「いのちの授業」を参観して

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 2月2日、小牧市立北里中学校で行われたいのちの授業を見させていただきました。

 1時間目の玉置先生の授業では生徒たちにより具体的に答えさせる場面がありました。ある生徒が発言した「日々の生活を受実させる」という言葉に対し、「具体的にどういうこと?」という声をかけていらっしゃいました。

 私がもし授業をしていたら「そうだね。とても大切なことだね」と言って終わってしまったと思います。しかし、玉置先生が声をかけていらっしゃる姿を見て表面的な言葉をとらえるだけではダメだと思いました。具体的にどういうことかを考えることで、より自分の生活とのつながりの中で道徳について考えられるのだと思いました。具体的に考える中で友だちのこと、感謝の気持ちをもつこと、自分の好きなことを頑張ること…と広がっていくのだと分かりました。さらに玉置先生は「具体的にどういうこと?」と問いかける前に「難しいね」という声をかけていらっしゃいました。先生も一緒になって難しいことだと感じ、一緒に考えていくことも大切だと思いました。

 そして、私は授業終盤にある生徒が発言した「命は弱いものだ」という言葉が忘れられません。私はこの言葉を聞いた時、はっとさせられました。飾られていない、中学1年生らしい、素直な言葉だなと思いました。かっこいい言葉を並べるだけの道徳ではなく、自分の言葉で自分の考えを伝えられる道徳の授業ができるようになりたいと思いました。

 3時間目は山田先生の授業を見させていただきました。
 
 山田先生の授業の中で一番心に残っている言葉は「ケイコちゃんの6年の命は幸せだったかどうか?」という発問です。私の予想では幸せだったという意見の方が多いと思っていました。もし私が中学生でこの授業を受けていたら、ケイコちゃんは幸せだったと答えると思います。しかし、生徒たちの中には幸せではなかったかもしれないと考える生徒も多くいました 。みんなが「きっとケイコちゃんは幸せだった」と答たとしたら、それで終わってしまうかもしれません。様々な意見が出ると自分の気持ちが揺れると思います。様々な意見を聞いて自分の気持ちが揺れながら、それらの意見も踏まえて自分の意見がより深まり確かなものになるのだと思いました。

 今回2つの授業を見させていただく中で、私も一緒に命について考えることができたと思います。道徳はどれが正解なのか分からない部分もあると思います。だからこそ、一緒に考えていくことが大切だと学ぶことができました。(渡部)

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