見えないからこそ(岩田)

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 おはようございます。今日も外は青空。窓の外を眺めては、机に向かう、先ほどからそれの繰り返しです。そうだ、こんな時は記事を書こうということでパソコンを開けました。



 突然ですが、みなさんは友人や知人と連絡を取るときどのような手段を使いますか?ライン、メール、、ツイッターや電話など時と場合、また連絡を取る相手によってそれは様々であるのでは無いでしょうか。しかしながら、SNSの発達で、連絡を取り合う手段も随分便利になりましたね。
 しかし、便利ではあるものの、SNSと聞いてよくないイメージを持たれる方も多いのでは無いかと思います。教育現場において教師や保護者の目の行き届かない部分で張られる、見えないネットワークの中で悪口や無視などのいじめが起きるという例も、珍しくないことです。


 
 わたし自身の考えですが、わたしはSNSで連絡を取り合うことは嫌いではありません。便利だからという理由ももちろんあります。しかし、それ以上に直接会うときよりも、相手の見えない意図を読み取ろうという気持ちが大きくなるからであると思います。ラインやメールであったら、その文面からその子の本心に気付くことができるかもしれません。電話であったら、声から相手の気分を判断することだってできます。
 表情で訴えることができない分、いかに相手の心に響かせることができるのか、相手の気持ちに寄り添うことができるのか、自分の「伝えたい!」という気持ちが増す気がします。



 先日ゼミの最中に「ある児童生徒が、SNSで誹謗中傷されている事実が判明した際の教師の学級への全体指導」という課題で論議したことをふと思いだし、今回記事にしました。SNS問題は非常にシビアな問題ではあると思います。
 しかしながら、相手が見えないからこそ、もっと大切なモノが見えてきたりするものなのかなと考えています。(岩田)

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