6月9日岐阜聖徳学園大学教育フォーラム2019を終えて(関口・生田)

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 こんにちは!4期生の関口と5期生の生田です。今回は6月9日に行われた教育フォーラムについて書きます!

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 こんにちは!4期生の関口です!私は午前中の若い教師向けセミナーと奈須先生の「真の対話とは」について特に印象に残っている学びをそれぞれ書きます。

 若い教師向けセミナーで印象に残っていることは、「立ち歩く子」に対する対応です。原因を把握するだけではなく、「どのくらい集中がもつのか」「立ち歩く前の仕草はどうか」などを把握する必要があることを学びました。また、授業の中で動いてもいい時間を作ったり活動を取り入れたりすることで、一度リセットされ集中することができることや、悪い行いを良い行いに変えてあげる必要も学びました。

 立ち歩く子に対してはどうしても注意が多くなってしまいますが、プリントを配ってもらったり職員室におつかいを頼んだりすることで、注意が感謝に変わります。どうしたら集中してられるかばかりを考えていた私にとって今回の対応は目から鱗でした。

 奈須先生の講演では、「学びの共同体」という言葉について改めて考えさせられました。算数の授業の様子を動画で見せていただいたのですが、わかっている子がわからない子に(言葉は悪いですが過剰に言えば)責められているような驚きの光景がありました。わかっている子にはわからない子に理解させる義務があり、わからない子は納得するまで質問し、ちゃんとわかってから帰る権利があるのです。また、対話をさせようとするばかりでなく、対話をしたくなる場面づくりや対話を価値付けていくことの大切さも学びました。

 聖徳のフォーラムであるため、本来は裏方ばかりですが、4年生という特権(5期生の気遣いのおかげ)でがっつり学ぶことができました!ありがとうございました!!!(関口)

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 こんにちは!5期生の生田朋也です!今回は名古屋での教育フォーラム2019での「真の対話を生み出すために」で学んだことを書いて行こうと思います!その中でも印象に残ったのは中島先生の「対話はわかりあえないからこそ生まれるもの」です。

 よく、対話的な学びという言葉を聞きますがそれなら対話的な学びをするためにはどうしたら良いのでしょうか?中島先生が言うには、「普段、自分ら教師は対話的な会話をしないのに、子どもに急に対話的な学びを求める」ということを仰っていました。そもそもコミュニケーションはわかりあえないことを前提としていて、しかしそれでも分かりあいたいことがある時に対話はうまれ、そのためには今までは話すことに焦点を当て過ぎていたのですが、聞くことに焦点をあてることによって対話的な学びを促すことができるとのことでした。他者がいるから違う自分、間違っている自分に出会う、それが対話になっている。中島先生の言葉は刺激があり、明快で分かりやすいものでした。さらに中島先生は対話が無ければ学べないか?という新しい視点を教授してくださいました。

 学びとは夢中になってる時におこるもので、そこに対話は必要ではない。これは確かにそうだなと思いました。決して対話的でなければならないということはありません。対話的、対話的という曖昧な言葉が投げかけられる中、教育においての「対話的」の定義をしてくださったような感覚で、対話への考え方、根本を学ぶ事が出来ました。わかりあえないからこそ、聞くという姿勢を持ち互いの意見を引き出している状態が大切なのだなと思いました。ありがとうございました。(生田)
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