5月29日 栗木先生の御講話を聞いての学び( 6期生)

 この度は僕達のために素敵なご講演ありがとうございました。今回の講演で、自分の中での「学び合い」というものへの向き合い方が凄く変わった気がします。今までは、何気ない気持ちで、子どもたちに主体性を持たせるためにと思い、模擬授業や塾のアルバイトで学び合いをさせていました。

 しかし、「主体的」≠「自主的」の概念であったり、話し合いではなく聴き合いという考え方を知ったことで、子どもたちが「なにができるようになるか」や「なにを学ぶか」を本質的に考えることができそうです。まだまだ経験が無いので、想像の範囲でしか考えることはできませんが、実際に現場に出た時に、今日の先生からの教えが生かせられるよう、精一杯頑張りたいと思います。この度は本当に貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。(名桐)


 栗木先生お忙しい中、本当にありがとうございました。学び合う学びについて、とても考えさせられました。
 動画のように、先生は、喋りすぎず、子どもたちが主体的に学べる授業が作れるようになりたいと思いました。しかし、そのためには、「わからない」を大切にして、児童が人に訊くことのできる環境(クラス)を作ることが必須であると学べることができました。そのような環境づくりをして、今の社会に適した能力、人に助けを求め求められ自立していけるような人を育てる教師を目指します。栗木先生の授業を受けることができて本当に良かったです。ありがとうございました。(伊藤)


 栗木先生、今回はとても貴重なお話をしていただき、自分の中でも大きな学びを得ることができました。貴重なお時間を割いていただき本当にありがとうございました。

 自分が一番印象に残っているのはやはり「分からない」が言えないということについてです。分からないことが恥ずかしいこと、分からないと馬鹿にされる、叱られるというイメージを子どもが持ってしまい「分からない」が言えないという状況は学級内ではそれは子どもが隠しているだけで本当に多くあることだと思います。そんな中で分からないということが悪いことではなく、それが学びの出発点だということを子どもたちが認識し、分からないと言える学級を作るにはまず、教師が前から子どもたちに「これ分からないから教えて」と簡単な問題でいいので聞いていくことで聞く姿の手本になって良いのではないかと私は考えました。
 
 また、分からないをクラス全体で教え合うことも、ビデオにあったように、時には厳しい指導をしても子どもがそこでダメになってしまわないためにもそれまでの学級経営が本当に大事になってくるのだなと強く感じました。
 
 学級全体で学び合うこと、分からないことを分からないと言うことそれが当たり前であるというクラスを作ることが大切でまたそれが難しいということを学ぶことができました。本日は本当に貴重なお時間を割いてお話をしていただきありがとうございました。(池戸)


 今回の栗木先生の講義を受け、学び合うことの本質について今までより理解が深まりました。これまで大学の講義で主体的で対話的な学びという言葉を何度も耳にしました。しかし、具体的にそれはどのような授業か全く想像できませんでした。今回、大河内小学校の古屋先生のビデオを見ました。先生の助言や教科書による手助けをなしに、子どもたち同士で疑問をもち交流、試行錯誤しながら学び合っていました。その学び合いは本当に自然と行われていて、今まで見た事ないくらい面白いほど授業が進んでいて、なんだこれ!と思いました。主体的で対話的な学びの授業とはこういう事なのかと感じました。

 また、栗木先生は自主的と主体的は違うとお話されました。私はこれまで違いがわかっておらず同じことだと思っていました。ただやれと言われたことにやる気になるのではなく、最初から子どもたちがこれについて自分から学びたい!と思うことが主体的であり、そんな知的好奇心が向上する授業、関わり方を目指すべきだと思いました。

 今回、学び合いの本質について理解を深められました。これからのゼミ活動に今回学んだことを生かしていきたいです。このような貴重なお話をありがとうございました。(金子)


 先日は、貴重なご講話ありがとうございました。栗木先生のご講話の中で私が特に大切にしたいと思ったことは「わからないを宝物に」ということです。初めのDVDの時、私は子どもが発した「わかんない」という言葉をメモしていました。それが素直に出る学級が素晴らしいと思ったからです。2つ目のDVDを見た時、それが確信になりました。「わからない」と素直に言えることで学び合いが深まることを知りました。

 しかし、現場では「わからない」と素直に言える子どもはどれだけいるのだろうか、と思います。実際、私も小学生の頃、わからないことは恥ずかしいことだと認識していました。そのため教師がよく口にする「わかる人ー?」という発言に違和感を感じたことはありませんでした。しかし今回の先生のご講話から、学び合いの姿勢はまず教師が見せていくものだと分かりました。私はこれからの教育実習や現場での授業で「わかる人教えて」という言葉は使わないようにしたいです。そして、「わからないことは良い事である」という考えを子どもたちに伝えていきたいです。また「学び合いとは話し合いではなく、聴き合いである」というのも、教師がまずその姿を見せなければならないと教えて頂きました。まずは教師が子どもの話を聴く姿勢を大切にしたいです。

 今回の栗木先生のご講話は、私にとってとても衝撃的なものでした。今までは考えたことがなかった視点での学びが多くありました。今回学んだことを現場で生かせるように日々努めていきたいです。本当にありがとうございました!(松浦)


 第6回目の6期生ゼミには栗木智美先生が参加してくださいました。栗木先生のお話から「学び合う学び」について考える機会をいただきました。今回は栗木先生から私が学んだことを書きます。

 「学び合う学び」とは何だろうと考えたときに栗木先生のお話の中で気づくことがたくさんありました。「学び合う学び」をしている子どもたちの動画から子どもたちは授業で自分たちが活動の主体となっている姿、子どもが自分たちで求めたい答えを導きだす姿が見られました。その子どもたちの姿は、勉強を「させられている」という様子ではなく、むしろ子どもたちそれぞれが楽しそうに問題を考えていて一種の遊びをしているかのように感じました。そして、一方で教師はどんな働きかけをしているのか考えてみると、教師は子どもにきっかけだけを提示していました。教師は子ども同士が学び合えるように直接的な働きかけをすることは少ない代わりに仕掛けを工夫していることを知りました。子どもにパスをするきっかけにどんな仕掛けが組まれているのかが重要なことだと感じました。

 また、分からないことを「分からない」と認めてまわりに助けを求めることができる態度を養うことが自分を見つめることにつながるのだと学びました。分からないことは恥ずかしいこと、格好悪いことじゃない、すてきで大事なことなのだと子どもに伝えていきたいです。学び合うということは厳しいことです。だからこそ教師がその厳しさを子どもに伝えることできっと学び合う学びができる子どもに成長していくのだと思います。

 栗木先生のお話からたくさんの学びがありましたが、実際に自分が教壇に立ったときにうまく活用できるかというと正直本当に自信がありません。しかし、だからといって諦めてしまうのではなくて、じゃあどうしたら仕掛けをつくれるのか、授業の工夫ができるのかと考えて悩んで追求し続けようとする姿勢を大切にしていきたいと思いました。

 栗木先生のお話を聞かせていただいて深い学びにふれることができました。栗木先生、玉置先生、今回のように勉強させていただく貴重な時間をつくっていただいてありがとうございます。今回学んだことをしっかり心に留めながら教師を目指していきたいと思います。(中江)


 今回、栗木先生の講義を受けることができ、とてもためになりました。ありがとうございます。自分は学び合いを、分からない人に分かる人が教えてあげる時間を設けるものだと思っていましたが今回のお話を聴かせていただき、学びあいは生徒同士で自然と起きるものであり、教師自身が強制してやらせるものではないということを理解できたのが1番大きなことだったと思います。
 
 また、自主性と主体性は違うということにもはっとさせられました。90分という短い時間でしたが、本当に身になる話を聴かせていただけて嬉しく思います。ありがとうございました。(中野)


※ 写真は、林文通先生撮影のある学校の一コマです。記事とは関係ありません。学校のワンシーンがとてもうまく切り取られていますので、使わせていただけるようにお願いをしました。

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