研究と修養(中田昂)

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研究と修養について考えてみた。

教育基本法第9条 
法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。

教育公務員特例法第21条
教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。

「研究」と「修養」をしなければいけないということはよくわかった。でも、はっきり言ってなにをすればいいのだろう?

まず、本来の研究と修養の意味ってなんだろう。
こう書いてあった。

研究
物事を学問的に深く考え、調べ、明らかにすること。また単に、調べること。

修養
学問を修め精神をみがき,人格を高めるよう努力すること。

どちらにも共通して言えそうなことは、「考え、調べ、明らかにし、学問を修める」ことだろうか。

修養の意味に含まれている、「人格を高める」というところが、よくわからない。

「生きる力」の中にも、豊かな人間性を育むとあるが、人格や人間性とははっきり言って何なんだろうか。「人間性高める」と言われても、何を高めれば、人間性が高まるのか。そもそも人間性って何なのか。疑問が止まらない。

人格と人間性の意味は次のように書いてあった。

人格
独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。

人間性
人間としての本性。人間らしさ。

どうやら「人間らしさ」のようだ。

人間らしさって何?

人間の対義語がわかれば考えられると思い、調べてみたが、人間の対義語はないようだ。初めて知った。驚き。

しかし、人間らしさって動物とは違うところのような気がする。

ここからはあくまで自分の考えになるが、人間らしさって深く考えることだと思う。経験から学んだり、人の話から学んだり、人間はどんなことからも学ぼうと思えば学べる。動物だって試行錯誤して学ぶ動物もいるが、人間の学びはそんなレベルではない。

人間が人間として生きていくには、知的好奇心を持って学び続けることが大切なのではないかと思った。

だから、学校では子供たちが学びたいと自分から思えるような授業をしなくてはいけないし、教えるプロである教師は学び続けなければいけないとつくづく思う。

そうすれば、自然と人間性も高まるのではないだろうか。(中田昂)

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