四日市市立山手中学校・玉置先生の飛び込み授業を参観して(岩田)

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 10月20日(木)四日市市立山手中学校で玉置先生による数学の飛び込み授業を参観させていただきました。正直わたしは、生徒の実態を把握できない、クラスの雰囲気も分からない飛び込み授業という形態でどのように授業を行うのだろうという気持ちでした。


 13時35分より授業が始まりました。本日の単元は課題学習「□にあてはまる数値の求め方がわかる」というものでした。この授業の中で授業の工夫や生徒とのかかわり方など様々なことを学ばせていただきましたが、その中でも特に印象深かった生徒の表情とつぶやきについて記事にしていきます。

 授業の始めに玉置先生が問題を提示したとき、生徒たちの表情が次第に険しくなっていくのが分かりました。わからないんだと思いました。実際にクラスのほとんどの子が反応を示さずクラスが「わからない」という空気に包まれていました。その空気を感じて自分だったら、答えにつながるようなヒントを出してしまうと思いました。それは、生徒たちのわからないという表情を見ていることが不安であるからです。自分の中で授業展開の構成があって、言ってしまうなら指導案通りに授業を進めたいという気持ちが前に出すぎるためであると思います。

 しかし、玉置先生は問題提示→個人追究→全体交流→個人追究→全体交流というように、生徒主体で授業を進めていく展開をとられていました。それで本当に授業になるのだろうか、問題提示の時にクラスの8割以上は表情でわからないと訴えていました。そんな状況から、話し合いをすることで理解につながるとは思えませんでした。

 個人と全体を繰り返していく中で、生徒たちの中からぽつぽつと小さなつぶやきが聞こえてきました。「まとめたらどうだろう」「最初と最後に注目する」「2で割ればいいんじゃないかな」ポカンとした表情でただ問題を見つめていた生徒たちから、話し合いによって具体的なつぶやきが出てきました。

 わたしはその時に、子どもたちの可能性を思い知りました。自分が想像しているよりもずっといいところに着目していて、何よりも「知りたい」「学びたい」という意欲が感じられました。そして、先生の技術の中ですごいと思ったのがつぶやきの活かし方です。小さなつぶやきを拾って授業に取り入れていく、「授業のゴールは明確であるけれども、生徒とともに道を決めていく」わたしにとって先生の授業展開はそんなイメージでした。生徒たちも自分たちの中からでた言葉を使って授業が進むので、より授業に入り込みやすいのではないかと感じました。たった40分ほどの授業のなかで、生徒たちのキラキラと輝く表情「わかった」「できた」「次はこうなるんでしょ」といったプラスのつぶやき、山手中学校1年3組の生徒たちは、数学が好きになったと思います。

 本日は、都合により飛び込み授業のみの参加となりましたが、中学校実習前に非常に大きな学びをさせていただきました。私事ではありますが、わたしは中学・高校と数学がとても苦手でした。わたしにとって数学の授業はただの苦痛な時間でしかありませんでした。ということもあり、今日は半分生徒の気持ちで教室の外から授業に参加させていただきました。答えが出てからも「なんで?」「説明して」と生徒に問いかける先生を見ながら、わたしも自然になんでだろうと考えていて、授業に引き込まれている自分に気が付きました。

 本日の授業より、改めて授業において「知りたい」「学びたい」という気持ちを持つことの意義と大切さを思い知りました。そのためには、生徒に興味関心を持たせること、そのために教える側である教師が学び続けること、それが重要ではないかと思いました。偉大な先生のもとで学べる環境に感謝して、これからも自分を成長させていきたいと感じました。ありがとうございました。(岩田)

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