10月15日授業深掘りセミナーに参加して(吉田)

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 今回10月15日の授業深堀セミナーに参加させていただいた。授業者は伊藤先生の国語の授業、神戸先生の数学の授業であった。私は小学校教育実習が終わり初の参加である。それを踏まえて、この文章を読んでいただきたい。

 伊藤先生の国語の授業では、生徒役として参加させていただいた。
先生の世界観に引き込まれ、自然に熟語の分類をしようとする児童を生み出す技術や発言に対する対応などの先生の工夫がぎっしり詰まった時間だった。まさに電車道の授業である。この授業から特に2つのことを私は考えた。

 1つ目は「答えを要求せず、児童の考えを要求している」ということである。
 私は教育実習中に「児童の思考を促し、深める」ということが課題であった。そのためには「教師は話しすぎず、思考を促すこと」が大切であるということを考え、自分なりの工夫をし、実践するが、うまくいかなかった。伊藤先生の授業には思考を促す工夫「受けの技術があった。先生は発問をすると、児童が答え、それに対して「なるほど」「そうなの」「本当に」など表情を交えて受け答えをしていた。実際にこのようにすると先生は答えを与えず、児童が考えないといけない雰囲気になり、頭を動かしながら授業が深まるのが実感できた。私も自分なりにして実践したいと思う。

 2つ目は「いい教材を作るためには…」ということである。
 これ深掘りタイムで先生方が言った言葉である。私はこのセミナーに参加するといつもこの気持ちになる。「僕も将来できるようになりたい。でも今の自分にはできない。先生方の授業は何がきっかけでそうなっていき、ここまでの授業力が付いたのだろうか。」まるでセミナーの行間を読むようなことであるが、これが僕の学びになった。

 「子供の困った顔を見て、毎回授業をするたびに工夫した。」「どうなってほしいか、目的をどこに置き、どんな行動をさせるのか考える。」僕が教育実習で出会った場面がスタートだった。教科によって変化する部分もあるが、やはり児童を見て学ぶことは教師として当たり前にやることであり、そこからの工夫への探求心は忘れてはいけない。

 神戸先生の授業でも、生徒役として参加させていただいた。
 中点連結定理を忘れている自分に焦る中、ゼミでも紹介されたGCを用いて特殊な図形ができる条件を操作しながら、見つけていく授業だった。
 ICTをどう使うのかという話は難しいと感じた。「演繹として」「帰納として」「道具として」「手段として」いろんな位置が授業内で想定される。そこをどう考えるかというのは大切であると思う。またそれぞれの場合に想定される生徒の姿と身につく力を検討し、最適なものを選択することはしていかなければならないと考えられる。個人的にもう少しICTを生かした授業を見学する中でこのことに目を向けて、考えを深めたいと思う。

 僕にはない要素がたくさんあり、それをしっかり自分のものにしていくことが先生方への恩返しになると思うので、常に学び続けていきたい。(吉田)

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