12月26日真打会での学び(山田・安部・中澤)

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 こんにちは。4期生の山田、安部、中澤です。寒さが日に日に増してきました。学校ボランティア行くと、子どもたちの元気な声で寒さなんか吹き飛んでしまいます。子どものパワーはすごいなぁと感じています。クリスマスの翌日、EDUCOMにて、学びの大きなプレゼントをいただきました。12月26日に行われた、真打会での学びを書きたいと思います。

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 こんにちは、4期生の山田です。今日は先日の真打会からの学びを書きたいと思います。

 今回模擬授業をしてくださったのは、中田先生と牧野先生です。

 どちらも玉置ゼミ一期生の先輩とお聞きして一方的に親近感を感じていたのですが、感じていた親近感が吹き飛ぶほど圧倒的な授業力の差を見せつけられたように感じました。模擬授業は4年生が後期ゼミでやっているのと同じ20分間なのに、わたしの模擬授業とは内容の濃さが全然違うなと感じました。子ども役の反応や発言を拾いながらも、サッと走らせるところと止まってグッと深めるところを使い分けながら授業を展開していたからだと思います。この授業のメリハリがわたしに足りていない所だなと感じ、それが自然とできているお二人はさすがだなと感じました。

 また、お2人ともに共通して、授業中の子どもを本当によく見ているなあと感じました。子どもを褒めるプロの田中先生は、子どもがプリントをもらったときの小さな「ありがとう」の声も聞き逃さず、すかさずクラスに広めます。何かの作業の前に必ず1つは誰かを褒めてクラスに活気を持たせていました。子どもの気持ちを引き出すプロの牧野先生は、子どもの発言の中の「〜だけ」「〜だけど」という言葉にもうひとつつっこんで、さらに発言を深めます。わたしが課題としている「ものわかりの悪い教師」が自然とできているなと感じました。

 こうして振り返ってみると、お2人が実践されていた授業技術は別に目新しいことではなく、私たちが玉置ゼミで既に玉置先生から教わったことばかりです。それでもこんなにもわたしとは違って偉大に見えるのは、その授業技術一つ一つがしっかりと自分のものになっているからだと思います。わたしはいわばまだ服に着られている状態なのだなと感じました。ゼミの模擬授業でも失敗ばかりですが、何度もトライしてお二人のように自分らしく使いこなせるようになりたいです。

 玉置先生と和田先生と行った授業の振り返りでは、道徳科において「考える条件を整える」という学びが特に印象に残りました。例えば、お母さんが病気の時と元気な時では、主人公の行動に対する心情は違います。子どもたちがそのもととなる条件をしっかり共通理解できてから、考え、話し合うことが大切と学びました。

 今回模擬授業をしてくださったお二人、真打会に参加されている方々のような、現役の教員になってからも学び続ける姿勢、わたしも4月から大切にしていきたいです。関係者の方々、今回もたくさんの学びをありがとうございました。(山田)

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 こんにちは。4期生の安部です。真打会に参加させていただきました。今回はなんとゼミの先輩、1期生の中田先生と牧野先生が模擬授業をしてくださいました。3年目のお二人があれほど素晴らしい授業をされて、私も3年後あんなふうになりたいなぁとつい考えてしまいました。また、先輩方の素晴らしい授業の裏には、毎日の努力の積み重ねあってこそのものなのだろうなぁということを実感しました。お二人の授業から学んだことをそれぞれ書きたいと思います。

 まず、中田先生は生活科で、「情報をいかす私たち」という内容の授業をされました。自分たちのクラスの様子をインタビューしたメモを元に個人で記事を書く、という、とても新しい発想の授業でした。授業を受けていてもとても面白い内容のもので、自分も教師になって、実践してみたいなと思ってしまいました。

 さらに、記事を書くテーマがあらかじめ二つに分けられていたことを知った瞬間は「そういうことか〜」という言葉が思わず出てしまうほど驚きで、とてもわくわくしてしまいました。

 授業後の深掘りで先生方がおっしゃっていたこと、また私が他のゼミ生と話す中で得た学びは次の通りです。

 授業のどこかで、違いが生まれる場面をつくるのはとても大切。違いが生まれると子どもの口から「えっ、なんで?」という言葉が自然に出てきて対話が生まれ、追求し始める。そうすることで、子どもの言葉によって授業が進んでいき、考えをさらに広げ、深めていくことができる。

 違いというのは今回の授業でいえば、「素晴らしいクラス」と「問題の多いクラス」の2つのテーマに分かれているということです。テーマがそれぞれ分かれているという事実が後から発覚した、そのときの感動というのは実際に授業を受けていて、とても大きいものでした。この子どもの気持ちが動く瞬間を逃さず、この場面で教師が何を問いかけるかはとても重要だなということを感じました。

 次に、牧野先生は道徳で、「絵葉書と切手」という資料で授業をされました。この資料は定形外の葉書の場合、余分に料金を払わなければならない、という少し難しい内容のものでした。しかし、牧野先生は子どもがそれを理解するのが難しいと考え、あらかじめ、定形外のことを簡単に説明していました。この配慮はさすがだなというふうに思いました。授業後に、和田先生がおっしゃっていた、「道徳では、最初に条件を揃えることが大切、全員が同じ土俵に立って考えられるようにすることが大切」ということがきちんとできていて、関心してしまいました。

 また、牧野先生は普段から自分の授業の反省として、子どもの意見を一生懸命聞くあまり、話している子と一対一でのやりとりになってしまうことが多いということをおっしゃっていました。まず、自分の授業をそこまで客観的に評価できていることが素晴らしいなという風に私は思ってしまいました。他の先生方からは以下のような助言がされました。

 子どもの発言を教師が受け止めるだけではなく、その意見をそのまま全体に投げかければよい。「今、言ってくれたこと、分かる人?この気持ち共感できるなっていう人?」というように全体に広げ、共有することで、自然と他の子どもからつぶやきが出て、一人の意見が学級のものになっていくのである。

 私は牧野先生の授業を生徒役として実際に受けていて、先生と子どもの一対一のやりとりになっているとは思いませんでした。しかし、今発言した子のことをみんなはどのように感じているのかな、共感する子はどのくらいいるのかな、聞いてみたいなという気持ちになることはありました。子どもの発言を橋渡しするのは教師だと思います。今回の牧野先生の授業を受けて、その重要さがよくわかったので、自分も実践してみたいと思います。

 今回もより多くのことを学ぶことができました。授業をしてくださった、中田先生、牧野先生、また関係者の皆様、ありがとうございました。(安部)

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 こんにちは!四期生の中澤佑太です。今回は12月26日に行われた真打会で新たに学び得たことを記します。

 今回学び得たことは二つあります。『驚かせたいことに関しては、驚かせるまで忍耐強く黙ること』と、『情報の授業の大切さ』です。

 『驚かせたいことに関しては、驚かせるまで忍耐強く黙ること』について記します。授業者である一期生の中田さんは、子どもたちにニュース原稿を書かせて、発表しあうなかで気づいたことを出しあい、違和感を十分に感じさせたときに、実はニュース原稿を書かせる指示が書いてあるプリントが、クラスの半分だ違うものになっているという仕掛けを披露しました。授業者としては、子どもたちが自分の考えた活動に乗っかっているのか心配になり、口を滑らす心理がよく働きます。私は、中田さんは、まさに生きている子どもの反応をその場で取り入れて授業をしていたと感激しました。他者に何かしら働きかけるときに今回学んだことを活用していけるように努力をしていきたいです。

 『情報の授業の大切さ』について記します。今回、情報を受けとる立場から発信する立場になることで、作り手しだいで情報が正確でなくなりやすく、正確でない情報を無意識に受け取ってしまうことを自覚するという授業が行われました。これからを生きる子どもは勿論大人も、本質を見失った情報で物事を考えてしまい、結果いらいらすることが増えて、幸福感が減ってしまいます。そうならないためにも、情報の作り手の視点にたち、今自分が見ている情報に対してどう考えるのか、このような力が授業者にも求められ、子どもたちにとっても大事になると私は考えました。

 今回も素敵かつ贅沢な学びの場に参加させていただき、ありがとうございました。中田さんと牧野さんをはじめ、関係者の方々に敬意を抱きます。(中澤)
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