石巻市立大川小学校跡地へ(早川)

 こんにちは。3期生の早川です。先日、大学の友人と東北地方へ旅行へ行きました。その際に、勉強も兼ねて石巻市立大川小学校へ行きました。

 皆さんは、この学校名を聞いて何か思い浮かびますか?約8年前の3月11日。この小学校は東日本大震災の津波によってめちゃくちゃにされました。

 当時校庭だった場所も今は、荒れ地。雑草も全面に生えており、とてもここに小学校があって子どもたちが通っていたとは思えませんでした。

 今はもう8年間ほどが経過しているので、見てられないといったような生々しいものはありませんが、自然災害に飲み込まれてもなお残り続けた校舎たちが、津波の恐ろしさを物語っていました。

 学校の周りにたっていたはずの家は1つもなく、すぐ近くを通っている1本の道路には乗用車は殆ど通っていません。跡地を見に来る私達のような人たちの乗用車のみです。では、他に何の車が通っているのか。たくさんの土を運んだダンプカーだけです。土を大量に運んだダンプカーが遠くへ向かったかと思えば、何も積んでいないダンプカーがすれ違って帰ってくる。新しい堤防でも作っているのでしょうか。

 8年という歳月が経っているのにもかかわらず、この小学校がある地域は人も住んでおらず、何一つ復興しているような様子は見られませんでした。

 今の自分の当たり前に送っている毎日の生活がどれだけ恵まれているか、実感させられました。ありきたりのことしか言えませんが、自分の眼で見れば、きっとわかるはずです。

 何枚か写真を取りましたが、とても見ていられないようなひどい様子の校舎の様子に対して、皮肉にも青空は晴れ晴れとしていました。(早川)

◯ 写真の説明
1枚目:崩壊した体育館への連絡通路
2枚目:窓ガラスのサッシごとなくなっている各教室(校舎)
3枚目:体育館(奥に、体育館によくある倉庫の扉が見えると思います)
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