でなくなることに少しの安堵と少しのもやっとした気持ちがある中澤佑太です。というわけで今回は「記事」について記事を書いていきたいと思います。

 …ついに「記事」について振り返る時がきてしまいました。私にとって記事は、玉置ゼミで、玉置先生以上にかけがえのない大切なものであると誤解を恐れず考えています。記事とともに二年間があったからです。

 ゼミに入る前に記事を見た時に、私は驚愕しました。まさに自分が欲していた理想かつ贅沢なシステムだったからです。もともと随筆を書くのが好きでした。けれども学級のみんなに見せても笑われるし、インターネットでは読者に信頼ができない。だから読者も限られた信頼できる人で、責任もなくどんな内容(良識の範囲で)でも書けるようなものはないかなぁと高校生の時に思っていました。だからゼミに入る時にテンションが上がっていました。本来ならば。

 しかしその時、理想的なシステムが目の前にあっても、理想的な自分はいなかった。何度も伝えてきたがボロボロでした。

 荒んでいた自分は最初の頃は、「要するにゼミ生としての課題というわけか。」と考えていました。決して記事を軽んじた訳ではありません。むしろ課題だからこそ記事を書くスピード、文章量、内容に力を入れていました。心が入っていませんでした。そして記事を先生に送ってよし!次の課題だ、と考えていました。

 まさかそれがホームページにあがり、自分がお世話になっている先生が読んでいるということを知らずに。またゼミ生の記事を寛大に受け止め、受理していただいた玉置先生に対して感謝の気持ちを今は抱いていますが、その頃は抱く余裕がなかったことを正直に申し上げます。

 よもや話で好きなことを書いていいと言われていたので、気まぐれに書いていました。あるとき『不器用なゼミ長』というタイトルの記事を提出した後の教師力アップセミナーで、酒井先生から「中澤くん!記事読んだよ!」

 ………え、、、、

 あのときの心臓が冷たい手で包まれたかのような気持ちは未だに覚えている。提出された記事がホームページにあがっていて読む人がいると聞いていたものの、こんな直ぐ近くに読者がいると思わなかった。それから大西さんも読んでいる、エデュコム社員も読んでいたと知ったときは、あまりの恥ずかしさに記事書くのをやめようと思いました。けれども課題はやってくる笑。

 今思えば私に社会性が身につくきっかけとなったのはこの件だったと思っています。

 私は何を考えたのか?…もっと書いてやろう、上等だぁ笑。…こういう性格だから、不登校にもならず、メンタルが弱く、明らかにうつ病、精神疾患であったにも関わらず生き残って高みを目指してきたと考えています。それからというものの、怖がりながらセミナーの振り返り記事を書きまくり、よもや話を書きまくり、記事投稿数がゼミ生の中でも多い部類に入り、多くの先生方(大学の就職課まで)から記事を読んだよーと言っていただいたりわざわざメールをいただくことがあったりと、玉置ゼミの中でも独自のことが起こりました。ありがたい限りです。

 そして記事の文章も少しは良くなり、同時に私が変わっていき、よもや話の常連は私だけと思い上がっていた頃に、なんと後輩からよもや話の常連が現れた!笑めちゃめちゃ記事が上手い。正直私の居場所が…という心の狭い自分がいたのも事実です笑。大人しくその人の記事から学び取って、一人一人持ち味が違うから大丈夫と考えられるようになりました。まだまだ納得のいく記事は書けてなく、あの高校生の自分がようやく戻ってきたので、称賛される記事を書いていきたいと思う今日この頃です。

 以上が、私にとっての記事との思い出でした。思い出話ばかりでしたので最後に話します。『書くことによって学ぶ』これは玉置ゼミで最初に学んだことです。この言葉通り、記事を書くことで文章を書くことに抵抗がなくなり、大袈裟でなく論文を書くことや考えをまとめること、考えを浮かぶことが少しは苦手でなくなりました。むしろ小論文を書くことに意欲が湧き、今自分は戦えていると考えています。記事を書くことや提出することに疎かになってしまうのは、教師力とかでなく、ゼミそのものの教えである書くことによって学ぶを忘れてしまうからだと思っています。しかしあまりこの教えは言葉にする機会が少ないため、私も忘れていたことが二年間で少ないながらあります。この教えがあって色々なものが付いていることをゼミ生は忘れてはならないと自分に言い聞かせています。それではここら辺で。お読みいただきありがとうございました。(中澤)
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